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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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1日目-1 2017年6月27日 福井

短い旅にプロローグはいらない、そうはいっても福井の旅のプロローグ

 さくら観光バス  横浜シティエアターミナル 21:40発 → 福井駅東口アオッサ前 8:45頃着 

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 福井駅前は様変わりしていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 久しぶりに来た。写真をチェックしてみると、最後に来たのが2008年7月29日になっていた。このときは上野駅発の特急「北陸」でやって来た。終点の金沢駅で下車し普通列車で加賀温泉駅に着いた。駅前でレンタカーを借り、石川県・福井県の県境を跨いだ。東尋坊、三国、越前海岸、今庄宿、武生、鯖江、越前大野、勝山を周った。

 特急「北陸」は翌年3月に廃止になった。このときの「北陸」乗車がブルートレインに乗った最後になった。


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 今ブルートレインを知らない人はどんどん増えている。しかしそれがどうだというのだ。必要があって乗っていた人たちは多くいたが、その人たちでさえブルートレインの定義を知らずに乗っていた。

 平成がその年月を重ねるごとに、日本の幹線の夜を駆け抜けた列車たちは徐々に姿を消した。JRが1年に2回ほど発表するダイヤ改正ごとに削減に追い込まれていった。末路は季節列車や臨時列車として運用された。しかしそれは意外なほど長期間に及び、ファンが別れを惜しむ時間は十分に与えられた。ファンが最後に見たものは、波打った車両の側面であり剥がれた塗装だった。狭い車内と老朽化した車体が平成の世にそぐわないことは一度乗車すれば誰にでもわかることだった。


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 鉄道史を飾った栄光の列車群にJR各社は必要な延命策を施したうえで安楽死させた。かって蒸気機関車にそうしたように。

 「青い車体色で特徴付けられた固定編成専用寝台客車を使用した特急列車」それがブルートレインの定義である。似たような編成の列車はいくつかあったが、それらをブルートレインとはいわない。

 例えば東京・大阪間を走っていた寝台列車は青色だった。ビジネスマンの睡眠時間に配慮した列車だった。両都心に早く到着しないために速度を上げずに走ったので、特急列車と銘打つわけにはいかなかった。それは両端駅付近の京都、品川、横浜各駅で下車する人にとっても同じことで、京都駅から乗った寝台列車が横浜駅に着いたのは6:00過ぎだった。特急用の客車寝台車両を使用していたにもかかわらず、スピードの遅さゆえに「急行列車」の地位に甘んじたまま廃止になった。ブルートレインと呼ばれなかった、その列車の名称は「銀河」である。

 最初にブルートレインに乗ったのは1988年である。新潟で乗った特急「日本海」を敦賀で下りた。敦賀は福井県にある。中途半端な区間を乗車したのは早朝の敦賀で友人に会う予定だったからだ。それ以来、敦賀には行ったことがない。

 3週間ほど前、福井(県)に行くことを決めたとき、敦賀に行こうかどうかを迷った。

 「点検の時期になると労働者が大挙して現れ、街が活気づく」と小説『光あれ』で馳星周は書いた。小説の舞台は敦賀原発のある敦賀で、労働者は敦賀原発で働く人たちのことである。

 単行本が出版されたのは2011年8月で、読んだのはその直後である。東日本大震災のあとで書かれたのだろうと思い読み進めたが、小説のなかにその影を感じなかった。

 調べてみた。この短編連作が最初に掲載されたのは「オール讀物」2009年8月号である。最終章の掲載はなんと2011年3月である。世界が終った日とは関係のないところで書き始められ、世界が終った日の、その月に仕上がった。、

 読後、敦賀に行かなければならないと思った。そのあと「労働者が大挙して現れ、街が活気づく」いわき(福島県)を歩きながら『光あれ』を思い出していた。

 今回の旅の出発日の直前と帰宅予定日の直後に制約があった。決めた日に行って決めた日に帰って来なくてはならなくなった。一方で、福井県のどこに行くかを具合的に考え始めたとき、あまりに地味なこの県にも多くの見どころがあることを知ることになった。もっともそれはここ数年の日本の、ほとんどすべての場所で感じてきたことである。言い変えると、以前に足を運んだとき何も見ていなかったということかもしれない。

 敦賀は越前国の西の端にあり福井市から少し離れたところにある。短い旅の時間をやりくりした結果、敦賀には行かないことにした。敦賀に行った場合、福井にもどるのが面倒くさい。

 「敦賀に行く機会はあるだろう」そうそのとおり。「米原からちょっと北に行けばいいだけだ」地図を見て納得させた。

 行かない理由を見つけることは簡単だ。時間がないから金がないから勇気がないから。用があるから面倒くさいから興味がなくなったから。毎度毎度いろんな町を切り捨てている。行かない理由を見つける天才は旅人である。



コンパクトシティの福井駅前

 長めのプロローグのあとの短い旅は、2017年6月27日の曇り空の朝からスタートする。

 桜交通のバスが着いたのはJR福井駅東口のアオッサ前である。1階にユトリ珈琲店が入居しているアオッサの、上のほうの階には公共の施設が入っているようだ。

 JR福井駅に入る手前にえちぜん鉄道福井駅が見えた。高架駅になっていた。京福電鉄時代に2度の列車衝突事故を起こし、廃線への道をひた走っていると思っていたが、第三セクターになってなんとか盛り返してきたといったところなのだろう。廃線の危機に耐え抜いてきた甲斐があったわけだ。上田交通別所線の上田駅が高架駅になったのを見たとき驚いたが、そのときと同じ思いである。

 東口は再開発の途上にあるようだが、表口に当たる福井駅西口は様変わりしていた。どこぞの大都会風であった。

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 再開発の一環としてペデストリアンデッキを設置していないのはよいことである。デッキを設置して立体の二重構造にしなくても、平面だけで対処できる人の流れの量であると判断したからなのだろう。大きくない円形のバス発着場があり、その外側に福井鉄道福武線の福井駅があった。

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 福井駅はバリアフリーを達成していた。この駅前を見るだけで、福井の目指すものがわかった。それはコンパクトシティである。モデルは130km東にあるが、理論先行でスタートしたコンパクトシティには今、取り組み効果の「見える化」が突き付けられている。

 西口駅前にある恐竜たち。鳴き声がときどき聞こえてきた。

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 西口広場の南側に観光案内所があった。福井市と周辺の町の地図とガイドブックをもらった。

 駅周辺を少し歩いてみることにした。

 ガレリア元町商店街に入った。9:00過ぎという時間帯に開いている店はほとんどなかった。

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 アーケードのある新栄商店街の店も開いていなかった。

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 福井鉄道福武線の線路のある通りを西に歩いた。大名町交差点で引き返してきた。

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 下の2枚は2000年1月1日に撮影した福井鉄道福武線。

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 福井駅前にもどった。PRONTOで注文したモーニングセットがうまくなかった。コーヒーもイマイチだった。

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 JR福井駅を通り抜けえちぜん鉄道福井駅に着いた。自動改札がないのは仕方がないが、切符の自動販売機の設置は必要だろう。駅の高架を達成したが、設備の近代化は道半ばである。

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えちぜん鉄道で三国に向かう

 えちぜん鉄道三国芦原線  福井 10:09発 → あわら湯のまち 10:50発 → 三国 10:56着 

 えちぜん鉄道に乗った。三国芦原線の、福井駅から5つ目の田原町駅は福井鉄道福武線との乗り換え駅である。2016年3月から、えちぜん鉄道三国芦原線と福井鉄道福武線とは相互直通運転開を行っている。地方鉄道同士の相互乗り入れは大変珍しい。

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 下の3枚は1999年3月30日に撮影した田原町駅と福井鉄道と京福電鉄(現えちぜん鉄道)。田原町駅は乗り換え駅であったが、もちろん相互直通運転は行っていない。当時から京福電鉄は恐竜号を運転していたようだ。

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 新田塚駅を過ぎたところで電車は九頭竜川を渡った。

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 サギらしき鳥が田園にいた。

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 住宅街と畑と田園がまざったなかを電車は走った。日本のどこにでもある風景である。

 途中の駅で低床のLRTが止まっていた。福井鉄道の電車とホームの高さは異なるので、どういう運用をしているのか気になるところである。LRTはフェニックス田原町ラインという設定をしているようで、どうやらこのLRTのみがさっき通過した田原町駅で福井鉄道に乗り入れているようだ。これがコンパクトシティ実現の手段となっている。

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 40分ほどで電車はあわら湯のまち駅に着いた。Hさんが乗って来た。
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Comment

編集
間髪入れず福井編の始まり、期待しています
福井は、20年位前に仕事でしばらく鯖江に滞在していた事がありますが、余り詳しくありません
福井は何度となく歴史の表舞台に出て、最後は幕末の松平春嶽公でしょうか、歴史の重要な土地柄ですね
防衛大臣の眼鏡も有名になりましたが、、、
2017年07月10日(Mon) 22:39
No title
編集
Maxさん、おはようございます!

今回の福井は実質3日間なんですよ。前後に予定ができてしまったので、周る範囲も限定しました。ほとんどは以前行ったところばかりなのですが、地味であることが福井の特徴であるように思います。福井県人はPRが下手だと思っているようです。まあ隣が、おそらく実態以上に派手な金沢なので仕方がないのかもしれません。

ちなみに鯖江でメガネ店をほとんど見ませんでした(笑)
2017年07月11日(Tue) 07:47












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