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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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3日目 2017年6月2日 萩 長門(宿泊)

芳和荘は元遊郭

 萩にゲストハウスがあることを知っていたが、宿泊先を決めるときは迷わなかった。旅館芳和荘は遊郭だったところである。

 低湿地帯を埋め立てたこの地に遊郭が移転してきたのは1911年(明治34年)。芳和荘は1922年(大正11年)に建てられたといわれているので100年近い歴史があることになる。元遊郭の屋号は「梅木」。そのあと料理旅館として経営されていたが、商人宿になっていった。

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 重厚ではなかった。木の色合いがそのまま残されていた。余計な装飾はないのであっさり感があった。廊下や手摺りはその木目の美しさを誇っているかのようだった。廊下は完璧に磨かれていた。

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 回廊の内側に庭があり、外側には客室があった。昨夜からの宿泊者は私を含めて2人と1組だった。

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 廊下のところどころが軋んでいたのは仕方がない。軋みは部屋の畳にもあった。

 指定文化財を維持する苦労が世間に知られているわけではない。それは日本の文化を守るために人知れず個人が続けている努力である。

 チェックアウトのときご主人と少し話をさせていただくことができた。私にはよい機会になった。

 小中野(八戸)の新むつ旅館に泊まろうとしたことがあった。遊郭だった旅館である。10回ほど電話を掛けたがつながらなかった。青森県の観光案内所に電話をした。調べてくれたが、わからなかった。1週間後の八戸で新むつ旅館に行ってみた。工事中だった。ジョッキで旅館を持ち上げている最中だった。土台を入れ替えるためである。2010年5月31日は、遊郭だった旅館を残すために最大限の努力が行われていたことを知る日になった(下の4枚)。

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 新むつ旅館は残ることになったが、遊郭跡がいつまでもあるとは限らない。旅は早い者勝ちである。とりわけ芳和荘においては。


ファミレスで朝ご飯

 芳和荘の近くにあったお洒落なカフェは開いていなかった。ジョイフルというファミリーレストランに入った。モーニングメニューを注文した。

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 萩に着くのは昨日の19:00頃だと思っていた。15:00過ぎに着くことができたので、昨日、松下村塾周辺、萩・明倫学舎、城下町周辺を見ることができた。夜ご飯の場所を探して田町商店街アーケードも歩いてしまった。行きたい場所はほとんどなくなっていた。

 Wifiが使えたジョイフルでこれからのスケジュールを詰めてみた。

 日本近代化遺産の萩反射炉、恵比寿ヶ鼻造船所跡については萩・明倫館に詳しい解説があった。同時に、わざわざ見に行くほどのものではなさそうなことがわかってしまった。大板山たたら製鉄遺跡は萩の20kmほど東にあり、遠すぎた。

 萩城址周辺を歩いたあと、仙崎に行くことにした。


萩城址周辺を歩いた

 まぁーるバス(晋作くん)  萩グランドホテル天空前バス停 10:09発 → 萩城跡・指月公園入口 北門屋敷入口バス停 10:16着

 萩城址を歩いている人はほとんどいなかった。

 退屈だと思われた萩焼き資料館や萩焼の店をめぐってみた。城の周辺を気楽に歩いた。

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 下の1枚は1998年5月4日の萩城址周辺。

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玉江駅で山陰本線の列車を待った

 山陽本線は萩市内の周辺を走っており市内へのアクセス駅は3つある。萩東駅、市内の南にある萩駅、市内の西にある玉江駅である。玉江駅を利用する観光客はいない。しかし「まぁーるバス」は玉江駅にも停まる。最初にルートを把握しておけば、東萩駅で下りないで、玉江駅で下車することもできる。「まぁーるバス」は(一方通行しかなく)観光客に評判が悪いらしいが、東萩駅、萩駅、玉江駅に立ち寄るので、あらかじめルートを把握しておけば、3つの駅をうまく活用し、市内の見どころにアクセスすることができる。

 玉江駅バス停で下車した。

 まぁーるバス(晋作くん)  萩城跡・指月公園入口 北門屋敷入口バス停 11:46発 → 玉江駅バス停 11:49着

 玉江駅構内の時刻表を確認した。次の列車まで1時間44分待ちである。山陰本線の列車本数の少なさは織り込み済みだったが、十分ではなかった。列車の接続を調べておけば、萩市内で時間をつぶしただろうが、時間を損したとは思わない。旅の途中のたまにあることである。

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 ちなみに13:33発の前は9:23発となっていた。4時間10分の空き時間である。

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 12:00を過ぎても、駅の前にあった上村食堂が開くことはなかった。旅らしくなってきた。誰も入って来ない古い駅舎が私の居場所となった。

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 5分ほどのところにポプラというコンビニエンスストアがあった。唯一残っていた蕎麦の弁当を買ってきて、構内で食べた。

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 JR山陰本線  玉江 13:33発 → 長門市 14:01着


長門ステーションホテルにチェックイン

 長門市駅に24時間ぶりにもどってきたが、駅前にある長門ステーションホテルにチェックインできたわけではなかった。チェックイン時刻は14:00ではなく16:00だった。

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 ホテル予約サイトで予約したわけではない。長門市のお店ポータルサイト「ぐるっと長門ウェブ」を見て、電話で予約をした。そのときチェックイン時刻を確認しなかった。たぶんサイトのどこかに書かれていたのだろう。

 駅前を歩きかけたが、途中で止めた。

 「こうもり」に行ってみた。Iさんの情報では「14:00から入れる焼き鳥屋」ということである。ポイントは「14:00から」というところである。今、14:00を少し過ぎたところである。

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 夫婦とおばあさんが狭いカウンターのなかで入れ代わり立ち代わり働いていた。渋い店である。客はいなかったが、すぐに若者が3人、そのあと2人入って来た。人気店らしい。Iさんが入ったときも満席だったらしい。

 16:00に長門ステーションホテルにチェックインし少し休んだ。部屋は広くベッドは新しく1泊3,990円とは思えなかった。シャワー、トイレは別だったけれど。

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長門をぶらぶらしていたら陽が暮れた

 6月の旅はときどき夕方の時間を持て余してしまう。陽はまだあるのにやることはない。

 長門市観光ガイドブック「ながと徹底攻略GUIDE」に長門市内に関する記載はないが、見どころのない長門市を歩くことにした。
 
 ホテルを出た。
 
 長門は「やきとりの町」らしい。人口1万人当たりの店舗数が日本「有数」らしい。「有数」という表現は微妙である。

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 駅前から北に歩いたあと、南西方向に歩いた。

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 正明交差点から山口県道56号を南に歩いた。山陽本線の踏切を渡った。

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 長門市役所に入ろうとしたが17:00を過ぎていた。夕張、根室、宜野湾など特異な問題を抱える市役所に入るのはおもしろいが、入れたとしても長門市役所は平凡な一地方の役所だろう。

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 近くには長門簡易裁判所、長門市消防本部、長門健康福祉センターなど自治体関連の施設があった。

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 近づいてはじめて、だまされたていたことがわかった。リンガーハットの長崎ちゃんぽんではなかった。「長崎ちゃんめん」だった。

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 「太陽家具」は大塚家具を意識したのかと思ったが、大塚家具はIDCをロゴにしている。関係ないだろう。

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 東京靴流通センターも眼鏡市場もホンモノである。

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 ぶらぶら歩いて長門市駅の南口にもどった。

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 長門市駅は山陽本線、山陽本線仙崎支線、美祢線が乗り入れている2面4線の駅である。駅にはJR西日本広島支社長門鉄道部が置かれている。そのせいなのかどうかわからないが、構内は広く線路はかなり残されていた。かって賑わった駅であるはずだ。昭和を感じるのは町中の商店街や電化製品や小物アイテムだけではない。長すぎるホーム、残されたヤード、駅構内に残された表示などにも昭和を感じることはできる。

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 北口にあった店で弁当を買って長門市ステーションホテルにもどった。
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Comment

編集
いつも楽しく読ませて頂いております
萩は転勤で福岡に住んでいた時に行きました
冬でしたが近いので日帰りしました
そこで感じたのは鹿児島に行った時と同じ感覚でした
『日本の端っこに居るんだ』です
ご維新の際は端から日本が俯瞰できたのだろうと思いました
実際、鹿児島営業所の同僚に聞くと同じような感覚を持っていました
『本社を鹿児島から俯瞰する』
不思議です
2017年06月25日(Sun) 15:54
No title
編集
Maxさん。こんばんは。

同感です。端っこからは中央がよく見えるんですよね。

アーノルド・トインビー「文明は中央から腐る。新しい文明は辺境から興る」

アレキサンダーを輩出したマケドニアはギリシャの辺境でした。米国は英国を脱出した移民の国で、日本自体が西欧の辺境でした。

薩摩も長州も土佐も端っこでモノを考え力を蓄えたんですよね。
2017年06月25日(Sun) 22:45












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