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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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3日目 2017年6月28日 鯖江 武生 福井

鯖江を歩いた

 9:00前、福井パレスインをチェックアウトした。福井駅東口のアオッサ1階のユトリ珈琲店でモーニングセット。

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 JR北陸本線  福井 10:11発 → 鯖江(さばえ) 10:26着

 鯖江駅に観光案内所があった。いつものように地図をもらった。

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 「〇〇4丁目」「XX2丁目」といったような住所がもれなく載っている地図がほしいと思っているが、そういう地図がいつも用意されているわけではない。「鯖江市全域MAP」にはその住所表記があったが、町の中心部のみを表記した「鯖江駅前周辺MAP」に住所表記はなかった。交差点の信号の有無はわかるようになっていた。「2つ目の信号を右に曲がる」といった歩き方ができる。公共施設はもちろん、移転する可能性があまり高くない金融機関はすべて載っているようだ。ゼンリンの住宅地図をベースにしたような細部に凝った地図であった。

 観光案内所で「遊郭跡はどこですか?」と尋ねても答えが返ってくることはほとんどない。だからこちらもそういう質問をしない。観光案内所に期待するのはよい地図である。地図が使えない場合、スマートフォンのグーグルマップを使うことになるが、電池の消耗を気にしながらの使用となる。

 鯖江の中心はJR鯖江駅の西口である。西側を北陸本線に沿って南北に走っている通りを北に歩き、2つ目の通りを左(西)に折れさらに次の通りを左(南)に折れた。

 松阜神社の鳥居があった。

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 鳥居のそばにあったのは1921年(大正10年)に建てられた旧鯖江地方織物検査所である。国(文化庁)の登録有形文化財となっている。ドアの窓からなかを覗き込んだ。当時の事務所のカウンターが残っていた。11:00開館という表示がなかにあったので11:05まで待ったが、(洋風)下見板張りの建物のドアが開くことはなかった。水曜日は休館日ではないはずである。

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 同じ旭町1丁目にあったのは上田家長屋門である。郵便局の配達員が教えてくれた方向が間違っていたらしく、すぐに追いかけてきて訂正してくれた。上田家は鯖江藩の家老だった。残っているのは1865年(慶応元年)のものである。

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 旭町1丁目から北に歩き、旭町2丁目を抜け国道417号に出た。東に歩き地下道を潜り、北陸本線の東側に出た。下の3枚はその途中と地下道に入るところにあった古い家屋。

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 国道417号の南側が柳町1丁目、北側が柳町2丁目である。『全国遊郭案内』に「鯖江駅東北三丁の清水に貸座敷12軒に娼妓45名」とある。「東北三丁の清水」を特定できない。

 あるサイトで「それは、柳町1丁目の不自然な広場かもしれない」と推察していたが、それを見つけることはできなかった。

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 柳町2丁目にあった家屋がそれに該当するのでないかと思ったが、私も断言するつもりはない。ここもちょっとした広場になっていた。

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 地下の通路を抜け北陸本線の西側にもどった。国道417号を西に歩いた。

 途中にあった「ヨーロッパンキムラヤ」で「軍隊堅パン」が売られていた。陸軍鯖江歩兵第三十六連隊に収めていたものを、戦後復刻したものである。日本一堅いパンとしてメディアで取り上げられたらしい。

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 1896年(明治29年)に鯖江を駐屯地とした歩兵第三十六連隊は日露戦争、シベリア出兵、第一次上海事変、南京攻略戦、徐州会戦、沖縄戦など日本の歴史に残る戦争や軍事活動に参加していた。

 福井銀行のある交差点を南に行ったところにあったのは料亭天狗楼である。所在地は本町2丁目である。

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 国道417号にもどった。歩道にコアロード・コマチが現れた。庇下式のアーケードである。

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 福井県道134号との交差点の一角にあったのが「ミート&デリカささき」である。カフェではなく肉屋だった。肉、コロッケ、トンカツなどに混じってサバエドッグが売られていた。注文から出来上がりまで4分かかるそうである。

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 サバエドッグは、サバ(魚)のホットドッグではない。イスタンブールのサバサンドとは関係がない。

 割り箸にご飯を巻き、スライスした豚肉を巻いて揚げたものがカップに入れられていた。形状はきりたんぽのようである。「歩くソースカツ丼」として売り出されている。

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 「ミート&デリカささき」のすぐ近くに恵美写真館洋館があるのを見過ごした。1905年(明治38年)に建てられた擬洋風建築らしい。気付いたのは鯖江駅にもどったときである。

 福井県道134号の西にあったのが本山誠照寺である。福井県屈指の名刹である。1753年(宝暦3年)建立の阿弥陀堂、1877年(明治10年)建立の御影堂があった。現在の本堂がどちらになっているのかわからなかった。

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 毎月第2日曜日、この本山誠照寺の境内で誠市が行われ骨董品や古美術品などが売られるらしい。

 本山誠照寺の西南方向に公民館があった。新しい建物であるが、公民館の前にあった広場は不自然だった。普通の区画整理からは生まれない不自然な広場はかって何かがあった可能性がある。

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 町をぶらぶら歩きながら鯖江駅にもどった。

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 勝山、越前大野は繊維の町だった。鯖江も繊維業が盛んだったようだ。さっき見た旧鯖江地方織物検査所の他に、町の中心から北4kmほどのところに繊維会館があるが、遠すぎて歩く気にはならない。もっとも繊維産業は日本の多くの地域で盛んだった。

 鯖江はメガネの産地でもある。鯖江駅の東1kmほどのところにめがねミュージアムがあるようだが、町中にメガネ店はほとんどなかった。

 下の3枚は2008年7月29日の鯖江である。場所を特定できない。

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 鯖江駅から武生(たけふ)に向かった。

 JR北陸本線  鯖江 13:26発 → 武生 13:31着


武生を歩いた

 武生駅舎を背にしてまっすぐ前に歩いた。方向は西である。駅前にホテルクラウンヒルズはあったが、田舎の小都市の何の変哲もない通りだ

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 越前市観光協会の掲げるキャッチコピーは「越前市。千五百年物語」である。

 東部の味真野(あじまの)は万葉集に出てくる地名らしい。今立は古代の天皇である継体天皇ゆかりの地である。武生駅周辺は「府中」という町名が示すとおり、奈良時代には国府、国分寺が置かれ中心地として栄えてきた。そういったことがホームページに書かれていた。

 しかし。そもそも私は「越前市」という名称が好きではない。

 2005年10月武生市は今立町と合併し越前市が新設された。平成の大合併以降、新設の市に「大げさな地名」が付けられるようになった。その最たるものが「奥州市」である。この市は、奥州市水沢区といった具合に旧市町村に「区」が用いられている。まるで政令指定都市のごとく、である。東北6県をカバーするような名称といい、やりたい放題である。「伊豆の国市」もまるで伊豆全体をカバーするような地名である。

 明治の初期、福井県は県域を何度か変えているが(勝山市の「はたや記念館ゆめおーれ勝山」にわかりやすい解説があった)、そもそもは旧若狭国と旧越前国を合わせた自治体である。そして「越前」を名乗ることは、福井市など福井県東部地域を含むことになる。自治体の最小単位である市町村の名称をそういったふうにすべきではないと考える。平成の大合併の際、総務省は新設の自治体の名称に何らかの制限を設けるべきだった。

 いずれにしても武生市は歴史のなかの自治体となってしまった。武士の「武」の文字を残すことができなかったのかと思うが、「武生」の由来は「竹やぶ」辺りからきているらしく、武士と関わり合いはない。

 古くは市街地の町名に「源氏物語の各巻名」が使われたらしい。その後の地名変更では「能の演目名」から命名された(蓬莱、堀川、住吉など)。

 越前市役所の前を通った。古そうな建物だった。

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 まちなかプラザの前にあった信号を右に曲がった。方向は北である。

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 2つ目の角を左(西)に折れた。一力酒店が見えた。おかしい、道の真ん中に水路のある通りに出るはずであるが、あったのはアーケードのある通りだった。

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 アーケードのある通りの1本西側に水路のある通りがあった。尾花遊郭のあったところである。1930年(昭和5年)の『全国遊郭案内』には貸座敷数23軒、娼妓95名とある。1890年(明治23年)にこの地に移転してきた。

 松の木と水路の桂町を歩いた。往時の建物はなく一部で歯抜けのところもあったが、風情のある住宅街という感じである。

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 目立ったのは風情とは関係がない、フィリピン風、タイ風のスナックである。

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 スナック「彩花」にはアーチ状の柱があった。

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 「姫」の壁が雁行である。

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 「Kikay」はフィリピン英語で「ぶりっ子」の意味。

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 スナックやバーは多くなかった。それぞれは近接していたが、密集しておらず散っているわけでもなかった。10軒ほどが目立たない自己主張をしており、全体としてほどよい場末感を醸し出していた。

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 水路のある通りを出て、南に歩いた。

 どことなく京都四条の花見小路のよう。京都府は隣県であり、京までは100kmほど。金沢まで影響はあったのだから、途中の福井に京ふうの町があることは想像に難くない。

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 地名は京町だった。いいネーミングである。

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 「京町・橋本旅館」。

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 小京都と呼ばれる地域が集まった団体が「全国京都会議」である。京都市を含む町により結成されている。加盟基準は以下の3つである。

 1.京都に似た自然と景観
 2.京都との歴史的つながり
 3.伝統的な産業と芸能があること

 現在46の町が加入している。過去に加入していて、脱会した町は15ある。

 「小京都」と勝手に名乗ることは自由なので、加入していなくても独自の旅行案内に「小京都」と記載することに問題があるわけではない。加入していることのメリットがなければ、脱会するだろう。「全国小京都会議」は任意の団体である。

 3つの条件はあまりに抽象的でありすぎる。「京都との歴史的つながり」が脱会した松前町(北海道)にあったとは思えない。

 湯河原(神奈川県)、城端(富山県)、古河(茨城県)などが入っているのはどうかと思うが、加入していない武生はまちがいなく小京都だった。

 旧井上歯科医院は国の登録文化財。

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 京町周辺には寺がいくつもあった。地図で確認してみると、4km四方くらいに50ほどあった。神社を含めるとさらに増える。異常な多さである。

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 総社通り商店街に入った。庇下式のアーケードのある商店街である。店の数は多くなく、店の広告は前面には出ていない。派手なところがほとんどない商店街である。

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 旧北陸道(国道365号)を東に歩いた。この通りにもアーケードがあったが、半分ほどの店にはシャッターが下りていた。アーケードの上の屋根を見てみたが、古い家屋はなさそうである。

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 アーケードの撤去は町興しの1つの手段であるが、とくに老朽化していない限り、雪国では難しいかもしれない。住人は実用を重視する。

 「蔵の辻」には蔵が数軒あった、武生のシンボルらしきところであるが、誰もおらず大したことはなかった。

 JR武生駅のほうに歩いた。

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 福井鉄道の終点である越前武生駅はJR武生駅から少し離れたところにあった。

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 越前武生駅から福井よりの1つ目の駅が北府(きたご)駅(旧・西武生駅)である。古い駅舎があるらしいことを知っていた。2010年ソフトバンクのテレビコマーシャル、白戸家「親孝行」篇で駅舎が登場した。樋口可南子とお父さんが雪のなかで列車を待つシーンである。

 1時間ほど前から雨が降っている。傘を差して歩いていたが、雨は強くなっていた。北府駅に行くのを止めた。武生はいわさきちひろの生まれたところである。「ちひろの生まれた家」は「蔵の辻」の近くにあったが、そこに行くのも止めた。

 下の4枚は2008年7月29日の武生である。4枚目の「大つか」は変わっていなかった。

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福井を歩いた

 JR北陸本線  武生 15:11発 → 福井 15:33着

 福井にもどってきた。雨はぱらぱらと降っているが、傘を差すほどではない。

 福井駅から中央大通り(福井県道5号)を西に歩き大名交差点を渡った。さらに西に歩き右に折れ、片町商店街のアーチを潜った。最初の交差点の一角にヨーロッパ軒総本店があった。支店は福井県内に20店ほどあるらしい。ヨーロッパ軒は元々早稲田(東京)にあったらしいが、関東大震災で被災し地元の福井にもどったらしい。

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 なかはきれいだった。福井のソースカツ丼を注文した。

 濃いめのソースが浸みた3枚のカツが乗せられた丼が出された。卵とじではなく玉ねぎも使っていないのでカツ丼というには違和感があった。カツは薄くご飯の上に乗せてあるだけである。意外に柔らかく食べやすかった。

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 福井浜町芸妓組合がグーグルマップに表記されているのを知っていた。エースイン福井というホテルの近くである。周辺を含め歩いてみた。料亭が数軒あった。

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 下の2枚は福井浜町芸妓組合の表札である。芸妓さんは4人しかいないという意味なのだろう。福井市全体で4人しかいないと解釈していいのかどうかわからない。

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 福井浜町芸妓組合の近くにあか抜けた洋館があった。グリフィス記念館である。1872年(明治4年)福井藩に雇用された米国人教師ウィリアム.E.グリフィスが住んでいたところ。建物は1874年に焼失しており、それが復元されたようである。グリフィスは帰国後、日本の歴史や文化を紹介する著作を残したらしい。代表作は『ザ・ミカドズ・エンパイア』。

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 全国的に無名であるこの人は、札幌農学校のクラーク博士の影に隠れた存在である。


さよなら福井

 福井駅東口のアオッサ1階のユトリ珈琲店で時間をつぶした。バス乗り場はユトリ珈琲店から1分の場所にある。

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 夜行バスは好きではないが、料金が安いので乗っている。それでも夜行バスを待つためにあれこれ無駄な時間をつぶすことを悪くないと思っている。

 さくら観光のバスは早い時間帯の出発である。金沢、高岡、富山、新宿を経由するので横浜までは意外に時間がかかる。

 さくら観光バス  福井駅東口アオッサ前 20:30発 → 横浜シティエアターミナル 7:40頃着

 《終》
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Comment

編集
福井の旅、お疲れ様です
お帰りが夜行バスとは思い付きませんでした、ご苦労様です
今回は出て来ませんでしたが、丸岡城には行かれた事はありますか?
小生は一度行った事があります
小ぶりな天守閣が残ってます
ただし交通の便が悪く、時間が無いのでタクシーで行きました
昔、少し嶺北に仕事でいた頃ナビも無い頃なので武生、鯖江、今庄の方向を意識して方向を覚えていました、地名が懐かしいです
2017年07月16日(Sun) 20:40
No title
編集
Maxさん。

出発前に丸岡城は一応確認しましたが、行きませんでした。Maxさんも書かれているように「小ぶり」すぎるだろうと思ったからです(笑)。

越前大野城も今回は下から眺めただけです。10年前は上ったのですが、近年まさかこれほど注目されるとは思ってみませんでした。もっとも「天空の城」としての眺めは年に1、2日あるかどうかのようです。

今庄は昔は注目されていなかったのに、今では行く人もいるようです。
2017年07月17日(Mon) 01:45












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