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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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4日目 2016年11月5日 山形 天童 かみのやま温泉 赤湯温泉 高畠 米沢 

早朝の山形を歩いてみた

 山形(市)には2、3度来たことがあるが、ほとんどは乗り換えのためにホテルに泊まっただけだ。山形城跡の霞城公園に行ったことはあった。

 夜遅くに山形駅に着き、駅から10分ほどの、中心街ではないホテルに泊まったとき。その日の山形で花笠祭りが行われていたことをテレビのニュースで知った。それぐらいの記憶しかない。

 昨夜少し歩いた山形駅東口の飲み屋街はおもしろそうだった。急きょ山形について調べてみた。遊郭跡があることを知った。もともと今日のスケジュールはこの旅で一番の強行軍となっていたのだが、山形を歩いてみたい気分になった。厳しいスケジュールに山形歩きをねじ込んでみた。

 山形県を旅することが難しいとは思っていなかった。ところがある程度のスケジュールを立てたうえでないと、思ったとおりに旅を続けることができない。山形の平野地域を南北に走る奥羽本線(通称、山形線)の在来線の運転本数は1時間に1本程度である。便利であるとはいえないが、この程度の列車本数があれば旅に大きな支障はない。ところが町が沿線にきれいに配置されていない。肘折温泉や銀山温泉が山のなかにあるのは仕方がないが、尾花沢、赤湯、高畠などの町が鉄道駅から離れたところにありバスを必要とする。米沢の中心部も駅から離れている。鉄道を敷設する際に反対運動が各所で起きていたのではないかと思われる。周辺に行くバス便は大体の場合1日4~6本程度で、土休日には完全運休になることがほとんどである。旅を始める前にある程度のスケジュールを立てておく必要がある。

 山形(市)の下調べの最後の項目は、日の出の時刻についてだった。6:08時点で、山形市内で見たいもののうちの、駅からもっとも遠くにあるところに着いておく。それが昨夜立てたベストの計画だった。

 6:30にホテルをチェックアウトした時点で山形歩きの完全実行は難しくなっていた。

 ホテルイーストワンを出てから7、8回ほど角を曲がった。途中のおもしろそうな建物を撮るのは帰り道にまわすことにした。20分間で赤信号を4、5回横断した。歩行者とはいえ、こういう悪質な道路交通法違反者を山形県警は見逃してはいけない。

 最初に着いたのは駅の東1.2kmほどのところにある東前稲荷神社である。注目すべき点は神社の前にあった説明文である。

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 城主秋元涼朝(すけとも)の文政4年(1821年)城下の宿屋に遊女を置きたき申出あり 発展のため許可す
 ・・・・
 小姓町遊郭となり、明治、大正、昭和と、六十年間にわたって歓楽街として繁栄せり

 簡略化された説明である。よい文章だと思うが、「歓楽街として繁栄せり」というのが事実であったとしても、わざわざ記載してしまえば余計な自己肯定と取られても仕方がない。別の表現があったと思う。

 鳥居の奥の朱色の稲荷神社は背の低い紅葉の影に隠れていた。

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 すぐそばに「旅館菊清」があった。営業をしていないようだ。「旅館菊清」は小姓町遊郭の残滓である。周囲に遊郭らしき建物はなかった。

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 建物を壊すことは個人でできるが、道路の形状を変えるのは行政の計画が必要になってくる。すべての遊郭が消し去られていても、鉤型の道路状況は隠せなかった。鉤型は城下町でよくある道路の形態で、遊郭にもある。鉤型の道路に残っていたのは山形県生活衛生会館である。娼妓たちの検梅所だった建物である。

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 東前稲荷神社、「旅館菊清」、山形県生活衛生会館の所在地は「山形市小姓町」である。ここが遊郭のど真ん中だったと思われる。

 花街であった七日町のほうに行きたいが、時間はなかった。30分早くホテルをチェックアウトすべきだった。

 山形駅のほうに歩いた。石だたみロマンロード21という通りがあった。ネーミングが失敗しているだけではない。この通りを観光的にする意味がわからない。少しでも公共事業費を抑制するべきだろう。

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 羽州街道(山形県道112号)沿いに山形まるごと館紅の蔵があった。もちろん開いていない。

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 山形駅に続く山形県道16号に出た。駅のほうに歩いた。

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 昨夜歩いた駅前の飲み屋街に入ってみた。早朝の飲み屋街が疲れた表情を見せているのはどの街も同じである。

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 予定していた列車に乗ることができた。

 山形8:09発 → 天童8:28着


天童を歩いてみた

 天童駅に併設された天童市将棋資料館は閉まっていたが、迎えてくれたのは将棋関連のアイテムである。

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 天童駅東口から東にまっすぐ延びる山形県道280号を歩いた。天童温泉の方向である。途中の街並みはおもしろくなかった。

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 目的は天童温泉ではない。天童温泉の手前から北の方角にある飲食店街あるいは風俗街である。それは簡単に見つかった。

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 ぎおん小路。

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 『新世紀エヴァンゲリオン』のチルドレンたちの肖像は無断使用されていた。

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 天童駅にもどるとき左手に小山が見えた。どうやら天童公園らしい。

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 次の列車までの待ち時間の間に駅のなかの食堂で朝ご飯を食べた。

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天童からかみのやま温泉へ

 天童10:21発 → 山形10:42着

 山形駅で列車を乗り継いだ。3駅先のかみのやま温泉駅で下車することにした。

 山形11:07発 → かみのやま温泉11:20着


かみのやま温泉を歩いてみた

 「上ノ山駅」が「かみのやま温泉駅」になったのは1992年である。近年の山形県において名称変更があった場合、そのほとんどは山形新幹線の開通に関わると思っていい。山形開業は1992年、新庄延伸は1999年である。この2つの年だけを覚えておけば、大概はどちらかということになる。古いものを変えたければ、こういった大掛かりな変化が必要なのかもしれない。それがよいかどうかは別にして。

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 500年以上の歴史を持つといわれるかみのやま温泉郷は湯町、新潟、十日町、高松、葉山、河崎などによって構成された温泉街である。これらの個別の温泉の名称が、多くの人が知っている日本のどこかの地名であるのはおもしろい。

 かみのやま温泉駅からかみのやま温泉まで遠くない。山形では珍しいことである。

 かみのやま温泉駅の西口から山形県道104号を西に歩いた。須川の支流を渡り山形県道13号に入ったところにあったのは、映画『おくりびと』のロケ地になった建物である。映画のロケ地のメインは坂田なのだが、この町にもロケ地の案内板があった。映画を観ていないので感慨はなかった。

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 ショッピングセンター「カミン」が見えてきた。

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 廃業したのは2016年4月26日である。負債総額は8億9,000万円。地元企業の出資により1993年12月に上山二日町ショッピングセンター協同組合が設立された。組合は国の高度化資金制度を活用して約9億5,600万円を借り入れ、カミンの1、2階商業スペースを購入した。加盟企業の負担金と、テナントからの賃料収入で運営されていたが、立ち行かなくなったということである。カミン内で特産品を販売していた上山二日町ショッピングセンターの負債額は約3,300万円。首都圏では木更津そごうの撤退が話題になったことがあったが、市や市民にたいしてのインパクトはかみのやま市のほうが大きいだろう。

 建物内に入ることができた。ベーカリーともう1軒が営業を継続していた。

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 山形県道13号から山形県道169号に入った。

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 かみのやま温泉新湯通りのアーチをくぐった。

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 下の1枚はおそらくトキワ館という映画館跡だと思うが、確証が持てない。看板がないのでわからない。黄緑豆タイルの円柱は赤線建築だと思うが、あまり古い感じはしなかった。やはり確証が持てない。

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 左手に入る脇道に入ってみた。

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 よね本旅館はレトロモダンといっていいのだろう。このエリア屈指の見どころになるのだろうが、塀が邪魔をして入口表面には立てなかった。

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 よね本旅館の奥は裏山といっていいような場所だった。神社があり、野球チームの事務所らしきものがあった。

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 山形県道169号にもどり奥のほうに歩いた。新湯にある大きな旅館が現れ始めた。

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 森本家、三輪家、山田家、旧曽我部家の4軒の武家屋敷が並んでいた。

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 上山城と月岡公園を通った。

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 奥羽本線の車窓から見るしかないだろうと思っていたスカイタワー41が駐車場の広場から見えた。首都圏ではなく、仙台市でもなく、県都山形市でもなく、かみのやま温泉駅前でもない、上山市の新興住宅地の金生地区に竣工したのは1999年である。総戸数389戸のマンションを開発したのは、千葉県民の多くが知っているユーカリが丘ニュータウン(千葉県佐倉市)の開発で知られる不動産デベロッパー山万の関連会社、山万アーバンフロントである。

 133.95mは東北地方屈指の高さである。2,000~4,000万円の販売価格が1,000万円~2,000万円程度に値下げされたことによってマンションは完売となっている。

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 上山城の南東方向にある十日町を歩いてみたが、おもしろそうな町並みではなかった。中湯共同浴場があった。

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 須川の支流を渡りかみのやま温泉駅にもどった。


赤湯駅から赤湯温泉まで
 
 かみのやま温泉 12:29発 → 赤湯12:47着 
 
 中川地区バス時刻表によると、赤湯駅から赤湯温泉口を通過し元中山公民館に行くバスは平日には4本走っている。しかし今日は土曜日である。赤湯駅にある南陽市観光協会で確認してみたが、やはりバス便はなかった。他の経路のバスもなかった。赤湯温泉まで2kmあることを確認し、地図をもらった。

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 駅に併設されているNEWDAYSで買った2個のおにぎりで腹ごしらえをした。

 さあ出発である。山形県道156号を東に歩いた。都市ではない田舎でもない、ところどころに店がありたまに飲食店がある道路を歩いた。ラーメン二番、焼肉味楽、どうでもいい店を黙殺した。  

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 吉野川を渡ったところに池があった。銀杏を映すはずの水面は蓮で覆われていた。光の反射が水面を黒く見せた風景は油絵的な美しさだった。

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赤湯温泉を歩いてみた

 ある交差点を越えたところから道路幅が広くなり電柱がなくなった。赤湯温泉の中心部に入ったようだ。

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 モダンな場所はあったが、風情のある温泉街ではなかった。

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 山形県道156号をどんどん歩いていたら、南のほうに怪しげな看板がある一画があった。右に折れ歩いてみた。飲み屋街が出現した。それは広くない通りに一直線にあったわけではい。一定の面のなかに散っていた。看板に引き寄せられて引っ張り込まれていくが、それはやや唐突に終わる。しかし途中で枝分かれしている道が別の飲み屋の通りを用意している。そんな具合である。

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 山形県道156号の北のほうには中規模の旅館らしき看板が見えた。県道の北側に行ってみた。

 中規模な旅館が集まっていた。周辺に飲み屋は散っていた。

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 県道沿いに赤湯温泉観光センターゆうなびからころ館があった。足湯がありレンタサイクルを借りることができるようだ。休憩できるスペースは充実していた。

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 もう一度県道の南にもどって飲み屋街を歩いてみた。

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8km先の高畠まで歩いた

 さて。このあとどうするかにについては昨日から迷っていた。

 赤湯温泉の南南東に高畠の中心部がある。そこまでどうやっていくのかがこの旅の最大の問題であった。

 高畠温泉は最寄りの高畠駅(赤湯駅から奥羽本線で南に1つ目の駅)から5km東にある。平日でもさえもバスの便はない。山交バスが走っていない地域には自治体が自前のバスを運営していいと思うのだが、財政的に苦しいのだろう。赤湯温泉から2km歩いて赤湯駅にもどり、列車で1駅先の高畠駅に着いたとしても、そこからの交通手段がないのである。

 唯一の方法は南南西20kmほどのところにある米沢駅からの山交バスに乗ることだ。そのバスの運転本数は平日のみの4本だけで、土曜日の今日は1本も動いていない。こういう状況を作り出していて温泉街が発達するはずはないと思うのだが、旅のマーケテイングは、旅行会社や宿泊施設による旅行者の囲い込みが基本になってしまっている。大型旅館を中心とした自社バスによるアクセスはあるはずで、個人客には冷たい仕打ちになっている。

 赤湯駅を出たときからどうするのかを迷っていた。早朝から山形(市)で4km、天童で3.5km、かみのやま温泉で4km、赤湯駅から赤湯温泉までで2km、赤湯温泉で2.5kmほど歩いてきている。合計16kmは歩いただろう。赤湯温泉から高畠まで歩けば、そこに8kmが加わる。高畠での3~4kmも頭に入れておかなくてはならない。

 タクシーに乗るということも頭のなかにチラついていた。

 時刻は14:00である、太陽はまだある。高畠までの8kmを歩くことにした。四国お遍路の歩行距離は男子で30kmといわれている。

 赤湯温泉から道をじぐざぐに歩き東西に走る山形県道113号に出た。途中にインド料理店があった。インド料理を食べたくなったが、赤湯駅でおにぎりを2個食べたのは中途半端な腹ごしらえであった。

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 東に歩き羽州街道の次の通りを南に折れた。殺風景な七ヶ宿街道を南に歩いている。七つの宿とはどこなのだろうと好奇心を持つべきところであるが、地図で確認する気になれない。歩き続けるという行為は思考を奪ってしまう。それでも一応は書いておいたほうがいいだろう。あとで調べたところによると、仙台領内にある七つの宿場(上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原)を指すようだ。

 徒歩で全国を行く旅人は町をゆっくり歩くことをしていないのではないか。彼らは歩くこと自体が目的だ。見えているのは今の私のように、目標地点だけである。

 高畠町に入ったすぐのところに水門があった。

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 途中で七ヶ宿街道の、歩道がなくなった。スピードを出した車が真横を通るのは危険だし不快である。脇道に入り家々のなかを歩いた。

 リンゴや柿が熟していた。紅葉や銀杏の盛りの下を歩いた。道は何度も美しい曲線を繰り返した。この道が七ヶ宿街道の旧街道かもしれない。街道の曲線は参勤交代を美しく見せるためだという説がある。説は正しいと思う。

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 通りすがりの子供たちはみんな挨拶をして過ぎていった。


高畠の中心地にあった旧高畠駅そして昭和ミニ資料館

 グーグルマップで設定しておいた目的地に着いた。そこは廃線を歴史に留めるための場所である。山形交通高畠線は1922年に開業した。養蚕が盛んだった頃のことである。高畠線は、奥羽本線の現高畠駅から町の中心を経由して二井宿まで敷設された。廃線は1974年で、廃線後の一時期、旧高畠駅はバス停として使用されていた。駅周辺は高畠広場として整備され当時の電車が残されていた。公園には木々が植えられ、美しい紅葉が駅舎を飾っていた。

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 観光客はいなかった。ベンチで休憩をした。遠くを走る車の走行音のなかに子供たちが遊び声が響いてきた。

 旧高畠駅の近くの建物に「花の散歩道中央通り・昭和ミニ資料館案内図」があった。案内図の写真を撮り、それを参考にしながら歩いてみた。

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 旧高畠駅から東に歩いた。歩いているのは花の散歩道中央通りである。

 「金計堂本店」は昭和1号館である。当時の時計、カメラなどが展示されていた。

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 昭和2号館の「伊澤商店」には東京オリンピックの品が展示されていた。「泣いた赤おに」の像があったのはこの「伊澤商店」前である。日本のアンデルセンと言われている浜田広介の童話集の中から、作品10編をモチーフにした彫刻が昭和縁結び通りの南側の歩道にあった。

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 観光・道路案内所と書かれていた建物に入ってみた。昭和3号館の高砂屋珈琲店である。映画のポスターを壁や天井に貼りまくっていた。

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 昭和X号館のすべてがおもしろいわけではない。

 昭和17号館は「おばこやで」ある。ブリキ製のおもちゃなどが展示されていた。

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 昭和5号館の「ちょうさん」は昭和の茶の間を再現していた。

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 他には昭和6号館のふるかわ酒店(漫画を展示)、昭和8号館の大野屋(外国たばこ、お菓子の型の展示)、昭和11号館の相田時計店(時計などの展示)、昭和12号館の大浦豆腐店(台所用品などの展示)などがあった。

 昭和21号館まであるようなのだが、実在するのは18館である。欠番があるのは、廃業した店があるからなのだろう。

 映画館から昭和のポスターが見つかったことが昭和ミニ資料館を作ったきっかけらしいが、根底には衰退への危機感があったのだろう。ハードではない“昭和”というソフトを導入し、公共の博物館ではなく商店を活用しソフトを活かそうとした姿勢と演出力には敬意を表するべきだろう。

 もっともソフトとしての“昭和”は日本の至るところあり、際立った特殊性として屹立しているわけではない。似たような町として青梅(東京都)を挙げることができる。


タクシーで高畠駅へ

 昭和X号館巡りは飽きてきた。11月の陽は暮れつつあった。花の散歩道中央通りの遠いところから高畠駅までは6kmほどの距離がある。高畠駅の方向に歩きながらタクシーを拾うことにした。後方からやってくる車を注意しながら歩いていたが、タクシーはまったく走っていなかった。高畠駅まで4kmに迫った辺りでタクシー会社が出現した。

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 「流しをやってもお客さんがいないんですよ」ドライバーは言った。夕暮れを走るタクシーのなかで一息付いた。

 現在の高畠駅の駅舎が完成したのは1992年である。山形新幹線の開業年である。以前の高畠駅東口は畑のなかだったらしい。

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 駅舎にホテルフォルクローロが併設されていた。JR東日本ホテルズグループのホテルである。大湊(青森県)で泊まったことがあった。

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 米沢で夜ご飯を食べようと思っていたが、空腹に負けた。駅舎のなかにあった「高畠駅食堂たかはた天使のレストラン」でメンチカツ定食を食べて列車に乗り込んだ。

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米沢のホテルに宿泊した

 高畠17:07発 → 米沢17:17着 

 17:00を過ぎた米沢駅の観光案内所は開いていた。ホテルモントビューという名称のホテルは米沢にはない、と言われた。最近になって名称を変更したことを観光案内所のスタッフは知らなかった。旧サンルートホテルであることを伝え、近くのバス停を教えてもらった。米沢の地図とバス時刻表をもらい観光案内所を出た。

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 次の循環右回りのバスは18:10発だった。50分ほど待たなければならなかったので歩くことにした。米沢の中心は米沢駅から離れたところにあり、ホテルモントビューは米沢の中心地にあった。今日は30kmほど歩くことになるだろう。

 米沢駅前に米沢牛の店が何軒もあった。米沢駅の駅舎を背にして西に延びる通りは2本ある。どちらを歩いても中心地に着くことができる。北側の山形県道6号を歩くことにした。まだ18:00になっていないというのに真っ暗である。

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 20分ほど歩いてホテルモントビューに着いた。サンルートホテルだったときに泊まったことがあった。外観の様子が変わっていた。ごちゃごちゃしていた感じになっていたが、4階のレセプション前の余裕のあるスペースには見覚えがあった。チェックインは18:00過ぎになった。

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