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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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冬枯れの弱い日差しの横浜を歩く。

2013年12月22日  横浜(寿町 真金町 横浜橋商店街 黄金町 日ノ出町)

 横浜人形の家のあかいくつ劇場で「星のKIOKU」を観た。若い友人が出演した。困難な道をくぐり抜けることができれば、新しい女優が誕生するかもしれない。

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 会場を出たときは12:00過ぎだった。この時間帯に山下公園のそばにいることはそうあることではない。このまま自宅にもどるのはもったいないので横浜をうろつくことにする。

 横浜中華街を抜けていく。人がどっと繰り出していた。年末の中華街は寒さに負けない人たちで溢れていた。しかし中華街の案内を私のブログでする必要はないだろう。

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 関内のマクドナルドで休む。休日のマクドナルドは人が多すぎて好きではない。そのなかで、鶴ヶ峰店、天王町駅前店、三河島駅前店は何度か行ったことがあり気に入っていたが、閉店になってしまった。これらの店によく行っていた理由は、客が少なく店内がうるさくなかったからだ。それは同時に店がつぶれた理由でもある。私にはマクドナルドのスクラップ店を見つける能力がある。関内南口店は頑張って持ちこたえてほしい。

 寿町に向かう。脇道に銀杏の葉が舞っている。どこから吹き流れてきたのだろうと辺りを見回したが、どうやら扇町2丁目交差点の通りの銀杏並木からだった。ファミリーマートの横を入っていくと寿町だ。ひさびさではある。

 確実に以前よりおもしろくなくなっているが、NPO法人さなぎたちが経営するさなぎ食堂は健在だった。このNPO法人は夜に周辺をパトロールしたり、衣服などを集め地域の人たちに配っている。このNPOが出している「さなぎたち」を読めば、寿町の今がわかる。学生ボランテイアもここにやってくる。

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 すぐ近くにある横浜ホステルビレッジは多くの外国人が泊まりにくる。女子高校生なども研修で泊まっていく。寿町に100以上ある宿泊施設のほとんどがいわゆるドヤが発展した形態であるのに対し、横浜ホステルビレッジだけは明らかにバックパッカー系である。山谷のカンガルーホテルや東京バックパッカーズホテルと同じカテゴリーに入れていいだろう。

 寿労働センターの横を通り、奥にある飲み屋街を歩く。昔、怖い感じがした寿町もすっかり牙を抜かれた。意味もなく道路で酒を飲んだりしている人もいるが、危険な感じはない。冬枯れの午後の日差しのように弱くなってしまった。寿町に入ってからここまでにあった自動販売機の飲料はすべて100円だったが、途中で50円の飲料を見つけた。

 不老町の横浜総合高校の横を抜ける。ポーラのクリニックも健在だ。ある医師が寿町に住む労働者のために開業したクリニックだ。

 大通り公園を南西のほうに10分ほど歩く。この公園の下を市営地下鉄が走っている。真金町が見えてくると横浜橋商店街だ。横浜橋商店街に入らずに、その手前の通りに入る。この辺りは永真遊郭のあった場所である。

 横浜に最初にできたのは港崎(みよさき)遊郭だ。今は横浜公園になっているといっても多くの人はわからない。横浜公園は横浜スタジアムのある場所だ。港崎遊郭は吉田新田(現在の伊勢佐木町2丁目)、高島町遊郭(現在の高島町7丁目)と移転を繰り返した。いずれも火事が原因である。そして真金町で永真遊郭となり1958年の赤線廃止まで続いた。

 真金町は現在もごくかすかに怪しげな感じがしないわけではない。その匂いを嗅ごうと思えば嗅げないことはない。しかし有り体にいって普通の町である。10年ほど前にタイ料理店が2、3店できてからバンコクっぽい雰囲気を醸し出していた。何人かの人にここはバンコクっぽいと話した記憶があるが、今はもうそういう感じはない。

 この通りにある金刀比羅大鷲神社は横浜開港時に讃岐国の金刀比羅大権現(こんぴらさん)を勧請した神社である。神社は遊郭とともに引越しを繰り返し真金町にやってきた。つまり横浜の遊郭とともにあった神社である。

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 金刀比羅大鷲神社の近所に寿東部連合町内会館という表札のある建物を見つけた。この辺りは寿町の西側になるのに、どうしてこういう名前になっているのだろう。
 
 町内会の看板などに旧地名が残っていることがある。2009年、横須賀の皆ヶ作カフェ街を訪ねたとき、皆ヶ作町内会の掲示板を見つけたことがあった。皆ヶ作の地名はすでになく、田浦となっていたにもかかわらず、である。横須賀の柏木田遊郭跡を訪ねたときも、旧福助ホテルの近くに柏木田町内会の建物があった。同じように柏木田の地名はすでになく、そこの地名は上町である。

 さらに進むが、直進できない。鍵型になっている。ときどき遊郭跡にはこういう場所がある。直進できないところを右に曲がれば、横浜橋市場だ。そこは横浜橋商店街の路地の1つにあたる。そこを抜ければ、横浜橋商店街の出口近くである。南側の出口から出て、よこはまばし入口の交差点を渡る。

 そこから小さな三吉橋通り商店街が始まる。この商店街はレトロであるといっていいだろう。鮮魚店、米店、果実店、居酒屋釜山など十数軒の店があるだけだ。三吉演芸場があり、劇団花車などが公演を行っている。その先は八幡町通り商栄会という名称が電柱の掲示にあるが、半ば解散しているといっていいだろう。開いている店は3分の1ぐらいではないだろうか。残っている店の品揃えは十分ではなく、とくにパン屋はレトロだ。

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 その先は住宅街になっている。以前その先まで歩き、丘の上のほうまで行ったが何もなかったので、今日はこの辺りで引き返す。横浜橋商店街にもどる。この商店街の特長は惣菜屋が多いということだろう。端から端まで歩けば、10店近くの店が惣菜を出している。おいしい惣菜を求めてスーパーに行くよりはここに来たほうがいいかもしれない。飲食系のチェーン店がないことを今回気づいた。すき家も吉野家も松屋もCoCo壱番屋はない。もちろんファミリーレストランもない。不二家もなかった気がする。よそ者が知らない店ばかりということだ。

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 横浜橋商店街を抜けて、鎌倉街道(国道16号)を渡り、関内駅から続く伊勢佐木町の商店街を通る。大岡川を渡れば、黄金町だ。10年ぐらい前までは、歩くだけで黄金町交番の警官に声をかけられたものだが、今はもうそういうことはない。京浜急行線の高架下は数年前に様変わりしている。

 それは劇的な変貌である。いわゆる置屋街のあった高架下は、小さく区切られた、小奇麗な、おしゃれな、透明感のある店々に変わっていった。変貌は明らかに行政主導だ。そのせいか、新しいくせにまったく活気が感じられない。もうかっていないのではないか。再開発は果たしたが、活気がもどったとはいえないだろう。
 
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 以前、この周辺の環境浄化推進協議会の作った小冊子を読んだことがあった。伊勢佐木町や日ノ出町や丘陵部(野毛山公園辺り)が区分けされ、防犯上のあぶないところが徹底的にあぶり出されていた。人通りが少ない、見通しが悪い、管理が行き届いていない、高いブロック塀があるなどが念入りに調査されていた。それらは子供たちが調査したものらしかった。町内パトロールの巡回なども書かれていたように思う。そのとき私はその小冊子をかなり読み込んだが、町内会館の数の多さには驚いた。小冊子から感じたのは、新しい町を作るという住民の強い意識だった。地図には拠点施設が網羅され、道路幅なども分類されていたように思う。

 柳美里の書いた「黄金町」は完膚なきまでに否定されていた。

 黄金町駅から京浜急行に乗ってもよかったが、日ノ出町まで歩いてみる。

 日ノ出町交差点には浜劇というストリップ劇場がある。坂を上がったところには野毛山動物園と横浜市中央図書館がある。図書館の1階はごった返しているが、4階の社会科学や自然科学の図書のあるところまで人は上がってこないので、かなり空いている。そこにある広めの読書机は独立しているので早朝に入館し席を確保すれば、静かに本を読める。昼頃には荷物を置いたまま日ノ出町交差点まで降りていき、インド料理屋でカレーを食べて、もどってくる。膨大な書架から読みたい本を探すのは手間がかかるが、書籍名をメモに書いて渡せば、まるでコンシエルジュのように10冊でも20冊でも読みたい本を持ってきてくれる。このサービスは中央図書館だけで、自宅近くの旭図書館ではやってくれない。だからときどきは中央図書館に来ていた時期もあったが、遠い昔になってしまった。日ノ出町駅から京浜急行の電車に乗って横浜駅に出た。
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