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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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炭坑の空知をめぐる、今はなき幌内線の旅。

5日目 2016年9月6日  旭川 岩見沢 三笠 幾春別 札幌

 8 :08発の岩見沢行きに乗る。ホームで待っている人はいないし、3両編成の電車に乗り込んだ人はごくわずかで、私の乗った車両には私1人しかいない。今日は平日の水曜日である。

 上の文章は、2014年1月8日の旅日記である。そのときは旭川から岩見沢行きに乗って、滝川で下車した。そこからバスで雪に埋もれた赤平、歌志内、上砂川、砂川を周った。この雪に埋もれたというところが引っかかっている。街を見た気がしていない。もう一度行ってみたいとなんとなく思っている。

 2日前に糠平湖に沈んでいるタウシュベツ橋に行かないことを決めたとき、1日分のスケジュールが空いた。だから「滝川下車で赤平、歌志内方面」に少し心が動いた。

 朝ご飯のあとカンダホテルをチェックアウトした。雨が通りを濡らしていたが、傘を差さないで歩いた。

 2016年9月6日、青春18きっぷの5日目にスタンプをもらい旭川駅の改札を抜けた。滝川行きは2分遅い発車になっていた。以前と同じ3両編成だった。私の乗った車両は半分近く埋まっていたが、滝川に着いたときは10人ほどになっていた。
 
 旭川8:10発 → 滝川8:53着

 滝川駅で改札を抜け駅前に立ってみた。駅が工事中だったこともあるが、駅前は閑散としていた。建物は少なかった。駅舎を背にして右手には駐車場があるだけだった。2014年1月の雪のなかの印象とはかなり違った。
雪は街を隠してしまうということをそのときに書いたはずだ。滝川駅前はもうちょっと都会だと思っていた。

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 バスで赤平、歌志内方面に行くのは止めた。つまらない感じがした。

 ホームにもどり15分後の岩見沢行きに乗った。

 滝川9:08発 → 岩見沢9:47着
 
 3日前の9月2日に岩見沢駅で下車したとき三笠行きのバスの発着場を確認してあった。コミュニティ・プラザと同じ建物内にバスターミナルがあった。岩見沢から三笠市方面に行く北海道中央バスに乗った。平日の昼間は30分間隔で運行されている。

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 ドライバーの左後ろの前面展望の1人席に座ったが、風景はつまらなかった。雨は強く風景は暗い。イオンを過ぎ三笠の中心部を過ぎた。幾春別川を渡り原野のなかを走った。

 1906年(明治39年)、市来知、幌内、幾春別の3村が合併し三笠山村が誕生した。その頃、岩見沢駅と幾春別駅間には1日4本の列車が走っていた。所要時間は約55分。今私が乗っているバスの所要時間と同じである。三笠市は1957年に誕生した。幾春別は三笠市の地名のひとつである。バス停の名称は幾春別町である。「町」という文字が残っている。

 岩見沢10:00 → 幾春別町10:55

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 三笠市は、三笠をジオパークの町として6つのエリアを設定し観光案内をしている。たとえば達布山エリアは「展望台の風景から三笠の開拓の歴史に思いをはせる」と書かれているが、展望台があることはわかっても何があるのか説明されていない。三笠エリアは「空知集治監の記憶をたどり炭鉱開発の歴史を感じる」とあるが、空知集治監(刑務所)跡はない。あいまいな記述がいくつかありイマイチよくわからない。とりあえず終点まで行って幾春別を歩き三笠市博物館に行ってみる。

 バスを下車したとき、雨足はさらに強くなっていた。傘を差しているがかなり濡れながら、遠くない三笠市立博物館にたどり着いた。私以外の見学者は1組の夫婦だけだった。

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「三笠一億年の歴史」だそうである。「白亜紀の世界と化石」コーナーには日本最大のアンモナイトの化石があった。でかい、500年分くらいは驚いた。

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「郷土出身者の足跡」のコーナーで紹介されていた癌治療に力を尽くした黒川利雄、母子保健事業の森山豊、新劇女優の岸輝子の誰1人知らなかった。「森林資料展示室」のコーナーにはまったく興味がもてなかった。

「炭坑の人々とくらし」コーナーは類似する博物館で見てきたようなものばかりだった。

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「北海道の開拓と囚人」コーナーはおもしろかった。空知集治監には重罪人や政治犯が収容されていたらしい。展示内容はよくまとまっていた。

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 バス発着場までもどった。その発着場はかって幾春別駅のあった場所である。

 幾春別の狭い町を歩いてみた。人は2、3人ほど見かけただけである。

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 バス発着場の少し北側に旧奔別炭坑立抗やぐらが見えた。なるほど「炭坑施設の遺構やまち並みから炭坑まちの面影を感じる」ことはできる。雨に煙った炭坑施設は悪くない。

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 バス発着場にある待合室にもどった。バスが来るまでの雨宿りである。たまたま休憩していた郵便局員と話をした。横浜で働いたことがあるらしい。旧奔別炭坑立抗やぐらはたまに公開することがあるらしいが、なかに入るより外から見たほうがよいと言っていた。
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 幾春別町12:35発 → 三笠市民会館12:55

 バスで三笠の中心部までもどった。三笠市民会館から鉄道記念館までバスの便があることを車内で、ドライバーに教えてもらった。運行しているのは北海道中央バスではなく三笠市営バスらしい。2日ほど前に検索したとき、情報が引っかかってこなかった。歩くしかないと思っていたが、少し楽になった。

 三笠市民会館前に北海道中央バスの待合所はあったが、三笠市営バスの待合所はなかった。三笠市民会館のなかで待つらしい。会館のなかで三笠市営バスの時刻表をもらった。運航本数は平日12本(土日祝日9本)である。

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 先に三笠を歩くことにした。

 三笠市民会館の前は半扇状の中央公園になっていた。公園の北側は宮下通(北海道道116号)である。

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 公園から南東方向への道が有明通である。公園の南端から南に延びる北海道道119号を南に歩いた。普通の大きな通りだ。通りを直進すると幾春別川を渡ることになるが、橋の手前を左に折れた。そこが若草本郷町通であるが、さらにすぐ左に折れた。

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 平和通である。ここに平和通商店街があった。三笠を調べていたとき、10年以上前だろうと思われる平和通の写真にたどり着いた。その頃平和通入り口にはアーチがあった。

 整備された道路は、兵どもが夢の跡であることを感じさせた。飲み屋は数軒生き残っていた。商店が抜けたあとは一般住宅で埋めていくものだが、完全な歯抜け状態になっていた。

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 周辺の写真を撮りながら三笠市民会館にもどった。

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 食堂は2、3軒あったが、ゆっくり食べる時間がない。Aコープでサンドイッチとパンを買って三笠市民会館のなかで食べた。こっそりと目立たないように。

 三笠市民会館14:04発 → 鉄道記念館14:12着

 三笠市営バスは大型のバンだった。幾春別川を渡り山のなかに入っていった。10分ほどで鉄道記念館に着いた。

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 幌内線は1880年(明治13年)に誕生した。北海道で初めての鉄道であることには驚かないが、日本で3番目であったことには驚いた(日本初の鉄道は新橋・横浜間、2番目は大阪・神戸間である)。京都や名古屋を差し置いての3番目である。

 幌内で採れた石炭を積出港である小樽に運ぶ目的で敷設された。殖産興業のため、民間(旅客)輸送より先に産業輸送を行わなければならなかった当時の日本の状況が痛いほど想像できる。世界と伍してやっていくために近代を疾駆させること、それが明治日本を貫く国家テーマである。常に雲は坂の上にあった。

 新橋・横浜間、大阪・神戸間は英国が日本にたいしてデモンストレーションを行うための鉄道だったが、幌内線はアメリカによる実用的鉄道である。北海道開拓使顧問として建設を指導したのはアメリカ人技術者ジョセフ・ユリー・クロフォードである。三笠市の公園名になっている。

 幌内線の岩見沢以西は函館本線に組み入れられ、以東が幌内線になった。函館本線は今も北海道の大動脈であるが、栄光の幌内線の歴史は石炭産業の没落とともに閉じられた。

 三笠鉄道記念館は北海道鉄道発祥の地として1987年にオープンした。そこはテレビで見たことのある場所だった。蒸気機関車や気動車が屋外に展示されていた。そこを見るだけでも十分な気がしたが、もちろん鉄道記念館のなかに入った。

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 館内にもさまざまなものが展示されている。実物の蒸気機関車から時刻表、制服、鉄道部品、信号機など小物にいたるまですべてのパーツが揃えられていた。それほど興味が持てなかったけれど、鉄道模型はすばらしい出来栄えだった。

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 幾春別川沿いに石炭列車が走っていた。沿線に人々は多く住んでいた。まだ貧しかったけれど明るい活気があった。かっての幌内線の映像を見ることができたのは本当によかった。

 三笠市民会館経由で岩見沢までもどることにした。

 鉄道記念館15:16発 → 三笠市民会館15:24着

 三笠市民会館で北海道中央バス岩見沢駅行きへの乗り継ぎはスムーズだった。

 三笠市民会館15:29発 → 岩見沢16:04

 岩見沢駅にもどってきた。

 3日前岩見沢レールセンターに行ったが、他の2つの施設にも関心があった。1つは遠すぎて行けないのでバスの便を探すことさえしていなかった。万字線鉄道資料館である。万字線は、万字炭鉱から産出する石炭を運搬するために1914年に開通した鉄道である。志文駅と万字炭山駅の間に敷かれたが、1985年に廃線になった。

 もう1つは駅のすぐそばである。駅南口を走る東西に走る1条通を少し西に行ったところである。3日前に気付かなかったのが不思議なくらいだったが、そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターはあまりに地味だった。石造りの建物を改装し開設された。通り過ごしてしまうような小ささで、そして古かった。しかし今日は休館日だった、火曜日なのに。

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 余った時間で岩見沢を歩いてみた。駅南口にあったアーケードは途切れていたが、南口の奥のほうにもアーケードはあった。岩見沢が賑わっていたとき中心部の道路にはすべてアーケードがあったのだろう。店が撤退し商店街が機能しなくなるにしたがってアーケードは徐々に取り外されていった、おそらく岩見沢とはそういう街である。

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 予定していた列車の1本前の列車に乗ることができた。

 岩見沢16:35発 → 札幌17:19

 札幌駅にもどった。海外を旅したときに首都にもどってきたときと同じ感じである。雨は止んでいた。

 旭川になかったヨドバシカメラは札幌駅北口の西側にあった。故障したカメラは横浜のヨドバシカメラで買ったものだ。
 
 壊れているようですねとスタッフは言った。その場でちょっと見てもらって直るレベルではないらしい。ポイントカードを見せ、5年保証の有効期間を確認してもらった。(カメラとパソコンには長期保証を付けている)。購入したのは2015年7月だった。保証が切れていればここで新しいカメラを買うが、3年7ヶ月を残している。まだ買い時ではない。横浜で修理をすることにした。

 札幌駅から20分ほど南に歩いた。途中赤レンガテラスを通った。狸小路商店街の近くのカプセル・イン札幌にチェックインした。

 ホテルの場所はすすきのの真ん中である。外に出て少し歩いてみた。

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「松のや」でロースカニコロッケ定食を食べた。とんかつの専門店である。入ってから気が付いた。松屋のグループ会社のようである。知らなかったのは私だけかもしれない。

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*写真はスマートフォンで撮影したものです。
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Comment

編集
いつも読ませて頂いております
小生は8月末の雨の後に札幌、旭川に行って参りました
時間があったので電車でなくバスで旭川に行きました、安かったです
今年の北海道は天候に恵まれず可哀想ですね
早くカラッと晴れた北海道の空が見られ事を願ってますが、ダメージ大きいJR路線はそのまま廃線の可能性もありそうですね
2016年09月11日(Sun) 17:16
No title
編集
Maxさん、こんにちは。

旭川、時間差だったのですね。お会いできるチャンスがなくはなかったのに残念です。

雪はなんとかなるけれど、北海道は雨には弱いということを士別の人が言っていました。

おっしゃるように一部区間の廃線もあるかもしれません。幹線は残してほしいと思いますが、一部の地方交通線には明らかに必要ない線もあります。ただ廃線にするのなら、正々堂々とやってほしいです、災害を利用するのではなく。
2016年09月13日(Tue) 02:07












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