FC2ブログ

日本細見紀行 

日本各地の旅日記
2018年11月 ≪  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 ≫ 2019年01月
TOPスポンサー広告 ≫ 幸福の黄色いハンカチはどこにいったのか!TOP北海道 ≫ 幸福の黄色いハンカチはどこにいったのか!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments(-) | Trackbacks(-)

幸福の黄色いハンカチはどこにいったのか!

4日目  2014年1月9日  札幌  千歳  夕張   

 札幌8:56快速エアポート86号に乗り、9:24に千歳駅に着く。もう少しあとの列車でもいいのだが、千歳を歩いてみたいので早めの電車でやってきた。しかし西口広場に出た瞬間につまらない町であることがわかった。駅前は広く大きなタクシー乗り場がある。駅と直角にまっすぐ伸びる通りがあり、それと交わる広い通りがある。その通りを西に行くと、千歳川だ。駅前にもどり、少しだけ周囲をうろついたが、ここで止めた。駅にもどる。次の電車の待ち時間だけが残された。退屈という待ち時間ではない。寒い時間が残ってしまった。

 千歳発10:34の列車に乗る。新夕張着が11:45。晴れているので、雪景色がとてもきれいだ。新夕張駅で降りたホームの反対側に夕張行きの1両の列車が止まっていた。それに乗り換える。夕張まで行ってもいいが、清水沢駅で降りようと思う。新夕張が11:56発で、3つ目の清水沢に着いたのが12:08だ。

 清水沢駅は古いが、なかはきれいに保たれていた。ここは無人駅ではない。時間帯によっては駅員が1人いる。待合室の真ん中にストーブがあり、壁には古い夕張の写真が飾られてあった。1967年の夕張鉄道の夕張本町駅の写真があった。1965年頃の大夕張鉄道の明石町駅舎、千年駅舎の写真もあった。明石町、千年町は今誰も住んでいない大夕張の地名だ。

 外観が倉庫のような清水沢駅を出ると目の前にバス停がある。私は2005年10月、2006年8月に清水沢に来た。つまり財政破綻前と破綻後に来たのだ。2006年には清水沢から南部行きのバスに乗った。そのときは千歳空港から直接ここに来たのだが、乗ったのは(途中からは)今日と同じ列車である。

CIMG5447.jpg

CIMG5467.jpg

CIMG5452.jpg

 12:01、南部行きのバスはすでに出てしまっている。バスの発車時刻を調べてきてはいないが、それは予想していた。循環線バスが12:19発だから、5分後にやってくる。循環線は清陵町に行く。そのあと、南部に行けるかどうかを考えればいい。バスの来る時間まで歩く。とりあえず清水沢駅の正面の坂を上がる。写真を撮りながら降りてきたら、前方奥にバスの後ろ姿が見えた。まさかと思い、時計を確認すると12:20だった。うかつだった。バス停にもどった時刻はバスがやってきた1分後だった。

 どうするかを考える。次のバスは循環線が13:32で、南部行きが13:36だ。鉄道は12:58
の夕張行きがある。南部行き13:36に乗ることに決める。

 清水沢の町を歩く。狭い町だし前に歩いたことがある。北海道4日目で格段に上達したことがある。雪道や氷道の歩き方だ。小走りで走れるくらいにはなっている。清水沢の町は前と変わらない。財政破綻後も壊れてはいない。
 
 駅前食堂で天ぷらそばを食べる。前に入った店なのだろうと思うが、よく覚えていない。少なくとも内装は変わっている。天ぷらは都心の駅そばと同じレベルのものだったが、料金は倍近かった。店を出たとき、雪になっていた。

CIMG5503.jpg

 駅にもどり、少しの間、パソコンで旅日記を書く。バスの時間が迫ってきたので、バス停に移動する。どうせ私しか乗らないだろうと思っていたら、お婆さんが2人待っていた。元気な人たちで雪の上に座ったり立ったりして遊んでいる。13:32の循環線のバスがやってきて出ていった。そのあとすぐに13:36の南部行きがやってきた。2人に続いて乗り込む。心配だったので、整理券を取ってすぐにドライバー席まで行き、このバスが南部ですぐに折り返すかどうかを聞いてみる。

 回答は、折り返すが営業運転ではないというものだった。衝撃である。それでは南部発の次のバスは何時かと尋ねると、今日はもうないと言われた。いくら何でもそれはないだろうと思うが、とりあえずバスを降りる。今は13:36である。それなら13:32の循環線で清陵町に行ったほうがよかった。私は南部に行き、折り返しのバスで清陵町に行こうとしたのだ。南部行きのバスのほうが少ないのだから、選択の優先順位は南部ということになる。最初に12:19発の循環線バスに乗ろうとしたのは、南部行きの待ち時間が長かったからだ。1時間に1本の清陵町に行く循環線バスを2本逃したことになる。今日だけで2回失敗している。夕張は勝手知ったる場所だと思い込んでいたのが、間違いだった。ちょっと舐めてしまった。

 駅にもどると、13:39発の新夕張行きが出ていった直後だった。もう最悪である。やることなすこと後手後手だ。どこにも行けなくなってしまっている。またまた余った時間で旅日記を書く。駅のなかにコンセントがあったので、駄目元で駅員に尋ねてみた。いいですよと使わせてくれた。いいこともある。

 行けなかった南部について書いておく。南部とは南大夕張のことだ。夕張は鉄道が多かった。国鉄(JR)石勝線の夕張支線、夕張鉄道、三菱大夕張鉄道、北炭真谷地炭鉱専用線などが夕張を走っていた。三菱大夕張鉄道は清水沢と大夕張を結ぶ路線で、その真ん中に南大夕張があった。南大夕張はまた夕張岳線、下夕張森林鉄道といった森林鉄道の分岐点だった。森林鉄道は登山者を乗せたりもしていた。

 現在、南部には大夕張鉄道で動いていたSLが保存されている。その近くに大夕張鉄道の小さなトンネルを見ることができる。その先にあるのはシューパロダムだ。アイヌ語で、夕張はシューパロとなる。本町にあるホテルシューパロには2度宿泊している。

 2006年、南部には郵便局も交番もあった。今でもあるかどうかはわからない。夕張川を渡ったところには廃屋群がある。そこはほとんど人が住んでいない地域であるが、当時、私の推測で2軒くらいの家にはまだ人がいた。犬が飼われていたし、車があったからそう判断したのだが、それも2006年の話である。

 そこからさらに奥に行くと大夕張であるが、南部からのバスはとっくになくなっている。現在、大夕張の人口はゼロである。炭鉱の閉鎖にともなって、全員が大夕張から退去した。もともと大夕張は国有地である。それを三菱鉱業が借りていたものだった。2005年に大夕張で車を走らせたが、そこにあったのは生い茂る草木だけだった。人の住んでいた痕跡を確認するのは難しかった。かろうじて草に埋もれた何本かの道と鹿島中学校の校庭を見つけただけだった。人が普通に住む町を形成していた場所だったのだ。

 14:39、循環線バスに乗る。10分ほどで清陵町に着く。清陵町は観光地でも何ではないが、炭住がある。炭住とは、実は普通の住宅に過ぎない。ただ単に炭鉱で働く人たちが住むから、炭鉱住宅つまり炭住なのだ。

 南部行きのバスに乗ると、清水沢から南部までの間に古い木造家屋の炭住を見ることはできる。正確に書くと、2005年と2006年には見ることができた。幸福の黄色いハンカチ想い出広場には炭住が移設されている。ここにある炭住こそがもっとも炭住らしい炭住である。

 清陵町は北炭夕張新鉱の開鉱にあわせて建てられた団地群である。1975年以降なので、古いタイプではない。単なる団地といってもいい。それでもここには夕張の雰囲気がある。清陵町の、この炭住団地群は夕張と新夕張を結ぶ幹線道路から少し入ったところにある。私は2006年にバスに乗ってここに来た。バスにはそれなりの数の人が乗っていた。その人たちが清陵町で降り、団地のなかに散っていったとき、ここが隠れ病棟のように思えた。

 吹雪いている。フードが風でバタバタ震える。カメラをポケットから出す手が痛い。人が歩いた形跡のないところは雪が深く足が埋まる。それでもなんとか15分で清陵町の団地群をジグザグに歩く。雪かきをしている人が1人いるだけだった。団地内の多くの部屋は使われていない。ここは夕張市議会で問題になった。理由は不法占拠しているとか、家賃の未収の問題だ。勝手に住み着くケースもあるようだ。部屋を改造して自衛隊の駐屯地にすればいいという意見もあった。3、4年ぐらい前までは積極的にそういう情報を集めていた。町議会の議事録に目を通したこともあるが、その後、どうなったのかを知らない。

CIMG5522.jpg

CIMG5511.jpg

 吹雪のなかをバス停までもどってきた。近くのコープさっぽろ夕張清陵生協の店に入る。少しでもあたたまりたい。北海道の家や店や(電車も)2重扉になっている。コープさっぽろ夕張清陵生協の最初の入口と店の入口の間に、何人かが座れる椅子があった。店はあったかいが椅子のあるところは寒い。それでも外よりははるかにましなので、店のなかでパンとコーヒーを買い、椅子に座って食べる。 

 店を出て少し歩き、15:41の循環線バスに乗る。乗ってすぐにドライバーに夕張駅着の時間を尋ねた。16:10頃に夕張駅前のホテルマウントレースイバス停に着くという。それなら大丈夫だ。普通列車で今日中に札幌にもどるためには、夕張駅を16:27に発車する列車に乗らなければならない。それが事実上の最終列車である。これよりあとにも3本の列車があるが、その先で普通列車の乗り継ぎがない。特急列車を利用すれば、選択の幅は広がる。

 雪が激し過ぎる。さっきから列車が動くのかどうかの心配をしないといけない状況になっている。バスは猛吹雪のなかを走っている。どこが道路なのか判別がつきにくくなっているし、視界も悪い。バスは1度スリップしかかった。夕張から札幌までのバスがあることはわかっている。最終的にはバスで帰ることになるかもしれない。バスの最終が何時なのかを知らないが、2006年にはバスで札幌まで出た。

CIMG5548.jpg

 循環線バスは、少し遅れてホテルマウントレースイバス停に着いた。夕張駅では数人が列車を待っていた。入線時刻を過ぎているが、夕張駅に列車が入ってこない。10分ほど遅れて列車が入ってきた。客を乗せるとすぐに出発である。遅れてはいるが、動いたのでほっとする。

CIMG5563.jpg

 夕張本町は夕張駅から20分ぐらい歩いたところにある。そこに行くことはできなかった。行っても、今日の雪では何もできないだろうと慰める。

 当初の私の予定では、清水沢駅で降りて、まず南部に行く。乗っていったバスの折り返しで清陵町に行く。そのあと循環線バスで夕張駅まで行く。そこから歩いて本町まで行き、また夕張駅にもどる。16:27発の列車に乗る。これが列車のなかでなんとなく考えたスケジュールだった。

 最近の国内の旅で、これほど予定の狂った旅はない。原因は7、8年も前の経験を2014年に適応してしまったことにある。夕張に行って、本町を見ないということは本来あり得ないことなのだ。夕張は国際ファンタスティック映画祭の開かれる町で、東京の青梅などと同じように、町中に古い映画の看板が商店などにかかっている。昔はそれほど多くなかったが、今はその数が増えているようだ。少し前に偶然、夕張のパンフレットを見たときにそう思った。そのなかにダイ・ハードのポスターもあった。マイフェアレディ、ローマの休日、サウンドオブミュージックなどの古いポスターが並ぶなか、新しい映画のポスターは興ざめだと思ったものだ。

 夕張を訪れる人のために書いておく。夕張は見所満載の町だ。なんといっても石炭の歴史村、幸福の黄色いハンカチ想い出広場、夕張鹿鳴館、めろん城、「北の零年」希望の館、滝の上公園、滝の上発電所などだ。初めて夕張に行く人はまずこういうところを見るべきだ。それ以外にも旧北炭清水沢発電所、旧北炭新坑口などの産業遺産がある。これらは予約が必要かもしれないが、公開されているはずだ。私は1度入ってはいけない施設に侵入したこともあったが、そういうことをする必要はなくなりつつある。

 列車が途中で止まる可能性もあったが、心配は杞憂に終わり、無事、千歳駅に着いた。18:41の快速エアポートに乗り、19:10に札幌駅に着いた。インドのガンゴートリーでのガンガーの大反乱、フィリピンでの台風30号に続き、南大東島で嵐を迎えた。2007年に爆弾低気圧の天気予報が出ていた会津を旅したときより、今日の夕張は吹雪いていた。これは爆弾低気圧だといっていいし、まぎれもなく嵐そのものであるが、列車が途中で立ち往生し自衛隊のヘリでも飛ばない限り、やはり災害に巻き込まれたとはいえない。ネタが途切れるのは残念至極である。

 今日のホテルはすすきのカプセルホテルだ。1キロちょっとなので、札幌駅から歩いてみる。歩き始めて後悔する。札幌は風が強く寒い。歩いている人が、今日は寒いと言っている。別の人は、今年一番の冷え込みらしいと言っていた。ニューカプセルリフレにチェックインする。楽天トラベルとじゃらんでは、金曜日の札幌のホテルはかなり予約がいっぱいの感じだった。今朝チェックアウトしたオリエンタルホテルは、今日の予約ができなかったのだ。

 最後に2005年と2006年の夕張の印象を書いておこう。

 まず2005年の感想から。この町は何かがおかしい。まるっとするっと変だ。仲間由紀恵のトリックのように変だ。なんだ、この石炭の歴史村の巨大さは。施設のなかにロボットやら他のものやら何でもあるじゃないか。そのくせ客はいない。客がいないのは私が朝一番で入ったからなのか。ずらっと並ぶ施設内の商店にはけっこう販売員がいる。私1人のために何人働くのだ。北の零年にこれだけ投資していいのか。

 こんなところが2005年の夕張についての私の感想である。しかし結局、私はおかしさの正体をつかめなかった。市の人口など経済指標を調べれば、何かがわかったかもしれない。しかし行く前は、夕張メロンと幸福の黄色いハンカチのイメージしかなかったのだ。

 帰ってきたあと、夕張破綻のニュースが流れた。
 
 破綻後の夕張を見てみたくなった。それが2006年に出かけた理由である。夕張の表面上は何の変化もなかった。当たり前だ。旅人に旅先の固有の事情などわかるはずがない。夕張市役所は縮小されていた。活気がなかったが、ハローワークでもないのに求人情報は充実していた。

 翌年の成人式への費用が出せないといったことがニュースになった。国際ファンタスティック映画祭への夕張市の出資は100,000,000円だが、それが打ち切られようとしていた。当然だろう。ホテルマウントレースイの前である人と話をした。その人は必ず映画祭をやると言っていた。

 9校あった小中学校は2校になった。市民税は上がり、下水道使用料も上がった。閉鎖中の図書館の屋根が雪の重みで倒壊したことはニュースになった。夕張市民病院はベッドをなくしたので、人工透析患者は他の病院に移された。新しく瀬棚から医者がやってきた。この人は健康管理に注意し病人を出さない方針で病院経営を行った。私はそのドキュメンタリーを2本ほど見た。この種のことに反対したのは共産党である。インターネットを検索すると赤旗でその種のことがよく書かれていた。

 夕張の財政破綻を中心に据えたドキュメンタリーは何本もテレビで放映された。すべてのドキュメンタリーは、夕張だけではなく日本全国のどこで起きてもおかしくはないのです、と番組を終えていた。もうちょっとましな終わらせ方はないのかと思った。財政破綻の直後、香取慎吾が清水沢でインタビューをしていた。浅はかなインタビューのふざけた番組だったが、最近はマスコミのヘリがうるさくて困るという住民のコメントを引き出した点だけが唯一評価できた。どうせ1日で東京に帰ったのだろうが、私よりは金を使うわけだから、夕張にとってはずっと有益なのだろう。

 青森の羽柴秀吉が夕張市長選に出馬し落選した。これはもう茶番だった。

 2014年1月9日、私はさらにどういう変化があったのかを書くつもりだったが、まったく書けない。そのなかで1つだけ変わった点を発見した。黄色いハンカチがどこにもないのだ。1枚もない。2005年も2006年も、どこにいっても黄色いハンカチがひらひらと揺れていた。清水沢駅や夕張駅の窓には何枚もの黄色いハンカチがあったのだ。私のパソコンにはひらひらとなびく黄色いハンカチの写真が何枚もある。とくに鹿の谷駅には多くのハンカチがなびいていた。黄色いハンカチをなびかせて待っていても高倉健がもどってこないことがわかったからなのだろうか。それとも今日、私が周ったところがあまりに狭かったので、ハンカチを見る機会がなかっただけなのか。

 2011年、「幸福の黄色いハンカチ」は阿部寛と堀北真希によってリメイクされた。表情がなかったタイプの堀北真希がいい演技をしていた。北の町の気だるさと薄さが表情と演技に出ていた。阿部寛は高い身長を持て余してはいなかった。2人の身長差はとてもうまく画面に映っていた。見終わったあと、浜田岳はその低い身長であるゆえにあのドラマに抜擢されたのかもしれないと思った。

 リメイクの舞台は夕張ではなく、羽幌だった。夕張はもう商品価値がないのだろうか。夕張の人はどんな想いでリメイクのドラマを観たのだろう。いや観なかったのだろうか。

 旅人の感想を書いておこう。旅人は勝手なものさ。いいじゃん羽幌。行かねば羽幌へ。と思った。それだけだ。私は嘘をつきたくない。

 もしこのブログを夕張の方が読む機会があったのなら、夕張はいつ黄色いハンカチをなびかせなくなったのかを教えてほしい。
スポンサーサイト

Comment













非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。