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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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日本屈指のアンタッチャブル! 渡鹿野島上陸!

4日目  2016年3月23日 京都 (亀山) 鳥羽 鵜方 渡鹿野島 名古屋

 カプセルホテルとは思えない朝ご飯が付くのはルーマプラザの売りである。ここの朝ご飯を放棄して出てくるわけにはいかない。醤油の温度管理までしているのだから。6:00からの朝ご飯を慌てて食べ、6:25過ぎにチェックアウトした。

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 京都はJR、阪急、京阪の乗り継ぎが悪い。近鉄が京都駅でJRに接続しているが、阪急、京阪ともに京都駅とは関係ないところを通っている。ルーマプラザから京都駅に行こうとすると、祇園四条駅から京阪電車で2駅目の七条駅で降り800mほど歩くか、3駅目の東福寺駅で降り、JR奈良線に乗り換え奈良方面からやってくる京都行きの電車に乗り換えなくてはならない。

 ルーマプラザの北500mほどにある京阪三条駅から地下鉄東西線に乗ることにした。山科駅でJR東海道本線に接続できる。

 ところがこの山科駅接続がちょっとした問題なのだ。地下鉄東西線の東側は御陵駅から路線が2本に分かれる。1本は地下鉄東西線(山科駅から先は東西線ではなくて南北線と呼んだほうがよい。路線は南北に敷かれている)、もう1本は京阪電鉄京津(きょうしん)線である。分岐した2つの路線はともにJR山科駅に乗り入れる。地下では地下鉄東西線ホームが南北に、地上では京阪京津線ホームが東西に設けられている。地下鉄東西線の駅名は山科駅であるが、京阪京津線の駅名は京阪山科駅である。三条京阪駅から地下鉄東西線で山科駅に着いた場合は260円であるが、三条京阪駅から地下鉄東西線に乗り、御陵駅から京阪京津線経由で京阪山科駅に着いた場合、360円になってしまう。京阪線の初乗りが容赦なく加算されてしまう。京阪三条方面から乗ってきた人で京阪山科駅で降りる人はいないだだろう。もしいるとしたら、間違えて御陵駅から京阪京津線に入る電車に乗ったか、そういうことをまったく知らなかったかどちらかだろう。京阪電鉄は京阪山科駅で降りる人のために運賃の改定をすべきだろう。こういうことを昨夜Cさんに教えてもらった。

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 京都市営地下鉄の初乗りは210円である。これは全国一高い。高い理由は建設費における埋蔵文化調査費である。トンネルを掘るごとに想定以上の文化調査が必要になってくる。いきおい建設費が高騰する。アテネの地下鉄の建設はさっぱり進まないどころか、地下鉄の駅に遺跡がある。古都の開発はどこも似たようなものなのだ。1年に2、3回しか乗車しない旅行者は日本の文化保護に協力するつもりでいたほうがいい。

 赤字解消のために京都市交通局が登場させたのがアニメ・キャラクターである。オリジナルキャラクター太秦萌のほか、スポーツ系の松賀咲、ちょっとクールな小野ミサという3人組を登場させた。性格設定などもしているようで、フェイスブックには京都市地下鉄若手職員増客チームによる関連ページがあるが、宣伝不足である。どうせやるなら思い切ったほうがいい。仙台空港鉄道や湾岸バス(北海道)のほうが派手である。

 京阪三条駅で地下鉄東西線に乗り、山科駅で下車した。

 三条京阪 6:39発         
 山科   6:48着 

 京都市営地下鉄山科駅の改札を抜け、エスカレーターで地上に上がった。

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 山科    6:58発
 草津    7:18着

 草津    7:28発
 柘植    8:21着

 途中、甲賀を通った。伊賀と甲賀が30kmほどしか離れていないのは驚くべきことだ。

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 柘植駅は山のなかにある小さな駅だった。名古屋から亀山経由で奈良まで行ったことが何度かあるが、関西本線のどの駅も山間にある。どの駅もひなびた感じがする。

 柘植    8:33発
 亀山    8:57着

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 亀山には古い町並みが残っている。機会があれば行ってみたいと以前から思っていた。この駅を通過することがないわけではないのだが、立ち寄る機会をいつも失している。今日も過去を繰り返すだけになってしまった。

 鳥羽行きの1両編成の列車に乗った。

 亀山    9:23発
 鳥羽   10:58着

 鳥羽行きの気動車が出発するときには立っている人もいたが、5つ目の駅ぐらいで空いている席が出始めた。二見浦駅で全員が下車し、乗っているのは私1人となった。これは北海道でもなかなかあることではない。このまま乗っていていいのかと思ってしまう。

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 鳥羽駅はJR参宮線の終点である。これより先にJRの線路はない。尾鷲、新宮に向かうJR紀勢線は少し前の多気駅で分岐している。京都から鳥羽以南に向かうのならもちろん近鉄を利用するほうが速い。近鉄特急に乗ればもっと速い。しかし今日の私は青春18きっぷの2日目を使用している。だから京都から乗り替えながら鳥羽までをJRでやってきたが、ここからは近鉄電車に乗り換えることになる。

 鳥羽駅で30分近くの乗り換え時間があった。7年半ぶり(前回は2008年8月31日)に鳥羽駅前に立った。駅前の風景をしっかり覚えているわけではなかったが、何も変わっていない気がした。その分、古くなった感じである。

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 2006年頃から2012年くらいまでは、全国の古い街並みを訪ね歩いていた。2008年から2010年はそういうタイプの旅のピークだった。桑名から鳥羽までの間の古い街並みを片端から歩いた。丸々4日間を費やした。

 ・桑名市吉津屋町 他(JR桑名駅)
 ・鈴鹿市白子(近鉄白子駅)
 ・津市河芸町上町(近鉄千里駅)
 ・津市一身田(JR一身田駅)
 ・津市上浜町(近鉄津駅)
 ・津市八町(近鉄津新町駅)
 ・松阪殿町/本町(近鉄松阪駅)
 ・松阪市豊原町/上川町(近鉄櫛田駅)
 ・明和町明星(近鉄明星駅)
 ・明和町上野(近鉄明星駅)
 ・明和町斎宮(近鉄斎宮駅)
 ・伊勢市小俣町明野(近鉄明野駅)
 ・伊勢市小俣街相合(近鉄小俣駅)
 ・玉城町田丸(JR田丸駅)
 ・伊勢市小俣町元町(JR宮川駅)
 ・伊勢市二見浦・夫婦岩(JR二見浦駅)
 ・伊勢市伊勢神宮(近鉄伊勢市駅)
 ・伊勢市宇治中之切町/おはらい町/おかげ横丁(CANバス)
 ・伊勢市河崎(近鉄伊勢市駅)
 ・鳥羽駅前(JR/近鉄鳥羽駅)

 上に挙げた地名は、伊勢街道に沿った古い街並みが残っている地域である。同じ地域の街並みなのでどこも同じ雰囲気である。メリハリのない疲れた旅だったが、旅の5日目、最後のルートは楽しかった。鳥羽から伊勢湾フェリーに乗り伊勢湾を横断した。神島に立ち寄り、伊良子岬を経由し豊橋に入った。神島は小説「潮騒」(三島由紀夫)の島である。

 鳥羽の見どころの1つはミキモト真珠島である。伊勢湾フェリー乗り場に行くためにはミキモト真珠島の横を歩くのだが、時間がなくて立ち寄ることはできなかった。他にも日和山展望台、伊良子清白の家、門野幾之進記念館、鳥羽みなとまち文学館などがあるが、前回行く時間はなかった。それは今日も同じである。

 今日は鳥羽から近鉄でさらに南に行く。

 鳥羽   11:27発
 鵜方   12:02着

 鵜方駅前に立った。初めて降りる駅である。駅周辺を歩いてみた。特におもしろいかったわけではないが、初めての場所としての軽い刺激はあった。

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 駅前ロータリー4番乗り場にやってきた三重交通バス「渡鹿野渡船場経由安乗(あのり)行き」に乗った。1日の7往復である。バスは田舎の何もない風景のなかを走り、渡鹿野渡船場に着いた。

 鵜方    12:40発
 渡鹿野渡船場12:58着

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渡鹿野島渡船場に渡船は停泊していなかった。小さな待合室にいた女性が話しかけてきた。

 どこに行くのですか?
 渡鹿野島です
 ホテルに泊まるのですか?
 いえ日帰りです 船が出る時刻は決まっているんですか?
 決まっていないです
 どれくらい待つのでしょうか?
 すぐにやってきます
 (対岸から船がやって来るのが見えた)
 あれですかね
 船に付けられている赤い旗に注意してください 赤い旗が付いている船には乗れます 赤い旗がないのはホテルや旅館の、送迎の船です 

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 対岸に渡鹿野島が見えた。ホテルらしき高い建物もあるようだ。

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 やってきた渡船に乗った。乗客は数人でそのなかに警察官が1人いた。おそらく渡鹿野島で1人しかいない警察官である。伊豆諸島ではみんな、警察官ではなく、駐在さんと呼んでいた。私は彼にマークされたと思う。

 3分ほどで対岸に着いた。180円。

 船を下りるときに船長に尋ねてみた。

 15:15の鵜方行きのバスに乗りたいのですが、何時頃、島の埠頭に来ておけばいいのですか?
 15:00だね
 かなり頻繁に往復しているんですか
 あっちに着いたらすぐにもどってくるよ
 
 今夜、名古屋で待ち合わせをしている。名古屋に着く時刻を知らせておいたが、予定時刻に着けるかどうかよくわからなかった。この渡船の発着時刻と頻度がわからなかったからであるが、これなら心配いらない。

 3分で渡鹿野島に上陸した。

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 売春島。それが渡鹿野島の別称である。

 渡鹿野島は江戸時代に、江戸と大坂を連絡する菱垣廻船・樽廻船が避難や風待をする港として重宝された。風待ちの船乗りを相手とした、把針兼(はしりがね)と言われた水上遊女などが渡鹿野島に集まり、遊郭街としても栄えた。女護ヶ島といった別称を持つようになった。

 島を舞台にした小説があるらしい。伊藤たかみの「ボギー愛しているか」。文芸誌「群像」に発表されたそうだが、読んだことはない。

 渡鹿野島は研究の対象になっており、島に関する多くの書物がある。

 野島開発総合センターというところが、渡鹿野島を紹介する観光用のホームページを作っている。もちろん“売春島”に関する記載は一切ない。明るく楽しい島なので、家族で来ても大丈夫だといった雰囲気で書かれている。

 殺人事件が起きたのは波照間島(沖縄)である。2000年10月、26歳の北里大学の女子学生が殺害された。この事件は26歳の男が石垣島で捕まったことによって解決している。

 渡鹿野島も一時期話題になった。1998年に伊勢市の出版社に勤務していた辻出紀子さん(当時24歳)が行方不明になった(行方不明者の実名を記載したのは事件が未解決であり、この方の父親が事件を風化させまいとチラシ配りなどをしているからである)。三重県警も情報を求めている。辻出さんが自宅に帰らなかった翌日の夕方、愛車である日産マーチが勤務先から1.2km離れた損害保険会社の駐車場に長時間止められていたことがわかり、行方不明事件として急展開した。駐車の仕方に不審な点が多く、1ヶ月後、O市に住むA氏が警察の捜査線上に浮上した。A氏は辻出さんと最後に会った人物でアリバイはなかったが、逮捕には至らなかった。A氏は前年、東京都の女性を監禁した事件で逮捕されたが、裁判では無罪になり、逆に告訴された警察はその後、手が出せなくなってしまった。

 辻出さんは学生時代にジャーナリストを志し、東南アジアの難民キャンプを周っていた。帰国後、伊勢市の出版社に勤め、記事を書いていた。仕事に意欲的で正義感にあふれた人だったのではないかと思われる。彼女の取材対象となったのが、渡鹿野島の人身売買である。

 渡鹿野島は不法入国ルートでもあった。辻出さんは渡鹿野島で潜入取材を行う計画を持っていたらしい。

 政府認定の拉致被害者や特定失踪者リストに含まれていないときに、北朝鮮事情に詳しい中朝関係筋から、辻出さんが北朝鮮にいるのではないかとの情報が寄せられたこともあった。結局、その該当者は別人であることがわかった。

 失踪が渡鹿野島と関係があるかどうかは実はわかっていない。しかしこの失踪事件は渡鹿野島を背景に語られることが多い。

 2日前に大阪で会ったNさんは、伊勢志摩サミット前で渡鹿野島はおとなしくなっていると言っていた。

 それは十分予測できたことだ。サミットの少し前から、三重県警はこの島への立ち入りを制限するのではないか(推測です)。ニューヨークタイムズやル・モンドに渡鹿野島の特集でも掲載されようものなら外務省のメンツは丸つぶれである。それどころかこのサミットを機会として、三重県警は渡鹿野島の息の根を止めようとするかもしれない。かって横浜黄金町にたいし神奈川県警が「バイバイ作戦」を遂行したように。柳美里の小説「黄金町」は消滅し、アート的な街並みが誕生し、地域の安全対策は進んだ(なにしろ道路ごとに写真を撮り、どこが危険な道路でどこを歩くときには人目がないかを子供たちに徹底して教えた)。しかし今の黄金町はあまり流行っている感じではなくなった。静かな街になってしまった。

 鵜方駅前の商店には伊勢志摩サミットのポスターが貼られていた。三重県では伊勢志摩サミットに関係するシンポジウムが開かれている。

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 史跡としては江戸時代に灯台に使われた石柱などがある。

 そんな渡鹿野島を歩いてみた。

 渡し船の着いた埠頭の奥に小さな待合室があった。島の奥に向かって歩く必要はなかった。南西部の岸壁に沿った道路があった。島のメインの通りらしい。

 島はハート型をしている。南北、東西ともに1.5kmくらいで、北部に人は住んでいない。幅3mの通り(メインの通り)を西のほうに歩いてみた。民宿があり、スナックがある。離島といっても本土からの距離が近いせいか、似たような人口の島と比べると、民宿、スナック、カフェの数は多い。ホテルが自前の送迎用の船を所有しているので観光客の数も多い。飲食店の多さは当然だろう。

 飛島(山形県)    226人
 渡鹿野島(三重県)  271人
 利島(東京都)    341人

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 西の端のほうは道路が狭くなり、使われているのかいないのかわからない家やアパートがある。

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 オブジェと言っていいのだろう。怪しげな人形をいくつも置いている家があった。そこに人が住んでいるのかどうかはわからない。

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 島の北のほうに向けて歩いてみた。道は坂になっている。道は段々狭くなり、ところどころで枝分かれしている。集落の上のほうに誰も住んでいない廃アパートの棟がいくつかあった。しかし部屋のなかに洗濯ものが干してあったりするので、住んでいる棟もある。

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 そこから先に家屋はないようだ。

 道は少し入り組んでいるが、港のほうは見えているので迷うことはなさそうだ。どこを歩いていても坂を下れば、さっきのメインの通りに出られるだろう。

 集落の上のほうを東のほうに歩いてみたが、島の奥のほうに行かない限り、自然と港のほうにつまり坂の下のほうに向かってしまう。細い道を下り港の近くに来てしまった。

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 渡鹿野パールビーチの前には3軒ほどのホテルがあった。

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 新しいホテルはしっかり営業していたが、廃墟化しているホテルがあった。脇に玄関があり、建物内に入ることができた。なかはすさまじかった。

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 ネット上にあった2012年の置き屋情報(10軒ある)を確認しながら、もう一度島のなかを歩いてみた。2012年当時にその情報が正しかったのかどうかはわからないし、今は2016年である。廃業しているところがあるかもしれない。

 このブログには、渡鹿野島関係を合わせて約50枚の写真をアップしてある。そのうちの5枚は意図的に、置屋とされる店あるいは家屋を含ませてあるが、どの写真がそれに当たるかは伏せることにした。確信が持てないのに特定するわけにはいかない(勝手に推測して下さい)。

 「フードショップちゃのみ」に入ってみた。ここが島のコンビニ兼雑貨店である。島民は日常のちょっとしたものをここで買うと思われる。青ヶ島のように船が就航しない日が続き、島の商品がなくなることはない。本土側から渡鹿野島へは3分である。それでも島民には欠かせない店ということになる。

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 店にいたのはおばさんだった。菓子を買ってレジで支払いを済ませたあとで、言ってみた。

 店内の写真を撮らせてもらえませんか?
 どういう理由で(店内の写真を撮ろうとするのですか)?

 まさかの回答だった。普通は「いいですよ」か「ダメです(写真の撮影をお断りしています)」のどちらかが返ってくる。もう1つの答えは「(店長に)聞いてきます」である。今までの旅でいくつもの店で写真を撮らせてもらってきたので、3つ以外に答えがないことを知っている。あらかじめ買い物をしたのは、「いいですよ」と返答される確率を上げておくためである。

 一瞬で警戒モードに入ったのだろう、相手の声はトゲトゲしかった。「店内の写真を撮らせてもらえませんか?」という私の要求は相手にとって不意打ちだったのだろうが、「どういう理由で?」という返答は私にとっても十分に不意打ちだった。

 私は即座に返す言葉が見つからなかったのだが、何の意図もないという感じでごまかした。店内の写真を撮ることはできた。

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 今までの旅のなかで、特別な島という印象を持ったのは久高島(沖縄)だけである。そこは神の島と呼ばれる場所である。島内に神聖な場所がいくつもある。そういう島だと知った上で旅人はやってくる。島民は旅人を遠巻きに見ているだけで話しかけるということはほとんどない。久高島の住民は土地を所有していないといわれている(土地所有は認められていない)。そういう島なのだ。ただし島民に、よそ者への敵愾心や警戒感というものがあるわけではない。おそらく旅人と話す習慣がなくそういうことに無頓着なだけなのだ。そこには照れがあるのかもしれない。

 人口50人の大神島(沖縄/宮古島の北北東4km)でも特に変わっていると思ったことはなかった。

 渡鹿野島で私が感じていたのは、島側の警戒感とそれを感じる私自身の警戒感である。順序としては、私の警戒感が先かもしれないが。

 2003年、勝谷誠彦は、島の至るところに風俗関連の斡旋所があり、警察・報道関係者に対する警戒心はきわめて強く、島全体に入島者に対する情報網が張られているのはもちろん、うかつに写真を撮ることも許されないと述べている(ウィキペディアより抜粋)

 何かの理由で、警察や行政の担当者が渡鹿野島に入ったとき、島で働く女(現在はタイ人が多いといわれている)を隠すというのは別のところからの情報である。

 外からではわからない島内部の連絡網はあるように思う。全員への情報網ではない。近い関係で利害の一致するところに流れる情報はあるのだろう。

 入島する前から誰かではない「何か」に見られている感じがしていた。私が話をしたのは下の4人である。

 1.渡船の時間と頻度を教えてくれた女性は、結果として、私が旅館に泊まらないことを知った。
 2.渡船の船長は、私の島での滞在時間が2時間ほどであることを知った。
 3.島を歩いている途中ですれ違ったときにあいさつした人は、私が山の上のほうに行ったことを知った。
 4.「フードショップちゃのみ」の店内写真の撮影にたいして「どういう理由で?」と返答された。
 *話をしなかったが、警察官は私をマークした(気に留めた)。

 1について。普通に考えると、それはとても親切な行為だった、渡船がどの程度の頻度で渡鹿野島渡船場と渡鹿野島を往復するのかを知らなかった私に「どこに行くのですか?」と声を掛けてくれたのだから。こういう親切にたいし、何か裏があるのではないのかと疑うことは、疑う者自身が相当にひん曲がっているとかねじくれていると思われても仕方がない。それは本来私から尋ねるべき内容であることを相手から尋ねられてしまったから、何かが引っかかっているということではない。

 そのときの会話はすでに書いたが、再度コピーしておく。本土側の渡鹿野島渡船場の待合室にいた女性に私は話しかけられた。

 どこに行くのですか?
 渡鹿野島です
 ホテルに泊まるのですか?
 いえ日帰りです 船が出る時刻は決まっているんですか?
 決まっていないです
 どれくらい待つのでしょうか?
 すぐにやってきます
 (対岸から船がやって来るのが見えた)
 あれですかね
 船に付けられている赤い旗に注意してください 赤い旗が付いている船には乗れます 赤い旗がないのはホテルや旅館の、送迎の船です 

 かって島には客引きがいたが、今はいない。今は宿泊先にチェックインしたあとで「ところでどうなさいますか?・・・」と問われるのだそうである。客引きは、宿泊先にもぐったということである(これはおそらく事実である)。

 もういいだろう、私なりの推測を書いてしまおう。断定でも結論でもない、ただの推測である。本土側の渡鹿野島渡船場で私と話をした人がそういう人だったと考えると、私には腑に落ちるのである。しかしそうでなければ、その人にたいして大変失礼な話で、私がねじくれているだけであることを再度書いておかなければならない。

 渡船に乗るとき宿泊客かどうかを確認させられ、着岸時にその関係の人が待っているというのは噂としてある。そういうことはなかったと書かれていたブログがあった。しかし乗船前の普通の会話のなかで、私が宿泊客でないことはいとも簡単に探知されてしまった。私はあっさりと網にかかったのだ。

 2について。渡し船の船長はおそらくもっとも多くを知っている人である。職業柄そうなるだろう。怪しいヤツが渡鹿野島にやって来る場合、それをもっとも早く知る立場にあるのは本土側の渡鹿野島渡船場に渡船を接岸する船長である。怪しいヤツを乗せた渡船が渡鹿野島に着くまでの3分間が、島の内部にその情報を知らせるのに十分かどうかはわからない。渡船から電話を掛ければ、船長のすぐ後ろに坐っている人はその内容を聞くことはできる。渡鹿野島渡船は護衛艦いずもほどに巨大ではない。しかしメッセージを送ろうと航行中にスマートフォンをいじっていても誰も文句を言わないだろう。山手線の運転士や観光バスの運転手がスマートフォンをいじっているのを誰かが見てネットに流すといったようなことはここでは行われない。

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 船長は渡船の乗客をおそらく識別している、と考えるのは正当な思考である。怪しくないのは家族連れと女性客である。男の1人旅は確実に「怪しい」に分別されている。しかしここでもすべては推測だということにしておきたい。だって渡鹿野島渡船の船長は昨日から所要で名古屋に出かけていて、この日だけはピンチヒッターが船を動かしたということがあるかもしれない。

 3について。何の問題もない。

 4について。単なるエピソードである。島の寄り合いのときにでも「この前、店のなかの写真を撮っていった(怪しい)人がいる」くらいの話題にはなるかもしれない。その程度のものである。

 1と2の情報を合わせれば、私は「宿泊客でなく2時間後に島を出る」ことになる。それは完璧な情報だ。だから私は「無視してよい旅人」であり、私への「アプローチはない」。おそらくこれは結論なのだろうと思う。

 このブログで、どの店と家が置き屋なのかわからないようにしていることは既に書いた。確信が持てないのに特定することはできない。しかし本当はそんなことは大した問題ではない。奇妙な緊張感こそが渡鹿野島の核心である。私は、意識過剰であるがゆえにこういうことを書いているのではないと思っている。この項を書くために、島での2時間といくつかのシーンを何度も思い返し、それなりに確信を持ったからキーボードを叩いたのだ。

 鳥羽駅と鵜方駅の観光案内所でもらった志摩周辺の数種類のパンフレットをすべて合わせても、渡鹿野島に関する記載は4行しかなかった。1980年代に全盛期を迎えた渡鹿野島の置き屋は風前の灯である。島はホテルを誘致し、家族連れの受け入れに力を入れている。その一部が廃墟化しているので、今後うまくいくかどうかはわからない。2016年5月の伊勢志摩サミットがダメを押すかもしれない。

 ここをまだ見ぬ旅人に伝えたい。日本屈指のアンタッチャブルを明日見ることができるかどうかわからない。残されている時間はほとんどないかもしれない。遠いから、金がないから、仕事が忙しいから。そんなものは的矢(まとや)湾に沈めてしまえばいい。

 15:00前に渡鹿野島を出て、本土側の渡鹿野渡船場に着いた。バスで鵜方駅に向かった。

 渡鹿野島渡船場15:15発 
 鵜方     15:33着

 鵜方駅のホームで各駅停車を待っているとき、特急「しまかぜ」が入ってきた。乗車券、特急券、しまかぜ券の3枚の切符が必要な近鉄特急である。車内の内装は素晴らしかった。「しまかぜ」を見送り、中川行きの各駅停車に乗った。

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 鵜方    15:50発
 鳥羽    16:24着 

 鳥羽駅でJRの快速みえ22号に乗った。

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 鳥羽    16:46発
 名古屋   18:46着

 快速みえは亀山経由で名古屋駅に向かうわけではない。途中、第三セクターの伊勢鉄道の線路を通過する。つまりJR東海の路線からはずれる(青春18きっぷでは乗ることができない)。津駅から河原田駅までの運賃510円を車掌に払った。
 
 名古屋駅西口5分のところにあるニュー松竹梅ホテルにチェックインした。名古屋駅中央改札を出て右手にある4列のエスカレーター(前に金の時計台がある)の裏でNaさんと待ち合わせた。どうやらここが名古屋人の定番待ち合わせ場所らしい。実にわかりやすい。

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 名古屋駅の地下には名古屋の名物料理が集まっているらしい。いくつかの候補を挙げてもらったが、「ひつまぶし稲生」でひつまぶしを食べることにした。ひつまぶしの食べ方は3通りある。まずは出されたものをそのまま食べる。2番目は、わさびとネギを乗せて食べる。3番目はお茶漬けにして食べる。どの食べ方もうまかった。わさびはよく合っていた。

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 コメダコーヒーで旅の話の続きをした。昨年からしっかり働き始めたNaさんは、向こう3年くらいは海外旅行をあまり増やすわけにはいかないようだが、山の予定は今年の晩秋までぎっしり埋まっていた。アフリカにあまり行っているわけではないが、西アフリカは意外と旅がしやすいらしいと言っていた。2人の旅人がNaさんにそう語ったらしい。東アフリカは頻発する犯罪のせいで旅をしにくいが、西側はそれがない分、旅がしやすいというのである。初耳だった。勇気が出る情報である。ビザの問題は残るけれど。

 スマートフォンの世界地図で行った国を確認したが、お互いまだまだ空白域は残っていた。
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Comment

編集
お疲れ様です
鳥羽に行かれたのですね
小生は3月末に仕事で伊勢に行きました
年度末で多忙だったので、どこにも寄れませんでしたが、、、
島の事は1980年頃に出会った社会人の方から初めて聞きました
その後、行く機会なく地図で眺めていましたがサミットでダメ押しされそうですね
避けるにはアンダーザテーブルで偽装工作の話をつけるしかないかと、、、
ひつまぶしは名古屋で唯一美味しいと感じる物ですね、後はちょっと味覚が合いません
2016年04月03日(Sun) 07:40
No title
編集
Maxさん。こんばんは。

出張は全国が対象になっているのですね。今までのMaxさんのコメントのなかに、すでに多くの街が登場しています。せっかくの伊勢はどこにも寄れず、残念でしたけれど。

渡鹿野島のような場所は日本のどこにでもあったはずなのですが、今日まで残ったということが奇跡に近いです。

この日の翌日も名古屋にいました。今回は、ひつまぶし、きしめん、味噌カツを食べました。あまりに定番でした。
2016年04月03日(Sun) 23:10












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