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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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伊是名島に尚円王!那覇にネーネーズ! カメラはどこに?

3日目  2015年11月28日  伊是名島 運天港 那覇

 朝ご飯のあと、さりげなくご主人に尋ねてみた。

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 チェックアウト時刻は8:30という回答だった。早い!

 水すましが作り出した音のないさざ波が私に届いたというものではなかった。図書館でいきなり大音量のワグナーが響いた。いやサジタリウスの矢あるいはロンギヌスの槍の衝撃波が私の心を貫いた。

 想定外だった。チェックアウト時刻の定まっているホテルとは異なり、民宿ではちょっとした融通を効かせてくれることが多い。その多くは、船の時間まで部屋を使っていいさ~といった類のものである。

 修学旅行生を受け入れた伊是名島の民宿には大島優子のステッカーを貼ったほうがいい。♪ヘビーローテーション♪を必要とする多忙な民宿に変貌していた。朝、入港してくるフェリーで次の高校生たちがやってくる。昨日の高校生たちはそのフェリーで沖縄本土に向かう。彼らは団体でやってくるが、日にちを分散してやって来る。早朝から速攻で受け入れの準備をしないといけないらしい。

 8:30までに部屋を開けるのは問題ない。昼過ぎまで荷物を預かってもらう。

 1泊2食付きで5,000円を支払った。電話で予約をしたとき、料金は7,000円か8,000円だったはずである(どちらか忘れてしまった)。夜ご飯も朝ご飯も定食っぽいものになっていて味気なかった。それは修学旅行生仕様あるいは外から毎日食べにくる工事関係者と交わした内容の食事仕様のようだったのだが、1泊2食付きで5,000円は特価である。

 お釣りのなかに2,000円札が含まれていた。なぜか沖縄でしか普及しなかった札である。沖縄でも最近はほとんど使われていないと女将さんは言った。2,000円札が発行された直後、銀行の引き出し機から出てきた2枚の2,000円札が今でも自宅にある。3枚目となった。

 民宿まる富を出て、昨日、歩いて帰ってきたのと逆の方向に歩いた。

 吉田ストア、交番、伊是名小学校、郵便局、村役場、いずみ莊、なか川館、伊是名中学前を通った。

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 村教育委員会を過ぎたところにある道を左に曲がった。少し歩いて右手にあるふれあい民俗館に入った。15分の伊是名島を紹介するビデオはよくまとめられていた。それに比べれば、館内の展示は寄せ集めの感じがした。生活用品から船、戦争中の国債、米軍占領時代の貨幣・紙幣などを集めたものが展示されていた。もっとも島の博物館ではそれ以上のものをひねり出すのは難しいだろう。

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 2階にある資料室の資料は多くなかった。沖縄全般に関わるものが多かったが、伊是名島の民族芸能を解説した1冊はよくまとめられたものだった。市町村レベルの歴史は市町村の教育委員会の仕事になっていることが多く、それはしばしば具体的事例をかいつまんで並べただけの、場合によっては日本語が稚拙であることさえ多いが、伊是名島のそれはしっかりしたものだった。

 退館しようとしたとき、お茶をごちそうになった。

 ふれあい民俗館の近くにヘリポートがあった。ふれあい民俗館とヘリポートの間の道を南東のほうに歩いた。交わってきた道路を右に折れ少し歩いたところに登山道があった。

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 迷わず登った。途中、見晴らし台があった。登山道自体は整備されたものだったが、草が生え、途中は道なき道になっていた。山は低いので大した負担ではないが、行く手を遮るものはあった。蜘蛛の巣である。いくつもの蜘蛛の巣を切り裂き、草をかき分けた。

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 神島(三重県)の高くない山頂付近の、その日の最初の登頂者となった私はやはり蜘蛛の巣を断ち切って登っていた。そのとき、大きな蜘蛛が肩に乗ったことを今でも忘れない。神島では大きなナメクジを見たし、大きなスズメバチの襲来にもあった。小説「潮騒」(三島由紀夫)の舞台は巨大な虫の島として記憶された。

 チヂン岳の頂上は松と草木のため眺望はよいとはいえなかった。南のほうに降りていった。

 一度下に降りてから少しまた登った。大した高さではないのに、綱がないと登るのが難しい場所もあった。

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 至るところにある展望台は美しい海を見せていた。

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 下の1枚は美織所(ちゅらういんじょ)。富豪の娘で島一番といわれた美人の仲村渠マカテと美青年松金が会っていた場所である。
 
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 途中、サンレー道というのがあった。銘刈家とグスク跡を結ぶ旧道で、首里王朝の「公事清明祭」の大名行列の儀礼道として用いられた。こういうふうに書くと、大和(日本)の大名行列が行き来した街道のように思われるが、サンレー道は幅1.5mほどの狭いものだった。もっとも江戸時代の街道もそれほど広いものではなかったので、あまり大きな違いがあるわけではないかもしれない。

 海に近いギタラ展望から海に沿って東のほうに歩いた。

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 伊是名玉御殿(たまうどん)は立ち入り禁止になっていた。階段などが崩れているようだ。

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 伊是名集落の真ん中に向かった。タージ浜の北側にある集落を通った。ギリシャの島の集落のようだった。

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 伊是名小学校の西にある尚円王通水公園に入った。ようやく尚円王乗馬像を見ることができた。伊是名島はこの人の島である。

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 フェリーのなかで食べるためのパンを2つ、吉田ストアで買った。レジで購入の手続きをしてもらえない。レジのおばさんが目の前のテレビに集中しているのだ。お昼の黒柳徹子の番組に小浜島のKBG84(おばあたちのAKB48)が出演していた。店の客なんぞどうでもよくなるくらいKGB84に集中していたわけだ。   

 民宿まる富にもどりリュックを受け取った。

 13:30、フェリーいぜな尚円に乗った。思った通り、海は穏やかだった。安心してパンを2つ食べた。

 14:25に運天港に着いた。

 14:45発のやんばる急行バスに乗った。降りる予定の県庁北口バス停は17:28着となっている。時刻表では、那覇国際空港までは3時間1分かかることになっていた。空港から運天港までの往路は2時間46分になっていたのだから、夕方の那覇市内の交通渋滞のひどさが知れるというものである。

 往路と同じ道を帰る旅はいつも退屈である。退屈を避けることのできる完全な一筆書きの旅が完成することはそう多くない。

 17:30頃、県庁前バス停で降り、7、8分歩いた。

 沖縄ゲストハウスGRAND那覇にチェックインした。1泊1,750円のドミトリーである。個別のシャワースペースはカーテンで仕切られていたが、わずかに隙間ができていた。脱衣所の衣類を入れる籠はあまりにオープンすぎ、貴重品の管理についての宿側の配慮を感じられなかった。シャンプー、リンス、ボディソープは備え付けられていなかった。シャワー室については海外のドミトリーとまったく同じレベルである。ベッドは全方位が壁になるので、カプセルホテルと同じ感覚で利用できる。それでもドミトリーとしてのレベルは上であるといっていいのだろう。

 1階のスペースでくつろいでいるとMさんから連絡が入った。これから向かう旨を伝え、外を歩き始めたとき、何かがないことに気がついた。

 カメラを持っていない! 

 さっきのシャワー室の脱衣所に残した可能性がある。ゲストハウスのシャワー室にもどったが、脱衣所の籠には何もなかった。レセプションにも届けられていなかった。

 次に考えられるのは、伊是名島から運天港までのフェリーいぜな尚円である。フェリーのなかにコンセントがあった。パソコンをコンセントにつなぎ旅日記を書きながら、USBでパソコンにつないだカメラの充電をしていた。昨日までの写真をパソコンに送り、今日の撮影分はカメラのSDカードに残した。今日の撮影分をパソコンに送信してしまうと、そのあと撮影した写真のファイル番号は1からになってしまう。今日の写真の管理が面倒くさくなる。カメラに触ったのはこの船内だけである。

 沖縄ゲストハウスGRAND那覇を出て歩きながら、運天港船舶連絡事務所と伊是名島仲田港ターミナルに連絡したが、つながらなかった。バスのなかで落とした可能性もあるので、やんばる急行バスの運転営業所にも連絡したが、つながらなかった。明日もう一度、電話をするしかない状況になった。おもろ町の家電量販店でカメラを買うことも視野に入れた。それでもマハーバリープラム(インド)でパソコンのアダプターが動かなくなったときより状況はましである。ここはなんといっても日本の大都会那覇なのだから。旅関連のグッズで買えないものはあるまい。しかし回復できないものはある。今朝から昼過ぎまでに撮った100枚以上の伊是名島の写真は失われるかもしれない。

 少し遅れて待ち合わせ場所に着いた。MさんとMSさんが先に入店していて、入り口でAさんとあった。たまに東京で会っている旅友たちである。Mさんと沖縄で会うのは3度目である。MSさんとは東京で何度か街歩きをした。Aさんとは韓国に一度いっしょに行ったことがあった。

 悲嘆にくれている私のカメラが最初の話題であるが、話は旅全般に及んだ。いつものことである。今日が少し特別なのは、この場所がネーネーズがライブを行う「ライブハウス島唄」だからである。

 私とMさんはかなり以前から沖縄に通っている。それぞれ沖縄との関係を少しずつ深めてきた。最近は旅をあまりしていないMSさんも沖縄については老舗である。Aさんは仕事の合間にあちこち行っているが、沖縄に関しては新参者である。ところが新参者のくせにこの2、3年暴走していて那覇の店や沖縄音楽のライブ会場に出没し、今回ネーネーズのライブという新しい切り口を提案してきた。予約をした人にサインがもらえるということに、ネーネーズにどういうメンバーがいるのかさえ知らない私が食いついた。

 ネーネーズは様変わりしている。すでに5代目だそうで、モー娘。がピークを越えつつあった頃、またAKBが誕生してすぐの頃、モー娘。の成功モデルを取り入れた。いや取り入れようとした。沖縄テイストを残しながらのアイドル路線に舵を切った。

 何度かメンバーが入れ替わったあと、現在のネーネーズは2014年9月時のメンバーが継続されている。メンバーの出身は南大東島、石垣島など沖縄出身者に限定されている。それはグループのアイデンティティに関わるところである。芸能の宝庫である沖縄は人口比率にして他の都道府県では考えられないほど多くの芸能人を世に送り出している。しかし沖縄を限定としたネーネーズの人材募集では限界があるのかもしれない。三線を学校で習うとはいえ、沖縄民謡はおじいおばあの世界である。若年層の関心は圧倒的にロックやヒップホップに向いている。コザのオレンジレンジ、浦添のモンゴル800は沖縄から東京を取り込んだ。彼らのあとに続く子供たちは沖縄のあちこちにいる。まだまだ経済の立ち遅れている沖縄からは今後も継続的に芸能への人材供給は続くだろう。それはロナウド、リバウド、デ二ウソン、ロナウジーニョ、ロビーニョ、ネイマールなど途絶えることのないファンタジスタを供給してなお枯れることのないブラジルのフットボールの力に似ている。

 沖縄で観光客にふるまわれる沖縄民謡は、東京が求める沖縄テイストである。旅をしている私にとってはそれで十分なのだが、その方向に沖縄民謡の地平線があるわけではあるまい。新しい沖縄の音楽の創出が広く日本の大衆に受け入れられたのは石垣島出身のビギンである。沖縄を活動拠点に据えたスタイル、新しい歌をヒットさせる力、紅白歌合戦に出演できる優れた大衆性は難しい綱渡りを見事にやってのけているように思える。

 ネーネーズの、那覇の「ライブハウス島唄」でのライブは当然、観光客を対象にしたものだった。若い人はライブ会場にいなかった。沖縄通が来店していたわけでもなさそうだ。それは高齢者を中心とした一見さんの世界である。彼らは満足して帰っていったのだろう。一方、ネーネーズは東京でもライブをやっており、そのチケット確保は難しいらしい。そこでのネーネーズはもう少しちがったかたちのライブをやっているのかもしれない。

 石垣島の白保の集落を歩いたことがある。白い小路のどこかから三線が聞こえてきた。それこそはホンモノのライブだった。

 Aさんはネーネーズにのめり込んでいたが、ライブでは話ができない。私が第2ステージまでAさんに付き合うことにして、MさんとMSさんは先に桜坂のカラカラに移動した。私はMさんからカラカラを知り、MさんはMSさんからカラカラを知ったという経緯がある。

 バックにバンドが入った第2ステージは最初のステージよりよくなった。ネーネーズのライブではステージごとの入れ替えはないので、最後までいてもいい。最後のステージまでいても曲がかぶることはない。しかし第2ステージぐらいから来たほうがいいかもしれない。

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 4人ともカラカラに移動したあと旅の話をした。その後、あるブログ(私は知らなかったが)の管理人が、ミックスピザを食べるために那覇の、ある洋食店に何度も通っているという話になった。一度食べてみようという方向に話が進展し、23:00前ぐらいから20分ほど歩いてその洋食店に移動した。閉店間際まで注文の電話が頻繁にかかってきている人気店だった。アニメの声優のような声を持つ女性が注文をさばいていた。

 ミックスピザを4分割して食べた。具財がこってりと乗せられ、タマネギの味がスパイスとして効いたピザだった。3人とも満足したようだ。そのときは私も充分満足したが、3人と別れて1人になったとき、ピザは種類ごとに食べたほうがいいという結論に達した。ピザは生地が勝負だとは思うが、食後感としては具材のほうが残る。そうであるならミックスよりは特定の具材を納得いくまで食べたほうがよいと思い直した。しかしまあそれはどうでもよいことかもしれない。どうでもよくないのは私のカメラとSDカードのなかの伊是名島の風景である。

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