FC2ブログ

日本細見紀行 

日本各地の旅日記
2018年10月 ≪  123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫ 2018年12月
TOPスポンサー広告 ≫ 東北・太平洋沿岸部/アーカイブ1  常磐線、北へ。TOP福島 ≫ 東北・太平洋沿岸部/アーカイブ1  常磐線、北へ。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments(-) | Trackbacks(-)

東北・太平洋沿岸部/アーカイブ1  常磐線、北へ。

1日目 2015年9月4日  上野 大津港 平潟 泉 小名浜 湯本 いわき

東北・太平洋沿岸部へ

 7月21日に買った青春18きっぷの1日目を7月23日に使った。そのあと、どこかに行こうと漠然と思いながら放っておいた。

 7月23日から今日まで時間は、新幹線のぞみほどのスピードでは流れなかった。お盆が終わったからといって、甲子園でオコエ瑠偉が2塁ベースを蹴ったときのように、時間の流れが加速したわけではなかった。ときはわずかの揺らぎをみせながら、だらだらと流れていただけだった。そうこうしているうちに3塁ベース付近まで来てしまったのだから、残りの4日分の使い方を考えなくてはならない。期限は9月10日、つまり9月7日の朝にはJRのどこかの駅の改札を抜けていなければならない。

 天にある熱球は冷めたとお天気お姉さんは言っていたが、旅がしやすくなったわけではない。雨天は終わっていなかった。雨をかわしながら旅ができたらいいのに。

 この夏の雨天は東京オリンピックの空をも蔽っていた。新国立競技場の建設予算の問題とエンブレムのパクリ問題である。

 最低の予算で最高の旅を味わう手段である青春18きっぷの精神は新国立競技場建設問題には存在しなかった。最大予算の算出に関わった人たちには、低予算で最高の旅心地を味わえる可能性を秘めた青春18きっぷの魔力をこの旅日記で教えてあげよう。

 確信犯だということを視聴者に見抜かれてしまっているがゆえに反発を買っているデザイナーには下の2つの歌詞を示しておこう。名曲は相似形である。同じような言葉を使いながら生まれてきた2つの歌を似ているとは誰も言わない。それは同じ言葉を使って独立した別の世界を構築しているからである。

 ♪あ~日本のどこかに私を待ってる人がいる♪ いい日旅立ち/山口百恵
 ♪どこかで誰かがきっと待っていてくれる♪  出発(たびだち)の歌/上条恒彦

 雨天でなくても、いい日でなくても。“いくぜ東北”

 そろそろ行かねば、と思っていたのは、そう東北・太平洋沿岸部。

 旅は、旅をするということによってのみかろうじて内側から意味を与えられる。意味を与えるのはいつも旅人の、旅への思い入れであって、旅日記や旅行記はそういう個人の思い入れによって支えられている。そうでなければ旅は、ある地点から別の地点への移動の連続に過ぎない。多くの人が毎日仕方なくやっている通勤は、ミツバチの移動に劣る。それを知っているからこそ人はわざわざ個人的な理由をでっち上あげ、人知れず夜行バスに乗ったりするのだ。

 2011年3月11日以降、東北・太平洋沿岸部への旅は個人的なものではなくなった、と思っている。行かなくては、見ておかなくては、という共通の認識が旅の底部に埋め込まれた。だから東北沿岸部への旅は個人的ではなくなった。旅を支えているのは少なくない義務感である。

 もちろん東北・太平洋沿岸部に旅をしない人のほうがはるかに多い。この4年半の間に、多くの日本人は東北・太平洋沿岸部を旅していない。連日、神戸を訪れる中国人のほうが多いかもしれない。震災直後に大阪に住んでいる人と大阪で話をし、横浜に住んでいる私との意識の違いに驚いた。東京という名前の付いた電力会社の事故で、計画停電を強いられ放射能の心配もあった電力消費地の東京と800kmほど離れた大阪では東日本大震災の意味は著しくちがった。仕方がない。西日本にとって東北・太平洋沿岸部は韓国より遠かった。4年半の間、連発してきたJR東日本のお得なきっぷは、西日本には届いていなかった。せいぜい夜ご飯のふりかけ程度にしか日本人の胃袋に入っていなかった。

 マスコミ報道でもインターネットでも多くの情報は流された。さまざまな情報は飛び交った。情報を受信した側は、発信した側より多様なものになっていたのだろう。受け取るほうの実感には大きな差があった。深く揺れ動かされるものがなければ、人はわざわざ行動を起こさない。2015年8月においても生活保護世帯数の増加のニュースは日本が未だ不況を脱出できていないことを認識させる。震災下において人々は自らの生活の崩壊を食い止めるのに精一杯だったのだ。

 そんななかで、被災地では誰もが語っていた。

 忘れないでほしい 
 来てほしい

 唯一成功したのは、被災地北部への導線となったNHK連続テレビ小説「あまちゃん」への旅だった。男たちにとっては能年玲奈への旅だったかもしれない。しかしそれだけではない。「じぇじぇじぇ!」と恥ずかしげにつぶやきながら、トンネル続きの三陸鉄道の車窓に一瞬輝く青い太平洋を見るためにわざわざ出かけたのだ。旅人の心のなかには、あまちゃんオープニングテーマが流れていたことだろう。彼らこそが2011年3月11日以降で、東北・太平洋沿岸部を楽しんだ初めての旅人だったかもしれない。それは精神の底部に埋め込まれた深刻さと義務感をほんの少しだけ解放する旅だった。
 
 私は「あまちゃん」を3、4回ぐらいしか観ていないが、その辺りまでは行ってみようと思っている。

 青春18きっぷがなくても各駅停車の旅を選ぶだろう。ときおり車窓に映る幼少期の自分に会いたければ各駅停車の旅がいい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、横浜駅から東海道線に乗り、上野・東京ラインを経由して上野駅で乗り替えた。早朝、品川駅を発車する常磐線列車はあまりないようだ。

 上野 8:03発  土浦 9:10着

 土浦駅の一番ホームで駅そばを食べた。駅そばを食べたのはたぶん何年ぶりだろう。

 土浦 9:39発  水戸 10:28着
 水戸10:33発  大津港11:36着
 

大津港駅 平潟

 常磐線の大津港で下車した。天気予報でときどき登場する大津港の最寄り駅である。港なのか駅なのかわかりにくい。鹿児島本線の門司港駅も似たようなもので、廃線になった清水港線には清水港駅があった。

P9040003.jpg

 下の1枚は2011年7月30日の大津港駅である。斬新な駅になっていたが、建て替えられたのではなくリフォームである。

CIMG9722_20150915222758aaa.jpg

 この地域の主な観光地として五浦海岸六角堂や五浦岬公園があるが、おもしろい場所ではなかった。1996年11月27日に六角堂と五浦灯台を見たが、感動したわけではなかった。その六角堂は東日本大震災で流されたらしい。五浦岬公園には展望慰霊塔が建立された。

 大津港駅から大津港、つまり港に行ってもいいのだが、平潟港のほうがローカル色が強い。いや平潟港にはローカル色しかない。

 駅から平潟港までのバスは週3日(火曜、木曜、金曜)しかなかった。今日は金曜日なのでバスは運行されているが、1日6本しかない。次のバスは13:20発で、1時間40分ほど待たなければならない。

P9040038.jpg

 平潟港までの距離は2kmと少しなので歩いてみた。大津港駅から国道6号まで10分ほど、国道を北に10分ほど、平潟港入口交差点から平潟港のほうに下り道を10分ほど。
 
 平潟港は小さな入り江を取り囲むように旅館、民宿、食事処、漁師の家が集まっている港だ。20分もあれば周れる小さな集落である。

P9040007.jpg

P9040009.jpg

P9040010.jpg

P9040011.jpg

P9040013.jpg

P9040015.jpg

P9040016.jpg

P9040017.jpg

P9040018.jpg

P9040020.jpg

P9040021.jpg

P9040023.jpg

P9040025.jpg

P9040028.jpg

 2011年7月30日。東日本大震災から141日目に車でここに来た。入り江の周辺に活気はなく、ところどころで何かをしている人たちは何をしていいのかわからないようだった。私は港の端のほうに車を止め、隠れるように写真を撮った。

 下の2枚は2011年7月30日に撮影した平潟港

CIMG9746.jpg

CIMG9737.jpg

 被害は大津港のほうがひどかった。大津港の写真も載せておく。下の4枚は2011年7月30日に撮影した大津港。

CIMG9723.jpg

CIMG9725.jpg

CIMG9730.jpg

CIMG9728.jpg

 バスの発車時刻までまだ時間があった。大津港駅まで歩いた。

 大津港からJR常磐線に乗った。


泉 小名浜

 大津港13:17発  泉13:33着
 
 泉駅で降りた。駅舎は新しくなっていた。駅の周辺に飲食店は10軒ほどあった。駅前のバスターミナルでそれほど待つこともなく小名浜方面に行くバスはやってきた。バスは県道15号を東に向けて走った。

P9040042.jpg

P9040045.jpg

P9040051.jpg

P9040052.jpg

 小名浜駅(貨物駅)に一番近いバス停で降りたいとバスのドライバーに伝えた。小名浜案内所バス停が近いらしい。そこは一直線に続く小名浜銀座商店会を少し走ったところにあった。

P9040053.jpg

P9040055.jpg

 2008年10月31日。小名浜の町を適当に歩き、帰る間際になって、少し離れたところに怪しげな一角が見えた。おもしろそうな場所かもしれないと思いながら、バスに乗るためほんの少しの距離を歩かなかった。そこが小名浜ソープ街であることを友人Nさんのブログで知ったのは帰ったあとだった。

 もう一歩踏み込んでおけばよかったと思うことがある。疲れていたから、金がなかったから、時間がなかったから、怖かったから。行かない理由はほとんど自動的に発生してくる。

 兵庫県より東(北)側で、私が乗っていないJRの路線はJR東日本の岩泉線だけだった。いつか乗らねばならないと思っていたが、2010年の土砂崩れにより岩泉線は不通となった。翌年の東日本大震災はJR東日本にとっては渡りに船だったのかもしれない。沿線住民の大きな抵抗はなかったというより、沿線住民のほとんどいない路線だった。マスコミが三陸鉄道の復活に注目をしているなか、岩泉線は誰にも知られずひっそりと廃線になった。廃止セレモニーはなかった。昨日まであったものが明日もあるとは限らない。

 2015年、小名浜の怪しげなエリアは健在だった。東日本大震災に負けてはいなかったといっていい。客引きのおじさん、おばさんたちがあちこちにいた。通りには彼らが座る椅子がところどころに出されている。雨の日、寒い日にも困らないように専用小屋もあった。彼らはあちこちにいるので、黙って写真を撮るわけにはいかない。撮影許可を得ながら歩いた。写真を撮るのは自由だから、どうぞどうぞ撮ってください。そんな言葉を掛けられながら、歩いた。

P9040068.jpg

P9040072.jpg

P9040077.jpg

P9040079.jpg

P9040083.jpg

P9040084.jpg

P9040088.jpg

P9040089.jpg

P9040090.jpg
 
 海に向かって歩いてみた。海沿いには近づけなかった。そこは大規模な工事をやっていた。イオンのショッピングモールができるらしい。その奥には建設途中の海を渡る橋があった。

P9040094.jpg

P9040093.jpg

 工事をしている人に尋ねてみた。

 小名浜駅(貨物駅)はどの辺ですか?
 だいたいあの辺かな
 前に来たことがあるんですけど 何もなくなってますね
 津波でこの辺は全部流されたんだよ
 駅もですか
 駅も流された 線路は宮下のところで切れてる

 臨海部で残っているものは何もなかった。

 下の1枚は2008年10月31日の小名浜駅(貨物駅)。この駅が津波で流されてしまったわけだ。

DSCF0191.jpg

 1996年11月17日が小名浜に最初に来た日である。観光地に行くことに飽き始めていた頃だった。飾り気のない、そっけない港だと思った。小名浜港全景の写真も貼っておこう。

IMG_0005.jpg

 県道15号にもどった。小名浜からバスに乗って、いわき駅、あるいは湯本まで行ける。湯本駅の裏手から小名浜までバスに乗ったことがあったが、最初にやってきたのが泉駅にもどるバスだった。

 泉駅で常磐線に乗った。いわき側に1駅目の湯本駅で降りた。


湯本

 JR常磐線湯本駅は新しくなっていた。断水などのトラブルはあったが、海から10kmほどのところにあった湯本の町も湯本駅も津波の直接的被害は受けていない。駅が新しくなったのは別の理由だろう。

P9040104.jpg

P9040102.jpg

 下の1枚は2008年10月31日の湯本駅。この駅も建て替えられたわけではない。色の塗り直しを含むリフォームである。

DSCF0166.jpg

 駅前から北側に向けて延びる一番町商店会は整備された通りである。湯本が観光客にPRしたい通りのはずなのだろうが、通りの両側の家並みは歯抜け状態になっていた。歩いている人は少なかった。

P9040105.jpg

P9040107.jpg

P9040109.jpg

 通りを突き抜け、右手に曲がり鉄道線路を越え、国道6号に出た。北側に5、6分歩いたところに石炭・化石館ほるるがあった。入ったことはなかったのでずっと気になっていた。

P9040114.jpg

 化石館の恐竜が迫力満点であったのは予想外だった。日本での出土ではあるまいとよくよく見てみると、大迫力のマメンチザウルスという中生代ジュラ紀の恐竜の産地は中国だった。プリオサウルスという恐竜は産地ロシアとなっていた。産地アメリカというのもあった。いわきは恐竜の化石の産地ではなかった。

P9040121.jpg

 石炭を掘っているときに多くの化石が出た。博物館を設立したとき、石炭だけでは足りないと思ったのか、化石という別のコンセプトを加えたのかもしれない。市の北部の久ノ浜の西側にはいわき市アンモナイトセンターがあり、化石の発掘体験などが行われている。

 別に恐竜の化石を見たいから入館したのではなかった。見たかったのは石炭館のほうである。

 地下に降りるエレベーターに乗ったとき、600m降りるというアナウンスがされた。実際、エレベーターに乗っている時間はかなりあり、地下に降りていくという臨場感はあった。これは夕張市石炭博物館と同じ手法で(夕張のほうは地下1000mとなっている)、演出である。そんな地下深く降りるわけがない。

 実際に使われていたのを利用したのか展示用に新たに作ったのかはわからないが、見学用の坑道には、古い時代から現代まで石炭の掘り方が再現されていた。

P9040128.jpg

 いわきは常磐炭鉱の中心だった。映画「フラガール」(主演/蒼井優、松雪泰子)、ドラマ「フラガールと犬のチョコ」(主演/瀧本美織)を観たことがある。

 映画「フラガール」のロケ地はいわきと北茨城に点在している。

 下の写真は2011年7月30日に写した、北茨城にある映画「フラガール」のロケ地である。しかし本当にロケ地であるのかどうかは今もわかっていない。木の橋は2ヶ所あるらしいということが現地でわかったが、2つの橋を探すことはできなかった。とりあえず1つの橋のほうにだけ行って帰ってきた。

CIMG9608.jpg

 小名浜のバス停の近くにフラ・タヒティアンダンス・スクールがあった。全国の他の地域にはほとんどないダンススクールだ。ここはフラガールを生んだ場所だ。

P9040100.jpg

 映画「フラガール」のテーマソングは、「フラガール~虹を」である。

 ♪星の見えない夜には 
 ♪夢見るのさ 目を閉じて
 ♪名もないような花が 
 ♪いのちをふるわせて 咲いている

 ハワイアンの曲に歌詞を付けたのかと思ってこの曲を調べてみた。作詞・作曲はジェイク・シマブクロ、歌っているのは照屋実穂だ。

 ジェイク・シマブクロさんと照屋実穂さん。

 ジェイク・シマブクロは米国ハワイ州ホノルル出身の日系5世の音楽家である。2014年8月8日にミュージック・ステーションに出演したとき、傍らには日本語の通訳がいたそうである。一方、照屋実穂は東京出身だった。両者ともにそれ以上のルーツを調べることはできなかった。しかしシマブクロ、照屋は明らかにうちなんちゅの名前である。英語を母国語としている作詞・作曲家と標準語を話すであろう歌手によって歌われたこの曲が沖縄の歌であることを私は疑わない。この曲を聞いたあとの心のなかには、涙そうそうから受けたものと同じものが残っていることを感じる。


 国道6号を少し北に歩き鉄道線路を越え、町の中心にもどるように歩いた。上町通りを南に向かう。温泉通り、中央通りなどをぐるぐる周遊しながら歩いた。湯本はところどころにいい感じの古い建物がある。

P9040140.jpg

P9040141.jpg

P9040142.jpg

P9040143.jpg

P9040145.jpg

P9040148.jpg

P9040149.jpg

P9040151.jpg

P9040152.jpg

P9040155.jpg

P9040156.jpg

P9040161.jpg

P9040163.jpg
 
 下の7枚は2008年10月31日の湯本である。

DSCF0167.jpg

DSCF0169.jpg

DSCF0170_2015091600460392a.jpg

DSCF0178.jpg

DSCF0179.jpg

DSCF0171.jpg

DSCF0176.jpg

 湯本駅前の近くに変わったたいやき屋があったので買ってみた。みたらし、カスタードのたいやきである。

P9040165.jpg

 歩き始めたときにはいなかった犬が、駅に入る手前の椅子に座っていた。いわき市観光協会が飼っているらしいいわてのおもてなし看板犬ゆきちゃんというらしい。観光に動物が刈り出されることは珍しくなくなった。

P9040168.jpg


いわき

 湯本17:34発 いわき17:44着。

 JR常磐線の水戸駅より北は観光地としてはマイナーである。マイナーではあるが、地味ながら多くの観光地はある。その拠点であるいわきをわたしはけっこう好きである。

 1994年に平(たいら)駅はいわき駅に改名した。駅名に関する看板などの取り換えで1億3,000円かかったらしい。旧平駅は駅舎中央から外に出る階段があった。旧西鹿児島駅と同じような構造だったと思われるが、写真はなく記録だけなので当てにならない。

P9040173.jpg

 駅から3分のサウナ&カプセル・キュアいわき駅前店に入った。朝ご飯付きで3,780円。夜ご飯を食べるために外出した。小さい飲み屋街が集まっている場所でラーメンを食べた。

P9040176.jpg

P9040177.jpg

P9040179.jpg
スポンサーサイト

Comment

編集
みちのくの旅
出だしは重い雰囲気ですね
3.11皆さんそれぞれ思いがあると思います
小名浜は会社の関係で救援物資を持って車で行きました
小名浜は浜通りの中でも「ラテン系」で明るい土地柄と思います、そうでなければ
ハワイアンの発想は出て来ないでしょう
その小名浜が打ちひしがれた姿を覚えています
これからの展開に期待しています

追伸
諸事情あって全く出張出来なくなってしまいました
10月には再開したいですが、、、
2015年09月16日(Wed) 22:13
No title
編集
Maxさん。おひさしぶりでございます(笑)

東北・太平洋沿岸部の旅は、重苦しい雰囲気がもう少し続く予定です。2011年に回数を分け被災地を訪れたのですが、ここらでもう一度見ておこうと考え、今回出かけました。

小名浜はざっくばらんな感じですね。

出張を再開された暁には、行き先の情報をいろいろお聞かせください。
2015年09月17日(Thu) 02:32












非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。