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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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伊平屋島から伊是名島へ。

2日目 2015年11月27日  伊平屋島 運天港 伊是名島

 布団のなかでごうごうという音を聞いていた。風が強く吹いていた。雨が降っているかもしれないと思いながら眠った。

 7:30、朝ご飯。食堂に稲嶺進名護市長のサインが飾られていた。

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 12:30頃にもどることを伝え、伊平屋観光ホテルを出た。部屋をその時間まで使わせてもらうことになった。

 雨が降り出しそうななか、地図を見ながら県道179号を東に歩いた。7、8分歩いたところにあるホテルにしえ、前泊共同売店、前泊公民館、神社の辺りから県道は北に方向を変える。

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 久里原貝塚(跡)があった。沖縄前期(本土の縄文時代に当たるらしい)から後期の複合遺跡であるとパンフレットに載っていた。3種類の土器が出土した場所では奄美大島の土器も見つかったらしい。つまり両島間の交流があったわけで、これはタメになる情報である。

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 どんどん北に歩いた。道路脇にはフクギが植えられていた。フクギは黒緑の葉を持つ木である。さとうきび畑はもちろんあった。沖縄らしい風景だ。田名の集落はかなり先にあった。

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 伊平屋島には1日6便のバスが走っている。パンフレットに載っていた時刻表には、バスは田名集落にある3つのバス停には停まらないと記載されていた。このまま歩いて田名に着いても、そこでバスに乗ることはできない。田名の集落を見たあとでバスが停まる前泊公民館バス停までもどるつもりでいたが、このままでは時間が足りない。あと300mほどのところで田名集落に行くのをあきらめた。30分早く出てくればなんとかなったと思うが、田名は予想より遠かった。

 結局ホテルを出て3kmほど歩いたところで引き返すことになった。踵を返したとき、田名方面に行くバスが走っていった。田名まで行って待っていれば、そのバスに乗れたのかどうかはわからない。田名には停まらないという表記があるのだから。

 結局、前泊公民館の前で田名方面からもどってきた2便のバスに乗った。島の南のほうに向かう。

 伊平屋観光ホテル前を通り役場前を通り伊平屋港ターミナル前を通り、我喜屋集落のなかに入った。地図では基盤の目状になっているが、集落のなかでバスが2、3度曲がったのでどこを走っているのかわかりにくくなった。汚れた窓から集落の家並みを眺めていた。

 バスは5分ほど走り島尻集落の前を通った。野甫(のほ)大橋の手前で降ろしてもらった。野甫大橋を渡ったバスは、野甫(島)の木々のなかに消えていった。

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 「いへや愛ランドうおねざき」というキャンプ場が橋の袂にあった。営業はしていないようだ。

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 ほとんど四方を海に囲まれた場所だ。海は薄く、白く強い波が寄せていた。茫洋とした海。漂白された海。

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 しばらくその周辺を歩いた。いやしばらくとはいえないほどの短時間である。それでも時間を長く感じたのはバスが遅れてきたからである。野甫で折り返してもどってきた2便のバスに乗った。さっきと同じように誰も乗っていなかった。どの区間を乗っても料金は100円である。

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 夏には大綱引きのある我喜屋集落まで行くかどうか迷ったが、手前の島尻集落で降りた。バス停は島尻売店の前にあった。そこが売店であるかどうかわかりにくい島尻売店には何人もの出入りがあった。住民には頼りにされているようだ。売店のすぐ北に、テーブルサンゴが積まれた石垣で家が囲われている集落があった。あまりに沖縄的な集落。

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 島尻の神アシアゲという場所があった。神アサギは、首里からの祝女が休む場所として作られた藁葺きの家だ。軒が極端に低いのは祝女の顔が見えないようにするためだったらしい。

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 田名祝女の馬乗り岩(たなのろのうまのりいわ)を探すのに苦労した。島尻の神アシアゲの少し北にあることは間違いないらしいのだが、同じようなところを3、4度往復し、たまたま出会った人に尋ね、ようやくたどり着いた。辺りには何の掲示もなかった。誰がこの岩を田名祝女の馬乗り岩だと判別できよう。

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 観音堂は島尻売店のすぐ東にあった。島尻の海の、小さな守り神である。

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 島尻集落の北のほうには島尻神社があった。

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 港には数艘の舟があった。漁港を管理するらしい建物があり、その北に公民館があった。漁村として機能する最低限のものはあるわけだ。はかなげな港だった。

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 3便のバスでもどることにした。我喜屋集落をじぐざぐに抜け、前泊港と役場前を通った。伊平屋観光ホテル前で降ろしてもらった。12:00を少し過ぎていた。

 部屋で少し休み、庭で仕事をしていた女将さんに挨拶をし伊平屋観光ホテルを12:20に発った。

 前泊港にフェリーは入港していた。

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 フェリーいへやⅢは前泊港を13:00に出航した。航行は安定していた。揺れることはなかった。運天港には14:20に着いた。

 ここでフェリーの乗り替えである。伊平屋島と伊是名島との位置を考えれば、どうしてこんな航路になっているのかと文句を言いたくなる。

 伊平屋島と伊是名島は、ともに運天港の北の方角に位置する。しかも伊平屋島と伊是名島の距離は最短部で5、6kmぐらいしか離れていない。運天港から1本の航路で2つの島を周るルートは簡単に組めるはずだ。〈運天港⇔伊是名島⇔伊平屋島〉という運航形態にしてほしいところだが、現実には〈運天港⇔伊平屋島〉、〈運天港⇔伊是名島〉となっている。それは例えば、ファーストからセカンドにボールを投げる際に、キャッチャーを介さなければならないと決められているようなものである。伊平屋島の野甫港と伊是名島の間にはチャーター船があるが、1人で利用した場合の料金は5,200円となる。

 ほとんど同じような位置関係にある焼尻島、天売島の航路は1本の船が2つの島に寄港するので観光客は利用しやすい。焼尻島、天売島の2つの島はともに北海道本土側の羽幌町に属するので1本の航路で運営されている。そこには船の効率的運用という視点がある。しかし伊平屋島は伊平屋村、伊是名島は伊是名村、運天港は今帰仁村としてそれぞれ別の自治体となっている。航路のあり方にはそういうことが関係しているのだろう。伊是名島に寄ってから伊平屋島に向かう航路では、到達時間が遅くなる伊平屋島のメリットはなくなる。しかし運天港からそれぞれの島に1日2便の航路を止め、1日3便の両島に行く航路ができれば、より便利にはなる。那覇から遠い上に、航路が今の状態では2つの島には行きにくい。2つの島は沖縄本土周辺の離島でもっとも行きにくい島になっている。

 伊是名島を結ぶ「フェリーニューいぜな」は「フェリーいぜな尚円」に名称変更されていた。新造船らしい。

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 伊是名島のパンフレットには、2015年は尚円王生誕600年と記載されていた。尚円は伊是名島の王であり、琉球王朝の王になった人物である。伊是名島の誇りをフェリーの名前にしたということだ。尚円王は伊是名島のイメージキャラクターにもなっている。

 伊是名島も伊平屋島も最初は同じような普通の島だったのだ。推測を含めて書くと、この尚円王の存在が伊是名島を派手に見せ、伊平屋島を地味な存在にしたといえる。尚円は有能ではあったが、普通の人だったはずである。それが王家に抱えられ、のちに王朝を継ぐ地位に立った。当然、出身地の伊是名島はクローズアップされた。なんといっても琉球王を輩出したのだから。薩摩に抑えられていたとはいえ日本、中国、韓国、東南アジアの国々を相手にしながら独立を維持した王朝である。首里に京都を感じるのは私だけではないだろう。

 私の乗る予定の船は15:30発だったが、15:00発に変更されていた。ジムカーナ伊是名島大会への対応のためらしい。ジムカーナとは車を用いて舗装路面で行われるスラローム競技である。

 それだけではない。11月13日~16日は沖縄スーパードラッグレース伊是名島大会、11月20日~23日は沖縄スーパードリフト伊是名島大会が開催されていた。10月末にはトライアスロンが行われていた。こういうことを知らなかった。久高島のような神聖さこそないが、祭りの多い島だとは思っていた。イメージはかなり覆された。

 11月7日~9日は埼玉県立熊谷西高校の修学旅行生が滞在し、昨日からは埼玉県立朝霧高校の修学旅行生が来ているらしい。この時期の伊是名島の民宿はかきいれどきのようだ。

 伊是名島までの往復は3,440円である。出航の15分ほど前に乗船した。

 30分遅れたことによって、フェリーいへやⅢと同時刻の出航となった。昨日、伊平屋島に行くときに乗った船である。

 先にフェリーいへやⅢが岸壁を離れた。1分ほど経って、フェリーいぜな尚円が続いた。こんなことはめったにあることではない。乗った船が同じ海域を行き交う船の近くを航行したことは何度もある。ムンバイ(インド)では乗った船が追い抜いた大型タンカーの前を横切ったことがあったが、同一航路の、前の船のあとに続いて航行したようなことは一度もなかった。これは艦隊行動みたいなもので、3年に一度実施される海上自衛隊の観艦式でないと体験できないことである(観艦式を見たわけではない)。

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 左手の奥に伊江島が見えた。島の中央に尖がった山がある島である。運天港からではなく本部港からの航路がある。沖縄本島周辺の島では、私の一番好きな島である。

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 以下の5枚は2004年5月29日、30日の伊江島の写真である。島の真ん中にタッチューという山がある。

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 デッキに立ち、しばらくの間、フェリーいへやⅢの船尾を追っていた。外洋に出たとき、突然フェリーいへやⅢの両側に白い波が立ち始めた。船が波をかぶりそれを押しのけて進んでいるのである。昨日と同じである。フェリーいへやⅢと同じ航路を取るフェリーいぜな尚円も当然、波をかき分けることになる。その1分ほどあとにフェリーいぜな尚円は揺れ始めた。伊平屋観光ホテルの女将さんは昨日、伊平屋島に向かう船は揺れる可能性があると言っていた。それは航路が同じである伊是名島に向かうフェリーも揺れるということなのだ。嫌な予感は的中した。

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 フェリーは大きく揺れながら進んだが、昨日より少しましだった。トイレに行くかどうか迷ったが、吐かないで済んだ。航行時間が、昨日より25分短いことも幸いした。

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 伊是名島に入る手前でフェリーいへやⅢはフェリーいぜな尚円の真横を航行するようになった。伊是名島に入港する直前でも、フェリーいへやⅢは伊是名島の横を航行していた。2つ航路はまったく重なっている。日本でも海外でも、多くの島の航路がそうなっているように、フェリーは伊是名島に寄ってから伊平屋島に行けばいいのだ。

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 伊是名島の仲田港に着いた。フェリーターミナルには観光物産センターが入っていた。フェリーターミナルの北側は臨海ふれない公園になっていた。伊平屋島もそうだったが、ターミナル前は殺風景である。フェリー入港は島の人々が集う大イベントであるはずなのだが、そういう雰囲気はない。宿泊施設の送迎がないからである。大島、八丈島、三宅島のような伊豆諸島の少し大きな島の場合は民宿によって差があるが、伊平屋島や伊是名島のようなサイズの島たとえば青ヶ島や御蔵島では必ず民宿の送迎がある。こちらが頼んでもいないのに、予約の電話を切る直前には「迎えに行きます」と付け加えてくれる。もちろん必ず警察は必ずやってくる。必ずしも送迎のない大島、八丈島、三宅島でもパトカーは港に止まっている。警視庁と沖縄県警の差ではあるまい。全国どの島でもあるパトカーの出迎えはこの2島にはないのである。たまたま今回がそうなのかどうかわからない。沖縄の他の島のことを思い出そうとしたが、覚えていない。

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 北に5分ほど歩いた丘陵地帯の上のほうに民宿まる富があった。

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 埼玉県立朝霞高校の修学旅行生は民宿まる富にも滞在していた。彼らも昨日のフェリーで酔ったらしい。伊是名島は修学旅行生の誘致で成功しているようだ。年間3,000人の修学旅行生が押し寄せるらしい。伊是名島カレンダーにはいつどこの学校が来島するのかが印刷されていた。つまりカレンダーが配布される前に修学旅行の日程が決まっているのである。

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 高校1、2年生のとき、私は旅行委員長をやっていた。私の高校では修学旅行先の決定の際、生徒の意見が反映されていた。あらかじめ決められた候補が5、6か所あり、そのなかから選択することができた。近畿日本ツーリストの担当者の説明の席に私は出席していた。行ってよかったという先輩の声が伝承され、それ以前の3、4年は連続して信州に決まっていた。私は「萩・津和野」に行きたかった。積極的に押したこともあり、私のクラスだけは突出して「萩・津和野」に多くの票を集めていたが、全体では4位ぐらいに留まった。今から思うと、高校2年生に「萩・津和野」は渋すぎた。伝統や流れを変えることが難しいことを私が学んだ最初の事例である。その後、「萩・津和野」は国鉄のディスカバー・ジャパンのCMとともに小京都としてブームになった。

 高校2年生は私が少し大きめの旅を始めた最初の年だった。大阪から急行比叡で大垣まで行き、大垣夜行で東京に出た。国立西洋美術館で日本初のモナリザ展を観るのが目的だった。そのあと江ノ島・鎌倉を周り、大垣夜行で帰ってきた。高校2年生のときヒットしていた「襟裳岬」(吉田拓郎)の♪何もない春♪を見に行くためには大学生になるまで待たなければならなかった。本格的な旅を試みるのはまだまだ制約がありすぎた。

 ご主人に伊是名港まで歩けるかどうかを相談したところ、女将さんが車で出かけるらしく伊是名港まで乗せてもらえることになった。

 修学旅行生は年間で3,000人ほど伊是名島を訪れること、伊江島が修学旅行の誘致に成功したらしく伊是名島の観光協会がそれに倣ったことなどを女将さんが話してくれた。島で唯一のケーキ屋さんや伊是名小学校・中学校、郵便局の場所なども教えてもらった。

 伊是名の集落のなかにある銘刈家住宅で降ろしてもらった。フェリーの名称にもなっている尚円王の叔父にあたる家系の家である。明治39年に再建されたもので、沖縄戦の被害を逃れたことにより国指定重要文化財になっている。庭を歩くことはできたが、なかに入ることはできなかった。

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 近くに古民家があった。テレビで観たことがあった。伊是名島では、古い家を補修して旅行者が宿泊できるようにしている。そのモデルとなっている古民家だった。

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 この辺りはテーブルサンゴの石垣で囲われた古い沖縄の民家が残っている地域だった。石垣とフクギと白い小路の風景は沖縄の原風景である。

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 集落のなかを歩き、伊是名漁港のほうに行ってみた。漁港からは海ギタラ、陸(アギ)ギタラがよく見えた。2つとも巨岩である。堤防の先端からの風景はきれいだった。

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 まだ陽があるので、伊是名の集落のなかを歩いた。集落の西側にある伊是名ビーチまで行ってみた。

 堤防の先の止めた車の周辺に修学旅行の高校生たちがいた。彼らは民宿にバラバラに宿泊するので、島内での行動は民宿単位となっているようだ。

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 幅が狭く長くはないビーチのずっと向こうの海の上の雲の切れ目から光が降りていた。光の直線は海の上を明るくすると同時に彩灰色のグラデーションを不規則に作り出し、鋭角的な雰囲気のアートの図柄を創り出していた。晴れた日に見ることのできない風景の美しさだった。

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 ビーチの近くで、トイレらしき建物に描かれたトライアスロンのサインを見たあと、帰ることにした。陽は暮れかけていた。夕焼け小焼けのメロディはどこからも流れなかった。

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 さとうきび畑に背の高いススキが生えていた。そういうなかに敷かれた県道を登った。

 仲田集落までやって来た。駐車場に次々と車が入っていった。何の建物だろうと近寄ってみた。幼稚園だった。仕事が終わったパパやママが子供を引き取りにくる時間帯だった。

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 伊是名中学校の前で何人もの生徒にあいさつをされた。部活をやっていた生徒たちである。斬新な新築校舎の工事が最終段階を迎えようとしていた。

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 村役場の灯は点いていた。まだ18:00過ぎだった。

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 なか川館といずみ莊というやや大きめの宿泊施設があった。おそらくもっとも多くの高校生が宿泊しているところである。

 伊是名小学校の前の信号は長い時間、車道のほうの緑を点滅させていた。島に1つしかない信号を赤で渡るのは気が引ける。生徒は下校しているとはいえ小学校前である。伊是名島の人口は1,555人。小・中学校を兼ねている過疎地の学校が増えているなか、小学校、中学校が分離して存在しているのは立派である。

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 交番には誰もいなかった。

 吉田ストアでさんぴん茶を買った。

 18:20頃、民宿まる富にたどり着いた。19:00、夜ご飯。セルフサービスで膳を取り、ご飯を盛った。

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 部屋の壁が薄く、隣のテレビの音が聞えた。抑制しているのがわかる音量だった。食堂で話し声が続いていた。抑制しているのがわかる話し声だった。テレビの音も話し声もその発生主たちは自分たちの音が他の部屋に届いていることをおそらく知らない。本人たちは静かにしていると思っている。雰囲気は合宿所である。宿泊しているのは工事関係者と旅行者だったが、高校生たちはいるのかいないのかわからないくらい静かだった。
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