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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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7日目-1 2017年6月6日 北九州(黒崎 楠橋)

黒崎を歩いた

  8:00頃、タンガ・テーブル(Hostel & Dining Tanga Table)をチェックアウトした。鍵をもらっていないゲストハウスのチェックアウトは勝手に出てくることである。早朝のレセプションには誰もいない。

 スターバックスコーヒーでコーヒーを飲んだ。

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 小倉駅で列車に乗った。

 JR鹿児島本線  小倉 9:14発 → 黒崎 9:32着

 小倉駅から鹿児島本線で6駅目の黒崎駅で下車した。北九州一番の商業地域は小倉であるが、その次は黒崎(八幡西区)である。と書いてみて一応データをチェックしてみたら、そういうことを揺るがす数字が出てきた。

 2015年の、JR黒崎駅の1日平均乗車人員は15,524人であるが(1日平均乗降人員は約2倍)、昨日下車したそれほど大きくないと思われた折尾駅の、同年の1日平均乗車人員は16,475人である。

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 2000年のそごう閉店により、黒崎の商業的な地盤沈下が進んだといわれている。ただ、黒崎駅には筑豊電鉄が接続しているので、次の数字を加えなければ公正ではない。黒崎駅前の、2013年度の1日平均乗降人員は8,850人である。JRが採用している1日平均乗車人員に換算すると約4,425人ということになる。

 一方で小倉駅にはかなり水をあけられていることがわかった。小倉駅の2015年の1日平均乗車人員がJR九州35,510人、JR西日本(山陽新幹線)11,022人、北九州モノレール8,688人である。

 今日黒崎駅周辺を歩こうと思っているが、駅の北側は完全な工業地帯である。ほとんどの場所を歩くことはできない。

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 商業地域は南口にある。駅前にペデストリアンデッキがあるかどうかは都会であるかどうかを知る1つの判断材料にはなるだろう。デッキの機能よりデザインにこだわるのなら黒崎駅前のようにはならない。旭川駅前のようになる。

 ペデストリアンデッキの東側に井筒屋があった。

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 駅前から南東、南西方向180度に8本の通りが放射状に延びている。新天街、ふれあい通り、カムズ名店街、カムズ一番街、はなみずき通り、公園通りなどがあった。

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 ペデストリアンデッキを下りアーケードのあるカムズ商店街に入った。アーケードの上には「ウェルカムズ黒崎」とあった。カムズとは「ウェルカム」の「カム」から取ったものだと思われる。

 アーケードの道幅は10mほどあった。ビル3階の天井の高さがアーケードの屋根の位置である。構造のしっかりした骨太のアーケードである。

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 アーケードの出入り口に多いのはパチンコ&スロットだ。

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 開店前でシャッターが閉まっているところもあるが、店がなくなっているのでシャッターが下りているところも多い。

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 奥まで歩いてみた。途中左右に延びる通りがあった。

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 カムズ黒崎商店街は350mほどあり、奥のほうで熊手商店街(熊手通り)と交差した。

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 熊手通りから北に枝分かれしている商店街は3本あった。寿通り、千日名店街、麻生市場である。

 千日名店街はまだ開いていなかった。

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 麻生市場は建物内の通路にある市場である。北九州に多いタイプの市場である。

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 熊手通りの路上に長崎街道の案内がいくつかあった。この辺りが長崎街道黒崎宿のあったところらしい。

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 黒崎宿は、福岡藩と小倉藩の境界にあった宿場である。福岡藩では上方への渡海船が発着する港があった宿場町で、九州の大名や旅人がこの宿場を利用したらしい。

 熊手通りから南に延びる通りには名称はないようだ。

 宿場通りに出た。向かい側にあったのがなかばやし通りである。

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 宿場通りを少し北に歩き、栄町通りに入った。熊手通りから北に枝分かれしていた3本の商店街の北側の出口はすべてこの栄町通りだった。

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 栄町通りを南西に歩くとカムズ名店街と交差した。

 カムズ名店街を突き切りそのまま歩いていくと三番街に入り、途中で交差してきた新天街を北に歩いた。

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 黒崎駅に近づいたところで東側にあるカムズ名店街に入った。

 黒崎は治安がよくないという噂があるようだが、そう感じる具体的なことは何にもなかった。ただアーケードを中心にした商店街に、どことなく殺伐とした雰囲気はあった。経済が衰退してきたとき、つまり人の出が悪くなり賑わい感がなくなったとき、残ってしまった巨大アーケードと広域な商店街群というハードウェアを持て余している状態になってしまったということなのだろう。

 黒崎駅にもどった。南口の西側にあるCom Cityに入った。1階はバスターミナルになっており、その隣りに筑豊電鉄の黒崎駅前駅があった。

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 黒崎駅から筑豊電鉄に乗った。2度目である。

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 筑豊電鉄  黒崎駅前 9:48発 → 筑豊直方(他の駅で下車することになった)

 筑豊電鉄は西鉄北九州線と相互乗り入れを行っていたため路面電車タイプの車両を使用している。新型の低床車両が導入されたようだが、私の乗車したのは古いタイプである。速度はあまり期待できそうにない。


いきなり出現した! 北九州最強のアンタッチャブル!

 ぼんやりと乗っていただけである。外は曇りだし景色を楽しむような車窓ではなかった。2度目の乗車に目新しさはなかった。

 いきなりだった。それは忽然と出現した。

 車窓に「城」が出現した。写真で見たことのある「城」だった。ぼんやりと思い出したのではなかった。たぶんアレなのだろうと直感した。記憶にコツンと当たったという感じだった。

 以前「城」の正体を探ったことがあったが、かなり前のことなので忘れていた。それが北九州市のどこか(おそらく西のほう)にあることを覚えていたが、「城」がある具体的な場所を知らなかった。

 筑豊電鉄沿線にあるとは思っていなかった。電車が走っているのは南方向である。場所は直方に近いはずだが、電車はまだ北九州市内を出ていなかったことになる。

 床にリュックを置いたまま、扉の窓の前に立った。写真を撮った。「城」は15秒くらい見えていたと思う。スピードが出ていない路面電車に感謝すべきだった。

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 「城」が見えなくなったとき電車はスピードを緩めた。次の駅に停車しようとしていた。

 まもなく、たぶん15秒ほどで電車は次の駅に停車する。電車を下りるのかそのまま乗り続けるのかを決める必要に迫られた。

 次に北九州に来るのがいつになるのかはわからない。今回が10年ぶりなのだから、次にやって来る年月などわからない。もう来ないかもしれない。とりあえず下車してみることにした。リュックを担ぎ1両編成の車両の前に移動した。

 下りるとき、私から430円の表示がある切符を受け取った運転士は言った「途中下車はできないので、ここで下りてしまうともう乗車できませんが、いいですか」。

 「そのまま回収してくれていいです」と答えた。430円は、黒崎駅から、筑豊直方駅までの切符の運賃である。私は筑豊電鉄の終点まで行くつもりでいた。

 筑豊電鉄  黒崎駅前 9:48発 → 楠橋 10:13着


城の名は。

 そこは楠橋という駅だった。誰もいないベンチに座ってパソコンを開けた。多少知っているとはいえ、知識があやふやすぎた。「城」について詳しく知っておく必要があった。そうしておいたほうがよい場所なのだ。

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 ポケットWifiはつながらなかったが、スマートフォンでいくつかの確認はできた。

 まちがいなく例の「城」だった。

 グーグルマップで位置を特定できなかった。当たり前である。私は「城」と表記しているが、それは外観が「城」風の建物であるというだけで、いわゆる戦国時代などに造られた歴史を背負っている「城」ではない。茨城県の常総市地域交流センター(豊田城)のような公共施設でもない。個人の住宅である。しかしそこはやっかいな場所である。

 「城」の最寄り駅で下車してしまったのだからには行かなければならないだろう。行くことを止める選択肢はまだ残っているが・・・。再び、電車のなかで反芻したことが繰り返された。次に北九州に来るのがいつになるのかはわからない。今回が10年ぶりなのだから、次回はどうなるのかわからない。来ないかもしれない。

 楠橋駅から「城」は見えなかった。

 電車から見えていた方向に歩き始めた。西北側に歩けばよいはずだが、迷ってしまった。「城」は見えなかったし離れているような感じがした。

 駅にもどって歩きなおした。今度は西に歩いた。

 方向はまちがっていないと思われた。

 「XXXストア」があった。「城」の持ち主である苗字と同じ名前が付いている店だ。たまたまなのか、この地方に多い苗字なのか、「城」と関連があるのかはわからなかった。店は閉まっていた。

 墓の向こう側に「城」が見えてきた。私が天守部を見ながら歩いていたということは、天守から私は丸見えだったということだ。

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 楠橋駅から10分ほどで歩いて「城」の下に出た。「城」は3層構造である。石垣の土台があるので天守の高さは6階程度だと思われる。

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 中国風あるいは日光東照宮の陽明門を模した門は閉まっていた。

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 情報を持たない状態でここに来たとしても、ある種の異様さを感じるだろう。ウェブ上では気軽に行って写真を撮ったという人もいたが、異常な緊張感だったと書いてある記事もあった。

 一般住宅に高めの塀を設けても、石垣で土台を造ることはない。ウェブ上で「城」に住人はいないという記載があったが、なかに誰かがいる可能性はあった。適当に写真を撮っていたら、通りの反対側の石垣の上から犬に吠えられた。すぐに退散した。

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 反対側にある石垣の家は「城」とは橋でつながっていた。犬が飼われているということは人が住んでいるということである。

 少し離れたところに別の「城」があった。鐘楼のようでもあった。敷地内には観音像があった。やや小ぶりであったが、形状はさっきの「城」より異様だった。

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 その隣りには城主が経営する建築会社の建物があった。城主は2003年に他界している。

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 楠橋駅を出てからもどってくるまで、1台の自転車が通り過ぎたが、歩いている人はひとりもいなかった。。行き交う車をチェックしていたが、すべて小型車だった。車を運転していたのはすべて主婦らしき女性だった。黒塗りの高級車は1台も通らなかった。

 楠橋駅にもどって来たときはほっとした。藤沢新地(神奈川県)、渡鹿野島(三重県)、釜ヶ崎の三角公園や飛田新地(大阪府)、群電前(神奈川県)に行ったときをはるかに上回る異常な緊張感だった。

 新幹線から見えるらしいこの「城」は「楠橋城」あるいは「香月城」と呼ばれている。城主の名前を取った呼び名もある。城について知りたければ、「楠橋城」あるいは「北九州土地転がし事件」で検索すればよい。

 なお「楠橋城」は建築中に建築基準法違反であることが発覚した。市から工事中止勧告や立入検査を受けたが、城主はそれを突っぱね建設を続行したという経緯がある。
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