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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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圓教寺/映画「駆け込み女と駆出し男」のロケ地に行ってみた。

1日目 2016年3月20日  姫路(圓教寺、姫路城) 大阪

 相模鉄道鶴ヶ峰駅の始発に乗って横浜駅に着いた。昨日買っておいた青春18きっぷの1日目に印を押してもらい、改札を抜けた。単調で我慢の旅が始まった。

 横浜  5:28発
 小田原 6:21着

 国府津辺りで夜が明けてきたが、太陽の光はない。天気予報には晴れのマークが付いていたが、小田原行きの電車はどんよりとしたなかを走っていた。

 小田原  6:22発
 熱海   6:45着
      6:49発
 浜松   9:19着

 静岡辺りから日が差してきたが、快晴というわけにはいかないようだ。

 浜松    9:23発
 豊橋   9:56着
     10:03発
 大垣  11:32着
     11:42発
 米原  12:17着
     12:20発
 姫路  14:46着

 乗り継ぎと忍耐の東海道本線の旅がようやく終わった。青春18きっぷで何度も乗車しているので慣れているが、やはり疲れる。最近の列車ダイヤがどうなっているのかを知らないが、少し前までは、始発で東京駅を出るとその日のうちに熊本に着くことができた。

 姫路駅北口は驚くほどの変化を遂げていた。ゆっくり周ってみたかったが、目的地までバスに乗る必要があった。北口を出たところの西のほうにバスターミナルがあった。

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 14:55発の神姫バスに乗った。バスは途中から住宅街に入り、「姫路高校前」やら「好古学園前」やら「市立図書館安室分館前」といったようなバス停に停まりながら、山のほうに向かった。終点の「書写ロープウェイ」バス停で下車した。降りたところを山陽自動車道が走っていた。少し歩くと書写山に昇るロープウェイの乗り場に着いた。

 ロープウェイは山に引っ張られるように高度を上げていった。3分ほどで山上に着いた。山頂ではない。

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 西国三十三観音霊場である圓教寺の敷地に入っていく。「こころ慈悲の鐘」のところから道は2つに分かれた。右側の、土の道を歩くことにした。多くの人はそうしているが、もう1本の道がある。バスが通る道である。ロープウェイで登ったあと、山道を走る有料バスがある。

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 歩き出した道は、東道あるいは「歩き道西国巡礼の道」と名付けられている。途中に20ほどの仏像があった。

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 道路の右手にあった木々の切れ目からは姫路の街が遠望できた。

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 圓教寺の寺社は書写山のなかに散っている。仁王門のところに出た。ここまでの山道はかなり急だった。仁王門を潜って少し歩くと壽量院があった。古くは無量壽院と呼ばれ、1174年(承安4年)に後白河法皇が滞在している。

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 急な坂道を降りていくと摩尼殿があった。マニとは梵語で「如意」の意味。970年(天禄元年)に創建された。本尊は六臂如意輪観世音菩薩で、根のあるままの生木に刻んだ観音像らしいのだが、1月18日の開扉時にしか見ることはできない。それよりここの見どころは、摩尼殿の佇まいである。岩山の中腹の舞台造りは、清水寺(京都)と同じである。

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 摩尼殿の裏側に道があった。5分ほど歩くと3つの堂が見えてきた。最終目的地である。

 3つの堂とは、大講堂、食堂(じきどう)、常行堂である。大講堂と常行堂とは正面に相対しており、食堂は大講堂の右手、常行堂の左手にある。

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 絵巻が展示されていた。寺とは思えないあでやかで色彩豊かな着物をまとった人たちが描かれていた。

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 映画「駆け込み女と駆出し男」のシーンがあざやかに蘇ってきた。女たちの手助けをする医者見習いで駆け出しの戯作者である信次郎(大泉洋)と暴力亭主から逃れてきたじょご(戸田恵梨香)、じょごといっしょに寺に駆け込んだお吟(満島ひかり)がまるでそこにいるようだった。

 この映画が、日本アカデミー賞の作品賞に入らなかった(つまり最優秀作品賞の受賞の機会を最初から喪失していた)のは日本映画界の大きな損失である。しかしもちろん、賞とはそんなものなのかもしれない。芥川賞が日本文学史に与えた影響は、半分ぐらいといったところである。第1回芥川賞における太宰治の落選(受賞した石川達三の文学は十分な社会性を有していた)がそれを象徴している。村上春樹が受賞していないことはよく知られている。

 映画には映像美があった。江戸庶民の生活感と粋な感じがよく表現されていた。ちょっと難しい江戸時代の話し言葉と用語は、戯作者である信次郎の洒脱性と合っていた。大泉洋の早い語り口とキャラクターが用語の難しさをよくカバーし、なめらかにしていた。難しくてもおもしろい、そういうふうに仕上げたのは大泉洋の力である。あまり好きでなかった大泉洋をなかなかよいと思うようになった。駆け込み寺は江戸時代に実在した女たちの家庭裁判所である。その見事な裁き方こそは江戸時代の良心である。シェルターは早くもこの時代に登場していた。

 優秀助演男優賞に大泉洋、優秀助演女優賞に満島ひかりが選ばれていたのが、せめてものすくいである。4月1日から上映された映画「エイプリルフールズ」との合わせ技で、戸田恵梨香は2015年の最優秀主演女優賞を受賞してもおかしくはなかった。時代劇であることを意識しないでいいと監督の原田眞人は女優に言った。女性の地位が著しく低かった江戸時代において、足枷を外そうとしていた(離縁に向けて東慶寺で過ごしていた)じょごが自律的で意欲的な女として描かれていたのは、監督のアドバイスを戸田恵梨香が演技のなかで昇華したからである。

 常行堂は立ち入り禁止になっていた。食堂にはNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の展示パネルが置かれていた。2015年5月26日~8月31日までは、同じ場所に「駆け込み女と駆出し男」の展示パネルがあったようだ。

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 ロープウェイがなければ多くの人が圓教寺を訪れることはないだろう。それを差し引いても、圓教寺の魅力は多くの映画とドラマを呼び込んだ。しかし「軍師官兵衛」については一言書いておかないといけない。豊臣秀吉は官兵衛の進言により書写山を本陣に定めた。解説には次のように書かれている。

 圓教寺にとっては乱入以外の何物ではなかった(注/「何者では」でなく、「何者でも」が正しい)。・・・秀吉軍は書写山に乱入し山上の十地坊を本営とした。・・・軍勢は僧房を破壊し、僧侶を追い払った・・・

 圓教寺は、秀吉軍を侵略者として定義している。そうであるにもかかわらず、官兵衛をおそらく肯定している(はずの)NHKの大河ドラマを受け入れた。もちろんこれは現在の寺側の経済的、営業的な理由からなのだろう。「軍師官兵衛」のなかで圓教寺寄りの解釈がなされているということも考えられるが、ここから先は観ていないのでわからない。

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 2015年、カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品した映画「黒衣の刺客」もここをロケ地にしている。この映画も観ていないが、忽那汐里、妻夫木聡が出演している。なんといっても監督は“あの”侯孝賢”。「童年往事 時の流れ」「恋恋風塵」「悲情城市」を撮った監督である。下の2枚は台湾の街角で見つけた「童年往事 時の流れ」と「恋恋風塵」の画である。

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 そして米国の男はやってきた。圓教寺を有名にしたのは、映画「ラストサムライ」(2003年)である。トムはここを好きになっただろう。

 観ていない「軍師官兵衛」と2度観た「ラストサムライ」だけで、ここまで来ようとは思わなかった。しかし映画「駆け込み女と駆出し男」を観たあとはそうはいかなくなっていた。2016年3月2日に北鎌倉の東慶寺に向かった。実在した、本物の駆け込み寺である。JR横須賀線の電車に乗る前には、近いうちに姫路に行こうと決めていた。

 *参照「よこみち うらみち 街探検隊」北鎌倉

 17:00前にはづき茶屋も宿坊である圓教寺会館も妙光院も閉まった。

 ロープウェイで下まで降り、17:15の姫路駅行きのバスに乗った。

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 日はまだ暮れていない。姫路城の近くで下車した。3連休の中日の夕暮れどき、観光客はまだ城の周辺に残っていた。

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 姫路城を見てみたいわけではなかった。見たかったのは、どの程度「白く」化粧直しがされたのか、である。

 あまり変わらない気がしたが、白いことは白い。以前より、薄っぺらく、のっぺりした感じになった気がした。背景に何かがあるわけではないのに、城の存在感は希薄だった。

 一方で、播磨国総社の薄っぺらい建物はとくに目立っていた。

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 下の4枚は2010年8月12日の姫路城と姫路市内。このとき姫路城は修復中だった。姫路駅北口はやぼったかった(今日、垢抜けた姫路駅北口に驚いた)。

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 100mほどしかないアーケードの本町商店街を抜け、みゆき通りに入った。アーケードは姫路駅の手前までつながっている。

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 朝から何も食べていない。姫路駅構内でタイ焼きを買った。白あんと赤あん。方向転換のできる新快速のクロスシート(JR東日本の列車にはないが、JR西日本のアーバンネットワークの通勤電車では当たり前である)で食べた。2つともうまかったが、白あんに「いいね」をあげる。

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 姫路  18:26発
 大阪  19:28着

 新快速は速い。姫路・大阪間95.5kmを62分で走る。首都圏にこのスピードで走る路線はないと思う。

 JR大阪駅で下車した。大阪市営地下鉄御堂筋線に乗り、心斎橋駅で下車した。南のほうに10分ほど歩いた。アメリカ村のラーメン屋で醤油ラーメンを食べた。

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 カプセルホテル朝日プラザ心斎橋にチェックインした。2015年7月に泊まったことのあるホテルである。
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