FC2ブログ

日本細見紀行 

日本各地の旅日記
2018年10月 ≪  123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫ 2018年12月
TOPスポンサー広告 ≫ 赤沢宿と雨畑地区。蟲師『硯に棲む白』。TOP山梨 ≫ 赤沢宿と雨畑地区。蟲師『硯に棲む白』。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments(-) | Trackbacks(-)

赤沢宿と雨畑地区。蟲師『硯に棲む白』。

2006年1月30日 赤沢(山梨県早川町)
 
 身延往還が通る赤沢はかなり前から知っていた。いつかは行こうと思っていたが、直接のきっかけとなったのは、土曜日の深夜にやっていたTVアニメ『蟲師(むしし)』である。2005年10月から2006年3月まで放送された。

 『蟲師』の蟲は昆虫の虫ではない。物の怪あるいは妖怪あるいは精霊といっていい。世の中に起こる不可思議な出来事には(つまり学問的、理論的な解釈ができないことには)蟲が介在しているという設定のアニメである。その蟲の存在を確かめ、不可思議な出来事を解決に導くのがタイトルになっている蟲師である。

 漫画のほうは1999年から2008年に渡って月間アフタヌーンを中心に発表されたらしいが、私は読んでいない。2005年からの放映されたTVアニメは1編25分程度で完結し、全27話(26話+特別編)ある。そのうち私が観たのは半分ほどだろう。これは世界各国で高い評価を受けており、今では、世界各国の視聴者からの各話ごとの感想までインターネットで読むことができる。

 『蟲師』は2007年に映画化(出演/オダギリジョー、蒼井優)された。いい映画でないことを表す表現として「わざわざお金を払ってまで観に行くほどの映画ではない」という言い方があるが、この映画については、入場料を返してもらいたい。ひどい映画だった。

 TVアニメの第10話のタイトルは『硯(すずり)に棲む白(しろ)』である。硯は習字に使う硯のことで、白は蟲の名前である。これを観ている途中、舞台は赤沢ではないかと思った。確信したわけではない。なんとなく思っただけである。唯一の根拠は「硯に棲む白」のなかに出てきた山道だ。一部に石畳があった。赤沢は身延往還が通る集落で、山道であるにもかかわらず石畳がある。日本の山間の村に石畳があるのは珍しい。

 『蟲師』の舞台はほとんどが村であるが、日本のどこかの村や集落を特定して描いていない。登場するのは山村や漁村だが、ごく一般的な村の風景として描かれている。仮に作者がどこかの村をモデルにしていたとしても、それは抽象化され、隠されているといっていいだろう。私は旅が好きで、映画であろうとドラマであろうとアニメであろうと、画面に映るあらゆるシーンで、ここはどこなのだろうといつも思いながら観ている。例えば、ごく普通のドラマの、偶然に映る電柱の住所表示などを読み取ろうとしまう。もちろん、それがどこの場所なのかはほとんどわからないのだけれど。

 当時のインターネット検索で『蟲師』のヒットはほとんどなく、『硯に棲む白』は1、2件だったように記憶している。検索上で、赤沢と『蟲師』あるいは『硯に棲む白』をつなげることはまったくできなかった。
 
 赤沢宿は山梨県早川町にある。早川町は身延山の裏側で、地図上の直線距離では身延駅(身延線)が最も近いが、かなり迂回していくことになる。2014年2月現在、身延駅からのバスは下部温泉駅(桜がきれいな鄙びた温泉)経由で、1日4本である。当時のバスの本数はわからない。身延山久遠寺から奥の院まで行き身延往還を歩いて赤沢に入るというコースもあるにはある。ただ、久遠寺は以前行ったことがあり、その日はどこかに泊まり、別のところも周ってみたいと思ったので、車で出かけることにした。

 横浜から車で城山町、津久井町、道志村を抜ける。道志川に沿っているので景色はいいが、カーブが多く運転が疲れる。富士吉田から富士五湖を抜け、下部町から早川町に入る。途中に「硯」の文字が入った博物館があった。ここが「硯に棲む白」の舞台である可能性はかなり高くなった。赤沢入口からは完全な山道となる。身延駅からバスで来た場合は、この赤沢入口で降り、その先は徒歩で山を登ることになる。

 山道は舗装されているが、一車線あるかないかの狭い道幅でくねくねと曲がる。道の両側の草木で車が擦れる。対向車があった場合どうにもできないが、とにかく登り切るしかない。かなり登ったところに集落があった。赤沢である。

 集落のなかに車を止める場所がない。車を反転させることもできにくい。ゆっくりと上のほうまで登る。畑の脇の、道が少し広がったところのちょっとしたスペースに駐車させた。誰かに注意されるかもしれない。

 雰囲気はまるでチベットだ。チベットに行ったことはないが、そう思った。もちろん小さな山間の集落である。山間の急斜面に、家があり畑がある。秩父の奥に栃本(とちもと)という集落がある。栃本は、急な斜面にそのまま野菜などを植えているが、赤沢の畑はわずかな平地を畑としている。もちろん畑は少しあるだけである。

DSCF0010.jpg

DSCF0003.jpg

DSCF0005_2016121721471379d.jpg

DSCF0013_20161217214815a99.jpg

DSCF0014_2016121721512657f.jpg

DSCF0019.jpg

DSCF0017.jpg

 赤沢は身延山から七面山への参拝の途上にある。江戸時代は庶民の物見遊山が普及した時代でその頃から赤沢はあったらしいが、集落が賑わったのは明治時代らしい。総戸数40戸の集落に9軒の宿があったといわれている。1990年代には6軒が残っていたらしい。

 いくつかある宿は講中宿と言われている。講中宿とは、講という、信仰を同じくする集団が宿泊した宿という意味だ。江戸屋、喜久屋、大黒屋などの講中宿が残っており、江戸屋の軒下にずらっと講中札が貼られている。私が訪れたときは1軒の宿も開いてはいなかったが、夏だけは営業されていたはずだ。石畳は国の補助で整備されたらしい。

 赤沢宿は重要伝統的建造物群保存地域に指定されている。これは城下町、宿場町、門前町などを保存するために設けられたもので、まず市町村が、歴史的風致の残っている環境を選定するが、その最終決定は文部科学大臣である。その際、1軒の建造物では適応されない。面となって残っていることが必要で、一定のエリア内での社寺、民家、蔵などはもちろん井戸や門なども含まれる。1965年の文化財保護法改正のあと、徐々に対象地域が指定され始め、現在106の地域に広がっているが、法整備が10年早ければ、より多くの地域が残っただろう。私が訪問したのは106の、半分ほどである。文部科学省による世界遺産への推薦のなかに、重要伝統的建造物群保存地域がなかなか入ってこないのを疑問に思っている。

 誰にも出会うことなく、赤沢をあとにする。早川町の役場の辺りまで下りて硯の博物館に入った。調べたところ、2014年の正式名称は硯匠庵だった。かって、○○博物館といったように、名称には「博物館」の文字が入っていたように思うが、記憶違いなのかもしれない。小学校のとき習字を習っていたぐらいで、特に硯に興味があるわけではない。なんとなく硯を見ただけで、館を出てきた。

 車が動き出したとき、起動したナビに“雨畑”という地名が表れた。さっきまで私が見ていた硯の名称は雨畑硯だった。雨畑というのは地名だった。氷見線に雨晴(富山県)という駅名があったのを思い出した。そういえば『硯に棲む白』のなかで、畑に雨が降っていたような気がする(そうではないかもしれない)。そのシーンがあれば、間違いなくアニメの舞台はここだろう。

 雨畑地区の一部は1956年以前、硯石という村だったそうである。雨畑地区を周ってみたくなった。適当に車を走らせるが、道が四方八方に分かれているわけではない。県道810号を奥に進むしかない。細い雨畑川が道路に沿っている。雨畑ダムが現れた。電力会社や国ではなく、本軽金属という金属会社が造ったダムらしい。

DSCF0032.jpg

 ダムの近くのある場所に突然、硯の店が現れた。2軒が隣り合っている。辺りはわずかに集落を形成していた。早川町の人口は1,100人ほどであるが、町の中心からかなり奥に入った場所である。こんなところに工房があるとは。硯は店の前に少し置かれていた。外から店のなかを見通せる。店はどうやら工房を兼ねているようだ。店、兼工房のなかを覗き込むが、人がいる気配はない。工房のなかはかなり乱雑に硯が置かれていて、陳列しているという感じではなかった。少し待ったが、誰も出てこない。

 どこかに迷いこんだようだった。店のそばの草むらの斜面に案山子のようなオブジェが何体も無造作に置かれていた。

DSCF0041.jpg


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その記事を書いている2014年2月19日に、テレビ画面に雨畑地区の様子が映った。2月14日から15日にかけて降り続いた雪によって、144人79世帯が孤立したらしい。雨畑ダム周辺の航空写真も映し出された。道路はまもなく開通するだろうと報道されていた。

 2014年4月から『蟲師』は『蟲師 続章』として、再びテレビで放映される。赤沢宿に行くきっかけは『蟲師』を観たからだが、そのことを書こうと思ったのは、数日前に『蟲師 続章』が、テレビ放映されることを知ったからだ。

 新しく公開されている『蟲師 続章』のHPには以下のような概要が載っていた。
 
 およそ遠しとされしものー下等で奇怪、
 見慣れた動植物とはまるで違うとおぼしきモノ達。
 それら異型の一群を、ヒトは古くから畏れを含み、
 いつしか総じて“蟲”と呼んだ。

 時に蟲はヒトに妖しき現象をもたらし、
 そしてヒトは初めてその幽玄なる存在を知る。
 ヒトと蟲との世を繋ぐ者ーそれが“蟲師”。
 
 すべての生命は他を脅かすために在るのではない。
 みな、ただそれぞれが、在るように在るだけー。

 記事を書くに当たって、再度インターネットで検索してみた。以前とは比較にならないほどの情報がインターネット上にあった。You Tubeで何編かのアニメを観ることもできるようになっていた。『硯に棲む白』を観てみた。畑に雨が降っていたかもしれないというのは間違っていた。降っていたのは雹だった。石畳の形状も違うといったほうがいいかもしれないが、似ている場所もなくはない。なにより雰囲気はあきらかに赤沢である。
スポンサーサイト

Comment













非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。