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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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お遍路という旅 2014

 
 四国お遍路が密かなブームといわれたのは2000年代半ばぐらいだ。ブームといわれたとき、旅行会社がお遍路を担いだキャッチフレーズは「癒しの国・四国」だ。その頃、廃墟となってゆくリゾートホテルやテーマパークが続出していた。しかし一方で、列島はまだ別の空間を残していたのだ。

 長期的に考えれば、四国は着々と旅先としての準備を整えてきたといっていい。まず本四架橋の開通で関西や首都圏から交通の便が飛躍的によくなった。JRは、東京から瀬戸大橋を渡る寝台特急「サンライズ瀬戸」を出現させた。今はもうなくなったが、2000年頃から始まった航空業界のバーゲンフェアは、常に四国が対象となっていた。それは四国路線の客が少なかったからであるが、今はLCCがその代行をしているといってよい。大阪からはバスが明石海峡大橋を渡っている。四国は集客のためのハードウェアを徐々に整えてきたといってよい。そこに新たに加わったのが「癒し」というソフトウェアであったのなら、それは弘法大師1000年の計であるやもしれぬ。

 アベノミクス1年目に物価上昇率は1%を達成した。デフレ脱却の兆しはあるというのが、政府日銀の発表である。円安と株価上昇がストップし日本への投資が増えているわけではないが、一方で法人税軽減やTPP妥結への動きがある分、経済発展のトレンドはまだ継続されている。このような政策的なつなぎをしているなかで、経済が自立的に動き出せば、まだ期待はもてる(もっとも政府の財政赤字の問題を抜きにしての話であるけれど)。

 日本の旅行収支が44年ぶりに黒字になった。4月の訪日外国人旅行者が前年より33.4%増えたらしい。旅のトレンドが「安・近・短」といわれた時代であったが、経済の好転と外国人旅行者の増加は私たちの旅のトレンドやスタイルを変えるのかもしれない。もう少し正確にいうなら、旅の幅を広げ、深化させるかもしれない。おそらくそれらは徐々に進行するので少し経ってみないとわからないことであるのだろうが、一方で私にはあまり関係がなさそうだという思いもある。

 サンティアゴの巡礼道(スペイン)のように世界遺産にでも登録されれば、起爆剤となるのだろうが、そんなこととは関係なく四国お遍路は続いていくだろう。私の旅もそことはリンクできそうである。

 お遍路とは四国の八十八カ所の寺を順に訪れることである。その手段はさまざまだが、一番多いのはバスツアーだ。関西からは定期のバスツアーが頻繁に鳴門海峡を越えてやってくる。

 バスツアー以外でも、車、鉄道、路線バス、バイク、自転車などで巡る人たちはいるが、歩き遍路ともなればぐっと少数になる。しかし、四国はその少数の歩き遍路を本当に大事にしている。その一端を設備から紹介してみよう。

 まず、道標。遍路道(お遍路の歩く道)には、遍路だけを誘導した案内の道標が立っている。道標には、短冊状のものや、「頑張って」などの励まし系、遍路の心得などを書いたものなどさまざまなタイプがあるらしい。マニアックを好む旅人には好まれるかもしれない。道標はもちろん歩き遍路だけのものではない。しかし、バスツアーの人たちや駅からタクシーを利用する人にはほとんど必要ないので、歩き遍路にとってのみ有用な存在である。

 次に、通夜堂。これは、遍路を無料で泊めてくれる寺の施設で、歩き遍路の一部には野宿をする人たちもいるので、ありがたい存在だろう。野宿派は寝袋を携行しているが、通夜堂でもそれを使うことになる。もちろん、けっこう設備の整った通夜堂もある。

 3番目は遍路宿。どういうところに泊まろうとそれはその人の勝手なのであるが、四国独特のものとして遍路宿というものがある。遍路が多く泊まる旅館か民宿と考えてよいのだろうが、設備も遍路への理解という点においてもさまざまあるようだ。遍路が宿に入ると、まず金剛杖を清める(洗う)のであるが、宿によっては、そういうことを無視することもあるらしい。まじめに遍路をやっていこうとする人は、「おいおい杖洗いはしなくていいのか」と思いつつ、さりげなくウエットテッシュで浄めたりすることになる。ちなみに、金剛杖とはお遍路の必須アイテムで、杖の上部には「同行二人」という文字があり、それは常に弘法大師といっしょに歩いていることを意味するものだ。遍路の終わりには、杖は10センチも短くなるという。

 このように四国にはお遍路を迎える施設があるのだが、それは四国の人たちが作り出したものだ。四国の人たちがお遍路をとても大事に扱うのは、弘法大師の生まれ変わりだと考えられているからで、大師への信仰心が根底にあるのだろう。さまざまな設備は四国の人のこころがかたちになったものだ。そして、そのこころは「お接待」という行為に凝縮されている。お接待とは、四国の人たちがお遍路にお金やモノや宿を提供することである。

 お接待を受けるためには、遍路のほうにもそれなりにやらなければならないことがある。それは「わたしは遍路だ」と主張することである。一見で、遍路だとわかってもらわなければならない。具体的には、白装束を身にまとい、金剛杖を持つことだ。白装束には抵抗感がある人もいるらしい。しかし、東京では違和感のある白装束も四国の風景にはしっくりとなじむようだ。夕暮れの四国の野を行く白装束のお遍路を想像してみてほしい。それは、私たちの国のなつかしい風景でもある。

 アジアを旅したとき、多くの人が声をかけてくれた。旅行産業が未発達な国もあったが、旅を前に進めてくれたのは、彼らの好意と親切だった。それは、私がひと目で外国人であり、旅行者だということがわかるからだった。しかし韓国ではこのようなわけにはいかない。まさか日の丸を付け歩くわけにはいくまい。例えば「地球の歩き方」を持ちながら歩くことによってでしか、こちらが日本人旅行者だと理解してもらえない。だから私は韓国を旅するときは、「歩き方」を片手にわざと「困ったぞ」という顔をしながら旅をしてきた。それは、韓国人に助けてもらいたいからだ。韓国における「歩き方」は、四国における白装束である。彼らだって外国人に親切にしたあとは、気持ちよくなれる。

 お接待を受ける全てのお遍路がもちろんお接待を受けるに値するお遍路であるわけではない。全ての政治家が悪い人ではないというのと同じことだ。そんなことはもちろん四国の人たちだって知っている。なかには、お接待を目当てに遍路を装う人もいるらしいし、伝説の遍路と呼ばれる人が殺人者だったこともあるそうだ。しかし四国の人は、経験上、お遍路の一般的な人となりを知っているのだろう。だからこそ、お接待という習慣が今日まで途切れることなく続いている。お遍路が歩いているのは、そんな恵まれた環境の中なのだ。

 実際、お遍路を始めると、かなり苦行に近いことをしていると実感するらしい。それは、ただひたすら歩くことに関わっている。歩き遍路は、1日に歩く距離を男子30km、女子25kmぐらいを目安にしている。

 八十八カ所の寺は歩く人のことを考えて選定されているわけではない。マラソンのように一定の区間ごとに給水ポイントがあるわけではない。10ぐらいの寺が一定地域に固まっていることもあれば、徳島を出てから室戸岬までは延々国道を歩くだけになってしまうようなところもある。山登りをすることもあれば、獣道のようなところを分け入って進むこともある。あと数キロ歩けば、宿のある町に着くところで日が暮れるということもあるだろう。無理をして夜に強行歩行をすれば道に迷うだろうし、宿に着く時間が遅くなれば泊まれなくなることにもなりかねない。

 日本は季節の変化がはっきりしている。日本の気候はお遍路に心地よさを感じさせることもあれば、つらい試練の場に変えることもある。

 満開の桜と菜の花の川べりをゆっくり歩く。彼岸花が揺れるあぜ道を辿る。彼らは日本の原風景を自分の足で歩いているのだ。その一方で、朝から降り続く梅雨の中を水浸しになった靴で歩き通さなければならないときもあるだろうし、真夏の太陽の下の国道を歩くこともある。凍てつく雪の中を山の上の寺をめざすこともあるだろう。そんなとき、一歩一歩の歩みは蓄積してくる疲労との戦いなのだ。

 それでも、なぜ、お遍路をするのか? 第三者にとって、この答えは永遠の謎である。なぜならお遍路に「なぜ遍路をするのか」を尋ねること自体がタブーだからだ。随分前にお遍路の本「Route88」(小林キユウ著)を読んだことがある。それはある写真家が、若い歩き遍路にインタービューしたものだった。写真家はタブーを公然と犯していたわけだ。

 その本に掲載された二十数人の若い歩き遍路には、それぞれ遍路をする理由があった。しかし、少なくともその本に書かれてある彼らの理由から悲壮感は感じなかった。本来、お遍路のきっかけとなりうる弘法大師のこともそれほど多く登場してくるわけではない。

 しかし、彼らの言葉の節々には、彼らの求めているものが見え隠れしていた。それは、日常生活や仕事の場で、否応なしに関わりあってくる人間関係や組織とどう向かいあっていくかということの答えである。日常のあらゆる場所で、私たちは、私たちが本来持っているやわらかな部分をかたい鎧で覆ってしまっている。それは、おそらく自分自身を守ることから始まったことだ。そして、いつしかその鎧を身にまとったままで他者と関わることを強いられてしまっている。
 
 彼らがお遍路に求めるものは、普段は見ないものを見、感じないものを感じることによって、否応なしに身にまとってしまったかたい鎧を脱ぎ捨てていく過程なのかもしれない。

 深緑の田舎道で、道に迷い立ち尽くすお遍路に、農作業の手を休めたおばさんが、「あっち、あっち」と指差す光景を思い浮かべてみてほしい。お遍路がどこをめざしているのを聞かれなくてもわかっているのである。

 野宿をしようと寝袋に包まったところ、たまたまそれを見ていた近所の人が、「使って。朝、その辺に置いておけばいいから」とそっと毛布が差し出される。

 山の上の寺をめざしているとき、車の運転手から「乗っていきや」という声がかかる。ギリシャやスペインでヒッチハイクをした経験があるが、国内では南の離島を除いてヒッチハイクはほとんど成功しない。日本にはヒッチハイクの文化がないからだ。しかし、四国では歩き遍路にたいし、お接待として車に乗せてくれることがあるという。 

 トラックが砂塵を巻き上げながら行きかう国道を疲労困憊で歩いていると、追い越していった車が前方で急停車する。助手席の窓が開き、「お接待や」と言って、窓越しにペットボトルのお茶が差し出される。

 こんなことが、日本の他の地域のどこにあるのだろう。
 
 白装束で歩く者に四国の人たちはこんなにもやさしい。こういったお接待を受けながら、今日も四国のどこかを歩いている。自分を守るために堅くガードしていた何かが少しずつ流れ落ち、現れ始めたやわらかな部分で四国の人たちと触れ合いながら。

 四国の人たちの小さなお接待は人を再生させる力があるように思う。前述した本には、「見知らぬ人に突然話しかけられても、すっかり自然体で応える自分がいた」というお遍路の一文があった。わたしたちは、孤独を求めながら、孤独を嫌う存在だ。コミュニケーションツールとして、メールやSNSが普及したのは、テクノロジーが現代人の隠れた要請に応えてきたからなのだろう。それは今後も進化をし、今までとは異なる次元の関係性にわたしたちを導くかもしれない。

 しかしそれは根本的なところで、わたしたちのこころを再生するものになってはいかないだろう。だから四国お遍路は残るだろう。そこに旅の原点とかたちがあるからだ。

 四国は修行の場である。白装束を着て歩き出せば、その修行の様子をみんなが見守っていてくれる。しばしば受けるお接待は、修行へのご褒美だ。

 「四国の地を歩いてみてはどうですか」というのは旅行会社のキャッチコピーではない。それは私が今考えた。旅行会社の多くはバスで運ぶのだから、歩かれては困るのだ。バスのツアー客(=お遍路)は、あらかじめ決められたスケジュールに従って寺を巡る。そうでなければ団体の宿泊予約などはできない。効率を上げるために、バスガイドは札所に着く前に、ツアー客から納経帳を預かるそうである。ツアー客が札所でくつろいでいる間に、ガイドはまとめて墨書授印を代行するらしい。皮肉れば、そこにスタンプラリーの要素がないわけでない。

 この2ヶ月ぐらいで、歩き遍路の番組を2つ観た。1つはアメリカ人の若い女の子2人組みで、もうひとつは売れないアイドルと芸人の2人組の番組だ。前者はドキュメンタリーで、後者はどこかのローカルテレビの番組だった。後者については、実はアイドルと芸人であるのかどうかさえあやしい。しかしこういう番組をみると、心が揺らぐ。いいなあと思う。

 10年ほど前、私もお遍路をやってみようと思ったことはあった。そのとき、お遍路をそれなりに調べてみたが、未だに実践できずにいる。

 「やるなら、歩きだ」とは思っている。800キロを30日かけて歩くことにそれほど怖気づいているわけではない。

 一方で、やらない理由は見つけてある。スタンプラリーっぽくなるのが嫌なのだ、というのがそれだ。やりだしたら、最後までやりたいが、それだけの時間があるのなら、海外に行きたいというのはもう1つの理由である。

 だから結局、「やるなら、歩きだ」と言う資格は私にはない。これはやはり、弘法大師からのメッセージということにしておくしかない。
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