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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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横浜駅8番線から碓氷峠まで

2014年1月5日  高崎 横川 磯部 安中

 昨日と同じように、横浜駅10番線から乗ろうとしたが、高崎線籠原行きは出発したばかりだった。東北線の宇都宮行きに乗り、大宮で乗り換えるという手もあるが、それも15分ほど待つことになる。8番線に回り7:22発の東京行きに乗る。新橋で山手線に乗り換え、上野で8:02発の高崎行きに乗った。

 今まで、大宮以北の高崎線の多くの駅に降りてきた。上尾、桶川、北本、鴻巣、吹上、熊谷、深谷、本庄などだ。とくに深谷と本庄を気に入っている。熊谷駅の近くには遊郭跡も残っている。東北線の駅は古い町並みが少し残っているが見ごたえはない。薄い感じがするのにたいし、高崎線の町々は存在感がある。暇ができれば、また行くことになるだろう。と書いて、現在、暇は大いにあるが当分は行かないだろうと付け足すことに決めた。わざわざでかけていくかどうかはちょっと別の問題だ。

 高崎駅で20分ほどの待ち時間があったので、改札を抜け駅前を歩く。駅前の大きさに比べ、人通りは少ない。日曜日の昼前だからかもしれない。APAホテルの独特の入口を見たとき、そうだここに泊まったことがあるのだといきなり思い出した。

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 10:23、信越線の電車は高崎を発車した。高崎から横川までは30分強で行ける。電車は山のなかを走り始めたと思ったら、すぐに横川に着いた。

 横川に着いたとき、ホームには大勢の人がいた。反対側のホームにはSLと客車が止まっていた。12月末から2月まで「冬もSLに乗って碓氷峠へ」というイベントが6回開かれ、今日がその1日らしい。安中総合学園高校の生徒が和太鼓を叩いて出迎えるというもてなし付きだ。
 
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 駅を出て、近くにある碓氷峠鉄道文化むらに入る。横川には1997年に来たが、そのときはおぎのやの峠の釜飯を食べただけだった。2004年10月が2度目だが、そのときこの碓氷峠鉄道文化むらに入っている。碓氷峠を中心に活躍した特急電車や電気機関車の展示だとばかり思っていたが、まったく関係ない場所で動いていた車両も展示されているらしい。近くで見る電気機関車は思った以上に大きく、迫力がある。建物内には鉄道模型のジオラマや土産物屋もある。大人も子供も楽しめる施設だ。
 
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 この施設のなかからトロッコ列車が出ているらしい。2004年時点でこの列車があったかどうかはわからない。あったとしたら、そのとき私は完全に見落としていた。トロッコ列車の終点はとうげのゆ駅で、そこには峠の湯という日帰り温泉の施設があるらしい。そこに行く人たちがチケットを買っていた。その近くには坂本宿があるが、写真で見る限り、ちょっとつまらなそうだ。

 とうげのゆ駅からさらに高いところにある熊ノ平までトンネルを歩きながら登れるようだ。一番長いトンネルの長さは546メートルである。横川はレクレーション施設がかなり充実している。私はすっかり見落としていた。ここは丸1日遊べる場所のようだ。

 前回と同じように狭い横川の町並みを歩く。新しい家屋はほとんどない。何かがなくなっているという感じもない。通りから少し入ったところにある神社も昔のままだった。しかし賽銭箱がなかった。私は前回お参りをしたはずだ。私は全国の寺や神社にお参りをしている。賽銭箱にお金を入れないということはありえない。だとしたら、そこは以前と変わったということなのだろう。

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 駅前にテントが貼ってあり、その横でおぎのやの峠の釜めしを売っていた。テントのなかの椅子で峠の釜めしを食べる。以前、峠の釜めしを駅のベンチで食べ、釜自体を捨てることができず、持って帰ったことがあった。次のとき、それが嫌で、おぎのやのなかで食べたのだが、売り物の釜めしがそのままテーブルに置かれた。別の器に入れたほうがいいんじゃないかとは思ったが、それだと釜めしではなくなるということか。

 横川は楽しい場所であるらしいが、坂本宿に行くつもりはないし、峠の湯に入るつもりもなかった。ただトロッコ列車に乗って上まで行き、さらにトンネルを超えて熊ノ平まで行くかどうか少し迷った。

 結局、13:08の高崎行きに乗り、3つ先の磯部駅で降りた。

 駅前の広場に立って、ちょっとわくわくした。おもしろそうな予感がした。タクシー会社の上にはレトロな看板があり、商店名などが書いてある。その隣りに奥のほうにいく道があるが、そこには歓迎磯部温泉と書かれたアーチがあった。

 アーチを潜り、町のなかに入っていく。まっすぐ進むが、道の両側は何の変哲もない、少しすたれた感じのする店や家屋が並んでいる。営業しているのか、たまたま今日が休みなのか、廃業しているのかの判断がつきかねるような店が何軒かある。こういう通りが一番おもしろいのだ。

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 左手の坂を降りれば温泉街らしいが、まっすぐ進むと文学碑のある磯部公園がある。公園の正面奥には磯部温泉会館があり、13人の文人の文学碑はその奥にあるらしい。若山牧水、久保田万太郎、北原白秋、水原秋桜子、萩原朔太郎、室生犀星など聞いたことのある文人の文学碑があるようだ。名前を記さなかった残りの7人について、名前を聞いたことがなかった。公園内には道祖神もあった。

 左の坂を降りないで、そこから分かれる道を登っていく。坂の上のほうにも旅館がある。坂を降りると足湯があった。その近くを碓氷川が流れているが、その周辺には大きく立派な旅館がある。町をぶらぶらしている人は多くはないが、足湯のところだけは10人ほどの人がいた。ホテルのような大きな旅館、こじんまりとしているが新しくちょっとおしゃれな感じのする旅館、営業をやめているかどうかわからない古い旅館が混在しているのが、磯部温泉だ。全体としてレトロ感はあるのだが、そうでない部分も見せてくれる。

 足湯の近くに地図があった。マニラ90という名前のスナックがあったので行ってみたが、蓮という名前に変わっていた。ところで温泉マークはここ磯部温泉が発祥の地らしい。

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14:03の高崎行きに乗り、隣の安中駅で降りる。駅の南には、東邦亜鉛精錬所が異様な姿を晒している。

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 2004年に横川に来たときに、この安中駅でも降りている。その日は雨が降っていた。夕方、雨のなかを安中の中心に向けて歩いた。そのときは周辺地図しか持っておらず、それは道路の判別ができるものではなかった。20分ほど歩いたが、誰にも会わない。広い道路をどこまでも歩き、ようやく会った人に市役所の場所を尋ねたときに、まだ先のほうだと言われた。そこで安中の町に入るのを諦め、すごすごと駅まで引き返した。靴は水浸しになっていた。安中はそれ以来、来ていない。

 今日、歩いてみて、2004年になぜ間違えたかがわかった。駅から少し歩くと碓氷川を渡る。その先にある下ノ尻という信号のある三叉路で左の道路に入っていけば、なんとなく街道らしい雰囲気になってくる。それが旧中山道だ。そこを歩けばよかったのだが、そのときは右側の広い道路をまっすぐに歩いていったのだ。それはバイパスだった。その道路でもたしかに市役所の前には着くのだが、とても安中宿という雰囲気の場所ではない。下ノ尻の信号からさらに歩けば伝馬町の三叉路に着く。伝馬町という名前を知れば、夕刻時でも、そこが旧街道だという推測ができたかもしれない。

 安中宿は中山道69次の江戸から15番目の宿だ。中山道にはすばらしい宿が残っている。とくに洗馬宿から本山宿、贄川宿、奈良井宿、藪原宿、福島宿、上松宿、野尻宿(ここは行っていない)、三留野宿、妻籠宿、馬籠宿あたりまでは多くの宿が山あいにあり、ひっそりと息をしている感じがする。

 ヨーロッパは広場の文化だ。彼らはそこで議論をすることによって相手を打ち負かし、文明を高めてきたのだとなんとなく思っている。日本は街道の文化だ。通りすがりの人とあいさつを交わし、情報交換をし、自分の行き先を見つめてきたのだろう。

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 安中宿は、史跡めぐりができるほどに史跡が残っている。旧碓氷郡役所、武家屋敷、有田屋・便覧舎址(日本初の民間図書館)を見ることができる。なかには入れなかったが、安中教会の外観もすばらしい。しかし今の安中ははっきりいうとNHKの大河ドラマ「八重の桜」を千載一遇のチャンスとばかり町の売り出しにかかっている。

 安中には新島襄の生家がある。私は「八重の桜」を観ていない。正確にいうと2、3回ほど観たことはあるが、その日の放映を全部ではなく部分的に観ただけだ。新島襄が同志社の創立者であることは知っていたが、八重が新島襄の妻であることを知らなかった。私は全国各地にある偉人の旧宅(や生家)にほとんど興味がない。興味のある人であっても、その旧宅(や生家)に行きたいとは思わない。それなら好きな映画やドラマのロケ地巡りのほうがよっぽどいい。しかしここには来てよかったと思っている。八重の人となりについて、資料から少し学ぶことができた。

 私にとっては珍しく歴史に触れた旅になった。その交換条件は足の痛みだ。安中だけで7、8キロぐらいは歩いた。安中駅と町中が遠く、バスが走っていない。平日はあるらしいが、本数は極端に少なく、今日は日曜日である。

 帰りは、新島襄旧宅からは早足で40分ほど歩き続け、なんとか16:50発の高崎行きに乗ることができた。

 高崎では17:12の平塚行きに乗った。横川に来るときから車内で旅日記を書き続けていたが、帰りの車内でパソコンの電源がついに切れた。そのとき平塚行きは桶川辺りを走っていたが、どの辺りかを確認するのに時間がかかった。車窓は夜になっていた。
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