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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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抜海駅に行ってみた!

5日目  2014年6月24日  稚内

 5:00、目覚ましで起きる。歯をみがかないまま、日本・コロンビア戦を観る。

 8人替えのコロンビア、つまり1.5軍の相手に攻め込んでいるが、決定打がでない。岡崎らしい得点で、後半に期待を持たせてくれたが、その後半に2点目を献上したのが痛かった。

 後半、吉田をあれだけ前にいかせると、守りは薄くなる。カウンターは仕方がない。

 問題は、吉田を前に配置するという作戦だ。ザッケローニは高さを捨て、パスワークで勝負をするという作戦だったはずだ。千歳空港から札幌に移動中だったので観ることはできなかったが、ギリシャ戦の終盤もクロスを入れさせたという。しかも、交代枠を残したままだ。そうだとしたら、そういう要員を、つまり高さのあるFWを招集しておくべきなのだ。コートジボアールのドログバ投入で最初の歯車が狂ったのだとしたら、2番目に歯車が狂ったのはギリシャ戦の後半ではないだろうか。2番目の歯車は自分たちの問題である。

 イタリア人はW杯メンバー決定時のコンセプトを徹底できなかった。終盤での清武の投入は、清武への敬意と感謝の意の現れだろうが、狂っている。清武投入は吉田を前線にあげる前にしておかなくてはいけないことだった。

 余談であるが、バルセロナとスペイン代表のFWが背の高いプレーヤーであったとき、なぜかうまくいかない。バルセロナのイブラヒモビッチ、スペイン代表のジエゴ・コスタとフェルナンド・トーレス。きっとシャビやイニエスタは背の高いやつが嫌いで、ビジャが好きなのだろう。だからビジャを放出した今年は、アルゼンチンの暴れん坊にリーガを制された。そしてW杯予選リーグの第2戦目で無敵艦隊は大西洋の藻屑と消えたのだ。

 もっともサポーターがあきれるくらい何度も招集したハーフナー・マイクの元にボールが収まらない現実をみれば、イタリア人の出した結論は、間違ってはいない。しかしその答えは、半年前に出ていたはずなのだ。それをさも、W杯直前でそう決めたようにいうのが遅すぎる。

 半年前に、高さをあきらめる結論を出していたのなら、別の方法があった。例えば、乾の招集である。

 ワントップはともかく、2列目を左から、乾、香川、岡崎で並べた場合、全員、ペナルティエリアに侵入できる。高さはまったくないが、パスサッカーを貫くのなら、パスサッカーを貫ける布陣を実現すべきだ。

 本田のペナルティエリアへの侵入はアジアカップで終わっている。いやアジア相手だから、できたのだ。ミランのセントラルミッドフィルダーの位置で使えず、サイドもほとんど無理だ。理由はスピードのなさだ。それでも代表で本田を出場させるのなら、ボランチへのコンバートという手が半年前ならできたはずだ。

 ハロウィンの頃、チェスカで1試合、本田はボランチとして活躍した。日本のフル代表に3-4-3などという突飛な作戦は必要ない(Jリーグでの3-4-3は事実上の5バックだ)。最初から、それをやっている日本代表アンダー17のチームとはちがう。そんなことに貴重な時間を使うのなら4-2-3-1の枠内で、メンバーをチェンジさせ、シミュレーションを行い、経験を積ませるべきだった。その過程のなかで、本田のボランチは十分に可能性があった。南アフリカ大会終了後のテーマの1つであった遠藤の後継者問題はそれで解決しているはずである。

 ミランとチェスカがほぼ同時に明確なアドバイスを出していたのだ。阿呆なマスコミはもてはやしたが、ミランは移籍金を払って本田を採ったのではなく、契約切れの本田を採ったのだ。ミランは10番の提供(実質タダである)と派手な記者会見のコストを払っただけだ。

 セントラルミッドフィルダーが前に侵入できないサッカーでのポゼッションには限界がある。

 モウリーニョはグループCの予選突破をコロンビアとギリシャであると予想していた。モウリーニョはレアルマドリードの監督のとき、エジルの控えという条件で香川を誘ったことがある(香川は「控え」を不服としてマンチェスターユナイテッドを選んだ)。またインテルの監督時代に、チェスカの本田対策をやった監督である。私の知る限り、予想が当たったのは彼だけである。

 さようならイタリア人。

 民宿みんとの、隣りの部屋の人が5:00に起きたはずだ。そういう物音がした。また前半終了と同時にトイレにいった人がいた。私はその時間で歯磨きをした。W杯はきっと多くの旅人の、旅のスケジュールに食い込み、敗戦は旅人の心にやりきれぬ思いを残していった。

 試合が終わり、1時間ほど寝た。

 起きたとき、少し暑かった。

 外は晴れている。日本のサッカーは終わったが、旅は途中だ。

 10:00前に外出する。稚内駅前付近まで歩き、北洋銀行、郵便局、国際フェリーターミナル、稚内フェリーターミナルで所用を済ませる。

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 稚内駅は劇的に変わっていた。宗谷本線の列車本数を考えると、想像できない大きさになっていた。そこはバスターミナル、道の駅、観光案内所、ショップ、シネマ、カフェが入る総合施設になっていた。2012年に新設したそうだ。「足掛け3年」観光案内所の人が言っていた。サッカーの近代化はできなくても、ハードの近代化はすぐにできる。そこでは金額に応じた分の、最新のデザインや機能が集中投入される。

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 街にレトロは残っている。駅周辺に古い喫茶店が3軒ほど残っている。そのうちの1軒に入って休憩する。外装は古かったが、なかは比較的新しかった。

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 民宿みんとを出る前、おかみさんに、今日はどこに行くのかと聞かれた。市内です、と答えたら、ちょっと怪訝な顔をされた。宗谷岬やノシャップ岬という答えのほうがしっくりいったのだろう。しかし、それぞれ2度行っている。礼文島、利尻島も行った。稚内に来たのは4度目だ。昨日、南稚内駅でもらった稚内の旅の冊子を読んでみる。今、稚内では上記の他にメグマ沼、大沼も観光地として売り出そうとしている。フットパスにも力を入れていて、4ヶ所ほどのコースが選定されている。

 旅の冊子には、抜海駅のことも載っていた。そうだ、抜海駅があった。友人が、真冬に抜海駅から抜海港まで歩いていったのを思い出した。

 その前に少し街を歩く。中央アーケード街はシャッターで閉まっている店が多い。歩いてもあまり面白みはない。その近くにある旧瀬戸邸に行ってみる。

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 旧瀬戸邸は見所があった。1945年から1965年ぐらいまで、稚内は底曳網漁の前線基地として全国から人が集まった。そのときの、瀬戸常蔵という底曳きの親方の旧邸が残っている。きっとものすごくもうかったのだろう。その金を存分に使って建てた家なのだが、成金の家ではない。いわゆる熊の置物に象徴されるようなものはなく、豪奢でもない。シンプルで、モダン、凝っていて、そこに金をかけているという家だ。3年前に整備され、観光コースに組み入れたそうである。ずっと稚内に住んでいた人がとても丁寧に説明をしてくれた。稚内の昔の話を聞けたのがよかった。

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 稚内駅にもどる。駅員に抜海駅から抜海漁港までの距離を尋ねてみた。奥のほうにいた別の駅員が「歩くには遠いです」と教えてくれた。列車の出発時刻まで10分あるので、同じ建物内の観光案内所でも聞いてみた。抜海港周辺の地図をもらったが、地図内に抜海駅はなかった。「1時間ぐらいかしら、歩いたことはないけれど」観光案内所の人は言った。抜海駅に特急は止まらない。稚内駅と抜海駅を結ぶ列車は1日上下各5本である。

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同じ位置から撮影したもの /上(↑) 2014年6月25日  / 下(↓) 2002年8月30日

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 14:12に稚内駅を出た列車が抜海駅に着くのが14:28だ。抜海駅を16:33に発車する列車で帰ってきたいので、抜海にいることのできる時間は2時間5分である。抜海駅から抜海港まで片道1時間はきつい。

 抜海港に行っても観るものはない。アザラシがやってくる港なのだが、それは冬場の話であって、ゴマフアザラシ観察所が開くのも11月から3月までだ。

 しかしそれとは別に、抜海駅はいい駅である。青春18きっぷの旅人はぜひ行ってみるべきだと勝手に思っていた。抜海港が遠ければ、駅の周りで2時間いてもいいと思い、きっぷを買う。さっきの駅員が「やっぱり行くのですか?」と声をかけてきた。

 列車は14:12に発車し、4分で南稚内駅に着いた。次の停車駅が抜海駅だ。今日は、途中の海が見えるポイントで利尻富士の写真を撮ることができた。

 もちろんと言うべきだろう、抜海駅で降りたのは私だけである。車で抜海駅にやってきた夫婦がホームにいて「まさか人が降りてくるとは思わなかった」と言い、私は「まさかホームに人がいるとは思わなかった」と言った。駅の近くにいた作業員らしき人に抜海港までの時間を尋ねると、1時間はかからないと教えてくれた。駅周辺には廃屋があり、人が住んでいそうな家はおそらく2軒である。

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 さっそく歩き始める。海まで舗装された1本道を歩き、106号に出る。左手の奥のほうに集落らしきものがぼんやりと見える。そちらのほうに歩いてゆく。道に迷うことはない。ただ、目印がないので、ちょっと心配にはなる。

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 風が強い。気温はそれほど寒くはないはずなのだが、風が冷たく痛い。しかも向かい風である。真冬の雪道を友人はよく歩いたものだ。ゴマフアザラシの力はすごいというべきか。

 30分ぐらい歩いたところで、抜海小中学校が見えてきた。その辺りから集落が始まる。ただ家々は密集してはいない。離れてあるので殺風景な感じだ。郵便局がある。近くに旅人宿ばっかすがあった。とほ宿ネットワークに加盟している宿だ。遊心館という平屋の建物は食堂のようだが、よくわからない。

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 通りの奥の港まで行ってみる。駅を出てから40分ぐらいで抜海港に着いた。港に入る手前に人がいた。駅にいた旅行者を除けば、抜海駅と抜海港周辺であった地元の人は2人だけだった。

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 帰りは追い風だったので、歩きやすかった。抜海駅にもどったのは16:00過ぎだ。殺風景な駅舎内に抜海文庫がある。本は置いていないが、抜海駅ノートが9冊あり、旅人たちの寄せ書きが残っていた。旅人はここに来ている。1ページにも及ぶ長文で、人生をやり直すといったようなことを書いている人もいた。

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 16:33発の列車は3分ほど遅れてやってきた。南稚内駅で5分ほどの上り列車を待ち合わせ、17:00過ぎに稚内駅にもどった。さっき抜海港のことを教えてくれた駅員が話しかけてきたので、駅から港までは40分だったことを伝える。

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 稚内駅はWIFIのフリースポットになっている。観光案内所ではコンセントを使わせてもらった。ただ、稚内駅の観光案内所やカフェやショップは18:00で閉まるようだ。日はまだあるので、ひさしぶりに稚内公園に行ってみる。街の背後の山頂一帯が公園になっている。高い山ではないので、15分くらいで登れる。

 途中、大きい鹿に出会った。角も立派だ。両者にらみ合いのなか、カメラを向ける。まさか突進はしてこないだろうと思いながら、少し近寄ったら、向こうが退散した。

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 山頂の公園には氷雪の門と九人の乙女の碑がある。

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 風があまりにも強く冷たい。風速20mぐらいありそうだ。すぐに退散する。

 山を降り、ラーメン伽拉屋で稚内ラーメンを食べる。昆布とホタテの貝柱で出汁を取っているそうだ。スープはこっていで最初の一杯は一癖ある感じだったが、すぐにそれは感じなくなった。うまかった。

 セイコーマートでビールと菓子を買い、民宿みんとにもどる。


*この旅の続きは「アジアンカフェをよろしく!」に掲載します。
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