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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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久しぶりの山陰へ。石見銀山を歩いてみた。

1日目  2015年4月22日  羽田  出雲  大田  石見銀山  仁摩(にま)  温泉津(ゆのつ)

 4月末からJALマイルの有効期限切れが始まる。消滅していく前にマイルを使わないといけない。行き先を鳥取、島根方面に決めた。久しぶりの山陰である。額面10,000円の宿泊券を5,000円で購入できる「プレミアム宿泊券 とっとりで待っとるけん」の存在を販売日の1週間前に知ったが、ぐずぐずしていた私は購入の機会を逃した。販売開始後、5秒ぐらいでソールドアウトになったらしいので、どのみち手に入れることはできなかっただろう。

 羽田空港を7:25に出発したJL277便は8:40頃に出雲縁結び空港に着いた。

 あるものの呼び名として、通称を使ったほうがわかりやすいことがある。

 JR東日本管轄の路線に宇都宮線という線は存在しない。しかし東北本線の上野・宇都宮間を走る電車を宇都宮線と呼ぶのはわかりやすい。2015年3月に(最長区間として)熱海から黒磯まで行く列車が誕生したことは画期的だったが、東北本線のほとんどの列車は宇都宮止まりである。正式な線名は東北本線であって宇都宮線ではないけれど、東北の福島や仙台まで走る列車はないのだから、宇都宮線という呼び名は適切である。

 「北陸・長野新幹線」という名称を主張したのは長野県である。長野までしか開通していなかったとき使われていた「長野新幹線」という通称は使いやすかった。終点が長野である新幹線に「北陸新幹線」という名称はわかりにくい。「長野新幹線」は、「北陸新幹線」が部分開業したことによる仮の通称に過ぎないのだが、「長野新幹線」という名称にしてほしいという長野側の要望がなくても定着したのではないだろうか。しかし2015年3月の「北陸新幹線」の金沢延伸にあたっては、「北陸・長野新幹線」にしてくれという要望は延伸1日目にして黙殺されたと言っていい。マスコミは「北陸新幹線」という言葉で統一されていた。通称は使いやすくなくてはいけない。

 出雲空港の愛称が出雲縁結び空港に決定したのは、2013年4月14日である。こちらは通称ではなく、愛称らしい。調べてみると、通称は、「正式ではないが世間一般で呼ばれている名称」で、愛称は「親しみを込めて呼ぶ名」とあった。つまり通称のほうはパブリック的であるのはもちろんであるが、やや事務的なニュアンスがある。愛称のほうはパブリック性を保ちつつ、そこにラブリーさを加えた感じと言っていいだろう。しかし名前が長くなりすぎている。長い名前を呼ぶのは面倒くさい。だから愛称としての資格がない。愛称のファクターの1つとして、呼びやすさを加えるべきだろう。成田国際空港を成田、羽田国際空港を羽田というように、できるだけ短く呼びたいのが利用者の常である。米子鬼太郎空港でも話は同じである。2009年にテレビ放映が終了したゲゲゲの鬼太郎(第5シリーズ)から6年経っている。今後第6シリーズが放映でもされない限り、愛称として定着するのはさらに難しくなるだろう。

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 出雲縁結び空港を9:00に発車するはずの空港連絡バスは8分遅れて発車した。行き先はJR出雲市駅である。バスはさして変わりばえのしない景色のなかを走った。車窓に古い街並みを見つけることはできなかった。JR出雲市駅の手前に一畑電鉄の電鉄出雲市駅があった。バスを降りる直前、右手に飲み屋らしい一角が見えた。5分でその辺りを抜けるつもりで路地に入っていった。飲み屋街が続いていた。かなり奥が深そうだ。少しずつ奥に引き込まれていく。列車の発車時刻ぎりぎりまで駅前周辺を歩いてみた。残り時間が少なくなっていく。あと5分というところで引き返したが、大体を見ることはできた。あわただしい。

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 切符を買い(580円)、あわててホームに駆け上がった。列車はすでにホームに入っていた。乗ったのは気動車だった。つまり電気の架線を必要としない列車である。JR出雲市駅は電化されていて架線が張り巡らされているにもかかわらず。これから向かう大田側ではなく、反対方向の米子、鳥取側は電車が走っているということだろうか。あるいは特急列車だけが電車であるということなのだろうか。

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 列車はアクアライナーという快足列車で途中の駅をしばしば黙殺した。大田市が近づくと右手に日本海が見えた。かって山陰の旅の魅力は日本海の旅の魅力だった。山陰には3度来ている。1度目は学生のときだ。京都から普通列車で下関まで行った。2度目(1998年5月)は横浜から京都経由で山陰の海岸線を車で走り、門司まで行った。3度目(1999年5月)は鳥取から中国山地のなかに入り、山地の中央部を列車で広島まで抜けた。このときは2,200kmの長距離片道切符を使った。山陰には若狭方面から入った。駅で長距離片道切符を作ってもらうだけで1時間を要した。

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 昔、山陰の起点は京都だった。今は岡山や広島から日本海に抜けるルートが主流になっていて、京都、兵庫を経由して長くつながっている日本海の線路を旅する人はいなくなった。だから山陰の旅が日本海の旅だと言ったところで同意を得るのは難しくなっている。

 もっとも車窓の日本海は見えたり隠れたりを繰り返す。

 羽根駅辺りの海に奇岩があった。背の高い岩が屹立していた。写真に撮ることはできなかったが、あとで調べてみた。掛戸松島というらしい。

 太田駅で降りたのは10:14。ここまで予定通りである。大田市の観光案内所が駅舎内にあった。石見銀山のパンフレットをもらい、バスの時刻と降りる場所を教えてもらった。

 10:22のバスがあったが、10:00台だけは2本の発車本数となっていたので、次の10:52に乗ることにした。空いた時間で駅周辺を歩いてみた。

 駅前に商店はほとんどない。だから繁華街もない。市という雰囲気ではない。

 駅前の小さな広場から駅と直角に走っている通りを突き当りまで歩いてみた。商店はまばらにあったが、みな地味な感じだった。古い町並みはなかったが、全体としてゆるやかな崩れ感はあった。いやむしろ地味に持ちこたえているといったほうがいいかもしれない。

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 1kmほど歩くと、通りに突き当たった。そこから新しい町並みが広がるかもしれないとも思ったが、どうやらそういう風ではないらしい。別の道を通りながら駅にもどろうとしたが、迷いそうになったので、元の道にもどった。

 駅にもどるとすぐに石見銀山・世界遺産センター行きのバスがやってきた。乗ったのは3人だった。バスはさっき歩いたところを通った。駅までもどる必要はなく、石見銀山行きのバスの通るバス停で待っていればよかったわけだ。

 市内を抜けたバスはだんだん山のなかに入っていった。しかし高い山はなく深い谷もなかった。車窓は中伊豆と似ていた。

 30分ほどで大森代官所跡バス停に着いた。そこで降りずに2つ先の大森バス停で降りることにした。ここから大森代官所跡までの間が大森町の町並み地区で、その反対側が銀山地区だ。真ん中にあるのが石見銀山公園である。石見銀山には600を超える間歩(坑道)があるらしい。そこを歩いてみる。道路は車道と遊歩道に分かれており、どちらを歩いてもよい。車道は車がときどき通るぐらいで、歩いていてもとくに問題はない。どちらの道路にも併走している小川のせせらぎが聞こえた。

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 最初に見えたのが大森小学校だった。うつくしい木造の校舎で、隣に保育園を併設していた。水曜日のお昼では先生も生徒も学校にいるはずだ。校内の見学が許可されるかどうかはわからなかったが、校舎の玄関先に立って人を呼んでみた。誰も出てこなかった。

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 道から少し入ったところに豊栄神社があったが、隣の極楽寺はかなり奥のほうにありそうだった。途中、土産物屋、工房、カフェがあった。

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 さらに奥のほうに進み川を渡り清水谷精錬所跡に向かった。精錬所跡というより、石垣で組まれた段々畑あるいは棚田といったほうが、実物を表しているかもしれない。

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 歩き始めてから道はゆるやかな上り坂になっていて、その奥のほう、つまり上のほうに龍源寺間歩がある。ここまで1時間ほどかかった。

 入場券を買って間歩に入った。入り口の高さは1.8m、横幅1.5mで、坑道のなかはそれより広いところもあれば、狭いところもある。注意して歩かないと頭を打ちそうである。はっきり書くと、龍源寺間歩はただの狭い隧道である。佐渡の金山のような見世物としての仕掛け、あるいは夕張炭鉱のような大掛かりな設備があればおもしろいのだが、龍源寺間歩はところどころにひおい坑や堅坑などの小さな穴があるだけである。出口の新坑道にあった「石見銀山絵第二巻」の説明を読めば、湧水の汲み出し方法や通風のことなどなるほどと思えることはあったが、おもしろさはなかった。

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 帰りは歩くだけだ。40分ほどで石見銀山公園に着いた。休憩所で少し休んだ。

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 ここから大森町を歩いてみた。いわゆる古い町並みである。中山道の、木曽エリアの宿の雰囲気がある。金森家、三宅家、阿部家、柳原家、旧川島家、青山家、熊谷家などの立派な家が残っているが、なかに入れるのは2軒程度であるようだ。観世音寺はちょっとした高台になっているので大森町を少しだけ高い位置から見渡すことができた。

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 ゆるい曲線を描いている通りが2,3か所ある。街道が曲線である場合、大名行列をうつくしく見せるためだという説がある。江戸は100万人の都市であったが、そのとき石見の人口は20万人だといわれている。この街道の曲線もそういう意図があったのかもしれない。

 お食事どころおおもりで、代官そばを食べた。腰が強いそばは歯ごたえがありうまかったが、量が足りなかった。そのあと近くのカフェでエスプレッソ。

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 代官所前広場でバスを待っているとき、観光案内所の人と話をした。

 今日の観光客の数は多からず少なからずといったところだった。5月の連休は人の出がすさまじいらしい。仁万駅からはシャトルバスが出る。駐車場は満車となり、畑や一般の駐車場にも車を止める不届き者がいるようだ。地元の人も連休の混雑については対処できないらしい。ただゴミで汚くなることはないと言う。昭和の終わりぐらいから、大森町の町並みの見学者は多かったが、世界遺産に登録されてからは、間歩のほうを見に来る人が増えたということだ。

 はっきり言うと、間歩はつまらない。大森町の町並みのほうが見ごたえがあった。

 バスで山陰本線の仁万駅に向かった。このルートは大田市駅内にあった観光案内所であらかじめ確認してあった。もっとも観光案内所の人は、石見銀山から温泉津駅行きのバスはなく仁万駅行きのバスも1日5本しかないので、温泉津に行きたければ、大田市駅にもどってからJRに乗ったほうがいいと言っていた。しかしそれではかなり遠回りになってしまう。1日5本のバスの4本目の16:10発のバスに乗った。

 仁摩(にま)というのが街の名称であるが、JRの駅名は仁万(にま)である。どうしてこのようになったのだろう(疲れていて調べる気力がしない)。

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 石見銀山から温泉津までは温泉津沖泊道といって産出した銀が日本各地に運ばれていった道でもある。龍源寺間歩から石見銀山公園や大森町のほうにもどらないで、さらに奥に進んでいくと、日本海に出る。その日本海側に面した町が温泉津なのだ。途中400m~600mの山のふもとを抜けて行くが、道自体の標高はほとんど200m以下だった。この歴史的街道に今バス路線はない。

 20分ほど乗って仁万駅に着いた。次の列車まで30分ほどの待ち時間があったので、駅周辺を歩いてみた。駅前に小さい広場があるが、商店街はない田舎の駅だった。駅から8分ほどのところにサンド・ミュージアムがあった。斬新な建築物だった。入館時刻は過ぎていたし、もともと入館する時間もなかったが、こんな場所にこんな巨大な博物館を建てても誰も来ないのではないかと思わせる建物だった。

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 16:56発の浜田方面行きの列車に乗った。200円の運賃で行ける3つ目の駅が温泉津駅だ。

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 石見銀山が世界遺産に登録される前から温泉津を知っていた、古い町並みとして。もっとも温泉津もまた世界遺産に登録されている。

 温泉津駅を降りた。まだ陽はあるので周ることができた。駅前の通りを西に300mほど歩いた。道の両側に家が立ち並んでいるが、とくに古い町並みというわけではない。家々のなかには商店も交じっているが商店街は形成されていない。そのなかに才一の湯という温泉場があった。

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 突き当たったところを右に折れたとき、若林酒造というレトロな造り酒屋の建物があった。少し行ったところで海に出た。なぜか野口雨情の碑があり、その近くにゆうゆう館という建物があった。大田市の観光協会の支部が入っているらしいが、今日はもう閉館になっていた。目の前には小舟だけしかない漁港があった。

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 そこから東に進む一本道が温泉津温泉の町並みだ。最初にあったのは数軒のなまこ壁。さらに奥に進んでいく。生活雑貨などの店もあるが、煎餅や饅頭の店が意外に多い。旅館も数多くある。奥のほうに泉薬湯温泉津温泉元湯、薬師湯が隣接していた。温泉堂薬局前田という薬局もあった。完全な温泉街だ。かなりレトロである。

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 そこを突き抜けると道は山のなかに入ってゆく。元の道をもどった場合、17:44の列車には間に合わないだろう。地図を信じて、さらに山の上のほうに向かい、トンネルを降りることにした。歩道がないトンネルだったが、車は通らなかった。間に合わなければ仕方がないと思いながらも速足で歩き、発車2分前、温泉津駅近くの郵便局の前に出た。電車がホームにすべりこんだすぐあとに無人の改札を抜けてホームに上がった。

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 乗った列車は出雲市駅止まりだった。出雲市駅のホームに東京行きのサンライズ出雲が入線していた。

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 乗り替えた列車のなかで寝てしまった。

 20:23、米子駅着。駅前のホテルビジネスインよなごにチェックインした。トイレとシャワーは別で1泊2日2,700円。すぐに近くに、以前泊まったホテル・フロンティアがあった。

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 外出し、鳥取カレーのポスターが貼ってあったカレー専門店に入ってみた。タンドリーチキン、白ねぎ・・・どこが鳥取カレーなのかと尋ねてみた。鳥取のなしを使用するらしいのだが、そのシーズンは終わっているので、今日はその代わりにブロッコリーを使ったと回答された。鳥取カレーである理由がわからなかった。 

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Comment

編集
いつも楽しく読ませて頂いております
出雲は仕事で行く所ですが、小生の行く所とは全然違う所ですね
羨ましいです
記憶に残っている出雲は、時間潰しで空港のそばの美味しい蕎麦屋さん、食事後に行った荒神谷遺跡、女子社員にお土産で買った出雲大社の御守りが大ウケした事か、、、
2015年05月02日(Sat) 06:24
No title
編集
Maxさん。
いつも楽しくお読みいただき、ありがとうございます。

出雲には仕事で行かれるんですね。
私はひさしぶりでした。松江や出雲大社に行ったことはあったのですが、石見銀山は初めてでした。銀山とは少し離れたところにある温泉津はひなびた感じでよいところでした。
2015年05月03日(Sun) 15:27












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