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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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函館日和の街歩き。函館市電「1日乗車券」を2枚買う。

9日目  2014年1月14日  函館     

 8:00。ホテルをチェックアウトするとき、函館市電の1日乗車券を買った。ホテルで買うことができたのには驚いた。

 函館観光のお約束として、函館朝市を見にいく。時間的にはあまり早いわけではないのだろうが、店仕舞いはしていない。買っていかないかと多くの店から声がかかる。強引な言葉はないし全体としては抑制された勧誘である。しかしちょっとでもその店の商品に関心があるふりをしてしまうとか、並べてあるカニなどを覗き込むものなら、詳しい説明が付いてくる。説明の根幹にあるのは、いかにこの商品が安いのかという点に集約される。ほんの数十秒の会話のなかに、帰る日、連れの有無、交通手段、どこから来たのかなどを聞き取られ、そのタイプによって、提案してくる商品を変えてくる。車でやってきた客がカニや紅鮭を持って帰ることはわりと簡単だろうが、遠方からの1人旅の者にはうにのビン詰が提案される。

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 声をかけられるのが4、5店に留まるのならいいが、通過する店の多くが声をかける。彼らにとっては少なくとも隣の店で買われるよりは自分の店で買ってほしいということなのだろう。函館市の観光担当者が読むかもしれないので、それがうざいということをはっきり書いておこう。店にとっては目の前を通過する1回限りの客であるが、客は多くの店で同じタイプの勧誘を聞くことになる。

 函館朝市周辺ではおそらく函館市民市場商業協同組合のなかが最もレトロな感じだと思うが、建物内の店は閉まっていた。札幌から函館に入った11日は夜遅くこの辺りを通ったので仕方がないが、今日は開いていていい時間帯だ。2010年にはもう少し店が開いていたが、やはり地味過ぎて人が寄らなくなったのだろう。

 電停の函館駅前から終点の函館どつく前まで市電に乗る。函館どつく前から青柳町まで18の坂がある。魚見坂から青柳坂だ。そのうち魚見坂から二十間坂までを歩いてみる。2010年にもこのコースを歩いてみた。この辺りは、坂と古い家屋が溶け合っている。江戸時代の街道の名残りではなく、明治の近代的な住宅街の雰囲気がある通りとしては、日本で一番うつくしいだろう。

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 函館市電が通る国道279号(この国道は函館から青森県の野辺地までを結び、海上区間は津軽海峡の津軽海峡フェリー航路という海上国道でもある。海上国道はここ以外にもあるけれど)から魚見坂や船見坂といったような坂を登り降りしながら雪の道を歩いたが、以前歩いたような感動はまったくなかった。滝川はおそらく普通の町なのだが、雪があることによって雑なレトロさを感じさせてくれた。函館はおそらく雪が多くのものを隠してしまったのだ。一応2010年5月の写真と比べてみたが、やはり2010年の函館の写真は今日撮った写真よりはるかにうつくしかった。

 私は8つぐらいの坂を登り降りした。そのあと旧函館区公会堂や旧イギリス領事館などを見たが、雪のなかで一番うつくしいと感じたのは、元町観光案内所だった。その辺りから遠望できる函館港の風景は雪景色に映えていた。

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 ついでにハリストス教会にも行ってみる。昔はハリストス教会とトラピスチヌ修道院が函館観光の双璧だったが、赤レンガ倉庫が観光スポットになった頃から、観光の優先順位が変わってきたと思っている。

 ペリーは函館に来ていたらしい。函館の坂の途中にあったペリー提督来航記念碑があった。那覇の奥羽山公園駅(ゆいレール)にはペリーの名前が残った店や幼稚園があり、横須賀にはペリー公園がある。

 宝来町のほうに降りてもいいが、十字街のほうに坂を降りてゆく。十字街電停の北側に坂本龍馬の銅像がある。龍馬像は桂浜だけでいい。函館、京都、長崎、品川など他の地にあるのはどうかと思う。龍馬は多くの地を訪れているので、その気になれば銅像を日本各地に作ることができる。

 函館は、榎本武揚と石川啄木の街だった。榎本武揚は五稜郭に入城して新政府軍と戦った人物であるので、函館に銅像があるのはおかしくない。ただ私にとっての函館は石川啄木だった。1976年は村上龍が群像新人賞と芥川賞を受賞した年である。同じ年に外岡秀俊の「北帰行」が文藝賞を受賞した。「北帰行」は石川啄木の歌を自分の生き方と重ね合わせたU市(夕張)の青年の心情を描いた小説だ。評論家の江藤淳が村上龍の芥川賞受賞を認めず「北帰行」のような小説こそ受賞すべきだと語っていた。そのことについては同意できなかったが、それでも「北帰行」は30年近くの間私の本棚にあった。結局、ブックオフ行きのダンボール箱に詰め込まれてしまったが、気になる1冊ではあった。

 立待岬に石川啄木一族の墓がある。1978年、青函連絡船で早朝に着いた函館で、私が最初に見たのは朝日を浴びたこの墓だった。

 本来、函館と啄木の関係はもちろん墓ではなく、青柳町だ。十字街電停から谷地頭行きに乗り2つ目の電停が青柳町である。ここは近くに函館山公園があるだけの何の変哲もない住宅街だった。今日は、その先の終点谷地頭電停まで行ってみる。

 谷地頭電停で市電を降りようとしたとき、1日乗車券がない。左ポケットに入れておいたはずなのだ。すべてのポケットやリュックのなかを探してもない。坂を登り降りしているときに何度か地図を出して確認したが、1日乗車券は地図と同じポケットに入れてあった。おそらく地図の出し入れのときに落としたのだろう。

 その旨を市電の運転手に伝えると、そのまま降りていいということだった。ショックだ。切符を失くしたのは過去2回ある。上越新幹線のなかで「佐渡フリーきっぷ」(正式名称を忘れてしまっている)を、おそらく宮城県登米町からJR東北本線石越駅に向かうバスのなかで2日目使用中の青春18きっぷを落とした。前者は拾った人がいてくれたおかげで、新潟に着く直前の車内放送で知らせてもらったが、後者は出てこなかった。

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 谷地頭電停周辺もまったく普通の住宅街で何も見るべきものはない。湯の川行きの市電に乗り、車内で本日2枚目の1日乗車券を買う。600円+600円=1,200円。まったく何をやっているのだろう。

 湯の川まで行かないで、五稜郭公園前で降りる。この近くに飲み屋街があったので寄ってみるが、以前感じたほど古い感じはなかった。五稜郭タワーまで歩く。タワーの前にド派手なラッキーピエロがあった。ここは函館にしかないハンバーガーチェーンで、その存在だけを知っていた。それが突如目の前に出現したのだ。ラッキーピエロは「僕らは皆んな映画青年だった」とか「サンタが函館にやってきた」といったキャッチフレーズを店ごとに付けている。五稜郭公園前店は「エンジェルたちのおしゃべり」だ。五稜郭タワーのなかの五島軒で函館カレーを食べようと思っていたが、地産地消のB級グルメ店の突然の出現により、どちらで食べるかを大いに迷う。

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 先に五稜郭公園のなかに入る。2010年5月に来たときに函館奉行所はまだ完成していなかった(と思う)。今回、初めて入ってみる。この建物の復元に寄与したのは、パリの骨董品店で見つかった手のひらサイズの写真だ。屋根瓦の枚数などもその写真を解像度の高い画像で数えたらしい。私もパソコンの画面で拡大してみたが、確かに瓦の枚数を数えることができないわけではなさそうだ。

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 五島軒で函館カレーを食べることにする。古風な感じがする。深くしっかりした味だ。五稜郭公園前電停にもどり、終点の湯の川電停まで乗る。これで函館市電を全線乗車したことになる。といっても大した距離ではない。そこから1つ前の湯の川温泉電停まで歩いてみる。

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 湯の川温泉は初めて来る場所だ。雰囲気のある温泉街かと思っていたが、まったくそうではない。足湯はあるが、あとはわりと大きな温泉旅館やホテルがあるだけだ。湯の川電停から湯の川温泉電停の間に古い湯があった。そこは宿泊施設ではなかったが、月曜日という理由で今日は閉まっていた。

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 湯の川温泉街から海側に行ったところに函館市熱帯植物園がある。今はそこにサル山温泉があり、サルが湯につかっている。ここは植物園であって動物園ではないのだけれど。結局、時間がなくて行けなかった。

 湯の川温泉電停から市電に乗り、十字街までもどる。これが今日5回目の乗車になったわけだが、ちょうど1日乗車券2枚分程度の金額にはなったと思う。

 すでに夕暮れだ。十字街電停から赤レンガ倉庫群に向けて歩く。日が暮れかかっている函館を照らすのはライトアップだ。帯広が一番うつくしいと思っていたが、赤レンガ倉庫が色に深みを与える分、函館のほうが華やかに感じる。

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 少し早いが17:40のバスで空港に行く。空港までは20分。1991年(?)に1度だけ函館空港を利用したことがある。周りの緑がきれいな空港だったが、夜なのでよくわからない。曖昧な記憶だが、当時、東京行きは1日3便しかなかったと思う。今は羽田空港行きが1日9便になっていた。驚くのは、札幌の丘珠空港との間に10便のフライトがあることだ。

函館空港の3番ゲート前に机があり、その前にコンセントがある。この日、3番ゲートはもう使われないようなので、ゲート前には誰もいない。広いスペースで静かにネット接続でき、旅日記を綴ることができた。

 19:35、JAL1170便は離陸。21:05羽田空港着。「北海道&東日本パスと奥尻島」の旅が終わる。

(備考)

 写真は、1978年8月の函館である。

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石川啄木一族の墓

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函館山から見た函館市街
・函館駅構内の広いヤードが残っている
・2013年GLAYがライブを行った緑の島はまだない
・赤レンガ倉庫を確認できる
・北方民俗資料館の建物は確認できるが、その背後の高い塔のある建物は何だったのだろう

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五稜郭
・当時、函館奉行所はない
 
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帰りの青函連絡船から見た函館山
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