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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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東北・太平洋沿岸部/アーカイブ5  三陸海岸を北へ!

5日目 2015年9月8日  気仙沼 大船渡 盛 釜石 宮古

気仙沼

 BRT(バス高速輸送システム)の南気仙沼駅は(旧)南気仙沼駅からかなり離れたところにあった。そこは気仙沼市内を走るバスの気仙沼市民病院前バス停と同じ場所だった。同じ場所にあるのだから同じ名前にすればいいと思うのだが、JRのBRTは原則として鉄道と同じ駅名で営業をしている。駅数(=バス停の数)を増やすこともしていない。つまりバスのくせに小回りが効いていない。駅を増やせば、速達性が落ちてしまうという側面はある。

 BRTの南気仙沼駅(=気仙沼市民病院前バス停)は民宿天心から徒歩で15分くらいである。そこからBRTで1駅先の気仙沼駅まで行って、7:36発の釜石行きBRTに乗ろうとすると、6:30頃に民宿天心を出なければならない。昨夜、朝ご飯を6:00にしてもらえないかと民宿天心の女将さんにやや無理なお願いをしてみた。乗り継ぎの事情などを話すと、7:00過ぎにご主人が気仙沼駅まで送ってくれることになった。女将さん、ご主人ともに宿泊客の都合を考慮しようという心使いにあふれた方たちでありがたかった。朝が楽になった。

 6:30に、自転車で旅をしている会社員と城の研究をしている大学院生といっしょにボリュームのある朝ご飯を食べた。おいしい朝ご飯付きで5,000円の民宿天心はかなりヒットだった。

 小雨のなか、会社員が自転車で旅立った。大学院生と私はご主人の車で民宿天心を出た。

 気仙沼7:30発のBRTで大学院生は石巻方面に向かい、私はすぐあとの盛(さかり)行きのBRTに乗った。

 気仙沼7:36発  大船渡8:53着

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大船渡

 気仙沼から盛までJRが走らせているBRT大船渡線は鉄道と同じ扱いである。青春18きっぷで乗ることはできるが、今日乗る予定になっているJRの路線はここだけである。青春18きっぷの最後の1日分(5日目)を使用しないで、840円でチケットを買った。

 JR大船渡線は東北本線一ノ関駅から大船渡市の盛駅までの路線である。線形が龍に似ているので、ドラゴンレール大船渡線と呼ばれている。線路が大きく湾曲して敷設されたのは、政治家がルートをねじ曲げたからだ。岩手県の原敬率いる立憲政友会も線路の湾曲には一役買っている。

 車窓はそれほど風光明媚ではない。東日本大震災による被災のため、気仙沼線と同じように、この路線も2つに分割されてしまった。鉄路が残っている一ノ関駅から気仙沼までは気動車が走っているが、気仙沼駅から盛駅まではBRTになった。

 気仙沼駅を出たBRTは山のなかに入り、広田湾の見えるところで海側を少し走った。次に海が見えたのは細浦駅だ。ここはもう大船渡市で、細浦駅は大船渡湾の出入り口にある。BRTはそこから大船渡湾に沿って北上した。

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 BRT気仙沼線に乗車しているときも感じたが、単線だった鉄道路線をバスが走るというのは思った以上に窮屈である。一般道路が余裕をもって作られているように感じたのは、狭くても歩道があるからかもしれない。

 BRT気仙沼線と同じように、BRT大船渡線もすべて鉄道線路跡を走るわけではなかった。ところどころで一般道を走り、適当なところで鉄道線路跡を走った。北海道の廃線跡によくあるようなサイクリング道路にするよりは有効であると思うが、今のところBRTをヒットというわけにはいかないように思う。

 BRT大船渡駅で降りた。旧駅の方向をドライバーが教えてくれた。

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 小雨が落ちてきた。工事をしている人に再度、確認した。旧大船渡駅舎の痕跡はなかったが、ホームらしきものはあった。駅前の方向はわかった。それだけである。これからここがどういうふうに変わっていくのか想像できなかった。

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 下の6枚は2011年6月29日の大船渡駅周辺である。上の3枚の写真と同じような場所である。

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 港に向かった。BRTの駅は工事現場の真ん中にあった。道路は工事現場のなかを通っているようなものだった。港周辺も工事中だった。作業員に許可をもらい港の工事現場のなかに入らせてもらった。

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 あの日、夕方まではまだ少し時間があった。そういう時間帯に大船渡に着いた。レンタカーのナビが役に立つのか立たないのかがわからなくなっていた。「次の信号を右に曲がってください」と指摘される場所に信号がなかった。こういう場合、ナビは役に立たない。一方、周辺の建物が流されてしまっている場所では、ナビの指示がなければ、どこまで真っすぐ走っていいのか見当がつかなかった。

 あの日、大船渡駅では瓦礫を取り除く工事をしていた。立ち入り禁止の案内はなく、規制をするテープはなかった。しかし駅前に立っていた現場監督風の男は煙草を吸いながら、一般道に立っているだけの私に向かって、駅に近づくなと言った。不必要にえらそうなヤツだった。


盛(大船渡)

 盛駅までを歩いてみることにした。

 大船渡市の中心である大船渡駅は、JR大船渡線と三陸鉄道南リアス線の乗り替え駅となる盛駅から南側に1つ目の駅である。三陸地方を北から南に移動する場合、釜石から三陸鉄道南リアス線でやってきて、盛駅でJR大船渡線に乗り替える。この列車接続がうまくいかないこともある。その上、JRの列車で1駅目の大船渡駅で下車し、次の列車で南に向かう場合、両駅での待ち時間が長くなる。南から北に移動する場合も同じである。乗り継ぎの問題を解決し、同時に大船渡の町を歩くには、両駅間を歩くのが手っ取り早い。

 列車がBRTに変わっても事情は同じである。そもそも大船渡の町歩きが、あまりおもしろくないことを承知している。大船渡駅周辺は工事中のところが多く、おもしろくなかった町歩きがますますおもしろくなくなっていた。

 BRTの軌道に並行している県道230号を北に向かって歩いた。

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 途中でBRTの専用道を跨いだ。

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 下の5枚は2006年11月29日の大船渡駅とその周辺。今日と似たようなルートを歩いた。

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 盛駅前にはJR盛駅と三陸鉄道盛駅が並んでいた。

 盛駅の周辺を歩いたことはなかったので、探索してみた。駅前を南北に走る県道230号を渡って少し歩くと、県道に沿った通りがある。ここがおそらく盛町商店街である。レトロであるといっていいのかどうかわからないが、地味な通りではある。店がないわけではないが、目立ったものはない。ここは毎月0と5の付く日に朝市が開かれる場所なのだが、8の付く今日は静かな佇まいを見せている。

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 その西側を南北に走っている通りは浜磯街道と呼ばれているらしい。国道45号のことで、なんと仙台から青森まで三陸海岸に沿っている道路である。浜磯通りというよりも、「三陸縦断道路」という命名が的を得ているだろう。

 三陸鉄道南リアス線盛駅の駅舎は、三陸鉄道スマイルいわて盛駅となっていた。

 三陸鉄道盛駅を「今夜くらべてみました/日本テレビ」。

 下の1枚は2015年9月8日の三陸鉄道スマイルいわて盛駅。

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 下の2枚は2011年6月30日の三陸鉄道盛駅。

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 下の1枚は1999年8月29日の三陸鉄道盛駅のホーム。

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 三陸鉄道スマイルいわて盛駅舎内のふれあい待合室は手作り感が満載である。駅名キーホルダー、きっと芽がでるせんべい、三鉄サイダー、恋し浜マドレーヌなどさまざまなものが売られていた。赤字せんべいのネーミングは秀逸である。旅人の思いが込められたふれあいノートが置かれていた。この駅では毎月のようにイベントをやっている。駅にもどったとき、レンタサイクルが無料、荷物預かりが無料であることを知った。無料のレンタサイクルは珍しくないが、無料の荷物預かりは他の駅にはない。

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 東日本大震災後の盛・吉浜間の運転再開は2013年4月3日である。吉浜・釜石間は、2014年4月5日に運転が再開された。津波の被害だけではなく、地震による被害もあった。盛駅も線路の取り換えなどをしたはずである。クウェートからの支援で3両の新造車両が登場したことを忘れてはならない。

 三陸地方への起点をどこにするか、いつも迷う。

 学生時代に八戸→久慈→八戸を旅した。
 1995年8月は、花巻→遠野→釜石→宮古→釜石→盛→大船渡→気仙沼→石巻を旅した。
 1999年8月は、小牛田→気仙沼→盛→釜石→宮古→盛岡を旅した。
 2006年11月は、花巻→釜石→大船渡→気仙沼→石巻→女川を旅した。

 入り口は気仙沼、釜石、宮古、久慈の4ヶ所あるが、気仙沼へのルートは気仙沼線と大船渡線のどちらかを選択することになる。


 三陸鉄道で釜石に向かう。

 盛11:00発  釜石11:51着

 三陸鉄道南リアス線の車窓は全体としてはつまらない。海岸線に沿って走らないからだ。手の平に例えると、指先まで指をなぞるように走るのではなく、指と指との付け根の短絡線を走る。集落や漁村は指の付け根にあり、海岸線が見えるのもそういう場所である。今日の濃灰色の空を映す太平洋に感動は期待できないが、例外がないわけではない。三陸鉄道は観光客のために景色のよいところで止まってくれた。頻繁に乗車する住民には迷惑な話だと思うが、地元のために我慢してくれている。乗客の80%ぐらいは観光客だと思われる。

 恋し浜駅で3分停車。写真を撮る機会をくれた。駅の下に集落があり、その向こうに太平洋が広がっていた。駅舎のなかには、ホタテ貝の絵馬掛けがぎっしり吊るされていた。もともとホタテは小石浜のブランドである。恋し浜駅は、小石浜という駅名を変更してできた駅名である。ここは恋人たちの聖地になっているらしい。10月17日には男女それぞれ20人を乗せて「いわてさんりく恋列車」が、盛駅→恋し浜駅→唐丹駅→盛駅で走るらしい。参加資格は男性が20歳以上45歳以下の未婚者、女性は20歳以上の未婚者となっている。男性の参加費用が6,000円なのに対し、女性は2,000円である。

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 吉浜駅を過ぎたところで列車はスピードを落とした。曇空だったので、きれいな風景とは言えなかったが、これも観光客のためにサービスである。

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釜石

 釜石駅の2つ手前が唐丹(とうに)駅である。唐丹駅を出て最初のトンネルを抜けたところの線路が津波でぐにゃりと曲げられ反り返っている写真を見たことがあった。下の2枚は2011年6月30日の唐丹駅とその周辺の様子である。

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 列車が釜石駅に入るとき、長い鉄橋を渡る。ゴツゴツした感じの鉄橋で、橋上市場がなくなったあとの釜石の象徴でもある。

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 三陸鉄道の釜石駅に着いた。隣にJR釜石駅があった。

 JR釜石駅は新しくなっていた。行く先々でこれほど駅舎が変わっている旅は今回が初めてである。この旅の最初の日から毎日どこかで新しくなった駅舎を見てきている。

 JR釜石駅の4枚の写真を「今夜くらべてみました」。

 下の1枚は今日、2015年9月8日のJR釜石駅である。黒い駅舎。

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 下の1枚は2011年6月29日のJR釜石駅である。青いシートと骨組みで覆われた駅舎。改修中である。

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 下の1枚は2006年11月29日のJR釜石駅である。白と薄緑の駅舎。

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 下の1枚は1999年8月30日のJR釜石駅である。白と薄緑の駅舎。

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 釜石駅の隣にある三陸鉄道(北リアス線)釜石駅は、駅という感じではなくなっていた。駅舎のなかにいた案内の人に、宮古へのバスの時刻を尋ねたとき駅舎の話になった。イオンが命名権を取得し、2015年4月から2016年3月まで「イオンタウン釜石駅」になったそうである。

 2枚しかなかった三陸鉄道釜石駅の写真も「今夜くらべてみました」。

 下の1枚は今日、2015年9月8日の三陸鉄道イオンタウン釜石駅である。

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 下の1枚は2011年6月29日の三陸鉄道釜石駅である。

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 釜石の町を歩いてみた。 

 駅を出て南西方向に少し進み、南リアス線の線路を潜ると、甲子川を渡る。花巻からJR釜石線でやってきた場合、釜石駅の3つ手前の洞泉駅ぐらいから、甲子川に沿った家並みが現れてくる。釜石に来たなと感じるのだが、釜石の中心はあくまで釜石駅から甲子川を越えたところから釜石港までの間である。ゴツゴツした鉄橋を渡る三陸鉄道南リアス線でやって来てもJR釜石線でやって来ても、釜石に入るときはそれとなく鉄の雰囲気が現れる。

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 釜石は男の町である。そういう感じがする。それは釜石が新日鉄の町であり、ラグビーの町であるからだろう。鉄橋のようにゴツゴツしているのだ。

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 甲子川から県道4号が港まで続いている。橋を渡ったところをまっすぐ釜石港のほうに進まないで、左手の一角に入ってみた。最初に釜石に来たのは1995年8月である。宿泊先の予約をしないで日が暮れてから釜石に入った。たまたま見つけた安宿に泊まった。宿泊費は2,000円台の後半だったと思う。5階建てくらいの細い建物で、工事関係者の飯場という感じのようなところだった。前々回に来たときも、その場所を探そうとした。そのとき見つからなかったのだから、今日見つかるはずがない。それでも妙に探してみたくなる。旅を重ねるとそういう歩き方をすることもある。

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 取り留めもない場所を歩いて何も発見できず、県道4号にもどった。

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 釜石港に向かう途中、復興商店街のような場所があった。釜石駅でもらった案内には、青葉公園商店街など4つの復興商店街があると記載されていたが、そのどれでもなかった。近くの商店主たちが独自で運営している場所なのかもしれない。青葉公園商店街はわりと近い場所にあったが、そこに行く時間はなかった。 

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 1999年8月にはホテルサンルート釜石に泊まった。このホテルが津波を被ったのは知っていた。その後のことが気になっていたが、修復され営業していた。ホテルサンルートの前は青葉通りとしてきれいに整理されていた。

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 さらに港のほうに近づいていく。左奥に遠目に見えていた小高い山が県道4号に近づいてきた。小山にある階段を登った。

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 2011年6月30日にも階段の上に立ち、東日本大震災から111日目の釜石を眺めた。この場所から撮影された津波の映像はテレビで何度となく放映された。津波を見て泣き出した女の子がいて、顔をそらせる女性がいた。そういう映像だった。

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 下の13枚は2011年6月30日に撮った釜石である。そのうち下7枚は前述の高台から撮った。

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 釜石の中心部も港の近くも復興しているとは言い難かった。女川や大船渡が有無を言わせぬ大型工事が進行していたのに対し、釜石に復興の槌音は響いていなかった。釜石の別の場所ではそれなりの工事が進行していたのだろうけれど。それとは別に、女川や大船渡で見たような大規模な区画整理と工事がよいことなのかどうかはわからない。

 どうやっても人口減少地帯を元にもどすことはできないだろう。それは東北・太平洋沿岸部の被災地だけの問題ではない。東日本大震災と津波は、政治による予算配分により現実を隠すために作用してきた過疎と高齢化の問題を浮き彫りにした。日本のどこにでもある問題が先駆的にあぶり出されてしまった。東北・太平洋沿岸部の固有の問題は、福島・浜通りの問題だけである。

 津波で多くの漁港が使えなくなったとき、宮城県知事が漁港を統合すると言っていたのに対し、岩手県知事は1つの漁港もつぶさないと宣言した。あれはどうなったのだろう。2日目に行った久之浜(福島県)の語り部さんは、漁港の統合の話をしていたけれど。

 下の12枚は2006年11月29日に撮った釜石の中心部である。釜石の見どころは、新日鉄、釜石大観音、呑兵衛横丁であるが、今回はそれらの場所には寄らなかった。

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 10年以上前、釜石の見どころの1位は、新日鉄でも釜石大観音でも呑兵衛横丁でもなかった。それは世界に2つしかなかった橋上市場である(もう1つはフィレンチェのヴェッキオ橋)。釜石の橋上市場は駅前に場所を移し、サン・フィッシュ釜石になっている。これについても「今夜くらべてみました」。

 下の1枚は2006年11月30日のサン・フィッシュ釜石。味も素っ気もなくなった。

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 下の3枚は1999年8月30日6:00頃の橋上市場と橋の袂の朝市。

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 下の1枚は1995年8月x日の橋上市場。

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 JR釜石駅にもどった。慌てて駅そばを食べ、駅前広場にあるバス乗り場に向かった。三陸鉄道釜石駅で尋ねたとき、バスは始発ではないので注意してくださいと言われていた。 

 釜石駅前にやってきたバスは道の駅やまだ行きである。がらがらのバスがやってくると思っていた。とんでもない。帰宅する高校生でバスはラッシュアワーである。全国のローカル線が満員になるのは高校生の通学時である。鉄道が走っていない太平洋沿岸部ではバスが彼らの餌食になっている。当然、定員の少ないバスは満員になる可能性が高い。生徒たちはハードな毎日を送っていた。

 40分ほど立ったまま乗っていた。景色を見る余裕はなかった。釜石を出たバスは大槌町に入った。

 釜石駅前  14:26発  道の駅やまだ15:14着 (岩手県北バス)
 道の駅やまだ15:38発  宮古駅前  16:41着 (岩手交通)

 バスは少し遅れて道の駅やまだに着いた。ここは山田町である。

 大槌町も山田町も東日本大震災で大きな被害を被った。4年半前レンタカーで2つの町を通ったとき、被災地を周っていることに面倒くささを感じていた。想像を越えたものを見てきたせいで、何かの感覚が麻痺していた。人がいない被災地の空気は埃っぽく、暑くなりそうな夏の予感だけがあった。

 10分ほど待ってやってきたのは、宮古駅前行きバスである。今日のラスト・ランである。

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どうなる三陸の鉄道

 釜石から宮古を経由して盛岡までJR山田線が走っている。本来は宮古まで列車で行けるのだが、東日本大震災は、釜石から宮古までの線路をずたずたにした。つまり山田線も、気仙沼線、大船渡線と同様に2分割されてしまった。しかし気仙沼線や大船渡線と異なるのは、山田線の被災区間をJRがそのままにしていることである。

 現在、釜石・宮古間は路線バスを2本乗り継いで行ける。前述した、釜石駅前→道の駅やまだ→宮古駅前のルートである。これはJR東日本の代行バスではない。だから青春18きっぷの適応範囲外となっている。

 JR東日本は釜石・宮古間を運休したままにしている、「運転を見合わせています」という言葉とともに。「○○駅で人身事故があったため、京浜東北線は現在、運転を見合わせております」といった駅のアナウンスを首都圏の鉄道利用者はかなり頻繁に聞いている。そのとき多くの人は、少し待てば運転は再開されるだろうと解釈している。地元が望んだかどうかは別にして、気仙沼線と大船渡線がBRTで運転再開するという仮の結論が下され実行されたのとは異なり、山田線は4年半の間「運転を見合わせている」のだ。

 東北・太平洋沿岸部の鉄道の状況をここでまとめておく。

1.常磐線(竜田~原ノ町/相馬~浜吉田)

 復旧させるのだろうが、線路のかさ上げや路線変更の際の用地買収などの目途が立っていない。

2.気仙沼線(柳津~気仙沼間)、大船渡線(気仙沼~盛)

 JRの路線としてBRTで運行している。公式的に、BRTは仮復旧という扱いである。地元にとっては鉄道の復旧が期待できるように玉虫色の決着をしたのだろう。気仙沼の民宿天心のご主人は、地元との話し合いが継続中であると言っていた。地元は鉄道を望んでいるが、線路は完全に取り外されており再び列車が走ることはないだろう。これは私見であるが、常識的に考えればそこに落ち着くだろう。

3.山田線(宮古~釜石)

 どうやら決着が付いているようである。山田線の復旧費用は210億円。そのうち原状回復費用140億円はJR東日本が負担する。地盤のかさ上げなどの費用70億円は自治体が負担する。さらにJR東日本は、車両の無償譲渡、軌道の強化、人的支援を行うなどの妥協をしたそうで、その後、三陸鉄道に譲渡される。地元の要望はおそらくJRの手による鉄道の復旧だったと思うが、それはかなえられなかった。しかし次善の策としてJR以外の経営主体(三陸鉄道)による鉄道の復旧は成し遂げられるということだ。

 これで三陸鉄道は久慈から盛までの線路でつながることになる。つまり北リアス線と南リアス線の間に、中リアス線が加わることになる。路線が一本化され、経営は効率化できるだろう。しかし赤字は続くだろうから岩手県の負担は増えると思われる。

 盛から久慈まで直通の列車が運転されるのは、旅人にとってはうれしい話である。

4.JRの動向と三陸鉄道

 ここから話は複雑になる。現在、BRTで運行されている気仙沼線(柳津~気仙沼間)と大船渡線(気仙沼~盛)の動向が今後クローズアップされるかもしれない。JR東日本は山田線(宮古~釜石)方式でケリをつけたいはずなのだ。つまり引き受け手を探し、BRTの2路線を切り離したいというのが本音だろう。引き受け手がなければ、当分はBRTを続けることになるだろう。

 あくまで仮の話であるが、BRT2路線を三陸鉄道に譲渡すれば、柳津から久慈までが三陸鉄道の線路となる。岩手県と宮城県にまたがるので現実的ではないが、もし実現すれば、京都を起点とした列車が運行されていた過去の山陰本線のイメージに近い長大ローカル線が誕生することになる。

5.岩泉線(全線)

 土砂崩れによる脱線事故により運休が続いていた。東日本大震災とは直接に関係ないが、震災後の2014年4月1日に廃線になった。


宮古

 JR宮古駅と三陸鉄道宮古駅が並んで駅前を形成していた。 

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 JR宮古駅の3枚の写真を「今夜くらべてみました」。

 下の1枚は今日、2015年9月8日のJR宮古駅である。

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 下の1枚は2011年6月30日のJR宮古駅である。

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 下の1枚は1999年8月30日のJR宮古駅である。

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 駅から徒歩3分のところにあるホテル宮古ヒルズにチェックインした。カプセルホテルとは少し異なるカプセルルームという形態になっていた。一般にカプセルホテルは、荷物を入れるロッカーはカプセルとは別の場所にあるが、ここはカプセルとともに、アコーデオンカーテンで仕切られた内側にあった。つまり疑似的な個室のなかにカプセルとロッカーがある作りになっていた。便利ではあったが、ロッカーのスペースがあまりに狭く、使い勝手がいいとは言えなかった。1泊、4,082円。

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 駅前をぶらぶら歩いた。町は広くない。レトロなよい町だった。

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 下の12枚は2011年6月30日の宮古の中心部である。2011年の東北・太平洋沿岸部への旅で宮古だけは撮った写真が異なる。田老地区を除いて、被災地にカメラを向けていない。町並みがおもしろかったからである。

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 下の2枚は1999年8月30日の浄土ヶ浜である。一般の観光客はこういうところに行くわけだが、まったくおもしろくなかった。

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 下の1枚は1995年8月x日の宮古港である。浄土ヶ浜に行くバスがなく、歩いたが、遠すぎた。宮古港を見ただけで、引き返してしまった。

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 この町の飲食店は目立たないが、数は多いようだ。駅前の蛇の目本店で刺身定食を食べた。

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