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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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辺野古をレポートする

5日目(1)  2015年11月30日  コザ 辺野古(名護) 石川(うるま)

 昨夜雨はかなり降ったようだ。天気予報では12月3日まで雨だった。

 朝、雲はあったが、午後は晴れそうな気配があった。

 胡屋バス停で発車時刻を確認した。少し時間があるので、近くのファースト・カフェに入った。この時間帯にやっているのはモーニング・セットしかなかった。

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 路線が網の目のように行き交っているのが、沖縄中部の魅力である。目的地に行くには77番(名護東線)バスに乗るしかない。少し遅れてきた10:21の名護行きのバスに乗った。

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 石川を通り過ぎた。

 金武を通り過ぎた。

 もうすぐ名護に入る、目的地は名護の東部である。

 沖縄県に普天間市や辺野古村があるわけではない。やまとんちゅうはそんなことも知らない。マスコミは2つの場所をニュースで取り上げるが、じっくり説明しない。普天間基地は宜野湾市にあり、辺野古は名護市にある。普天間基地は宜野湾市の真ん中にあるが、辺野古は名護市の東にある。

 日本にとってあるいは日本政府にとって、辺野古は奥歯の底部にある虫歯である。それを根治することができずにいるが、痛みがずっと続いていたわけではなかった。一時期の名護市長選挙は、名護市民病院の産婦人科をどうするかといったことがテーマだった。辺野古にあるキャンプシュワブに普天間基地の機能を移転させることに合意していた。だから名護市長選の争点にはならなかった。奥歯の痛みは消えていた。痛いのを忘れていたといっていいかもしれない。

 虫歯を横から削ってしまったのが民主党政権である。痛点を再認識させられた県民は、政権を1つ倒壊させた。あらゆる分野で多くの問題を抱えていたが、1つの基地の問題で内閣が倒れるのは前代未聞である。しかしありえないことが起こったことのではなく、ありえないほど足腰が弱かった政権だったのだ。宇野宗佑をはるかに凌駕する、メガトン級にとっぱずれた総理大臣が宇野宗佑と異なったのは、退陣すれば収まるはずの非難が収まらなかったことである。退陣後、政府の勧告をことごとく無視し、前総理が公式訪問をするには危ない、いわゆる「圏外」の国々に出張しては好き勝手な発言をまき散らした。そういえば「(最低でも)けんがい」は在任当時からのこの人のキーワードだった。もう1つのキーワードは、友愛病院や名古屋市にある株式会社「友愛」玩具やら「YOU&I」という社名のいくつかの会社で働く人たちに嫌な思いをさせた。ついこの前、街宣車に囲まれたらしい。どうせ囲むのならもっと早く、たとえばクリミアや韓国行きを阻止するために行うべきだった。

 今の辺野古がどうなっているのかさっぱりわからない。やまとのテレビニュースはときどき、ちらっと辺野古の風景を切り取るだけである。画面のなかには何十人かの抗議をする人たちが映っている。国会前のデモは数えたわけでもないのに推定*万人などと出すくせに、数えることのできる辺野古では大体の数字さえ出さない。マスコミの怠慢である。

 しかし知りたいと思いながら、知ろうとしないのは私の怠慢になる。ここは行ってみるしかあるまい。

 旅人の名にかけて! 
 ジェットスターの旗の下に! 
 沖縄バスでちんたらと!

 辺野古(=沖縄本島東部)のジュゴン(希少生物の象徴)は環境問題の対象であるが、那覇空港第二滑走路(=沖縄本島南西部)の埋め立てがジュゴンに与える影響を扱わないのは、環境問題の側からすると不公平である。

 辺野古の海岸線で出土した土器の鑑定は名護市の教育委員会が行うことになる。もちろんそれは通常処理である。

 沖縄タイムズによれば、土器が見つかった場所は基地建設に伴う仮設岸壁や仮設道路の予定地だったらしい。同新聞によれば、名護市教育委員会が礎石の発見場所付近を調べている際、干潮時の砂浜や岩礁で数点を見つけたと記載されていた。その辺りをわざわざ調べる名護市教育委員会の行動を勘ぐることはさておく。

 キャンプシュワブ一帯にはもちろんフェンス(おそらくほとんどの地点で鉄条網)があり、なかには侵入できないはずだ。土器が出たのが「干潮時の砂浜」らしいのだが、実に微妙な場所である。キャンプシュワブのなかに入っていたとしたら、侵入したことになるが、報道ではその辺のところがわからない。この土器がキャンプシュワブの外なら、原則として辺野古への基地移設の反対材料に使うことはできない。いずれにしても報道からはよくわからない。

 成田国際空港の建設に、あるいは駅が建設されない埼玉県内の自治体が東北新幹線の敷設に反対したときも、住民の一部は違法な行為を行っている(東北新幹線のほうはJR埼京線の建設をすることで解決した)。

 2015年11月4日に発見した土器を名護市教育委員会は11月27日に文化財に認定してしまった。鑑定をしないで文化財にしていいのだろうか。しかもありえないスピードで(わずか23日である)。目的が文化財保護法を適応させるためであるのは明白である。

 ジュゴンのほうは、那覇空港第二滑走路の建設の埋め立てを指摘されてから、問題を提起したほうが何も言わなくなった。

 こういう状況においては、名護市教育委員会が土器の鑑定を勝手に進めないで、あえて文部科学省から土器鑑定の専門家を派遣してもらい合同調査のかたちを取り、鑑定の客観性を担保すべきである。もっとも菅義春官房長官はその手には乗らないだろう。どうぞ名護市と沖縄県で(琉球大学の教授を雇って)やってくださいとさりげない皮肉を込めて言うだろう。名護市と沖縄県はそれでもあえて、何度かは政府側に合同調査の要請をしておくべきである。

 文部科学省の調査チームがやって来ると不都合なレベルの土器なのだろうか。沖縄の貝塚時代・前期(本土の縄文時代)の土器がどこまで文化財になるかはわからない。遺跡ではないのだから。私が写真で見た限り、石の塊としか思えなかった。出土点数が17というのは少なすぎる。日本のどこを掘っても土器は出る。沖縄も同じである。

 基地移設の反対の材料に、ジュゴンと土器を使うことは沖縄県と名護市の戦術的な失敗である。利用できるものを何でも利用するのは作戦の1つであるが、こういうことを戦術的に行うことが、問題の中心をずらしたものにしていくことは誰でもわかる。誰でもと書いたのは本土の住民にも、という意味である。県と市は戦術的に作戦展開をしてもよいが、本土はそういう沖縄を見ているのである。

 県と市は県民と市民を背負っている。本土の誰もが常識を持っているとして、あれは県と市が行っていることで沖縄県人と名護市民が行っていることではないぐらいの良識があったとしても、印象は悪くなる。県と市はそういうことを考慮しているのだろうか。

 こんなことは裁判の隠し玉ぐらいにしておいて、審議中に新しい証拠として提出し(採用されるかどうかは別の問題であるが)、論議を長引かせるために取っておけばよかったのだ。即ち裁判のなかの1つの材料程度に止めればまだましだった。

 環境問題は大切である。文化財を保護しなければならない。しかし基地問題にとっては些末である。この些末的な側面によって問題は複雑になるわけではない。問題の本質は何一つ変わっていない。ただ単にこじれさせているだけである。結果から判断すると、こじれさせることが目的で、それを県と市が行っている。

 普天間基地の危険性の除去(と跡地活用)
 辺野古の縮小移転

 上の2つだけが問題である。基地の跡地活用をどうするか、基地経済からの脱却をどう考えるのかは重要であるが、米海兵隊の必要不必要や中国のプレゼンスの増大などの付帯状況を考えることは普天間基地の辺野古移転を考えることと同じではない。

 辺野古バス停の周辺は静かなものだった。辺野古への基地移転反対を叫ぶ者は誰もいない。テレビ画面に映っていたのは、第二辺野古バス停のほうだろう。一応住民に尋ねた上で、そちらのほうに歩いていく。

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 坂を上がったところにある第二辺野古バス停のさらに先のほうから拡声器の音が聞こえてきた。

 道路脇に旗が何十本も立てられていた。すべて辺野古の基地移設に反対するものである。50mほどに渡ってテントが設営されていた。なかには新聞や写真の掲示、グッズ販売のコーナー、活動する人たちが休憩できるための椅子があった。

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 旅行者であることを断ったうえで、ステッカーやグッズ類の写真を撮っていいかと尋ねてみた。そこにいたのは30歳ぐらいの女性だった。この日この場所で見たなかでおそらくもっとも若い人だった。

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 それ(グッズ)を撮るより、撮るべきものがあるんじゃないですか?

 返された言葉には棘があった。大きな反感を持たれたわけではないと思う。グッズを撮るという私の物見遊山的な気分が彼女の何かに触ったのだろう。グッズやアイテムと私が思ったものは、彼女あるいは彼らにとって活動の象徴となるものなのだろう。

 彼女については、本土から来ているプロ市民という言葉がすぐに思い浮かんだ。大阪市長になったばかりの橋本徹が初めて職員の前で話をしたとき、批判的な意見を述べた女性がいた。そんな感じの口調だった。

 沖縄に2紙あるうちの1紙である琉球新報の読者の声蘭で、沖縄の年配者の投稿が載っていた。「辺野古での活動者は本土から来ている人たちが多くいると言われているが、自分は沖縄出身で手弁当で活動している」といった類のものだった。投稿の主の言葉は正しいだろう。それでも一応、留保すべきは、琉球新報がその投稿を選択し掲載している目的と意図である。読者に語らせるのは、社説より効果がある。

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 プロ市民の認定は難しい。この日反対運動に参加していたのは全部で110人ぐらいであるが(時間によって変わる)、本土から来ている人は大勢いる。もう少し正確に書きたいのだが、人数を特定することはできない。これについては後述する。

 私は反対運動をしている人たちのテントのなかを覗き込みながらぶらぶら歩いていたが、道路の反対側のキャンプシュワブの前では抗議活動が行われていた。リーダーっぽい人が演説のところどころで「**反対」と叫び、全員がそれに呼応する。声は拡声器で流れている。さっきの女性が言った、私が撮るべきものというのは、彼らの姿である。

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 抗議活動が終わったあと昼ご飯の時間になった。半分ほどの人には弁当が配られた。無料で配布されているのかどうかはわからない。朝、人数を確認した上で同じ弁当を辺野古のスーパーに注文をしたのかもしれない。残りの人たちはテント下の椅子で休憩していた。

 テントの周辺にはいろいろな掲示物がある。たとえば、以下のようなものだ。

 [機動隊、来月は人が足らんぞ! 関西からも呼べ!]

 [OSPREY OUT! MARINES OUT!]←オズプレイのスペルを初めて知った

 展示されている写真には、皮肉なコメントが加えられている。写真には下のような解説が付いていた。

 [一流リゾートホテル カヌチャ・リゾートに泊まる警視庁機動隊]←近いので宿泊先として便利である。会議もできる
 [10/30 機動隊が去った後、男性は立ち上がれず熱は39度まで上がっていた。緊急搬送後、入院!]
 [11/13 笑いながら市民を排除する機動隊]←機動隊の人物の顔がたまたまそういうふうに見て取れる

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 警視庁機動隊は税金を使ってきているのだから、節約するのは当たり前である。だからカヌチャ・リゾートより安く便利なところがあれば、そこに泊まったほうがいい。しかしわざわざそういうことを掲示することに意味や効果はない。基地反対の材料にはならない。

 クリスマスツリーの横に、かぼちゃが2つ置かれていた。椅子の上にあるかぼちゃは安倍晋三内閣総理大臣の顔を模している。「アベビンタカボチャ」と命名されていた。地べたに置かれているのは菅義春官房長官の顔で「スガあほかぼちゃ」。

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 棒でかぼちゃを叩く人たちがいた。地元のおじいさんが細い棒で「アベビンタカボチャ」を叩きまくり、そのあと「スガあほかぼちゃ」を叩いた。本土から4人でやってきたうちの1人の中年女性が叩いていた。

 ある人から叩くように促された、抗議行動に参加した人は「自分は農業をやっていたから野菜を叩くことはできない」と断った。置かれた状況下において発揮された一種の見識である気がしないでもないが、地元のおじいさんは何とか挽回しようとしていた「叩けばいいんだよ、かぼちゃは俺が作ったんだから」。

 目隠しをして夏にスイカを叩くのはいいが、かぼちゃ叩きは個人のうっ憤晴らしである。初めて参加した人たちは違和感を覚えるだろう。

 プラカードはまとめられている。抗議行動の際にはここから取る。使ったあとにはもどされる。

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 メガホンの扱い方も同じ。

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 使い終わったら、元の位置にもどす。食後の食器と同じである。整理整頓術はワイドショーでその道の達人たちの教えるところである。

 プラカードとメガホンを作るのに際し、誰が金を出したのか、どこで作製したのかを知りたかったが、誰にもそれを質問できなかった。

 沖縄タイムスの記者がタブレットで記事を作成し、送っていた。私も今頃になってこんなブログを書いていないで、さっそうとアップすればよかった。今日の旅日記をジャーナリスティックに決めたいと思っていたのに。

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 *翌日(2015年12月1日)の沖縄タイムスにこの日の辺野古の抗議活動の様子を報じた記事はなかった。

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 西宮(兵庫県)で沖縄料理店を開業した屋冨祖(浦添)出身のNさんと話をした。Nさんは琉球古典音楽の先生でもある。雑貨店のようなスーパーマーケットにテーブルと椅子があったので、買った弁当を食べながら話をした。

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 沖縄への里帰りと旅行を兼ねた感じで来ていたようだが、「70歳を越えて、辺野古への基地移設に反対するために来た」とNさんに宣言されてしまった。そのおかげで相手の立場を探りながら私が話さなければならないことはなかった。それでも初めて会った人と辺野古について話をするのに神経を使った。

 この日私のような物見遊山の者はいなかったと思う。辺野古に来る人は抗議行動への協力者かジャーナリストである。

 スーパーマーケットで2時間ほど話した。個人的な話もしたが、多くは沖縄の立ち位置についてである。Nさんと少しいっしょに辺野古の集落を歩いた。私はもう少し歩きたかったので、途中でNさんと別れた。

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 辺野古は映画「ホテル・ハイビスカス」のロケ地である。中江裕司監督の作品のなかでは「ナビィの恋」より好きな映画である。目印となる交番があった。道路を挟んで反対側に、ホテル・ハイビスカスのロケ地になった建物はそのままあった。

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 2011年1月30日にも辺野古に来ている。下の5枚はそのとき撮ったものである。

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 宮本亜門が、辺野古で映画を撮影していたらしい。10年ほど前、宮本亜門はテレビや雑誌で沖縄の自宅を公開していた。小室哲哉のバリ島の別荘より見劣りはしたが、アジアンテイストのホテルの一室のようだった。映画は1960年代の沖縄を舞台にした「BEAT」というタイトルである。その場所も歩いてみたが、思い入れがないので何の関心もない。辺野古では宮本亜門の映画のほうが有名であるようだ。「あ~亜門さんの映画ね! この辺で撮っていたよ」こんな感じだ。

 14:30過ぎ、もう一度、キャンプシュワブの前にもどった。そこにNさんはいなかった。帰ったらしい。

 今日、初めて抗議活動に参加した人たちが自己紹介を兼ねて次々とあいさつを始めた。

 ○○のJR東労組OB会から来ました。・・・
 埼玉のXXから2人で来ました。・・・
 千葉の成田・・??会から来ました。・・・・
 新潟のXXから辺野古を支援するために・・・私たちは柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に反対していて・・・
 私たちが辺野古に行くといったら、△△のおばあちゃんに千羽鶴をもっていってくれと言われて

 1人でやってきた人はあまりいないようだ。2、3人から数人のグループで来ている。彼らは会の代表としてやってきているようで、地元に帰れば、彼らを囲む集団はいるようである。

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 あいさつをしたのは今日初めてやってきた人たちだけである。本土からの、初めての参加者だけで10数人はいたのだから、全体のなかで本土からの参加者は一定数はいるはずである。今日の参加者が110人ぐらいであることは前述した。常連さんは、今日はいつもより参加人数が多いと言っていた。

 念のために書いておく。地元とは、辺野古という意味でも名護市という意味でもない。沖縄全土という設定で書いている。地元を辺野古と定義した場合、参加者は極端に少なくなるだろう。

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 旧国鉄労組、成田空港反対支援者、原発反対者がいたのは驚いた。国と戦ってきた人たちがここに結集していた。それぞれの地域で戦い、ある者は敗北したが、魂は死んでいないといったところだろう。具体的に獲得したいものはそれぞれ異なるはずなのに、国と戦う者同士がここで連帯していた。

 なぜこういうことになってしまうのだろう。そのことに意味はあるのだろうか。

 那覇の第一牧志公設市場の近くにある古本屋ウララを思い出した。沖縄本を中心に集めている小さな本屋で30歳ぐらいの女性が1人で運営しているようだ。流行っているのかどうかはわからない。いつも客はいないが、雰囲気はいい。雑誌やネットで何度も紹介された。

 狭い店の狭い書棚の間に政治本の一角がある。そのコーナーに揃えられている政治本の背表紙を見たとき私はがっかりした。興覚めだった。本棚には沖縄基地、成田空港建設反対、原発などの関連本が並んでいた。どうしてこんな品揃えになるのだろう。もちろん本屋は本を売るのが目的である。そうであるのなら、売れる可能性があるから並べたのだろうが、そこには店主の意図や方針もあるだろう。古本屋ウララの数少ない政治本の背表紙のタイトルは、まさに辺野古に集結した日本各地からやってきた人たちの背景と同じだった。

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 初めてやってきた人たちは、みなさん頑張ってくださいと言いながら、持ってきたカンパやメッセージを渡している。彼らは事前に辺野古の反対活動のリーダーたちと連絡を取っていたようだ。

 辺野古の基地移設反対は、成田空港に農地を取り上げられ、千葉県の農家の平均年収の100倍以上の補償金をもらった人と共闘しなければならない理由はない。原発の問題は、国家の安全保障というレベルにまで問題を広げれば、辺野古との関連がないわけではないが、そこまで広げると、両者ともに本質が見えなくなるだけである。原発のほうはエネルギー政策の問題であり、もう少し具体的には代替エネルギーへの移行のやり方や時期、コストが具体的な課題となってくる。

 本来はまったく別な問題意識を持った人たちが集まっている。国鉄の労組や成田空港建設反対については終わった問題である。成田や国鉄の労組の敗残兵は、自らの恩讐のために現在進行中の舞台に場所変えしたに過ぎない。それは彼らの勝手である。問題は辺野古で反対活動をしている人たちのほうである。カンパとメッセージと持って応援に来てくれる別種の問題意識を持った人たちを何の検証もなく受け入れているのである。

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 辺野古への基地移設の抗議活動に一般の日本国民の支持を必要とするはずである。ところが成田や原発や国鉄を受け入れれば、ますます国民から遠ざかるということをまったく意識していない。「辺野古+成田+原発+国鉄」のような集団を組むことは国民から遠ざかるだろうことがまったく認識されていないのだ。

 辺野古で反対運動をしている人たちはもっと戦略的な活動をすべきだ。その手段が、成田や原発や国鉄で反対闘争をしている人を巻き込むことであるのなら、それはまちがっている。もしそれが正しいというのなら、私の思考はこの行で終わる。さよなら辺野古である。

 このような集団が辺野古で抗議活動をしていることは報道されていない。しかし国民は嗅覚でわかっているのだろう。

 東日本大震災のあと、フラガールは全国を周った。それは戦略的であったわけではない。自然な流れからそういう活動になっていったのだろう。福島から出てくるなということも言われた彼女たちは結果として全国に福島ファンを増やした。スパリゾートハワイアンズの復興とともにフラガールはいわき復興のシンボルになった。そういう手法を考えつかなければ、プロ市民や国家を相手にした別の訴訟の負け組の草刈り場になるだけである。

 キャンプシュワブの前に、そういったアイデアやプランは何一つなかった。

 招き入れてしまった成田、原発、国鉄は確実に辺野古の基地反対者たちのイメージダウンに貢献している。その気になれば、彼らを排除することができるにも関わらず、そうしないのは基地反対運動をしている人たちにそうする気がないからである。カンパはいらない、辺野古に来るなということを勝手な協力者たちに伝えるべきである。あなたたちと私たちには共通点があるが、あなたたちに協力してもらうことにより、私たちは不利益を被ることが多くなるので、来るなと言えばいいのである。

 私は成田や国鉄が悪いといっているわけではない。辺野古の反対運動を成功させたいのなら、少なくとももう少し国民に受け入れられるようにしたいのなら、適切な判断をしたほうがいいと言いたいのだ。

 基地反対者たちも、成田、原発、国鉄関係者も、彼らの心のなかにあるのは、怒りである。根強い、心の奥から湧き上がる怒りだ。それは単純な、対立のための理論を容易に作り上げる。その中身と結果がアナクロニズムであることを考えずに。

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 琉球新報には驚いた。辺野古の記事が多いからではない。2015年11月25日の紙面のところどころで大江健三郎、竹内好らが登場しているのである。羽仁五郎も登場していた気がする(忘れてしまった)。「世界」や「朝日ジャーナル」を支えた論客たちの言ったことが紙面に登場しているのだ。そうであってもかまわないのだが、完全なアナクロニズムである。学生のとき大江健三郎の作品集を持っていた。今でも年に2,3回はノーベル文学賞作家の名前を耳にするが、竹内好は5年か10年に一度しか聞かない名前になっている。羽仁五郎は今後死ぬまで登場することはないだろう。こういう3人が1日分の紙面に登場していたのは、おそらく1960年代である。今どき朝日新聞でも書かない記事に容易に接することができる。

 資本家と労働者が対立していた時代はとっくに終わっており、今、市民は、生活者であり消費者であると同時に生産者である。株主にもなった。ある商品によって被害を受ければ、消費者は販売者(=生産者側)にクレームを付けるし、商品にたいし株主の立場からモノを言うこともできる。別のケースでは商品の生産者や販売側になる。それは加害者側にもなり得るということである。それに加え非正規労働者、高齢者、未婚、下層といったカテゴリーが大きな穴を開けている。個人の立場は複数あり、しかもそれぞれが孤立しており、状況によってどの位置に立たされるのかわからなくなっている。私は旭化成建材の社員であったかもしれないし、あのマンションに住んでいたかもしれないし、旭化成の株を所有していたかもしれない。

 私たちが「こういう社会」に生きていることを理解した上で、ヒューマニズムを広く世に浸透させる回路を構築することを論理武装という。辺野古で叫んでいる人たちは「こういう社会」に今いることを理解していない。だからアナクロニズム=時代遅れを平然と実践して、実は孤立していることに気付くことはない。

 アナクロニズムはそれ自体が社会との間に見えない壁を作りだす。今のまま辺野古の抗議活動をやればやるほど社会から浮くことになるだろう。

 最初に、成田や国鉄の亡霊をあの世に送り届ける。原発は元の位置にもどしてあげる。
 その上で、新しい方法を模索すべきである。それは日本の市民と結びつく方向でないといけない。

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 辺野古代執行訴訟が始まる。辺野古で話したNさんは日本が三権分立の民主主義の国であるのかどうかを判断する試金石になると言っていた。私はその場で大きく反論しなかったが、それは違う。

 三権分立は権力が分散しているつまり三権が分立していることを保障するシステムである。つまりPLAN(国会)、DO(内閣・行政)、CHECK(立法)が分かれているというだけである。CHECK段階で政府寄りの決定がなされようとなされまいと裁判が行われているだけで、三権分立型の民主主義は守られているのである。

 民主主義は正義でも何でもない。単なる政治の意思決定システムの1つであるだけだ。しばしば煩雑で時間とコストがかかるくせに、それは正義ではない。正義とは倫理的な理想を表現した言葉である。民主主義とは全員が守らなければならないものであるが、正義の中身は各人が勝手に考えてよいものだ。そして正義を多数派が選ぶとは限らない。民主主義という形態を守るということは、正義が選択されない可能性のあるシステムを守るということなのだ。

 知事についても書いておく。その人の名は舛添要一ではなく森田健作でもない。翁長雄志である。

 辺野古代執行訴訟を起こしたのは日本政府である。最初の舞台は福岡高裁那覇支部であるが、負けたほうは必ず控訴するので最後の舞台は最高裁になる。そうならないケースはもちろんある。途中で、沖縄県知事と名護市長に自民党候補が当選した場合、あるいは自民党でない内閣総理大臣が誕生した場合のどちらかでしかない。

 最高裁の決定により辺野古代執行訴訟が決着するときは、翁長雄志は沖縄県知事ではなくなっている。それは内閣総理大臣安倍晋三内も同じである。そういうことになってしまった。

 辺野古代執行訴訟を起こしたのは日本政府なので、その点にたいしてだけは翁長雄志に責任はない。ただし訴訟になれば(なっているわけだが)、沖縄と沖縄県民が司法に裁かれることになることをこの知事はどう考えているのかを聞いてみたい。

 仮に、基地の辺野古移設が裁判所で認められた場合に(最高裁ではそうなるだろう)、もし沖縄が(Nさんの言ったことを拡大解釈して)日本は三権分立ではないという主張をしたのなら、つまり政府と司法は一体であると主張したら、今後、沖縄県人には何を言っても無駄になる。

 さて問題はここからである。

 私は断固、何がなんでも日本政府と沖縄県の話し合いにより政治決着をすべきであると考える。司法によって判決が出て、その判決で政府側の主張が認められた場合(最高裁ではそうなるだろう)、沖縄と本土とは回復不能な溝を作ることになる。それは政治的な溝ではない、精神的な溝である。最高裁で基地移設が認められた場合、最終的に沖縄県人はおそらく基地移設に納得するだろう(と私は思う)。深いため息とともに。

 しかし沖縄にだけは、この深いため息をつかせてはいけない。「歴史を考慮すれば」「いけない」。

 司法による決着は行き場のない決着である。問題が終わるときである。それは今までの沖縄のなかにずっとあった本土への不信感と連動し解釈される可能性がある。辺野古代執行訴訟の決着のあとに残る深いため息は、過去から累積し未だ払拭できない、自分たちは日本人からどう思われているのか、沖縄は日本なのかといったようなことに一定の結論を出すことになる。それをたかだか司法にさせてはいけない。

 政治家である翁長雄志沖縄県知事にはそういったことをどう考えているのかを問いたい。しかし、この人に出口戦略はおそらくない。12月2日のテレビ出演の際に、今後は選挙もあるので、そのなかでいろいろ考えていくことになると思うといったようなことを言っていた。いろいろな解釈のできる言葉である。裁判で判決がでても(両者のどちらかが上告することになるので)長くかかる。状況のなかで、よいほうに持っていきたいと言っているだけである。反対の解釈もできる。沖縄県民を煽り行くところまで行きつかせても、自らは政治の舞台から降りることができるとも解釈できる発言である。

 翁長雄志さん! 在任中にある問題を、自らの手で、与えられた時間内に決着させてこそ政治家であるとは思わないか。

 裁判を誘発してしまった翁長雄志は最高裁で負けたときの沖縄の深いため息と諦めを考慮していない。考えなくてよいのだろう、そのとき彼は政治の場にはいない。

 内閣総理大臣安倍晋三の立場を、自分と同じだと翁長雄志は考えているのではないか。ところが日本政府が最高裁で仮に負けることがあっても、やまとんちゅうがため息をつく必要がない。

 日本と沖縄のちがいはこの1点にある。

 コザの吉原や宜野湾の真栄原は異空間であるが、辺野古は異空間ではなかった。それは日常だった。少し特別ではあったけれど、かぼちゃをぽんぽこ叩く日常だった。


追記(2016年3月5日)

 沖縄県の米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画をめぐり国が翁長雄志(おながたけし)知事を訴えた代執行訴訟で4日、国、県双方が福岡高裁那覇支部が示した和解案を受け入れ、和解が成立した。安倍晋三首相が同日、和解案受け入れを表明し、中谷元防衛相に移設先の同県名護市辺野古での移設工事中止を指示した  /朝日新聞デジタル(2016年3月4日)

 まさかの展開になったが、国、県双方の裁判所の和解案受け入れというだけであって、和解ではない。今後の展開はまったくわからない。それでも政治的な話し合いを継続させるということなのだろう。裁判で決着させるよりははるかにましだ。最悪の事態から1%ほど状況は好転したというのが私の解釈だ。
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