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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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クレーン上陸。そのあとは ♪♪ 自転車全力でペダルこぎながら坂を登る ♪♪

3日目 2013年12月5日  北大東島

 7:00過ぎに館内放送で、北大東島に接岸することが伝えられる。荷物を整理し、デッキに出る。南大東島まで乗っていく人も下船の様子を見るためにデッキに出てきている。

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 北大東島に港はない。外洋からの波がそのまま岸壁に打ちつける。さっきから船の腹側を岸壁から10メートルぐらいのところまで接近させているのだが、そこからの作業が進まない。船が接岸する前に一艘のボートが海に出ていた。その船が「だいとう」の船尾から放たれたロープを回収して海に何かを沈めたようだが、その作業を見ていなかった。「だいとう」は船先から2本、船尾から2本の細いロープを埠頭側に発射した。岸に向かって投げたのではない。ロケット弾のように発射したのである。岸壁の作業員がその先にあるものを埠頭にある台に括りつけると、その細いロープを包むような太いロープがするすると埠頭の台に向けてたぐり寄せられる。さっきのボートが海に錨か何かを沈めたところに1ヶ所、岸側に4ヶ所で船を固定する。固定するといっても、船はけっこう横揺れしている。5本のロープは、あばれ馬を静かにさせるために投げられた縄のようだ。役目を終えたボートが岸壁に寄ってきて、クレーンにつながれ陸揚げされる。ボートは専用の車に乗せられ、埠頭から退場していった。

 次は小型のフォークリフトの出番だ。フィークリフトは埠頭に置かれていた、人が入る鳥かごを持ち上げ、クレーンの前に運ぶ。

 ここからが主役の登場である。作業員はクレーンから吊るされた鉄の鎖に鳥かごを引っ掛ける。クレーンに吊るされた鳥かごが10メートルぐらい宙に浮く。クレーンはそのまま90度ぐらい回転し、鳥かごを「だいとう」の2階デッキに下ろすのだ。鳥かごがデッキに着くと、何人かが入った。私もいっしょに鳥かごに入る。鳥かごはクレーンによって持ち上げられ、埠頭に降ろされた。ゆっくり降ろすので、着地したときの衝撃はない。乗ってから降りるまで15秒くらいだった。

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 二六荘の車はすぐに発見できた。迎えに来てくれたのは、どうやら宿のオーナー(おそらく浅沼さん)らしかった。二六荘に泊まる人はもう1人いた。車内からオーナーが迎えの車を探している旅行者に声をかけた。その旅行者はハマユウ荘に泊まる人らしく、迎えが来ていないようだ。二六荘の車で送ることになった。

 車内で、船は揺れたかという話になった。ハマユウ荘に泊まる人は揺れたと言っていたが、もう1人の二六荘に泊まる人は揺れていないと言った。波は荒くなく、船は少し揺れた程度だった。感じ方の違いはあるものだ。

 車が動き出してすぐにハマユウ荘に泊まる人に電話が入った。迎えが遅れるというハマユウ荘からの電話だったようだ。車は先にハマユウ荘で1人を降ろし、二六荘に向かった。
 
 二六荘の受付は、浅沼食堂で行われた。浅沼食堂では工事関係者の人たちが朝ご飯を食べている最中だった。二六荘と浅沼食堂は徒歩1分弱の距離にある。隣の浅沼商店も含め、浅沼さんが経営しているようだ。

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 車でいっしょに乗ってきた人は鍵付きの離れの新しい部屋に入るようだ。私は母屋の6畳のたたみ部屋だった。そこは大日本製糖株式会社の重役用の宿舎で社員の娯楽室としても利用されていたらしい。当時のままの雰囲気が残っている。つまり相当古く、廊下は軋む。部屋には名前がついており、私の部屋の名前は「中部屋2」だった。「父さん部屋」という名前の部屋もあった。部屋には8本の紐が張ってあり、そこに洗濯バサミがいくつかあった。この部屋は普段使っていないらしいが、今日は満室でこの部屋しか残っていないらしい。どうやら洗濯物を干したりしている部屋のようだ。満室の理由は工事関係者が何十人も泊まっているからである。

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 浅沼食堂で自転車を借りた。鍵が付いていないが、適当に止めておいても盗まれないということだろう。自転車を借りるときに、外周だけを先に回ったほうがいいとアドバイスを受けた。

 外周部と内側との間には長幕と呼ばれる高さ30メートル、長さ1.5キロメートルの屏風のように続く丘がある。そこを自転車で出たり入ったりするのは大変らしい。数日前にヤフーマップで外周部の道路の標高を調べてあった。数字は6ヶ所記載されていた。46、25、16、18、34、35メートルといった高さを外周部の道路は走っている。北大東島の周囲は13.52キロらしい。道路は内側にあるわけだから、島を一周しても距離はそれよりは短い。歩ける距離なのだ。波照間島や喜界島などいくつかの島で自転車に乗ったことがあったので、自転車で充分周れると判断していた。

 まず燐鉱石貯蔵庫跡に行ってみる。自転車を少し走らせたら、廃墟のようなところに出た。それが燐鉱石貯蔵庫跡だった。南大東島はさとうきび作が中心だったが、北大東島では燐鉱石の採掘が中心だった。燐鉱石は戦闘機を作るアルミの原材料として開拓が進んだらしい。一時は燐鉱の島として大東島は脚光を浴び、島の人口は4,500人だったらしい。今は崩れかけた建物があるだけの場所だ。

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 数年前、ここは新聞紙上を賑わした。インターネットの自殺サイトで知り合った男女がここを集団自殺の場所に選んだのだ。ときどき島は事件の現場になるが、多くは他からやってくる人に寄るものだ。オウム関係者の石垣島潜伏、波照間島での北里大学生の殺人事件、市川容疑者の西表島近くの無人島潜伏などだ。最近では、女性を殺害した男が八丈島に渡ったばかりだ。島にとっては迷惑な話だ。島民はこういった話題を消し去りたいのだが、数年間は人の記憶に残ってしまう。

 近くの西港には何もなかった。あるのはコンクリートの埠頭だけである。海に沿って自転車を走らせる。道路はしっかり舗装されていて走るのに問題はないが、微妙なアップダウンがある。標識はまったくないが、海の見える道路を走っているので方向はまちがわない。20分ほどかかってやってきた北港も、西港同様にコンクリートの埠頭だけしかない。

 海岸線から少し内側に入る。海が見えなくなるので、迷いやすくなる。三叉路でどちらに行けばいいのか迷うような場所に、尋ねることのできる人はいない。人口536人、世帯数203の島であることを実感する。このあとも含め、道を尋ねたのは、全員が工事関係者だった。彼らはあまり道を知っているわけではない。島の見所への行き方も詳しくはない。

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 地図を確認しながら自転車を走らせるが、地図はデフォルメされていて、道路の太さは道の幅を示すものではない。地図上の距離は実際とは異なる。日本の観光地のどこにでもある、こういう地図はやめてもらいたい。

 北港から20分ぐらいで空港に着く。小さい空港だが、新しかった。客は誰もいなかった。空港内の待合室で休憩する。何部か置いてあった琉球新報を読んでいると、11月29日発行の紙面に、国際通りに前日にオープンしたドン・キホーテの記事があった。県内2店目だそうで、29日には3店目もオープンするらしい。地域の活性化を強調した、好意的な書き方だった。

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 空港を出て南に進む。赤い鳥居を見かけた。小さな秋葉神社にお参りをする。隣に草が生えた天狗岩があった。島のなかに入っていこうかと思ったが、外周部を周ることに専念する。

 途中で細い道に入る。空港の滑走路は海に沿ってあるが、滑走路と海の間に細い道がある。そこを1キロほど入っていく。道は3ヶ所ほどで舗装が途切れていたので、自転車を押すことになった。その先に沖縄県最東端の碑がある。公園としてきれいに整備されている。観光客しか来ない場所なのだろうが、観光客がいないので、誰もいない。この辺りの海は、沖縄海というらしい。

 来た道をもどり、広い通りに出る。西港から北港へ行くときは、ごくたまに工事関係のトラックが走っていたが、島の南西部を走る車はない。道路は整備されているが、アップダウンがところどころにある。アップの角度はたいしたことはないのだが、距離が長いので途中から自転車を押すことになる。二六荘を出たときから、その繰り返しだ。

 沖縄県最東端の碑から20分ほど走り江崎港の上に着く。今朝、クレーンで上陸した港だ。港に降りるのはやめる。西港でも北港でも埠頭まで降りたが、昇るのは大変なのだ。ここで宿のオーナーに出会う。自転車を押していたので、パンクしたのかと訊かれる。いいえ、登り坂を押していたのですと答えたかったが、そこは登り坂ではなく、極めて平坦な道路だった。

 江崎港は島の南にあるので、ここからは島の西南を北に向けて走ることになる。途中に、巨大な漁港建設の現場を通る。島の一角をくり抜いて漁港を造ろうとしている。島で初めての港である。名目は漁港となっているのだが、将来、「だいとう」はこの漁港に入ってくるのだろうか。

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 そこから10分ほど走り、上陸港跡に着く。昔の港だ。ちょっと見るだけで、先に行く。国標のある場所に行きたかったが、道を間違え、最初に見た西港に入ってしまう。西港を通り、また燐鉱石貯蔵庫跡を見ることになる。

 自転車を押しながら急な坂を昇り、広い通りに出る。国標までの道を尋ねるが、島民ならおそらく誰でも知っている国標を工事関係者は知らなかった。西港公園に行きたいというと教えてもらえる。西港公園は県が整備したとても立派な公園だ。そのなかに国標がある。もともと大東島はロシアによって発見されたらしい。発見した艦船の名前を付けたボロジノ諸島が最初の名前だ。しかし明治に入ると日本政府が調査に乗り出した。そこで建てられたのが国標だ。国標とは、日本領土であることを示す碑だ。長い木の碑には、明治18年8月31日の日付けが刻まれていた。

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 近くに北大東島村の港湾業務課の事務所があった。ここで明日の南大東島行きのチケットを買う。830円。江崎港から出るかどうかはわからないので、明日電話で確認することになる。出発時刻は14:00から15:00の間ぐらいで、遅れることもあるらしい。
 
 島を一周するのに4時間かかった。12:00過ぎに二六荘にもどる。浅沼食堂で弁当をもらって、二六荘のロビーで食べる。予約をするとき、夕食と明日の朝食をお願いしていたが、今朝、今日の昼と明日の昼の弁当を追加しておいた。島で食べるところは、ここ浅沼食堂かハマユウ荘しかない。商店は浅沼商店とJA売店だけだ。浅沼食堂は1日に100食の弁当を作っているらしい。

 部屋で休む。1時間半ほど熟睡した。

 2:30頃、自転車で島の内側を走る。郵便局を発見。郵便局の写真を撮る。こういう写真を撮らないと、撮るものがなくなるのだ。工事関係者に道を尋ねる。「人を発見したら、迷わず道を訊いておく」「10メートルぐらい離れていても、大きな声で道を訊く」。これは島内巡りの2ヶ条である。

 人材交流センターと民族資料館は閉まっていた。港から送迎してもらったとき、ここはムネオハウスと呼ばれていることを教えてもらった。鈴木宗男はここでも登場していた。島民は、こんな立派なものを造るとは思っていなかったらしい。

 近くにハマユウ荘があった。ここはリゾートホテルっぽいところで、後方には長幕がきれいに見えた。ハマユウ荘は1泊9,000円ぐらいのホテルだと二六荘のオーナーは言っていた。

 さらに自転車を進める。JA売店のところにある信号は、この島唯一のものらしい。そこを左手に折れ、どんどん進むと、製糖工場がある。隣はガソリンスタンドだ。地図上でGSはここしか載っていないので、おそらく島唯一のガソリンスタンドだと思われる。

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 ところどころにつながれた山羊がいる。山羊は人を見ると寄ってくる。食べ物をもらえると思っているのだろう。沖縄でもこの島でも、祝い事があった場合は山羊料理が出される。山羊はこの関係を知っているのだろうか。

 大池は道路から離れたところにあり、探すのに手間取った。大体の場所はわかるのだが、どの道を右に進んでいいのかわからない。道路工事をしている人に尋ねると、工事中の道を通してくれた。自転車を置いていったほうがいいのかと尋ねるとそのまま自転車で行って反対側に抜けることができると言う。でこぼこ道を自転車を押して歩く。200メートルほど行ったところに大池が見えた。しかし大池が見えるポイントは3メートルほどしかなく、しばらく池に沿っているあぜ道を歩いたが、池の周りは草木が生い茂っていた。大池はただの池である。

 もどる途中、工事中の道を通してもらった人たちに礼を言う。少し進んだところで、別の工事が始まっていた。20分ほど前に通過できたところなのだが、迂回してくれと言われた。指摘されたように進むと、道は細くなり、途中ススキとさとうきびの間をかき分けて進まなければならなくなった。そこを抜け、広い道路にもどる道も工事中で、さらに迂回してくれと言われる。さっきからあぜ道を、自転車を押しながら歩いている。かろうじて長幕が見えるので、大体の方向だけはわかっている。

 ようやく広い道路に出た。前のほうに大きな建物があり、隣に赤池があった。もちろん、ただの池である。その先に大東宮があった。またお参りをする。

 近くに役場があり、その横に新しくきれいな観光案内所があった。係りの人はいなかった。旅行者はいるはずもなかった。そこにはデフォルメされていない地図があった。遅すぎる登場である。残念ながら島探索の9割を終えている。

 小中学校を見て、隣のJA売店で島産の菓子である黒糖棒を買う。JA売店前の信号は赤だった。左に折れるだけだし車は通らないだろうから、信号無視で行こうかと思ったが、遠くから車の音が聞こえたので、曲がりかけたまま自転車を止めた。走ってきたのはパトカーで、運転している警官と目があった。自転車の交通ルールが変わってから1週間も経っていない。やばかった。

 さあ、あとはもどるだけだ。坂がきつい。自転車は押すしかない。冬の夕暮れの日は弱い。海の青にオレンジ色が混ざり、ゆらゆら揺れている。わずかに風が吹いている。夕焼け小焼けで、おうちに帰ろう。

 17:00過ぎに、二六荘に着く。すぐにシャワーを浴びる。シャワーもトイレも外にある。部屋の9割は工事関係者で占められている。

 食事は18:00から。20人ぐらいの工事関係者が席を占めている。旅人は彼らの間の空いている席に座る。メニューは1種類で、全員同じものを食べる。食堂の外で、送迎の車で同乗した人と少し話をした。スクーターで島を周ったそうだ。夜の島を散歩に出かけていった。

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 夜はやることがない。浅沼商店で買ったオリオンビールを部屋で飲む。テレビでは・・♪♪三ツ星片手に高々と~♪♪とビギンが歌っていた。
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