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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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宗谷本線を北へ!

2日目 2016年9月3日  旭川 士別 名寄 音威子府 稚内

 7:00過ぎにプラトンホテルをチェックアウトした。昨日とは異なる道を駅まで歩くことにした。

 1条通は駅に続く大通りである。選んだ道は正解だった。おもしろい建物があった。

 「キッコー二ホンしょうゆ」の建物があった。日本醤油株式会社が正式名である。キッコーマンのパクリではないのかという気がしないでもないが、同業に似たような名称は意外に多いのかもしれない。正面の均整のとれた縦の線がうつくしい。側面も素晴らしい。

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 金栄湯という銭湯があった。建物は平凡である。

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 ヤマト市場があった。入ってみたかったが、入り口に鍵がかかっていた。なかに人はいたのだが、今日は土曜日だった。ヤマト市場の側面は1軒家をいくつか貼り付けたようになっている。それは北海道の、安普請の建物のなかによくあるタイプである。これを様式と書いてしまっては北海道に失礼になるだろう。

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 旭川駅から1両編成の名寄行きに乗った。少し走ったところで、気動車の車窓は原野になった。旅の空は曇りである。

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 旭川8:08発 → 士別9:24着

 我々は旭川で列車を乗り継ぎ、北に向って塩狩峠を越えた。 『羊をめぐる冒険』(村上春樹)

 北海道に来るときにはいつも『羊をめぐる冒険』を持ってくる。5回ぐらいはそうしたはずである。今回も“いつも”である。たぶん6回目になるのだろう。札幌だけに来る場合は『ダンスダンスダンス』でもよいが、宗谷本線に乗る場合はもちろん『羊』がいい。
 
 コスモスの咲いている士別駅に観光案内所はなかったが、駅員が地図をくれた。地図はデフォルメされすぎていてバス路線を確認するのに役立ったが、街を歩くには適していなかった。士別でバスに乗る予定はなかった。

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 地図には、世界のめん羊館のある「羊と雲の丘」まで「さぼっちタクシー」が1日3便出ていることが記載されていた。5月頃にOさんが行ったところのようである。片道500円と安いのだが、一番早い帰りの便が次の列車の時刻を過ぎていた。

 駅舎を背にして左手前方に食堂「たぬきや」があった。そこから東に向かう道を歩いた。いぶき通りというらしい。はとや旅館、旅館まるいし、池田屋旅館など4軒の旅館が隣り合っていた。士別市生涯学習情報センターがあった。図書館が併設されていたが、10:00の開館時間には少し早かった。

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 途中、北側に折れ少し歩いた。少し広い通りと交差した。SHIBETSU STATION STREETという凝った案内板がいくつも、通りの高すぎる位置にあった。通りの名称をいつも気にしながら歩いている私以外には気がつかないだろう。

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 「絵音の館」という看板のある家があった。絵と音楽を教えている教室のようである。2016年を代表するスキャンダルの1つによって大迷惑を被っているかもしれない。

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 SHIBETSU STATION STREETにも数軒の旅館があった。

 つくも横丁という飲み屋街があった。トンネルのなかの飲み屋街である。新むつ旅館(八戸市小中野の元遊郭の旅館)付近を思い出した。そこにも似たような筒状の飲み屋街があるが、ここは安普請ながら建物の形態を取っている。

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 なかを通り抜けた。半分以上の店の入り口に貸店舗の案内が貼られていた。

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 飲み屋街の反対側は大通り(名寄国道)である。士別で一番大きな通りであることを近くにいた人に確認した。

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 大通り沿いのふれあい館に入ってみた。観光案内所だろうと思って入ったが、店(企業)だった。

 30数年前に企業したらしくセーターなどを販売していた。綿羊で有名な士別の特産品として横浜の高島屋などで販売したこともあるらしい。

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 なかにいた人と長い立ち話をすることになった。さりげなく士別案内をしてくれた。

 士別は羊の町であること、炭鉱はないこと、屯田兵の最後の入植地(屯田兵の北限)であること。

 そしてスポーツ系の宿泊客が多いことなどを聞いた。旅館の玄関にあった大量の運動靴の理由がわかった。

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 さらに東のほうに歩いた。士別は他の北海道の町と同じように碁盤の目に近いのでどこを歩いているのかがわかりやすい。

 碁盤の目をぐるぐる歩いた。士別の中心の大体を歩いたようである。

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 古そうな喫茶店「シルク」のドアを恐る恐る開けてみた。レトロ風ではなかった。古さが壁と椅子とカウンターに張り付いていた。地元のおじさんとおばさんが古ぼけたテーブルでコーヒーを飲みながら病気のことを話していた。ときが30年ほどさかのぼった気がした。

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 まだモーニングセットの時間帯だった。名古屋の2倍ほどの料金のモーニングセットには西瓜が付いてきた。ブルーベリージャムは手作りだろう。コーヒーは食後に出された。神経が細部に行き届いていた。

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 士別にWimaxの電波が飛んでいないわけではないはずだが、ポケットWifiはつながらなかった。時間がゆがんでいるのだろう。

 旅日記を書くことにした。古いことを書きたくなった。

 士別駅にもどった。宗谷本線の旅を続ける。

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 士別12:32発 → 名寄12:52着

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 士別から名寄までは20分である。名寄駅に入る手前の右手に名寄公園があった。北国博物館もその一角にある。蒸気機関車が野外展示されていた。ここに行く時間はないだろう。

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 駅を出たところにある駅前交流プラザ「よろーな」のなかに観光案内所が入っていた。縦横の線が阿弥陀くじのように交錯している道路で埋め尽くされている地図をもらった。

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 適当に歩くことにした。北海道の他の町と同じように碁盤の目になっている。

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 歩いている途中、使いにくい地図のなかに南広場「ひまわりらんど」を見つけた。

 何年も前から名寄のひまわり畑を見たいと思っていた。3ヶ所に分散して植えられているとはいえ500万本のひまわり畑は壮観だろう。2ヶ所で55万本の座間(神奈川県)ひまわり畑の10倍のスケールである。ただ名寄のひまわりは8月中旬で終わっていることを2、3日前にネットで確認してあった。それにひまわり畑の最寄り駅は名寄駅ではなかったはずだ。

 しかしもしかしたらひまわりはまだ残っていて、町のなかで名寄のひまわりを見ることができるかもしれない。途中から「ひまわりらんど」のほうに歩き始めた。

 北海道には大空町のひまわりが9月、10月に咲くのだが(開花期をずらして植えている)、オホーツク沿岸の網走郡である(女満別空港の近く)。

 余談である。東京都知事選の前、テレビで東国原英夫が話していた。2010年口蹄疫が襲った高鍋町(宮崎県)は牛の死骸を埋めたあとにひまわりを咲かせたらしい。その数なんと650万本。名寄を上回る。

 SAIJOという大きなショッピングセンターがあった。西3条南6丁目のバス停の近くである。西3条だからSAIJOなのだろうか。

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  SAIJOの近くに「ひまわりらんど」はあった。それは子育て支援センターだった。裏にあった広場にひまわりは1本もなかった。

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 出雲大社口駅で下車する人たちが相次いだことがある。そこから出雲大社は遠すぎる上に公共交通機関はなかった。クレームが発生したとき、当時の出雲市長で駅名の名付け親である岩國哲人が「ちゃんと調べてこい」と開き直った。わざわざ迷いそうな名称変更をしたうえでのことだから横暴である。しかし私の場合、ちゃんと調べてこなかった私に非がある。子育て支援センターの名称が「ひまわりらんど」というのはありうる名称である。

 岩國哲人が出雲市長から国会議員に転身したのを機にまぎらわしい出雲大社口駅は元の出雲神西駅に名称変更された。JR西日本はほっとしただろう。子育て支援センターの「ひまわりらんど」はこれからも「ひまわりらんど」として、名寄の子供たちをひまわりのように育ててほしい。

 碁盤の目を適当に歩いていたときそれは出現した。ぎおん通りである。名寄の歓楽街である。「やるじゃないか、名寄も」と思いながら、ぎおん通りで写真を撮り始めたときにそれは起こった。

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 この小さな出来事はその後の私の旅に食い込み惑わすようになることを私はまだ知らない(と書いていいのだろうか、ここを書いている時点は9月5日である)。

 写真を撮影した瞬間に画像がいきなり真っ白になった。何度やってもそうなる。SDカードやバッテリーを入れ直しても、メニュー画面で初期化をしてもうまくいかない。

 ぎおん通りの歩道で10分近く立った状態でカメラをいじっていた。

 ここで何を写しているのかと尋ねられた。あやしいヤツと思われたのだろう。カメラが故障したと伝えてみた。その人は、私のカメラを手に取り何やら始めたが、カメラ店を教えてくれた。

 それはSAIJOのなかにあった。さっき見たSAIJO。名寄でもっとも頼りになるSAIJO。

 ぎおん通りから徒歩2分である。広大なショッピングセンターSAIJOに入った。

 店員にカメラを渡してみたが、わからないようだった。そもそもこの人は親切ではなかった。露出がオーバーになっていることはまちがいないと伝えられた。それは私にもわかっていた。メーカーによってマニュアルは違うから、と言われた。よく知っている。

 カメラは4台ほど売られていた。

 SAIJOの入り口のところにあった椅子に座り、カメラを何度もチェックしてみた。チェックの最中に2枚だけがうまく写った。修正できたのだと思い、外に出てみた。建物を写すと真っ白になった。カメラは直っていなかった。再び、椅子に座ってあれこれやってみたが、うまくいかない。

 結局、SAIJOで40分近くいることになった。スマートフォンのカメラがあるが(パソコンにもカメラはある)、使う気になれない。ぎおん通りはおもしろい通りでもう少し見たいが、先のことを考え、他のカメラ店を探すことにした。

 歩きながら4、5人に尋ねてみた。

 私は士別の人間ではないので・・
 知らない
 SAIJOのなかにある

 まさか士別でカメラ店探しをすることになろうとは。マハーバリープラム(インド)でのパソコンのアダプター探しよりずっとましであることを思い出し、力強く歩いた。
 
 あきらめかけて駅のほうに歩いていたとき、2軒目のカメラ店を発見した。士別駅の近くだった。

 おじさんはとても親切に対応してくれた。何かの拍子に露出が狂ってしまったらしいと言った。

 バッテリーの入れ直し、SDカードの入れ直し、リセット、初期設定など1つ1つの作業を確認しながら、場合によっては元の設定にもどし、その都度、露出オーバーを調整しようとしてくれたが、うまくいかなかった。A(オート)からは調節できないので、M(マニュアル)かP(?)から修正するしかない。その手順もやってくれた。近くのものを接写した場合と望遠機能を使った場合、つまりレンズに集まる光が少ない場合だけが露出オーバーにならないということだけは確定した。

 列車の出発時刻が迫っていることを伝え、店を出た。修理代(手間賃)を払おうとしたが受け取らなかった。このカメラ店のおじさんは名寄のよい思い出になった。

 1993年の夏。名寄に来たことがあった。ホテルに1泊し駅前の食堂で食べた。カメラ店を探しながらそのときのホテルも探してみたが、それらしい場所には別のホテルが建っていた。写真を写すことはできなかった。1993年に入った食堂はどうやら現在の三星食堂らしい。店名が変わっているかもしれないし、建物も変わったかもしれない。同じ場所らしいところにあったのが三星食堂だということだけである。わざわざ50mほどの距離で撮影した、やれやれ。

 名寄駅に着いた。対抗列車が停まっていた。路線橋を渡ったときに1両編成の列車がやってきた。折り返しの音威子府行きである。

 町のなかですれ違っていた欧米系の女性と別のところですれ違った女性が乗った。他には旅人が数名乗った。

 名寄14:36発 → 音威子府15:38着

 旅人たちは車窓の写真をバシャバシャと撮っていた。シャッター音がわずらわしかった。

 不良のカメラを持ったまま音威子府駅に着いた。

 音威子府駅には天北線の展示があった。ほとんど以前と同じままの展示だと思われる。私は乗ったことがない。室内はなんとか撮影できた。

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 音威子府駅の駅蕎麦は常盤軒が営業をしていたが、閉店時刻は15:30だった。8分遅かった。ここで黒い蕎麦を食べようと思っていたが、間に合わなかった。

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 黒い蕎麦は音威子府駅のなかだけで食べることができる。周辺の食堂で黒い蕎麦を食べることはおそらくできないはずである。そもそも食堂を探すことができるのかわからない。

 宇津ノ谷集落(静岡市)のある蕎麦店の入り口に「本日、音威子府の蕎麦が入っています」という表示を見たことがあった。注文する前に、黒い蕎麦ですかと尋ねてみたが、そうではなかった。店員は音威子府の黒い蕎麦を知らなかった。音威子府に黒い蕎麦以外の(普通の)蕎麦があることをそこで知った。

 音威子府には2度来ている。2度目のときの駅舎と同じ駅舎を撮影した。下の写真は70mほど離れたところからの望遠である。

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 下の写真は2002年8月31日の音威子府駅。

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 露出を抑えればなんとか写せるのだから、接写か望遠か暗闇を写すしかない。カメラはアブノーマルな撮影しか許してくれない。

 今日の、ここまでの撮影枚数は150枚くらいである。カメラの故障をチェックするために200回くらいはシャッターを切っている。私のカメラ選びの基準は1回の充電での撮影枚数が多いことである。停電の多い国や発展途上国を旅する場合、Wifiの有無の前にホテルのコンセントに電気が流れているかどうかの心配をしなくてはならない。コンセントのない部屋に泊まったこともある(そういう場合はレセプションに充電してもらう)。つまり頻繁に充電できないことを想定したカメラ選びをしている。1回の充電で300~400枚の撮影ができるのは(1位)カシオと(2位)オリンパスしかない。2、3年に1度、この2つのメーカーのなかで買い替えているのだが、今回は役に立った。それでもバッテリーが今日1日持つかどうかは心配である。

 下の写真は40mほどのところから撮った天塩川の看板。

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 下の写真は50mほどのところから撮った道の駅。駅舎のなかになかったコンセントを探しに道の駅に入った。食堂は15:00で閉じていた。空いているのはトイレだけだった。

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 途中にあった地元のミニ・スーパーに50m、40mと近づきながら撮ってみた。7、8mの距離で撮影できた。

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 直ったのかもしれないと気をよくした次の1枚は真っ白だった。こういうのを200枚くらい撮った。

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 バッテリーの節約家だったはずのカシオ君は気むずかしい性格を持ったヤツに変貌していた。

 歩いているとき天塩川に出る道を見つけた。記憶は蘇った。1993年にこの土手を上がって天塩川を見たはずだ。2016年9月3日に同じことをやってみた。

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 駅の正面にはがらんとして人気のない小さなロータリーがあった。タクシー乗り場にはタクシーの姿はなく、ロータリーの真ん中には・・・・
 ・・・・
 商店街の先には殆ど何もなかった。広い道はゆるい坂になって川まで下り・・ 『羊をめぐる冒険』(村上春樹)


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 2002年8月31日の音威子府駅。上の写真と同じ場所。

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 1993年8月の音威子府駅。上の写真と同じ場所。

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 『羊をめぐる冒険』の舞台はどこなのだろう。この小説はその舞台を想像してみたくなる小説である。

 音威子府に最初に来たのは1993年8月である。その時点では『羊をめぐる冒険』を読んでいない。

 村上春樹を知ったのは群像新人賞のときである。有隣堂で「群像」を手に取ったときのことを覚えている。「また村上さんか」と思った。村上龍に続いて、という意味である。パラパラとめくった。片岡義男と同系統の作家だろうと思いまったく読まなかった。「大きな勘違いをしていた、それは完全なミステイクだった」。まちがっていたことに気が付いたのは10年くらいあとのことである。

 『羊をめぐる冒険』の舞台を音威子府だと思ったのは、書かれていた全体の感じからである。がらんとしたロータリー、さえない商店街、川がある・・・。何度読み返しても音威子府だと思う。それは私にとってはそうだったということである。

 『羊をめぐる冒険』の舞台は音威子府ではない。そういうことは村上春樹の研究者たちあるいはハルキストたちによって実証されている。舞台は美深町仁宇布である。それは確定ではないのだけれど、検証としてそうなってしまった。ここでも「大きな勘違いをしていた、それは完全なミステイクだった」。そのことを随分前に知ってしまった。

 しかしそれでもそれは私にとってどうでもいいことである。だから音威子府にやって来た。

 旅は新しい発見ばかりでないだろう。JRもANAも多くのメディアもそして旅行者までもが「旅は新しい何かを発見すること」と馬鹿のひとつ覚えを繰り返す。うざい、わずらわしい、聞き飽きた。

 あんた、旅で新しいことをいくつ見つけたの?
 いつも必ず見つけるのか?
 思い出すものは何もなかったのか?

 車窓は何かを思い出すために列車と自然が作った装置である。旅の半分は、過去を燃やす旅になっている。音威子府はそういう町である、私には。

 駅から正面に7、80mほどの北海道道391号の途中にあるふじや食堂は閉店していたが、その通りと交差する大きな通りに食堂があった。今日は営業していなかったが、その通りを東南方面にかなり歩いたところに別の食堂があること教えてもらった。音威子府ではそこしかない、と言われた。

 その店では蕎麦を出していますか?
 あるよ
 
 少し歩いてみたが、食堂らしきところは現れてこなかった。

 ミニ・スーパーにもどり、「北の国ベーカリー」の豆パンと明治アーモンドを買った。駅舎内で食べた豆パンは甘くてボリュウムたっぷりでうまかった。旅先でよく明治アーモンドを買う。買って車内で食べる。だから値段を知っているのだが、ほとんどは210~220円である。音威子府では198円だった。

 接写はOKである。

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 1両編成の発車時刻である。

 音威子府17:07発 → 稚内19:30着

 クマザサの藪と森を1両編成は北に走る。乗っているのは名寄から乗った旅人だけである。みんな2~4席を占領している。

 駅間の距離は極端に長く1両編成はなかなか停まらない。車窓のシラカバは黙殺される。

 1両編成が幌延駅に着いたとき、外はほぼ真っ暗になっていた。豊富駅はもっと真っ暗で、抜海駅の貧弱な灯りはホームをわずかに照らしていただけだった。北の果てにやってきた。

 途中、車窓に利尻島が見える場所がある。私は2度見ているが、今日は見えるわけがない。どこを走っているかもわからない。

 1両編成は稚内駅に着いた。2年3ヶ月ぶりの稚内である。

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 稚内の街は変わっていないだろう。街を歩いている人は少ないだろう。夏に利尻島や礼文島に行くフェリーは観光客であふれ、ノシャップ岬や宗谷岬に行くバスは混雑しているだろう。そういうことは変わらない。

 変わったことが1つある。国境の街ではなくなったことである。毎年6月中旬から9月中旬まで動いていたコルサコフ(サハリン)行きのフェリーは今年から運航されなくなった。5年という定められた運航予定期間の最終年が2015年の夏だった。安倍首相とプーチン大統領の仲はよいと言われており、政治的な意味で2016年以降も運航は延長になるのではないかと勝手に期待していたが、期待は期待でしかなかった。根室市は運航継続に向け努力をしている旨を今年の初めにHPに発表していたが、努力は実らなかった。

 2014年6月、北洋銀行稚内支店でルーブルを手に入れコルサコフ行きのハートランドフェリーに乗った。サハリンから間宮海峡を渡りバム鉄道でシベリアを西に向かった。長い旅に向けての出航の朝、民宿みんとの玄関で女将さんは、渡るんですねと言った。

 もう一度サハリンに渡ろうと思っていた。サハリン島の北の端まで行きたい。機会は失われてしまった、とりあえず今のところは、と書いておこう。

 稚内駅から5分のところにある民宿なかやまにチェックインした。

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 22:00過ぎ、ANAクラウンプラザホテルの仕事を終えたIさんがやってきた。T君をともなって。

 Iさんとはブドヴァ(モンテネグロ)とティラナ(アルバニア)で会った。今はリゾートバイトとして稚内に来ており、初対面のT君はその同僚である。

 さすが北海道の居酒屋である。ここ数年の間、東京の居酒屋ではホッケが少しずつ小さくなっていったが、稚内ではそれなりの大きさをキープしていた。我々はビールを飲みながら、いくつかの料理を注文した。料理が残ってしまったのは話をするのに忙しかったからである。食べている暇はなかった。Iさんとは2年振りの話が溜まっていた。2ヶ月くらいなら順序立てて話すことができるが、2年ともなるとそうはいかなくなってくる。

 Iさんの次の出没場所(勤務先)は決まっていた、もちろん。旅先ではなく勤務先として日本地図を埋める作業は着々と進んでいるようである。残り13県らしい。国獲り物語はまもなく終盤を迎える。稚内と次の出没先までの間の旅先も決まっていた、当然である。

 T君は中国にしか行ったことがないらしい。しかしその風貌と雰囲気はまるでアジアのバックパッカーである。かりに200の職業が選択枝としてあり、そのなかの1つに「旅人≒バックパッカー」があったなら、躊躇なく彼を「旅人≒バックパッカー」とするだろう。そういう雰囲気を持っている。

 来てみないとわからないことは多くある。稚内に来てわかったことがあった。

 音威子府の黒い蕎麦は稚内のクラウンプラザホテルで食べることができるようだ、17:30以降に。

 運航が停止になったはずのコルサコフ行きは小さな高速船が動くことになったらしい。ただし定員はぐっと少なくなったようである。
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