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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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新しい那覇、消えゆく那覇。「ひまつぶしのウミカジテラス」と「さよなら農連市場」 

7日目 2015年12月2日  那覇 瀬長島

 10:00前にホテルストークを出た。サンエー那覇メインプレイス内のスターバックスコーヒーに入ろうとしたが、満席だった。近くにあるミスタードーナツに入った。旅日記を書きながら2時間近くいた。

 沖縄に来始めた頃、航空会社のカウンターでときどき言った「右の窓」。ビル・ゲイツさん、沖縄が見える〚WINDOWS.O〛は右だ!

 飛行機は与論島の上を通過すると、右窓の左上に辺土岬が現れる。窓型正方形の角ABCDのAの位置である。飛行機は本島の東側を南西方向に飛ぶので、右下にやんばるの緑黒の森がはっきり映る。そのうち海中道路の一本線で本島にかろうじてつなぎとめられた平安座島が見えてくる。飛行機は津堅島と久高島のほぼ真上を飛ぶ。よく見ると奥武島も見える。喜屋武岬のすぐ南で右旋回をするところは沖縄本島上空の第4コーナーである。

 下の1枚は2000年5月28日の辺土岬。

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 下の1枚は2000年5月29日の平安座島への海中道路。

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 下の2枚は2004年10月29日(上)と2006年5月28日(下)の津堅島。

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 下の3枚は2004年10月29日の久高島。神の島と呼ばれている。

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 下の2枚は2013年12月12日の奥武島。本土とは海中道路で結ばれているので離島ではない。

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 喜屋武岬の南で旋回せずに、宮古島の近くまで行ったところで旋回したことが2度あった。気流のせいらしい。その場合は30分ほど余計に時間がかかる。これによって島行きをあきらめたことがある(たぶん粟国島行きだった)。

 羽田空港を6:00過ぎに出発するフライトが出現したのがいつかわからない。それ以前、羽田空港の第1便は6:30前後の出発だった。その飛行機が那覇国際空港に着くのは9:30前後だった。

 とまりんを出航する船のほとんどは10:00発である。遅くとも9:35までに(できれば9:30までに)到着ロビーの外に出てタクシーを捕まえた場合のみ、その日に島に行ける。ドライバーにはその旨を伝えなければならない。那覇うみそらトンネルがまだ開通していないときである。タクシードライバーのアーガイルがいなければ、マクレーン(ブルース・ウィルス)は島に行けない。島行きを予定している場合は、羽田空港カウンターであまりおもしろくないことを言わなければならない「できるだけ前の席の通路側」。

 喜屋武岬上空で旋回したあと、飛行機は本島の西側を北方向に飛ぶ。右窓下に糸満港が現れたところがフライトのハイライトである。

 下の1枚は2004年10月29日の飛行機右窓に現れた糸満港。

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 昔、沖縄に行くときにこのようなことをやっていた。その頃、沖縄はあこがれの地で、映画「ナビィの恋」を何度も観ていた。

 飛行機から見る糸満港は美しいのに、糸満ロータリーの高台や糸満港から見た機影は小さかった。沖縄本島で軍用機を見ることのできる場所はいくつかあるが、民間の航空機を見るのなら下地島と瀬長島である。下地島ではタッチ&ゴーの訓練が日常で行われている。

 下の3枚は2007年5月30日の下地島である。

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 下の2枚は2000年5月31日の瀬長島である。瀬長島はドリフト族の溜まり場である。当時の沖縄本にはそんなことが書かれていた。

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 2015年、瀬長島が話題になっていた。行ってみよう。

 おもろまち駅からゆいレールに乗った。乗車券はQRコードで識別されていた。機械の券詰まりや取り忘れの防止などがメリットとして挙げられる。とくに券詰まりを避けることができるのはメンテナンスの点でそれなりのメリットはあるのだろう。そのうちスマホのQRコードを利用したチケットレスの乗車ができるかもしれない。

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 赤嶺駅で降りた。瀬長島行きの無料バスがここから出ているのだが、昼の時間帯は1時間に1本しかない。朝夕は1時間に2本程度発着しているようだ。インターネットで調べてから来ればよかった。

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 時間があるので赤嶺駅付近を歩いた。市内の方向に少し歩くと小禄駅が見えてきたので引き返した。2013年12月15日もひまを持て余していた。それまでに降りたことのないゆいレールの駅での下車を試みた。その日ついに、ゆいレールの全駅下車という名誉ある記録を作ることになったにもかかわらず、沖縄都市モノレール株式会社からの表彰状はまだ届いていない。

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 関連記事[長い午後のゆいレール。住宅街の駅で途中下車] 2013年12月15日

 13:30、やってきた瀬長島行きのミニバスに乗った。

 15分ぐらい走ったところで海中道路を渡った。瀬長島が見えてきた。

 海中道路を渡った北側に野球場があるが、バスは南側から狭い島を回り、北側にある琉球温泉瀬長島ホテルに着いた。温泉施設のある新リゾートホテルである。スパ・エステだけの利用もできる。レストランは併設されている。

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 ホテル前から那覇空港を離発着する飛行機が見えた。しばらく飛行機を撮影していた。

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 ウミカジテラスはホテルの裏側100mほどのところにあった。西海岸の丘陵に5段くらいのテラスが造られていた。30くらいの店が階段状に配置されていた。レストラン、カフェ、バー、土産物屋が中心であるが、どの店もとても小さい。テラス席を合わせれば、キャパシティは少し増えるが、今日は風が強く寒い。テラスの椅子の多くはかたずけられているようだ。狭い店でケバブを食べた。

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 15:00のバスで赤嶺駅にもどった。

 ゆいレールの美栄橋駅で降りた。国道58号線の潮渡橋を渡り、沖映通りに入った。ジュンク堂辺りはガープ川が暗渠になっているところである。南北大東島に行く前、この通りの薬局で酔い止めの薬を買ったことがあった。

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 むつみ橋通りは相変わらず賑やかで、ドン・キホーテは相変わらずドン・キホーテだった。この店ができたときに那覇にいた。市場本通りのなかに入った。第一牧志公設市場を右に見ながら市場中央通りをまっすぐ進んだが、途中、アーケードのなかを少し回遊した。

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 大平通り商店街の出口の惣菜屋が増えていた。数年前は2店ほどしかなかったはずだが、6,7の店が通りに出したテーブルに惣菜を置いていた。

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 開南せせらぎ通りを渡り農連市場に向かった。

 再開発で農連市場が取り壊されることをMさんとMSに聞いた。2人は11月28日に歩いたらしい。

 農連市場は戦後に作られた市場である。各地の農家が直接野菜を持ち寄って直売していたらしい。牧志公設市場は旅行者向けだが、農連市場は地元の人向けである。5:00~6:00ぐらいがもっとも賑わうのだろうが、そんな早い時間に行ったことはなかった。一番早く行ったときでも昼前ぐらいだったと思う。最近では昼過ぎから夕方にかけてちょっと覗いてみるといった感じになっていた。だから活気ある農連市場を見たことがない。この場所を、昭和的な雰囲気があるという表現は正確でないかもしれない。戦後のバラック的な雰囲気という言葉がぴったりである。ここに来るといつも、また来たなと思う。いつも適当にぶらぶらして、適当に抜けてくる。

 今日までよく取り壊されずにいたといっていいだろう。重機は容易に解体作業を進めるだろう。建物はそれくらいボロボロになっていた。

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 関連記事 [那覇の街歩き。犬を連れた〔志村けん〕に遭遇] 2013年12月11日

 びっくり食堂を少し北に歩くと県道222号線に出る。左にある安そばのような朽ち果てた感じの店が全国にないわけではないが、それが似合うのは沖縄でなければ大阪しかない。そして県道222号線の北側にある、スナックの入ったピンクの2階建ての建物、その東にあるスナックの入った白い建物の醸し出す雰囲気は普通ではない。青いイメージのある神里原社交街の一角のあるピンクと白のコントラストにはやや危険な香りがする。写真を撮ることを躊躇させる雰囲気がある。そのすぐ東には神原大通りが北に延び桜坂通りに続いている。この辺りが神里原社交街のあった場所である。

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 同じ匂いを感じさせるのが、藤沢駅(神奈川県)北口の辰巳町(藤沢新地)である。そこには小鳥の街があった。仲好会飲食街、飲食朋友会、2軒の旅館、高級車の停まっていたスナックは異様な雰囲気が漂っていた。周辺をマンション群に囲まれたエリアだが、神里原社交街よりはずっと危険な香りがした。関東の街歩きでは緊張するベスト5に間違いなく入る場所である。

 「なつかしの マチグヮー写真展」(ガープ川中央商店街組合)をやっていた。2013年2月16日~3月10日にやった「あんやたん懐かしのマチグヮー写真展」の隣の会場だった。

 汚いガープ川、バラックの商店、那覇の映画館、ボンネットバス。当時のうちなんちゅうの暮らしがわかる写真展だ。牧志公設市場の近くで行われているので、もっと多くの人が見に来てもいいと思うが、前回同様に人は少ない。写真に写っているのはすべて私の知らない沖縄である。知らない私が懐かしいと思うのだ。その頃を生きていた人にとっては記憶が蘇ることだろう。せつなくなる写真展である。

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 国際通りに出たとき雨になっていた。傘を差すかどうかを迷う雨だった。

 てんぶす那覇ビルの永SA-という店でちょっと早い夜ご飯.。沖縄アグー豚の豚丼は十勝の豚丼ほどうまいとはいえなかった。

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 国際通りを東に歩き牧志駅のところから西の方向にゆいレールの下を歩いた。安里一丁目の交差点から広い県道251号線のゆるやかな坂を上った。途中でどこかの食堂に入ろうと思ったが、止めた。コンビニで弁当を買ってホテルストークにもどった。

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