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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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東北・太平洋沿岸部/アーカイブ2  解除された避難指示解除準備区域を行く。

2日目 2015年9月5日  いわき 久之浜/浜風商店街 道の駅よつくら 楢葉町/天神岬 富岡町/富岡駅 久之浜被災地 

いわき

 6:00頃に目が覚めた。起きている人が何人もいた。復興関係の仕事をしている作業員たちだ。3階廊下の窓から、通りに停まっているバスが見えた。路線バスではない。周辺に分かれて宿泊している作業員たちを乗せて、作業現場に向かうのだろう。

 キュアいわき駅前店の朝ご飯は平凡なものだった。カプセルにもどってパソコンを開いた。ヤフーのトップニュースは楢葉町に関するものだった。

 「楢葉町・全域避難を解除…すぐに帰還1割未満、再生険しく」という見出しが付いていた。本文の一部を掲載しておく。

 政府の原子力災害対策本部(本部長・安倍晋三首相)は5日午前0時、東京電力福島第1原発事故で全域避難となった福島県楢葉町の避難指示を解除した。解除は田村市都路地区と川内村東部に続き3例目で、全域避難した県内7町村では初めて。国は今後、楢葉町を拠点に沿岸部に広がる避難指示区域の除染やインフラ整備を進める。一方、放射線への不安や病院などの生活基盤の不備などから、すぐに帰還する住民は約7300人のうち1割に満たないとみられ、町再生への道のりは険しい。・・・・(毎日新聞)

 昨日、いわき市石炭・化石館(ほるる)に入館し見学しようとしたとき、置かれていたパンフレット類のなかに「スタディツアー」(平成27年度復興・防災プログラム提供事業)というのを見つけた。JTB東北いわき支店いわき復興支援デスクが主催していた。4つのコースがあった。

 「久之浜/北コース」(7月に2回、8月に2回、9月に2回)
 「勿来/薄磯コース」(7月に2回、8月29日、9月に2回)
 「湯本/薄磯コース」(8月8日)
 「薄磯/日産見学コース」(8月21日)

 すべてのコースは無料だった。いわき市が費用を負担していると思われた。

 3つのコースに含まれている薄磯はいわき中心部の南東、小名浜の北に位置するエリアだ。ここには塩屋崎がある。ここも津波の被害が大きかった。下の1枚は1996年11月17日に撮影した塩屋崎である。

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 気になったのは「久之浜/北コース」だ。コースのなかには福島第一原発のある地域が含まれていた。

 6回実施される「久之浜/北コース」の5回目は明日(つまり今日)の実施となっていた。希望者は申し込み用紙に記入して送らなければならない。石炭・化石館(ほるる)内を見学するのを後回しにして、その場で電話を入れてみた。話し中でつながらなかった。16:00前から電話を入れ始め、9回目のコールでようやく通じた。

 明日(今日)の「久之浜/北コース」のスタディツアーの空きはもうないですよね?
 2日前に締め切っています
 そうですか、たった今 石炭・化石館でパンフレットを読んだばかりだったので
 遠くからいらしたのですか? 
 横浜からです
 いわきにお泊りですか?
 今夜、泊まります
 20名の申し込みがある(20名が定員なのかどうかわからない)のですが、なんとかしましょう
  
 遠方から来たことが伝わったようで、参加できることになった。飛び入りに近い参加に融通を効かせてもらった。感謝に堪えない。電話の受け付け終了時間は17:30までだった。電話が終わったときは16:20だった。

 集合場所は2ヶ所あった。いわき石炭・化石館といわき駅前である。
 

 朝ご飯を食べるのが早すぎた。いわき駅ビルのドトールでモーニングセットを注文した。

 10:30前、いわき駅前のミスタードーナッツの前にバスは停まっていた。申し込みをキャンセルした人がいるようだ。その人を待ったこともあって10分近く遅れてバスは発車した。

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久之浜/浜風商店街

 スタディツアーのバスはいわきの東北方向にある久之浜をめざした。バスのなかで「いわき市視察資料」が配られ、添乗員がいわき市の概要や東日本大震災の被害状況を説明してくれた。

 最初の目的地である浜風商店街に着いた。久之浜で流された商店主たちが、久之浜第一小学校の近くで立ち上げたプレハブの復興商店街である。店は数店舗しかなかった。元気なおばさんたちがそれぞれの商店を運営していた。スタディツアーの18人は暖かく迎えられた。

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 商店街のまんなかにある久ノ浜・大久地区復興対策協議会連絡所のなかに数百枚の写真が貼られてあった。撮影した人(IHさん)がたまたま買い物に来ていたので、写真を撮ったときの様子を語ってくれた。

 普通の地震だと思ったらしい。高さ3mというのが最初の津波警報だった。過去、久之浜を津波が襲ったことはなく、津波を見るためIHさんはカメラを持って堤防に行った。その後、津波が大きくなることが発表されたらしく、IHさんは家にもどろうとして堤防を離れた。その後ろに津波が迫ってきたらしい。堤防に残った人たちは津波にさらわれた。久之浜の津波の高さは6.9m。死者41人、被災人口1,338人である。

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 2011年7月29日にここに来た。郡山から小野新町に立ち寄り磐越東線でいわきに入った私は、いわきの中心部を歩いたあと、昨日下車した泉駅の1つ南にある植田駅まで常磐線に乗り、駅の近くでレンタカーを借りた。小名浜と湯本には寄らず、国道6号を車で北上した。途中、四ツ倉駅に立ち寄り、久之浜駅前にも車を止めた。

 久之浜駅に寄った理由は、常磐線が久之浜駅までしか運行されていなかったからである。駅舎のなかに貼られていた時刻表の、運行されていない部分には白紙があてがわれていて、久之浜駅から北に列車が走っていないことが示されていた。東日本大震災から140日目のことである。

 下の3枚は2011年7月29日に撮ったJR常磐線久之浜駅である。

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道の駅よつくら

 浜風商店街をあとにして、スタディツアーのバスは道の駅よつくらに向かった。そこで昼ご飯となった。今朝6:30頃、キュアいわき駅前店の平凡な朝ご飯を食べ、9:30頃、駅ビルのドトールでモーニングセットを食べていた私は昼ご飯を食べなかった。カフェで休憩していた。

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 下の2枚は2011年7月29日の四ツ倉駅で撮った。四ツ倉地区の津波の高さは7.6m、死者20人、被災者1,644人である。

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広野町

 スタディツアーのバスは国道6号を北に向かっている。次の目的地は楢葉町の天神岬である。冒頭に記したように、今朝のヤフーのトップニュースの町である。バスのなかでJTBのガイドがそのことを話してくれた。昨日までは避難指示解除準備区域内を走ったのだ。

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 右手に広野町の火力発電所が見えてきた。
 
 バスはふたば未来学園高等学校(2015年4月開校)の横を通った。グーグルマップではまだ広野町立広野中学校になっていた。

 福島第一原子力発電所の事故のために双葉郡の高校はサテライト校として福島県内各地に分散しているが、双葉郡8町村は復興を実現する鍵は人材育成にあると考えた。大賛成である。福島から人材を輩出してこその復興である。最悪の環境だからこそ優れた人材が出てくる可能性は今の福島にある。

 ふたば未来学園高等学校が、文部科学省指定のスーパー・グローバルハイスクールに指定されたのはよいことである。教育方針のなかで、英語での発表、海外研修、研究の国内外での発表などを取り入れているのは、方向としてまちがってはいない。

 しかしあまりにも派手にやりすぎていると少し前から思っていた。

 制服は、受験生が進学先を決める重要なアイテムである。学校経営上、制服のデザインをないがしろにするわけにはいかない。AKBのデザイナーによる制服の話題性はあったのだろうが、その制服の人気があるかどうかを知らない。

 生徒は秋元康が作詞した校歌を歌っている。論理的なアスリート為末大はスポーツ、社会、自己実現などについて合理的に語るだろう。潮田玲子はスポーツへの取り組み方をやさしく教えるだろう。障害者教育の説明をするのに乙武洋匡は最高の人物だろう。宇宙を語るのに山崎直子以上の人材を見つけることは困難である。そして予備校講師である林修こそは、現実的に大学入試を想定した際の筆頭教師にふさわしい。

 彼らをコーデイネイトしたのは復興政務次官の小泉進次郎である。

 ここまでやるのなら、古典芸能を学ぶために桂歌丸を招聘するべきだし、オフシーズンのイチローに来てもらわないと困る。2020年の東京オリンピックぐらいまでに東京電力から返却される可能性のあるJヴィレッジにやってくるサッカー日本代表による講演も可能である。

 堀江貴文にも授業をしてもらいたいと思うが、私の言いたいことはそういうことではない。このような有名人を揃えた学校の立ち上げをすることは過剰に演出的である。小泉進次郎の政治パフォーマンスとして効果を挙げたのだろうが、教育とは関係がない。

 おそらく「夢」人材を集めすぎたというべきだろう。夢は、人為的に育てるものではなく、生徒個人のなかで勝手に育つものである。

 日常の教育と授業を中心に考え、なおかつ教育効果の即効性を望むのなら、成功している私立中学校・高校のノウハウをそっくりそのまま持ってきて、新しい学校向けにアレンジするという方法がある。そこには具体的に生徒ひとりひとりに向かう手法が存在しているからだ。教育の目的には多くの側面があり、もっとも高尚な言い方をすると「人類の知的遺産の継承」となるが、そのことは生徒ひとりひとりにたいする教育効果とは何の関係もない。ひとりひとりの能力向上とその先にあるやりたいこと(夢)を実現させる力の養成は、1年間の授業のなかでじっくりと浸透させていくべきものである。そこに過剰な演出は必要ない。

 スタディツアーのバスは数秒でふたば未来学園高等学校の横を過ぎ去った。

 遠くから見えていた広野町の火力発電所は森に隠れて見えなくなった。

 スタディツアーのバスはJヴィレッジの横を通った。なかの施設を覗くことはできないが、看板を確認できた。

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 下の1枚は2011年7月29日に撮ったJヴィレッジの看板である。

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 このとき私はレンタカーでここまで来ていた。Jヴィレッジを少し過ぎたところに何台かの警察車両があった。それより北への車の通行は制限されていた。下の2枚は警察車両によって封鎖されていた国道6号。すぐ北側に東京電力の原子力発電所があった。

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 Jヴィレッジは1997年に開設されたスポーツ施設で、日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンターでもある。Jヴィレッジが東京電力に寄って建てられ、福島県に寄贈されたことはまったく知られていない。総工費130億円を供出したのが東京電力であることを考えると、電力会社の資金がいかに巨大なものであるかがわかる。

 どこかで書いたことを再度書いておく。原子力発電所1基を建設することによって仮に10億円が地元に還元されるとしよう。人口1,000人の町では1人当たり100万円が還元される。100人の村では村民1人当たり1,000万円が手に入ることになる。100人の村の村長は原発を誘致すればよい。村民1人ずつに1,000万円を配ったあと、総務省に廃村届けを提出すればよい。村民は1,000万円をポケットに入れ全国のどこかに散る。避難計画を策定しなくていい電力会社としては願ったりかなったりとなるだろう。

 
楢葉町/天神岬

 13:00頃、スタディツアーのバスは楢葉町を走っていた。冒頭に書いたように、今日から楢葉町に入ることができるようになったのだが、昨日までは避難指示解除準備区域だった場所である。

 天神岬に着いた。ここはスポーツ公園になっていてキャンプ場などがある。初めて来た場所である。北側にある原子力発電所は見えなかったが、南側にある広野町の火力発電所はよく見えた。

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 高台になっている天神岬は津波を被っていないが、南側にある海に面した平地は津波が侵入してきた場所である。平地に流れている木戸川を津波は遡っていった。

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 公園には望遠鏡が設置されていた。太平洋の冲のほうにかろうじて洋上風力発電の風車が見えた。原発事故の地は新エネルギー出発の地として成功するかどうかは誰にもわからない。それはまだ、今日の天候のように視界不良である。

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富岡町/富岡駅

 今日の楢葉町は車の数が多いとスタディツアーの添乗員は言っていた。避難指示解除準備区域が解除されたことのインパクトは大きかったのだ。

 しかし富岡町には異なる事情があった。車の数は少なくなった。家々は破壊されたままだった。

 2010年1月に三宅島(東京都)に行った。三宅島には火山ガスの濃度が高くなると警報が発令される。私の行ったときは立ち入り禁止区域があった。何人かの島民に尋ねた末、自己責任で入ればいいのではないかという言質を取り、禁止エリアを歩いてみた(警察や役場に質問して、入っては駄目だと言われた場合、入ることができなくなる。つまりあとで言い訳ができるようにしておいた)。随時巡回しているパトカーを避けながら(家の背後に身をひそめながら)立ち入り禁止区域を歩いてみた。禁止エリア内に住んでいる住民はもちろんいない。家々は廃墟化していた。富岡町はそこと同じような状況である。

 スタディツアーのバスは福島原子力発電所の西側を走ったあと北側に出たが、それはスマホのグーグルマップで確認できたことである。原子力発電所は恐るべきセキュリティに守られている。原子力発電所が車窓に現れたことは一度もなかった。

 富岡駅前は2011年3月11日のままだった。閖上(名取)、仙台空港、石巻、女川、南三陸、大船渡、気仙沼、釜石、宮古などを襲った津波の被害が続々とテレビに映し出されているなか、富岡駅の惨劇を知ることはできなかった。立ち入り禁止区域にカメラが入ることがなかったからである。私はこの駅の存在を今日まで知らなかった。瓦礫の撤去ができない状況が続いた富岡町はあの日のままである。

 2015年9月5日に私が見たものは止まった時間である。それはそのままそこにあった。

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 15:00に町を出てくださいという放送がどこかのスピーカーから流れてきた。それを聞いているのはツアー参加者だけだった。ここは居住制限区域なのだ。
 
 富岡町にもコンビニはあった。利用者は原子力発電所の関係者や除染作業者である。コンビニのアルバイトの時給はいわき市内より200円ほど高いらしい。


道の駅ならは

 スタディツアーのバスはトイレ休憩のため道の駅ならはに立ち寄った。そこはJヴィレッジのすぐ近くであり、震災後、警察車両が原子力発電所に向かう車を規制していた場所である。道の駅ならはは道の駅として機能していなかった。警察の拠点になっていた。

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久之浜被災地

 スタディツアーのバスは久之浜にもどった。最後の見学地である。

 午前中に訪ねた浜風商店街はJR久之浜駅の西200mの場所にある。そこは津波の直接の被災地ではない。久之浜の被災地は久之浜駅とその近くを走る国道6号の東側である。

 辺り一帯はつまり被災地域一帯は工事の真っ最中だった。住宅建築のための高台が構築されていた。

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 工事現場に建てられた櫓の上で語り部さんの話を聞いた。語り部さんの語る声はときどき聞えなかった。復興の工事の音がさえぎっていたからである。

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 久之浜港に移動したあとも同じ語り部さんから港周辺に関する話も聞いた。

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 久之浜の津波被害が特徴的であるのは火災が発生したからである。

 下の8枚の写真は2011年7月29日に撮った久之浜である。上述のように、現在の久之浜は住宅工事が進行している。

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いわき

 いわきはバブルの真っただ中にある

 スタディツアーの添乗員はそう言った。いわき市の被災者への復興住宅の建設はすでに終わっているそうである。それでも復興住宅は建設されている。それは、いわき市に移住しようと考えている周辺市町村の人たちの住宅である。 加えて、いわき市には工事関係者が全国から集結している。仕事は原子力発電所のなかにある。除染作業もまだ続いている。

 2015年4月10日の不動産投資新聞の一文を掲載しておく。

 地価公示の標準地において、2015年1月1日時点における価格上昇率トップ10は、次の通り、全て福島県いわき市内の住宅地が占めており、価格上昇率は対前年比で17・1%から11.3%となっております。

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 復興のためにイベントは福島県に優先的に割り当てられるのかどうかはわからない。駅には2016年8月の第3回WBSC・U15野球ワールドカップの幕があった。

 スタディツアーからもどったあと、小さい飲み屋が集中している一角を歩いた。中華料理店で天津飯と小籠包を食べた。

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 下の10枚は2011年7月29に撮ったいわき中心部の写真である。東日本大震災後であるが、いわき中心部は被害を受けていない。

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 下の7枚は2008年10月30日に撮ったいわき中心部の写真である。東日本大震災前の写真であるが、震災後の写真と大きな変化はない。

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(注意)
 津波の高さについては、いわき市の公式発表を(半ば)意図的に選択し、文中に記載したことを記しておく。津波の高さを調べようとすると、たとえば津波の高さ〈6.9m〉という記載と〈推定6.9m〉という記載が存在することを合わせて記しておく。
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