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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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豊橋の遊郭を2つ、そして二川宿。

6日目  2016年3月25日 豊橋(豊橋駅西口 有楽町遊郭 東田仲遊郭 水上ビル 二川宿)

 名古屋駅太閤通口近くの「コーヒープチ」に入った。知らずに入ったが、ホテルに併設されているカフェだった。数人の宿泊客がモーニングセットを食べていた。ゆっくりしたかったが、今日はそういうわけにはいかない。

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 青春18きっぷの3日目に印を押してもらい、名古屋駅中央改札口を抜けた。豊橋行きは満席だった。坐れたのは名古屋を発車して30分後の安城駅である。

 名古屋   8:25発
 豊橋     9:25着


豊橋駅西口

 豊橋駅舎は巨大だった。駅舎の規模に見合うほどの人がいなかったので大きく感じたのかもしれない。駅の西口に向かう人の流れは少なかった。西口は裏口である。高くない建物が広くないロータリーを囲んでいた。建物は密集していない。空がよく見える、風が抜ける駅前だ。

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 それは右手にあった。線路に沿って細長い一列のバラック風の飲食店が連なっていた。並んでいるが、きれいに整ってはいない。不ぞろいの直方体の箱を100mほど一列に並べたらこんなふうになったという感じだ。

 駅に近いところにある「餃子赤のれん」はこの長屋風に連なる飲食街の象徴である。

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 飲み屋が多いが、お洒落風なバーもあった。新しく出店したようだ。安い家賃で開業できたのかもしれない。

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 バラック風飲食街の奥のほうには城海津跨線橋があり、その下を潜ると怪しい家屋があった。

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 西口ではこの飲食街以外の見どころはないようだ。駅舎内にもどった。「とよはし情報プラザ」で、公共交通マップなどの観光パンフレットをもらった。

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有楽町

 豊橋鉄道渥美線のホームに向かう。目的の小池駅は2駅先である。9:00~21:00の間、渥美線は1時間に4往復の列車を運行している。

 新豊橋  10:15
 小池   10:19

 小池駅は住宅街のなかにある小さな駅だった。周辺は一軒家やアパートのある住宅街で、高層マンションはない。37万人都市はターミナル駅から2km離れるだけで、街が平べったくなる。中心駅の周辺だけが空間利用の対象になる。小池駅から西のほうに歩いた。一度北に折れることはあったが、西に進めば目的地だ。

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 小池駅から500mのところにそれは出現した。住宅街を東西南北に走る道路のなかの、閉じられたような一画のなかにあった。有楽町と呼ばれている、かって遊郭のあった場所である。全国に11ヶ所ある有楽町という地名のうちの1ヶ所である。

 「浜長」。塗装がはがれているが、黒味を帯びた朱色はかっての花町の色である。

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 「杜月」と「富久有」。

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 「秀の家」。玄関にはタイルが貼られていた。タイルは無釉(むゆう)である。つまり釉(うわぐすり)を施さないで仕上げられており、素焼きの材質感に特徴がある。

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 「新々」の看板には割烹寿司と表記されていた。

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 「三楽」。

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 屋号のある6軒以外にも遊郭風の家屋はあった。一般住宅となっているのか営業を継続中なのかは判別がつかない。それは屋号が掛かっていても同様である。それとは別の、廃屋まがいのところもあった。

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 小池駅から2駅乗って新豊橋駅にもどってきた。

 小池    11:33発
 新豊橋   11:37着

 新豊橋駅はJR豊橋駅の南口にある1面2線の駅である。豊橋駅は、名古屋鉄道のホームがJRの線路の真ん中にあるという特異な構造になっている。各鉄道会社の1日平均乗車人員は以下の通りだ(1日平均乗降人員は約2倍の数字になる)。

 JR東海    豊橋駅 27,797人
 名古屋鉄道   豊橋駅 17,117人
 豊橋鉄道   新豊橋駅 (不明)

 新豊橋駅の1日平均乗車人員(あるいは乗降人員)の記録を見つけることができなかった。公表されていないだけだろう。県や市などとの様々な協議の際に必要な数字であるはずだ。名古屋鉄道は豊橋鉄道の親会社である。

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 下の1枚は2008年8月31日の(豊橋鉄道)新豊橋駅。この日は神島から伊良子岬を経由して豊橋に入った。

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 下の1枚は2000年3月31日の(豊橋鉄道)新豊橋駅。写真を拡大すれば、左の電柱に「ビジネスホテル三井」の広告が見える。写真の左上のほうに、鈴鹿英数学院(三重県津市に本社を置く東海地方最大の学習塾で「eisu」教室を展開している)の看板の最後の文字の「u」(青色)が見える。上の1枚(2008年8月31日)の左上のビルの看板の「eisu」の最後の「u」(青色)と同じである。上の写真の時点では、左のほうの道路を再開発していたが、ホームと「eisu」の看板のビルとの距離感が2枚の写真では異なる。もしかしたら、2008年に(豊橋鉄道)新豊橋駅は東海道本線のほうに移転したのではないだろうか(そうでなければホームと「eisu」の看板のビルとの距離がありすぎるし、豊橋駅構内は広く、余っている線路はある)と推測し、調べてみた。以下の記載を見つけた。

*2008年(平成20年)6月5日に西へ(旧国鉄荷貨物取扱所の跡地の一部)50m程移設され、島式ホーム1面2線化し・・・(ウィキペディア)

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 下の1枚は1997年1月2日の(豊橋鉄道)新豊橋駅。上の1枚と同じような場所で撮った。右の電柱に「ビジネスホテル三井」の広告がある。この日も飯田線でやって来た。

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・・・・・・

 下の1枚は2008年8月31日の(豊橋鉄道)三河田原駅。下の2枚目と同じ場所。

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 下の1枚は1996年12月1日の(豊橋鉄道)三河田原駅。上の1枚と同じ場所。この日も伊良子岬からの帰り。

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 ・・・・・・

 豊橋駅東口のペデストリアンデッキを渡り豊橋鉄道市内電車の駅前電停ホームに移動した。路面電車に乗った。

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 下の1枚は2008年8月31日の豊橋鉄道市内電車の駅前電停。上の1枚と同じ場所で撮った。

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 下の1枚は2000年3月31日の豊橋鉄道市内電車の駅前電停。上の1枚と近い場所で撮った。

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 豊橋に何度か来たことがあるのは、豊橋駅がJR飯田線と豊橋鉄道渥美線の乗り換え駅だからである。今までは駅前を少し見ただけで、豊橋の街を本格的に歩くのは今日が初めてである。

 駅前    11:50発
 競輪場前  約20分後着


東田園

 市内電車の車両は古かったが、ライトレール風の新型車両とすれ違った。10駅目の競輪場前電停の南200mのところに東田仲があった。地名は「東田仲の町」である。かってここは東田園と呼ばれた赤線地帯だった。

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 東田園は広いエリアでないが、閉鎖された土地である。ネットで何度も見た「新宝光」があった。「旅館金海」という屋号の建物もあったが、それ以外に屋号の残った家屋はなかった。

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 普通の住宅街としての人の行き来はある。建物に特色があることを除けば、似たような人口密度の地域と何かが変わっているわけではないのだろう。

 東田園の西側に住宅街がある。地名は「吾妻町」となっている。200m×200mくらいの正方形の土地である。ここに豊橋の巨大な吾妻遊郭があった。しかし1944年、近くに軍需工場が建設されることになり、その資材として吾妻遊郭の妓楼が徴用された。一部の業者は引っ越しを余儀なくされた。その引っ越し先が小池駅近くにある、さっき行ったばかりの有楽町である。吾妻遊郭跡は、戦後にバラックの住宅街になった。しかし遊郭を望む声は消えず、すぐ隣りの東田園が誕生することになった。東田園には、業者36軒、酌婦185人という記録がある。

 つまり吾妻遊郭が枝分かれしたのが、有楽町と東田園である。

 競輪場前  13:04発 
 新川    約15分後着


水上ビルと豊橋駅東口

 国道259号線から駅前大通り(県道143号)に入ってすぐの新川電停(駅前電停の2つ手前)で降りた。国道259号は鳥羽から豊橋までの国道である。

 新川電停から南に100mぐらい歩いたところに、かって運河が流れていた。牟呂用水(新川)である。今は暗渠となり、その上には3~5階建てのビルが建っている。水上ビルとも呼ばれている。主なビルは、駅に向かって大手ビル、大豊ビル、豊橋ビル。ビルはどれも横長で、3棟以外のビルも含めて同じ高さのビルが800mほど連なっている。2階以上は事務所などが入っているが、1階は両側に通りがあるので、商店もまたビルの両側にある。飲食店が多い。生活関係の店もかなりあった。

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 3つのビルは1964年から1968年にかけて建築された。かなり古い。商店も同じである。昔はお洒落な場所だったのかもしれないが、それを想像することは容易ではない。豊橋の商業の中心は駅前大通りの北側で、南側にあるこの3つの水上ビルまで客は来ないだろう。

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 駅前大通りの北側に行ってみた。東側の国道259号と豊橋駅の間が商業地である。多くの店はここに集中している。しかし人口37万人都市の限界といっていいかもしれない。ビルも商業施設もエリア一帯をくまなく、はなやかに埋めるには力不足だった。松葉通り、松葉小路、ときわ通りなどの商店街は流行っていないことはないが、流行っているわけでもないといった感じで、全体としてはやや疲れが見える。日本の地方都市はつまらないといわれている。駅前の雰囲気がどこも同じなのだ。豊橋駅の東口はその典型であるといっていい。

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二川宿

 豊橋駅西口の長屋風バラック飲食店街と2つの遊郭を見て、帰るつもりだったが、「とよはし情報プラザ」でもらった観光パンフレットのなかに、旧東海道の二川宿の案内があった。東海道五十三次の33番目の宿場である。

 時間はまだある。寄ってみることにした。

 豊橋   14:24発
 二川   14:29着

 二川駅の北口に地図があった。駅の北側を東西に走る道をまっすぐ西に進めば二川宿らしい。おそらく旧東海道である。距離は1.2mほど。二川宿に近づくにつれて、古い家が現れ始めた。その場所にあったのが、旧二川宿の旅籠屋などであったという案内が新しい家にも表示されてあった。それは豊橋市が旧街道の調査をしっかり行い、観光の材料として活用しているということである。

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 二川宿本陣資料館のなかには入らなかった。

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 少し先の駒屋に入ってみた。主屋、離れ座敷、南土蔵、中土蔵、北土蔵、北倉などが残されていた。米殻商や質屋を営みながら名主や宿村役人などを務めた田村家の商家である。最近になって整備されたようだ。古さを感じたわけではなかったが、その佇まいと雰囲気は江戸時代の面影を残していた。

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 二川    15:47発
 浜松    16:15着

 浜松    16:21発
 沼津    19:05着
 
 沼津    19:09発
 横浜    20:30着

 東海道本線で静岡県を突破するのは時間がかかる。静岡県が東西に長いこととJR東海のダイヤがコマ切れになっていることがその理由である。今日はラッキーだった。3本の列車の乗り継ぎで乗り切ることができた。時間帯によっては5本程度の乗り継ぎになってしまう。

 折りたたみ傘を使わなかった。快晴の日が続いた。京都の人には雨男と思われている。インドのガンガーの大洪水による5日間の被災(2013年)、フィリピンの895ヘクトパスカルの台風の直撃(2014年)、東北、北関東の「大雨特別警報」(2015年)のなかを旅してきたからだろう。たまにはこういうすがすがしい旅もある。       
                                                                         〈終〉
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Comment

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ご旅行お疲れ様でした
豊橋から東側浜松までは行った事がありませんので、色々初めて知りました
ありがとうございます
全国の、有楽町、覚えておきます

近々仕事で韓国に行くことになりました
初めて行ってきます
仕事でiPadが必須なのですがiPhoneなども使いたいので、ポケットwifiを借りて行くことにしました
2016年04月06日(Wed) 19:22
No title
編集
Maxさん、こんにちは。

豊橋は何度か行ったことはあったのですが、今までは素通りでした。けっこうおもしろかったです。

出張続きでお忙しいですね。韓国はフリーWifiがかなり普及しているので、日本よりはNETにつなげます。でも短い期間で確実に、となれば対策は必要ですね。

私は日本ではポケットWifiを持ち歩いています。
2016年04月07日(Thu) 05:12
編集
客先の災害復旧支援で熊本に行って居たのですが、そんな段階ではなくなったので一旦、羽田に戻って来ました
お店で食事が出来る、コンビニで買い物が出来るなど、
ありふれた日常がある事が幸せです
2016年04月16日(Sat) 19:33
No title
編集
Maxさん、復旧支援お疲れ様でした。

東日本大震災も想定外のことがいろいろ起こっていましたが、今回の地震も想定外のことが多いです。ニュース追っているだけなのですが、妙な不安感が残ったままです。
2016年04月18日(Mon) 03:24












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