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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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空港までタクシーを飛ばせ!マクレーンのように! 隠れ家ゲストハウスinコザ。

4日目  2015年11月29日  那覇 コザ

 8:00過ぎ、運天港船舶連絡事務所に電話をして、昨日乗ったフェリーの時刻と席の位置を伝えた。カメラは運天港船舶連絡事務所には届いていなかった。伊是名島仲田港ターミナルとフェリーいぜな尚円に連絡してくれるという。

 結果を待っている間に、那覇市内での家電量販店の場所を確認した。コジマ電機とビッグカメラが共同で店舗を出しているようだ。場所は安謝である。

 1時間待ったが、連絡はなかったので、もう一度運天港船舶連絡事務所に電話をした。2度目の電話を切った10分後に結果が伝えられた。2つの港とフェリーのなかにカメラはないということだった。

 次にやんばる急行バスの営業所に電話を入れた。バスに乗った時刻と大体の席の位置を伝えた。

 バスにカメラの忘れ物があったことが確認された。カメラの機種を伝えたが、電話をした営業所にカメラが保管されたわけではなかったので、特定はできなかった。

 カメラはまだバスのなかにあった。そのバスは10:30に那覇国際空港を発車する。9:30から3階(出発ロビー外)でバスは待機しており、発車の10分くらい前に1階のバスの発着場に移動するらしい。これを捕まえなければ、バスが那覇市内にもどるのは6時間半後になる。県庁前バス停で、那覇国際空港からやって来るバスに乗り込んでカメラを受け取り、そこで降りてしまうのが一番よいのだが、バスは走行中(営業中)になるので、10:20までに那覇国際空港に取りに行ってほしいと言われた。依存はない。

 荷物をまとめ、沖縄ゲストハウスGRAND那覇をチェックアウトした。国道58号沿いでタクシーを拾った。ドライバーに事情を告げ、空港ターミナルの3階に向かってもらった。4、5年前、波の上ビーチの近くから空港に最短距離で向かう那覇うみそらトンネルが開通したらしい。ゆいレールかバスしか利用しないのでそういうルートをまったく知らなかった。

 間に合いますよとドライバーは言った。お客さん、合点承知の助だ! そんな感じだった。マクレーン(ブルース・ウィルス)を乗せたタクシードライバーのアーガイル(デヴロー・ホワイト)みたいじゃないか。「ダイ・ハード」のようにぶっ飛ばしてくれ!

 12、3分くらいで空港の3階に到着した。

 那覇国際空港の3階に多くの車が止まっていたが、バスは1台もないように思われた。少し不安になったが、150mほど先、すべての車の先頭のほうに大きめの車が止まっているのが見えた。タクシーを降りたとき辺りを見回しながら歩いていたが、バスに向かって走り出してみたくなった、マクレーンのように。

 連絡を受けていたバスのドライバーからカメラを渡してもらった。出発の15分前だった。ドライバーに感謝を伝えた。

 空港内の小さなカフェでコーヒーを飲み一息付いた。バスのなかでカメラに触れていない。カメラはリュック横の下のほうにある網状の、ペットボトルなどを入れるサックのなかに入れてあった。それが滑り落ちたようだ。

 フェリーに置き忘れるよりもラッキーな結果になった。フェリーに置き忘れた場合、運天港まで取りに行くか、着払いで自宅に送ってもらうしかなくなる。那覇から運天港までカメラを取りに行ってもどるのは最低でも6時間半かかる。自宅に送ってもらった場合は、もう少し滞在する予定の沖縄での撮影はスマホになる。コザか那覇のホテルに送ってもらうことも考えたが、できる限り早く発送してもらえることが条件になってくる。

 紛失発覚から16時間後にカメラはもどってきた。旅は通常モードにもどった。気分は爽快になった。もうこっちのものである。

 Aさんと昼食の待ち合わせをした。

 那覇国際空港からバスに乗り、もしかしたら今日カメラを購入することになっていたかもしれないコジマ・ビッグカメラのある安謝バス停で降りた。西に向けて10分ほど歩いたところに別のバス停があった。この通りにバス路線があることは知らなかった。バス停にある時刻表を確認していたら、後ろからAさんが現れた。

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 いっしょに港町食堂に入った。食堂側は付近の道路に駐車をしないように警告を出しているが、人気の食堂なので何台もの車が道路脇に停まっていた。

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 Aさんが勧めるハンバーグを注文した。近くのテーブルに運ばれたオムレツのほうがよかったかもしれないと思ったが、ハンバーグはうまかった。ハンバーグ自体の味は薄かったが、ソースで勝負した料理だった。

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 客の多くは子供を連れたファミリーだった。日曜日の昼ご飯を外食にすれば、母親は家事が1つなくなる。父親はそれほど金を使わないで手軽な家族サービスができ、おそらく普段とは少し異なる味のものを子供は食べることができる。港町食堂はおそらくそんな地元のファミリーのニーズを取り込んだのだ。12月20日で廃業するらしい。店のスタッフに直接尋ねてみると、土地を借りられなくなったからという回答が返ってきた。

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 Aさんは今日の夕方、東京にもどる。私は安謝バス停まで歩いた。与那原経由でないコザに行くバスはほとんど安謝バス停を通る。23番、31番、77番、223番、まだ他にもある。すぐにやってきたのは23番バスだった。

 プラザハウスショッピングセンターを通ることをドライバーに確認してから乗車した。着く直前に知らせてほしいとは言わなかった。言わなくても沖縄の4つのバス会社のドライバーは必ず声を掛けてくれる。韓国の済州島で19本のバスに乗った。最初の3本は「着くときに知らせて」とお願いしたが、途中で面倒くさくなって乗車時に行き先だけを確認しただけで「知らせて」とは言わなかった。済州島のバスドライバーは16本連続、到着地手前で私に合図を送ってくれた。

 そろそろかなと思ったとき、右の窓にそれ風の、つまりショッピングセンターらしきものが過ぎた。私は運転手の左斜め後ろの前面展望の席に坐っていた。ドライバーがもっとも声を掛けやすい席である。赤信号で止まったときに声を掛けた。

 今のはプラザハウスショッピングセンターですよね?
 そうです
 (信号で止まっている)ここで降りることはできませんか?
 できません。バス停でないですから(そうその通り)
 次で降ります

 私の注意不足であるが、ドライバーも完全に忘れていたと思われる。

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 プラザハウスショッピングセンターは日本で初めてのショッピングモールと言われている。国道330号の右手にあるプラザハウスショッピングセンターを通過するとき、いつもコザに来たなと思うが、入るのは初めてある。コザ南部のランドマーク的な場所である。

 コザではいつも同じ場所を歩くのだが、少しはその範囲を広げたいと思っていた。それが今日、プラザハウスショッピングセンターに来た理由である。

 もっと廃れているのかと思った。広くはないが、古くはない。サーティワンアイスクリームがあった。シェーキーズは満席だった。入口には車が展示されていた。アメリカンなコザのプラザハウスショッピングハウスで久々に、おそらく沖縄で2回目のA&Wのハンバーガーを食べた。日曜日の晴れた日の午後のコザの過ごし方としてはとても正当である。

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 プラザハウスショッピングセンターを出て、コザの中心部に向けて国道330号を歩いた。道路の右側だけを歩いた。そうしたほうがいいと思ったからだ。右側におもしろそうな小路があれば、入ってみたが、おもしろくはなかった。

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 途中で諸見百軒通りに入った。おそらく1軒のネイルサロンと1軒の一戸建て住宅が新築されただけで、あとは古くなっただけの家と商店が続いていた。

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 下の2枚は2013年2月10日に撮った諸見百軒通り。

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 国道330号の左手は中町である。コザの夜の町である。昼間はつまらない。中町には3つのアーチがあったはずである。それがいつの間にか2つになり1つになった。残った1つは信金通りの(つまらない)アーチである。

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 下の1枚は2013年2月10日、中の町(反対)側から撮ったアーチ。上の写真のアーチと同じもの。

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 下の1枚は2012年1月31日、上の写真と同じもの。同じ角度から。

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 下は2008年1月31日に撮った3枚である。つまり中町には3ヶ所にアーチがあった。3つのうちの1番上のアーチは信金通り、つまり上の3枚と同じで、現在も残っているものである。

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 ここからは記憶である。中町には4ヶ所のアーチがあったと思っている。ところが過去の写真を探しても、4ヶ所目は出てこなかった。

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 コザ・ミュージックタウンに近づくにつれ、音が大きくなっていった。人が集まり賑わっていた。沖縄国際カーニバルが行われていた。このイベントのことを3日ほど前に知った。コザは音楽の街である。

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 下の1枚は2013年12月14日に撮ったもの。

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 沖縄国際カーニバルのイベントの1つである国際大綱引きは昨日終わっていた。綱引きは沖縄各所で行われており、伊平屋島でも伊是名島でも行われている。本当は大綱引きの日(2015年の場合、仲田集落は6月17日、諸見集落は6月25日。年のよって異なる)に伊是名島にいたかった。大綱引きの前日には伊是名島を離れた島民が島に帰ってくる。島は大綱引きにむけて盛り上がる。伊是名島に行くのがこれだけ延び延びになってしまったのは、大綱引きが行われる日に休みが取れるのを待っていたからだが、結局、そうではない日に行くことになった。

 糸満バスターミナルから85番、86番バスで少し南に行ったところに真栄里の集落がある。丘陵地帯の上にあるこの集落の綱引きは、沖縄のなかでも古式の形態が残っている。東(アガリ)と西(イリ―)に分かれて引き合う綱引きである。私はこの集落を、綱引きとは何の関係もない日に訪れた。たまたま会った人の紹介で、東ムートゥヤ―(宗家)、西ムートゥヤ―(宗家)を見せていただくことになり、感激して帰った。それは綱引きの日ではない限りほとんどありえないことである。

 下4枚は2013年2月11日の真栄里の集落と東ムートゥヤ―、西ムートゥヤ―の写真である。

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 沖縄国際カーニバルのサッカーPK大会は昨日終わっていた。カーニバルパレード(国道330号とゲート通り)、バイクのパレード(ゲート通り、国道330号、中央パークアヴェニューなど)は今日、私がA&Wでハンバーガーを食べている頃に行われていた。

 沖縄国際カーニバルといっしょに沖縄国際アジア音楽祭が行われていた。こちらのほうは、コザ・ミュージックタウン、小劇場あしびなー(コリンザのなか)で行われていた。ライブハウスでのイベントもあるようだ。

 コザ・ミュージックタウンの1階のステージでは交代で演奏が行われていた。ゲート通りの一部は車の乗り入れが禁止され3ヶ所がパフォーマンスの会場になっていた。

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 コザ・ミュージックタウンの椅子に座り、交代で演奏されている音楽を聴いていた。演奏するグループはプロをめざしている人たちが多いような気がした。

 私はリュックを持ったままの状態でコザ・ミュージックタウン周辺をうろうろしていたが、「できるなら」宿泊先にチェックインをしたい。じゃらんで予約してあったいちご屋に電話をしてみた。「できるなら」と書いたのには事情がある。

 予約をした直後にいちご屋からメールが届いていた。予約時に、20:00までにチェックインをすると私が記したことについてである。ホテル予約サイトで予約をする際、チェックイン予定時刻に指定する必要があり、予定時刻に遅れる場合には、宿泊施設に連絡をするよう記載されている。それが面倒なので、いつも予定時刻を2、3時間ほどに遅く設定している。そうしておいた上で、早い時刻に着いても普通は問題ない。

 ところが、早くチェックインをする場合はあらかじめ連絡を入れてほしいというメールがいちご屋から送られてきていた。

 常駐するスタッフがいないことが推察された。この日の予約者が私しかいない場合、私のチェックイン直前にホテルの玄関を開けようという魂胆らしい。私のほうに問題はないけれど、事前連絡が「前日に」ほしいのか「当日の直前」でもよいのかはわからなかった。スタッフが常駐していないのであれば、やはり前日までに連絡がほしいということなのだろう。しかし昨日カメラを紛失していた私は、今日のチェックイン時刻を前日に決めることはできなくなっていた。一応は今日の昼過ぎから2、3度電話を掛けていたが、電話はつながらなかった。スタッフが不在であることだけは確認できた。

 コザに着いてコザ・ミュージックタウンで演奏などを聞いたあとの17:00頃、直接いちご屋に向かうことにした。他の宿泊客がいれば開いている可能性がある。

 場所はコザ・ミュージックタウンから国道330号を渡ったところにある。少なくとも所在地の表記はそうなっている。しかしコザ・ミュージックタウンから徒歩1分の、コザで最高のロケーションにあるゲストハウスを見つけることはできなかった。沖縄市胡屋2丁目1-71がない。沖縄市胡屋2丁目1-70にある美容室に尋ねても、隣にあるはずのいちご屋を知らなかった。

 6人目ぐらいに尋ねた高校生が知っていた。

 前に尋ねられたことがあったんです。その階段の上です。いっしょに登ります。予約はしていますか?

 高校生の言葉のすべてが素晴らしかった。いちご屋のスタッフかと思ったくらいである。

 そこは2階建ての建物の2階だった。屋上に建て増ししたらしい小屋があった。いちご屋の看板はなかった。これでは、わかるはずがない。セルビアやアゼルバイジャンにそういう宿泊先があったことを思い出した。

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 いちご屋の玄関のチャイムを押したが、「やはり」応答はなかった。「やはり」ではないな。「もちろん」のほうが的を得ている気がする。「案の定」でもいいし、「予想通り」でもよい。大学受験の現代国語【問2】の(3)辺りの選択問題を作ることができそうだ。4つのなかから選びなさい。

 仕方がない。伝えてあったチェックイン予定時刻より早く来た私が悪い。いちご屋は閉まっている。電話は通じない。【問2】の(4)は「このような状態を表す言葉を選択しなさい」である。正解は「二進も三進もいかない」である。旅の常用語でもある。

 ゲストハウスに泊まるということは、ゲストハウスごとに異なるサービスの品質の「穴」と付き合わなければならない。「穴」は実際に行ってみて泊まってみないとわからない。玄関が開いていない、湯がでない、スリッパがパタパタうるさい、鍵がない、3段ベッドだった、料金を払うときに人がいない、WIFIがつながらない、すきま風が入る、布団が臭い、ありがいる(だけならよいが、ゴキブリがいる)・・・。ゲストハウスの旅人のメンタリティはこの繰り返しによって鍛えられる。

 仕方がないので、いちご屋を離れ、ゲート通りを歩くことにした。雨が降ってきた。歩く場所は必然的にアーケードのある一番街となる。

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 歩いているとき、いちご屋から連絡が入った。40分後には玄関を開けることができると言う。40分後ぐらいにチェックインする旨を伝えた。

 自信をもって40分後にチェックインすると言った私を、電話してきたスタッフは怪訝に思ったかもしれない。初めて泊りに来る者がいちご屋の場所を知っているはずがない。しかし私は意識的にいちご屋の場所を知っている気配を漂わせてやった。

 モグリなゲストハウスなのか、隠れ家ゲストハウスなのか興味津々である。

 40分後、雨が強くなった。天気予報は向こう3日間、雨の表示になっていた。

 アパートの2階のドアのガラスの向こうに灯が点いていた。ピンポンを鳴らした。

 スタッフは2人いて、女のほうは私の泊まる部屋を清掃していた。男のほうが説明をしてくれた。スタッフが常駐していないことを前提にした説明だった。その分、説明は丁寧だった。入口と部屋の鍵を渡された。

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 悪くないゲストハウスだった。最近ニュースで取り上げられたようなモグリの民泊のようではなかった。海外のゲストハウスではスタッフのいなくなる夜の時間帯に、料金を払わないで泊りにくるやつがいるが、正反対だった。看板を掛けないこと、宿泊客にしか鍵を渡さないことによって、いちご屋を知っているのは(私を案内してくれた高校生を除くと)宿泊客とスタッフだけである。わけのわからない人間が行き来する大型ホテルよりはよほど安心できる。

 2泊分の宿泊料6,000円を支払った。今日、私が泊まるのは個室である。清掃終了後にはリュックを部屋のなかに入れておいてくれるという。傘を借りてすぐに外に出た。

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 Aさんが入ったという定食丸仲に行ってみた。古い定食屋は満席だった。Bカツ定食がうまいと評判の店らしい。量があるように見えるカツが薄いことをAさんの写真で確認していた。Bカツ定食を注文しようかどうか迷ったが、トーフチャンプル定食を注文した。失敗だった。ご飯を含めてうまくはなかった。

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 通りのパフォーマンスは夜になって一層盛り上がっていた。露店で串焼きを買い、適当な場所に坐って眺めていた。

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 雨が強くなってきた。コーヒーを飲みたいと思い、一番街に入った。一番街の喫茶店はもう閉まっていた。昼間は開いていたのかと言われればどうかわからない。一番街はシャッター商店街である。中央パークアヴェニューまで行けば、空いているカフェはいくつもあるが、国道330号沿いのモスバーガーでコーヒーを注文した。旅日記でも書くかとパソコンを開いたが、やる気ができない。いちご屋にもどることにした。

 ロビーに長崎から来た若い女がいた。4ヶ月前からここに泊まっているらしい。月極めで契約すると、アパートを借りるより安かったと言う。コザ・ミュージックタウンの近くに泊まりたかったらしい。

 開設当初のコザ・ミュージックタウンはまったく流行っていなかった。1階にすき家の、不必要に広い店舗があった。すき家はまったく流行っていなかった。しかし開設当初、おそらく店舗の契約者はいなかったのだろう。その時期に大きなスペースを借りたすき家はコザの経済に貢献したといえるかもしれない。テナントの案内掲示のなかにまだ名前が残っていたすき家はすでに撤退したようである。コザ・ミュージックタウンの功労者でもあるすき家を忘れてはいけない。

 2013年に来たときは驚いた。1階の広場に多くの高齢者がいたし、夜遅くまで3階のフリースペースに女子中学生がたむろっていた。人が集まるスペースとして機能し始めていた。それでこそ行政が出動したかいがあったというものである。コザ・ミュージックタウンの店舗はすべて地元の店で埋めるべきであるが、ヤマハ音楽教室だけは今後も残すべきである。音楽の街コザから撤退させてはいけない。

 音楽の街をめざしているのは川崎も同じである。川崎には音楽関係のフェスティバルやイベントが多く行われている。毎年4月に開催される「かわさきアジアンフェスタ」はアジアの国々から多くの演奏家がやって来る。しかしはっきり書いておくと人が多すぎて、パフォーマーを観客が遠くから眺めている感じだった。夕方のコザではそういう感じもあったが、夜になって両者一体となっていた。盛り上がっていた。もっとも高齢者を除いてだけれど。

 沖縄国際カーニバル2015は成功していた。元々労働者の街だった川崎のフェスティバルのどこに警察がいたのかわからなかったが、基地の街コザでは警察がとにかく目立っていた。コザ暴動は沖縄県警の危機管理マニュアルに刻まれているだろう。しかしそれでこそコザの面目躍如というものだ。

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 もっとも祭りのタイトルにある「カーニバル」のネーミングを変えたほうがいいと思う。PUFFY「DE RIO」の♪リオのカーニバルさながら♪を知っている人はあまり多くないだろう。全日本プロレスの「チャンピオン・カーニバル」はジャイアント馬場から三沢光春ぐらいまでが全盛だった。

 長崎から来た女は4ヶ月目のコザといちご屋になじんでいるようだった。
 
 外は盛り上がっていたよ
 なんかやっている感じ
 コザ・ミュージックタウンの近くに泊まろうと思ったのに、外のイベントは無視?
 そういうわけじゃないけど 
 ・・・・・・
 ここにはいろんな人が来る 外国人も
 台湾の大学生が演奏していた
 昨日は台湾人が泊まっていた ここで会った人たちとそのあとラインで話すのが楽しい
 那覇よりもコザのほうがいい?
 那覇は観光地だけれど、コザのほうが落ち着く
 確かに でも女性でコザがいいというのはめずらしい
 夜の仕事をしている
 そうなんだ
 日曜はやることがないのでここにいる
 今日は日曜だっけ
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