7日目 2015年4月28日 平田 出雲
楽天トラベルで宿泊予約をする際、朝ご飯のリクエストを忘れてしまっていた。昨日、チェックインしたときに朝ご飯をお願いしておいた。朝ご飯は持田屋旅館から歩いて4分のところにある持田醤油店で食べることになる。
散歩がてらに持田醤油店まで歩いた。持田醤油店は木綿街道のなかにある。平田には古い町並みが残っており木綿街道と呼ばれている。あとで歩いてみよう。
店先ではなく奥の座敷に通された。部屋からは湯谷川が見えた。焼きおにぎり、しじみ汁、お漬物といった朝ご飯。




応対してくれたおばあさんが話し相手になってくれた。朝ご飯を食べに来る客と話すが楽しみなのかもしれない。映画「RAILWAY」の撮影秘話を聞かせてもらった。一畑電鉄は昨年、鉄道、不動産、ホテルなどすべての事業部門で黒字になったらしい。映画「縁(えにし)~THE BRIDE OF IZUMO」の佐々木希の話も。
持田屋旅館にもどった。朝ご飯がおいしかった旨を女将さんに伝えると、我が意を得たりという感じだった。朝ご飯を宿泊先以外で食べるのが流行っているのかどうかを知らないが、雨や雪の日もあるだろうに、380円の朝ご飯のために出かけることを推薦するのは自信があるからだ。平田には町全体として客をもてなす雰囲気を感じた。
9:30頃、チェックアウトした。廊下は歩くと軋んだ。建物は大正末期の建築で町屋風である。部屋はもちろん廊下、共用スペース、風呂場、トイレまで清掃は行き届いていた。日本家屋のたたずまいは見事に守られていた。宿泊者は持田屋旅館と女将さんの人柄を平田の町のイメージとして持って帰るだろう。私ももう一度来てみたい。
平田を歩いてみた。持田屋旅館の前の細い道を北に進むと、少し大きな通りに出る。左に進むと信号のある三つ角があり、そこから北に向けて歩いていく。2つ目の信号を進行方向に渡ると、右手に平田一式飾ほんまち展示館があった。10:00前だったので、まだ開いていなかった。平田一式飾とは、仏具、陶器、金物などの一式を自在に使い分けて何かを作っていく民俗芸術だ。作るものは何でもいいらしい。「アナと雪の女王」でも「それゆけ!アンパンマン」でも。そういう作品が平田天満宮奉納一式飾競技大会に出展されている。
平田大橋を渡ると木綿街道の入り口である。東側に歩いていくと、左側に来間屋生姜糖本舗があり、少し先の右手にさっきの持田醤油店がある。左手は持田醤油店の蔵になっている。手作り醤油の持田醤油店は朝ご飯もさることながら、しょうゆアイスクリームの有名店である。左手にあったのが酒持田本店だ。
持田屋旅館、持田醤油店、酒持田本店・・・もしかすると持田グループの町なのかもしれないと思い、しばらく表札を見ながら歩いていたが、その後、持田の名前は現れなかった(自宅にもどってから持田屋旅館と持田醤油店が親戚ではないことを知った)。200mも歩かないうちに角に突き当たったが、三つ角を左に曲がると木綿街道はもう少し続いていた。左に曲がったところから先が新町エリアで、そこまでが片原町エリアと呼ばれているようだ。



新町エリアも200mほどの短い通りだった。ナマコ壁があり、加藤醤油店があり、旧石橋酒造があり、本石橋邸があった。旧石橋酒造は250年前の建物で、国登録有形文化財である本石橋邸の向かい側には妻入り商家があった。建物へ出入りする場合、平入りと妻入りの2通りある。平入りは建物の平側(棟に対して直角方向)に出入口があり、妻入りは建物の妻側に出入口がある。京都には妻入りの出口が多い。出雲崎(新潟県)もそうだった。全国の街道筋に妻入り入り口は多いと思う。私の実家は鰻の寝床のようで、妻入りである。


旧石橋酒造と本石橋邸。石橋小路という細い道もある。片原町エリアが持田グループなら、新町エリアは石橋グループの町なのかもしれない。
火曜日の今日、木綿街道交流館は休館だった。

石橋小路の手前に油屋小路があった。入っていくと川に突き当たった。平田大橋の下を流れていた平田船川は、途中で方向を90度変えたらしい。平田舟遊覧船のりばがあったが、舟は土曜日と日曜日の決められた時間にしか動かないようだ。その予約ができるのは木綿街道交流館だ。


地図によると、平田には3本の川が流れている。最も大きなのは八岐大蛇(やまたのおろち)の伝説になった斐伊(ひい)川で、雲南市から旧出雲市を経て平田の南を流れ宍道湖に注いでいる(平田市は合併により現在は出雲市平田町となっている)。周辺には住宅もあるにはあるが、町の中心ではない。
平田の町並みは雲州平田駅の西北に広がっている。その中心を流れているのが、湯谷川と平田船川だ。2本の川はそれぞれ支流を作っている。平田舟遊覧船にはカバーがかぶせてあった。舟がどの川ルートを通るのか、木綿街道交流館が休館だったので尋ねることはできなかった。宍道湖に出るのかもしれない。


片原町を通り抜け、宮の町エリアに行ってみた。100mほどの町並みである。旧今市銀行跡、小村邸、長谷川摂子(児童文学者・・その名前を知らなかった)生家、道路に斜めに接した家屋もあった。神社、天満宮、稲荷があることから宮の町エリアというネーミングになったのだろう。
片原町エリアにもどり、木綿屋の前にあったCafeことんに入ってみた。木綿街道振興会が運営しているらしい。お洒落なカフェである。1時間半近くそこにいた。



一畑電鉄に乗ってどこかに行こうと決めていたが、どこに行くかを決めていなかった。雲州平田駅にもどってきた。


↑上の1枚は1998年5月撮影した雲州平田駅構内 その上の写真とほとんど同じアングル
2001年、一畑電鉄は古江駅をルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅に改名し、松江フォーゲルパーク駅を開業している。2002年に松江温泉駅を松江しんじ湖温泉駅に、大和紡前駅を出雲科学館パークタウン前駅に改名している。観光客を呼び込むためのイメージアップ戦略といっていいだろう。
ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅は、南阿蘇鉄道の南阿蘇水の生まれる里白水高原駅を抜いて日本一長い駅名になったが、肝心の美術館は2007年に閉館になってしまった。イングリッシュガーデンは残ったので、現在の駅名は松江イングリッシュガーデン前駅である。
一度決められた駅名は変わらない。そう思っている人は多いと思うが、数十年の単位で見れば、日本のいたるところで駅名変更は行われている。出雲市にある駅名変更についてもう1つ書いておこう。
1990年にJR大社線が廃止された。それによって出雲大社の最寄り駅である「大社駅」も廃止になった(昨日訪ねた保存駅舎である)。当時の出雲市長岩國哲人(いわくにてつんど)は、出雲大社の名を冠するJRの駅が無くなったことを懸念し、「神西(じんざい)駅」(出雲市駅の南西6.8kmのところにある駅)をJR「出雲大社口駅」に改名した。実行者はJR西日本である。そうすること自体はおかしくはない。
一畑電鉄には「出雲大社前駅」がある(昨日降りた駅である)。廃止されたJR「大社駅」より出雲大社に近い位置にあるのだが、それはまったく議論にならなかったようだ。推測であるが、観光地としての隠岐は遠いし石見銀山が世界遺産になっていなかった当時、島根県もJR西日本も賛成したのではないか。
出雲大社に近い駅であると勘違いした観光客がJR「出雲大社口駅」で下車することが続出した。しかし出雲大社までは遠い。改名された「出雲大社口駅」から出雲大社までのバス路線はなかった。タクシーも待機していなかったらしい。当然、多くのクレームが発生した。ところが、出雲市もJR西日本も有効な対応をしなかった。ただ改名しただけだったのだ。総務庁(現在の総務省)はJR西日本と出雲市にたいし改善を求める要望を出した。
結局、駅の所在地が出雲市だった関係で、1999年に「出雲神西(いずもじんざい)駅」と再改名をした。この駅は10年の間に「神西駅」→「出雲大社口駅」→「出雲神西駅」と変遷を遂げることになった。
この日記を書くために調べてみると、メリルリンチから政界入りし出雲市長になった岩國哲人氏は、その後衆議院議員に4回当選した。出雲市長時代、ショッピングセンター内の行政サービスを土日に行うなど新しい施策を次々と実践した人で、企業の手法を行政に導入した人でもある。本来はそういう業績のみで評価すべきなのだが、私は出雲市長当時のコメントをはっきりと覚えている。TBS「噂の東京マガジン」だったと思うが、確信は持てない。
「出雲大社口駅」が出雲大社に近いと(勝手に)判断してやってくるほうが悪い。調べてから来るべきだ。
そうその通り。私も調べてから行くべきだと思う。しかし出雲大社から9km離れたところにある交通手段のない駅を、あとからわざわざ「出雲大社口駅」とするのは明らかに恣意的である。岩國哲人氏は低い声で抑揚のない話し方をする人だった。テレビ朝日「朝まで生テレビ」に何度か出演していたが、好きにはなれなかった。
改名の費用負担はJR西日本が行った。駅舎の看板だけではない。両隣の駅を含めたホームの駅名案内板、各駅にある路線図、列車内の路線図、券売機の駅名、パンフレット類、内部資料などを含めるとかなりの費用負担になっただろう。1999年当時、1日平均乗車人員33人の駅が稼げる金額ではない。これ以降、JR西日本は駅の改名には慎重になったらしい。この出雲市長は国政への転身を図ったこともあり、駅名変更への責任はあやふやになった。
JR西日本の話をしていたのではなかった。今、私がいるのは一畑電鉄の雲州平田駅だ。
一畑電鉄は大手私鉄の中古電車を買い取り車両の更新をしている。地方の私鉄にとっては当たり前のことだ。第3セクターを除いて、すべての電車(・気動車)を自社発注している地方鉄道は静岡鉄道と遠州鉄道くらいではないだろうか(この記載にそれほど自信があるわけではない)。
一畑電鉄で走っている車両は、京王電鉄と南海電鉄の中古車両である。京王電鉄の車両が多かった。南海電鉄の車両は21000系である。小学生のときから私はこの電車によく乗っていた。南海高野線の河内長野(大阪府)・橋本(和歌山県)間が複線化される前は、難波駅発の急行電車のほとんどは終点の極楽橋(和歌山県高野町)駅まで乗り入れていた。極楽橋駅まで走る電車は平坦な河内平野を高速走行し、高野下(和歌山県)駅から極楽橋駅まで最高50‰の山岳区間に対応できる電車でズームカーと呼ばれていた。車両の長さが17mだったのは山のなかをうねるように走行しなければならないからで、20m車が標準になりかけていた当時の大手私鉄のなかでは極めて車長の短い車両だった。

南海電鉄の21000系は大井川鉄道にも譲渡されていた。

↑上の1枚は大井川鉄道(1997年9月撮影)
松江イングリッシュガーデン前駅、松江フォーゲルパーク駅に行くつもりはない。雲州平田駅の駅員に尋ねてみた。
宍道湖に最も近い駅はどこですか?
秋鹿町(あきかまち)駅です
鳥居のなかを走る場所がありますよね
高浜駅と遥堪(ようかん)駅の間です。高浜駅のほうが近いと思います
雲州平田駅12:45発の松江しんじ湖温泉駅行きの電車に乗った。園(その)駅辺りから宍道湖が見えてきたが、乗った電車が展望式の椅子の配置になっていたにもかかわらず、座席が宍道湖を見る方向に向いていなかった。昨日この区間を乗っていたにもかかわらず、忘れていた。一畑口駅は平坦地にもかかわらずスイッチバックのある駅だった。ここで電車は進行方向を変えた。展望式の席は宍道湖に向くようになった。

電車は園駅から宍道湖の北岸を走った。宍道湖をはさんだJR山陰本線と一畑電鉄の位置関係は、浜名湖をはさんだJR東海道本線と天竜浜名湖鉄道と似ていなくもない。
13:09に秋鹿町駅に着いた。駅前にコミュニティバスの乗り場があった。路線は北の日本海側に伸びており、松江市内、出雲市内への路線はなかった。駅の裏側が高台になっていた。集落の東に回り込んで高台に上がってみた。そこには寺があった。墓地の横から秋鹿駅と宍道湖が見渡せた。






旅を始めた4月22日から昨日まで快晴が続いていた。今朝も薄い陽があったが、正午前から曇ってきた。曇り空の下、宍道湖はぼんやりしていた。
電車に乗っているときと秋鹿駅の待ち時間でインターネットにつないでいた。映画「RAILWAYS」には雲州平田駅、川跡駅、一畑口駅、出雲大社前駅、伊野灘(いのなだ)駅が登場していた。伊野灘駅も宍道湖が見えるようだ。いや、そんなことはどうでもいい。このとき、ある重要なことを初めて知った。うかつだったというより、知って唖然とした。
「RAILWAYS」は「バタ電(一畑電車)」であると数年間思っていた。しかし映画「RAILWAYS」は2本存在した。

私が観たのはロケ地が一畑電鉄の「RAILWAYS 49歳で電車の運転手になった男の話」(2010年公開)だった。もう1本は「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」(2011年公開)である。そういえば、そんなサブタイトルが付いていた1本があった気がしないでもない。もう1本の「RAILWAYS」のロケ地は富山地方鉄道だった。
富山地鉄に乗ったことはあった。もちろん「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」を観ていないので、富山地鉄がどういうふうに扱われているのかはわからない。しかし映画とは何の関係もなく、富山地鉄の駅舎はその“ひなびた感”において、あるいはひなびた駅舎の数の多さにおいて、右に出る地方鉄道はないと思っていた。JR北海道の駅舎のように簡易に建てられた駅舎ではなく、建てられた当時のモダンな木造駅舎が多い。それがそのまま古くなっているからよいのだ。
しかし山と田舎を走る富山地鉄より、宍道湖に沿って走る一畑電鉄のほうがさらっとしたすがすがしさがあるだろう。・・・と書いてみたが、富山地鉄の場合、背景に立山連邦があると思い直した。それは圧倒的な風景だ。岳南鉄道や富士急行の背景に富士山があるよりいいかもしれない。
3本目の「RAILWAYS」があるとしたら、弘前鉄道がよいだろう。リンゴ畑と岩木山は絵になるだろう。路線は短いが、雪のなかを行く津軽鉄道のストーブ列車でもいい。
13:49の電鉄出雲市行きの電車に乗った。鳥居のなかを走る一畑電車を見るために高浜駅に行く時間はなくなっていた。終点の電鉄出雲市駅に着いたのは14:36だった。一畑電鉄はレール&サイクルをやっているのだが、昨日と今日で自転車を車内に持ち込んだ人を見なかった。

出雲市駅ビルに入ったところに観光案内所があった。まち歩きMAPをもらった。駅の北側の飲み屋街は4月22日に少し歩いた。地図によるとその北側にアーケードがあり、さらに北に八雲神社があった。時間の許す限りそこまで行ってみよう。
駅から北への道路を歩く。右手に鳥取銀行、和食の華満、山陽合同銀行を過ぎると右手にアーケードが見えた。中央の通りを左(西側)に渡ったところにもアーケードはあった。そちらのほうは短く、反対側まで見通すことができた。右側の商店街はダメな商店街だった。アーケードのなかを車が往来している。アーケード自体は古くはないにもかかわらず、シャッター商店街となっていた。アーケードができて日が浅いにもかかわらず商店街が衰退したので車を走らせるようにしたというのが私の推測である。



さらに北に向けて歩いた。狭い道を右に曲がった少し奥に、八雲神社があった。須佐之男命(すさのおのみこと)を祭ってあった。八雲神社の由緒(ゆいしょ)が記されていた。

須佐之男命は斐伊川(平田を流れていた)上流で奇稲田姫を助けるために八岐の大蛇を退治し、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得られた。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を
夜久毛多都伊豆毛夜幣賀岐都麻碁微爾夜幣賀岐都久流曾能夜幣賀岐袁(古事記)
やくもたついずもやえがきつまごみにやえがきつくるそのやえがきを(読み:ふりがな)
夜句茂多菟伊弩毛夜覇餓岐菟磨語昧爾夜覇餓枳都倶盧贈廼夜覇餓岐廻(日本書紀)
これは日本初の和歌とされている。八雲は出雲を象徴する言葉となった。

出雲市駅にもどったとき、空港行きのバスはすでにバスターミナルに入っていた。15:10にバスは発車し、15:35に出雲縁結び空港に着いた。
昼ご飯を食べていなかった。出発の16:35まで少し時間があったので、空港内のレストランで食べることにした。ここまでに出雲蕎麦を食べていない。出雲蕎麦がメニューにあるレストランの隣のレストランにスサノオラーメンがあった。少し迷った。ラーメンのほうにした。さっきの町歩きでみた八雲神社の須佐之男命が頭のなかに残っていたからである。深くこってりした味のラーメンだった。

2015年4月22日に始めた旅をここで終えよう。
温泉津はよかったが、石見銀山はぱっとしなかった。
境港は楽しい町だった。漫画「ゲゲゲの鬼太郎」を再読したい。
隠岐4島はあまりに時間がなく島旅を楽しんだとはいえない。矢那の舟小屋と摩天崖はよかったけれど。
松江には目新しさを感じる刺激的なことは何もなかったが、穏やかな感じのよい街だと思っている。
出雲大社は可もなく不可もなく、であるが、出雲歴史博物館に入ったのは正解だった。
平田は予想以上によかった。宿選びが功を奏した。
出雲の人はやさしく、おっとりとしている。全都道府県のなかでも際立っているように思う。
2015年初めての国内旅はよい旅となった。
スポンサーサイト
Comment
雲州平田駅は行った事があります、
仕事で行きましたが、残念ながら駅のコンビニに寄っただけで街並みは見ませんでした、良いところですね
今回の旅は満足の様で、読んでいても伝わってきます
またの紀行をお待ちしております
追伸
近々、札幌から旭川の移動で時間が取れそうなので、この紀行を参考に、映画(風待食堂のすず子)で気になっていた増毛に寄ろうと考えてます
平田、よい町でした。お時間があればぜひぜひ。
増毛もひなびた感がある、よい町です。ちょっと行きにくいところですが、こちらもおすすめです。
それにしても出張で全国に行かれているんですね。うらやましいです。
お疲れのところコメントありがとうございます
出雲蕎麦はまたの機会でお願いします
今回、大社前の出身の竹内まりやさんの話題が出てこなかったですね、
恐らく小生と同年代と思いますが、あの出雲大社門前町から、あのアメリカンポップスが生まれた事が凄いと思いませんか?
あの焼きおにぎり?の朝食は忘れられない様に思います
あんなのに会った事ないので、、、
とても美味しそうです
竹内まりやが出雲大社前出身だったとはぜんぜん知りませんでした。たしかにあの音楽と出雲大社は結びつかない・・というより、ぜんぜん違う場所にある感じです。
焼きおにぎりを外に食べにいかせるなんて、おいしいに決まっていると思っていました。実際その通りでした。
平田全体がゆったりと旅行者を受け入れる雰囲気がありました。
今週北海道の天気が良さそうなので、例の増毛行きにチャレンジして来ます
ポイントは前日の薄野の飲み会を早く終わらせるか、です
その後に広島行きの機会については西日本編に記させていただきました
お薦めあればご教示くださいませ
この時期の北海道の気候は最高ですよね。かなり観光化されてきたとはいえ、増毛駅周辺の茫洋とした感じは魅力です。
出張中では日帰りにならざるを得ませんね。私も3回行っていながら、全部日帰りです。駅近くにあるぼちぼちいこか増毛館には一度泊まってみたいと思っているのですが、実現していません。増毛館のオーナーは大阪の人で、「とほ宿ネットワーク」の元締めみたいな人らしいです。今はちょっとしたゲストハウスブームですが、その先駆けみたいな感じの宿です。
広島にも行かれるのですね。広島は20年ほど前に行ったぐらいで、宮島くらいしか記憶にありません。周辺の岩国、呉、竹原のほうが印象は強いです。
朝イチの留萌行きのバスにチャレンジしてみます
大阪から広島の移動では、鞆の浦と呉にチャレンジしてみます
宮島は一昨年行ったのでパス、
尾道も行きたいな...時をかける少女で...
尾道もいいですね。見どころは多いし、町自体が観光でやることを全部やっているという感じです。昔は渡船が数本あったはずですが、今でも残っています。大林信彦の作品を観ているのなら、ロケ地巡りの楽しさも出てきます。
行って参りました増毛
鄙びた、茫洋とした増毛
ではなくて、「甘えびと地酒祭り」のイベント中の真っ最中
地元民、なんと外国人(韓国、中国)、内地人の巴戦でしたので早々に旭川へ退散
仕方なく國稀をたっぷり堪能と頭が淋しい友人に増毛駅の入場券を購入しました
旭川は仕事で接待する側だったので、夜半まで活躍していました
新築の駅前イオンで最近テレビでやっていた奥尻島ワインをゲットして家の冷蔵庫で冷やしてます
売り子さんに「内地には無い」と言ったら
「テレビでやったのでとても売れている」そうです
増毛に「甘えびと地酒祭り」という祭りがあったとは。
國稀酒造、駅からちょっとのところにありましたよね。奥尻島には2014年1月に行ったのですが、奥尻島ワインは初耳です。酒三昧の北海道ですね(笑)
私が奥尻に行ったのは真冬です。あまりの寒さに、超ひなびた温泉に入って帰ってきただけです。
天気に恵まれ鞆の浦、尾道に行って参りました
昨夜、大阪ミナミで飲み過ぎ
出発時間が遅くなったので、二カ所で終了です
呉は後日
鞆の浦は、まだギリギリすれてない観光地で良かったです
尾道は、関東にはもちろんありませんが
と言うか、あの地形は奇跡の地形ですね
駅前が尾道水道ですので...
やたらお寺が多く、ねこが多く
凄いです
鞆の浦、尾道の旅、お疲れ様でした。充実した旅のご様子で、よかったです。
尾道は山の上からの眺めはいいですよね。私が最初に尾道に行ったのはずいぶん前で、記憶があいまいなのですが・・・、大林信彦の映画で、石田ひかりが自転車で登った坂(たしか山陽線の線路をまたぐ坂)付近で写真を撮っていたら、尋ねてもいないのに、そこの坂がロケ地だよと教えてもらった記憶があります。映画やドラマのロケ地巡りがまだ認知されていない頃のことです。
尾道は寺やら猫やら手形やら尾道文学賞やら、観光に関してはありとあらゆるものを駆使している感じです。