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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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死にかかっている吉原。生きている栄町。

12日目 2013年12月14日  コザ  那覇

死にかかっている吉原。生きている栄町。

 9:00過ぎ、国道330号をひたすら歩いて、コザ十字路をめざす。このルートは下り坂になっているが、途中国道脇の道路に入ったりしたので、30分ほどかかってコザ十字路に着いた。

 先に吉原に行く。吉原の名前は、もちろん東京の吉原からきている。つまり色町だ。置屋街である。真栄原と並ぶ沖縄最強のディープゾーンだ。真栄原は平坦な場所に比較的整然と店が並んでいる。韓国の置屋街も多くはそうだ。吉原は坂の両側と上のほうに展開する。その分、吉原のほうが探索気分は高まる。坂の上に向かって歩いていくのがどきどきする。

 10年ぐらい前は、昼過ぎに行っても坂の上の店から、足を組んだ女が手招きしていた。そういうときはそこまでまっすぐ登っていけない。横の道に入り、姿を消す。面舵いっぱいで魚雷の弾道を避けた駆逐艦の艦長の気分だ。しかし女のソナーは美里1丁目の全域に探信音を放っているだろう。女は完ぺきな海図を持っている。どの道をどう曲がれば何秒後にどこに出てくるくらいは熟知している。これは情報戦であり、完全アウェイで最初に探知されると一挙に不利になる。

 さらにやっかいなのは、曲がったその先のガラス戸のなかの女とも視線が合うことだ。まさかの時間にやってくる男は2番目の女にとっても不意打ちなのだろう。とまどいは双方にあるが、とまどったあとの体制の立て直しのスピードは負ける。不意の遭遇時における戦力の差は立て直しのスピードの差であり、それは経験値に比例する。出会い頭は可能なかぎり避けたい。しかしところどころで張られている水雷の網を無傷で抜けることは難しい。

 つまりだ。この種の探索は相当気を使う。こちらにとっては神経戦でもある。読者にはそれを理解しておいてほしい。

 日本の売春防止法は1955年に発令している。沖縄は本土復帰に合わせて、日本の法律が適応されることになったのだが、10年間の猶予が認められた。もちろんその10年はとっくに過ぎている。それが残っているのが、吉原や真栄原なのだ。もちろん沖縄だけではない。大阪をはじめとして全国各地にそういう場所はあった。見学として歩くことさえ、はばかられる場所だ。 

 2年前、普天間基地を徒歩で一周したとき、真栄原に寄った。普天間基地を一周するとき、真栄原は避けられない。そこは3回ほど行った場所なのに、真栄原の場所がわからなかった。理由は真栄原社交街という文字があるアーチがなくなっていたからだ。人に尋ねるわけには行かないので、自力で探そうとしたがなかなか見つけられなかった。結果的に見つけることはできたのだが、真栄原の命脈は尽きていた。営業しているのかどうかわからない2、3店舗を除いて、ドアや窓は封鎖され、貸店舗などの表示があった。そこは終わった場所だった。行政が再生のプランを立案し、警察がその気で動けば、こういう場所は一気に瓦解する。横浜の黄金町はその典型であるが、真栄原に差し伸べる再生プランはなかった。

 昨日、吉原を見に行ったMさんが言っていた通りだった。多くの建物に貸物件の紙が貼られている。吉原も断末魔を迎えている。BM、少女林、松竹、カフェ家族、スナックシャネル、笑福、バー夜車、N・Y、欄Ⅱ、だあ~りん、ときわ、スナック紅花。これらの看板の一部は健在で、一部はすでに色あせている。営業しているのかどうかは夜でないとわかりにくい。それでも2年前に見た真栄原ほどではない。まだ息はある。坂の下に止まったままのタクシーがあった。帰ろうと坂を降りたとき、停まっていたタクシーとは別のタクシーが2台、私を追い抜いていった。

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 吉原に行って、銀天街に寄らないことは考えられない。ディープコザは胡屋交差点にではなく、コザ十字路の2ヶ所に展開する。吉原と銀天街だ。

 銀天街はごく狭い地域だけが生きている。ちょっとした食堂と惣菜屋である。3年ほど前、バングラデシュのリキシャが置いてある案内所のようなところがオープンした。そこは地元の高齢者のための買い出しなどのサービスを引き受けていた。しかし今回も含め、3回連続、その場所を探すことができていない。たまたま行った時間に閉まっているということもあり得るが、廃業していることも考えられる。やや活発な惣菜屋付近と活性化という言葉を10年以上も前にどこかに捨ててきた銀天街をぐるぐる回る。

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 那覇歩きはいつものコースを辿るだけだ。コザはそれ以上に行く場所が決まっている。昨日からここまでのコザ滞在で今回新しく行った場所はない。この他に、コザには諸見百閒通りがある。コリンザから10分ほど歩いたところにある、八重島特飲街があった地域には「ニューコザ」の建物の看板跡だけが残っている。そこは今年の2月に行ってみた。白人街と呼ばれた地域は、昨日歩いたゲート通りにバーが数軒あるだけだ。コザ十字路近くの黒人街もほとんど確認できなくなっている。

 コザ十字路から胡屋十字路までの距離は約2キロ。今朝歩いたようにこの区間は歩ける距離なのだが、コザ十字路からの場合、かなりの登り坂になる。何回か坂を登って胡屋十字路に行ったことはあるが、ここ2、3回はバスに乗っている。今日もバスに乗り、胡屋十字路で降りる。

 何もすることはないのだが、コザミュージックタウン音市場のスタンドでコーヒーを買い、テーブルでKOZA Wi-FiがWIFIにつなぎながら旅日記を書く。小さなことだが、今年の2月より便利になっている。この方向でいいと思うから継続し、発展させてもらいたい。

 映画「涙そうそう」のロケ地は、そのときはまだ建設されていなかったコザミュージックタウン音市場の周辺に散っている。撮影中に妻夫木聡はデイゴホテルに宿泊していた。この映画は沖縄へのオマージュだった。コザだけはない。那覇の農連市場、平和通り商店街、牧志、桜坂、それに伊是名島、北谷、奥武島など沖縄各地のさりげなくうつくしい風景が映し出されていた。沖縄の旅は、自分の古いアルバムをめくる旅でもある。

 沖縄市観光協会で180ページぐらいある、沖縄バスルートマップスケジュールという180ページぐらいの小冊子をもらう。沖縄の全バスの時刻表が乗っているかもしれない。発行元は社団法人沖縄県バス協会となっている。

 もう1度、一番街を歩き始めるが、10分ほどで止めてしまった。那覇に向かうことにする。14:00頃、胡屋バス停から那覇バスターミナル行きに乗る。コザから那覇までバスの本数は10本以上あるので、待たなくても乗れる。
 
 松尾バス停で降り、昨日チェックアウトしたグレイス那覇に向かう。同じ部屋をあてがわれたが、今回は2,500円×2泊である。1時間半ほど部屋で休む。

 17:00過ぎにホテルを出る。県庁前通りからハーバービュー通りを東に進み、那覇高校前を通過。開南せせらぎ通りに入り、11日にも通った開南交差点を通過する。今日は大平通りには入らない。

 この大平通りはヤフーマップでは水上店舗第四街区4となっていた。地図上では、ここから水上店舗第三街区、ガーブ川中央商店街、睦橋商店街と続き国際通りに出る。つまり新天地市場本通りは水上店舗第三街区に当たる。おもしろいと思うのは、ヤフーマップの睦橋商店街は、市場中央通りとむつみ橋通りの真ん中にあるということだ。確証は持てないのだが、ガーブ川は2つの通りの間の下を流れていると思われる。
 
 ひめゆり通りに入る。ここには神里原社交街があった。那覇の社交街を特定するのは難しくはないが、簡単なわけでもない。この場所に初めて来たのは2011年だった。理由は、この場所を特定するのに時間がかかったからだ。名前は2009年ぐらいに知っていたが、場所がよくわからなかったということだ。ピンクの建物が目印だ。ここも11日に通過しているのだが、神原中学校横のトックリキワタという木に気を取られて書き忘れてしまった。周辺は家が取り壊されていて、駐車場になり、ほとんど残っていない。かろうじて間に合ったというべきか、もっと早く来るべきだったと思うべきなのかはわからない。ときどき旅は時間との勝負になる。昨日そこにあったものが今日あるとは限らない。旅は早い者勝ちでもある。暗くなり始めたひめゆり通りを歩き続け、安里駅に着いた。

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 17:45、栄町市場と栄町社交街の中間地点ぐらいにある遊処栄楽に着く。ご主人の石原さんと話をする。泡波の大瓶が置いてあったので尋ねると30,000円らしい。波照間島で、小瓶を2,700円ぐらいで買ったと言ったら、大体そんなものらしい。地元では安く卸していても、石垣島では6,000円だと言う。

 Hさん、Iさん、MYさん、Oさん、Sさん(アルファベット順)がやってくる。みんな旅仲間だ。この栄楽は民謡酒場なのだが、三線を触らせてくれる。ここは三線を習い始めたIさんの希望で予約した。Iさんにとってよい思い出になったようだ。Iさんの旦那であるMYさんは十九の春を唄った。SさんとOさんはときどき会うが、Hさんとはひさしぶりで話ができた。

 旅のタイプやスタイルが異なるので、話は多岐に渡る。さて何を話したのだろうと振り返ると、あれも話したこれも話したとなる。細部は覚えていない。バリ島でゴルフをしたことをひさしぶりに思い出したが、それは私には珍しく数人で旅したからだ。その件で話をし損ねたことをあとで思い出した。そのときはバリ島の現地チームを相手にサッカーもしていたのだ。しかし詳細についてはあまり話をしたくはない。

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 帰りに栄町の夜を歩く。見かけたドミトリー宿は建物が古いくせに高かった。いやそんなことはどうでもいい。栄町には3度来たことがあり、11日にも来ている。そのすべては昼だった。私は知らなかった。死んだと勝手に思っていた栄町は生きていた。ややくたびれた昼の風景はどこかに追いやられていた。半開きの戸口の奥から2人の女が通りを見ていた。誘うでもなくただ座っていただけだったが、そこには不思議な吸引力があった。そこを陽気に通り過ぎることができたのは、私ではなく私たちだったからだ。オリオンビールと泡盛も何らかのかたちで関与をしていたはずだが、その金額ならともかく酩酊の明細についてはわからない。ましてここは沖縄なのだ。
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