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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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1日目 2017年5月31日 羽田 宇部新川 小野田 湯本温泉 俵山温泉(宿泊)

山口宇部空港から始める山口の旅

 JAL291便  東京(羽田)7:55発 → 山口宇部着 9:30着

 2度目の山口宇部空港である。2007年3月にはバスで下関に向かった。関釜フェリーに乗るためである。

 停まっていたバスを黙殺して急いで空港の敷地を出た。山口県道220号を渡って100mほど歩いたところを宇部線が走っていた。

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 線路を渡ったところに1面1線のホームを持つ草江駅があった。貧相ではないが、空港へのアクセス駅だとは思えない。宇部線自体が地味すぎるので仕方ないが、駅の利便性を活かす方法を考えたほうがいい。徒歩6分というのは空港アクセス駅ではなく空港内駅の距離である。

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 速足で歩いたので電車に間に合った。間に合わなかった場合、11:11発に乗ることになる。

 JR宇部線  草江 9:52発 → 東新川 9:58着

 濃黄色の車体に「クハ104―13」とあった。ひと昔前の都市圏で走っていた103系ではないようだ。片側3扉の通勤型車両である。

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老松遊郭跡(錦町・新天地)付近から宇部新町を歩いた

 2駅目の東新川駅で下車した。車内で両替し運賃箱に運賃を入れた。こういう運賃支払い方法は無人駅の多いローカル線ではよくあることだが、その場合運賃ボックスはもっと運転席に近い場所にある。列車停止後、運賃徴収という作業を運転士に強いているのだから、その作業の軽減を図ることは安全運転につながるはずである。というところまで考えたとき、結局、片側3扉という中途半端な車両を運用していることに問題があることに突き当たった。

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 東新川駅は日本のどこにでもある平凡な駅前だった。駅前に錆び付いた看板のコスモサウナの建物があった。サウナは廃業していた。

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 「青りんご」を過ぎ、片側2車線の国道190号に出た。国道を渡り宇部市錦町に入った。

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 錦町から新天町にかけては老松遊郭があった。貸座敷23軒、娼妓30人とされている。そういった場所を歩くつもりである。

 錦町商店街の看板があったが、店はぽつんぽつんとあるだけで、どこからどこまでが商店街なのかわからない。つまり商店街らしくない。

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 旅館「かすが」があった。

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 格子柄の建物があった。 
 
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 店が点在する通りを西北方向に歩いた。

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 唯一目立っていたのがお食事処「ウベ食堂」。

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 松山一丁目交差点を渡ると所在地は新天町になった。

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 松葉寿司店。寿司店になっているが、料亭といっていいだろう。

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 中津瀬神社のあるところに突如出現したのは新町商店街の「新天町ハミングロード」である。お好み焼き「ひので」と久保田商店の間から入っていった。天井が高い立派なアーケードを歩いた。

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 昭和に創業したはずである。そうでなければ「名曲堂」というネーミングにはならない。

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 商店街のなかにあった路地の出口は国道190号である。

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 「たみ」という表記のあるのは廃業した何かの店なのだろう。

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 アーケードのなかの半分ほどの店にはシャッターが下りていた。

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 国道190号から宇部新川駅に延びる平和通り。三菱東京UFJ銀行や西京銀行などがある宇部のメインストリートである。

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 街の真ん中から工場群が見えた。宇部興産だと思われる。

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 新町商店街に入ったが、店はほとんどなくすぐに抜けてしまった。

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 中央壱番街が現れた。古い商店街ではない。

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 すぐ近くに銀天街があった。アーケードの一部が錆び付いているだけでなく、建物が撤去され駐車場になっていた。撤去されたところは雨風が吹き抜ける場所となっており、こういう箇所が複数出現してくると商店街の末路が見えてくる。

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 銀天街脇の駐車場の奥にあった店。

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 銀天街を出て周辺を適当に歩いた。

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 次々と商店街が現れる。今度は新川駅前商店街が出現した。

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 すでに駅の近くである。

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 宇部新川駅に着いた。駅の西北側を歩いてみたが、おもしろそうではなかった。

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 山陽本線上に宇部駅があるが、宇部新川駅はそこから南南東6kmほどのところにある宇部線の駅である。山陽本線上に中心があるわけではないので、宇部にとっては不利なのかもしれないが、市内中心部は思ったより賑やかだった。八戸市(青森県)の中心である本八戸駅が東北本線ではなく八戸線上にあるのと似ている。

 宇部市の人口は16万人を超えており、山口県第3の都市である。


小野田で下車した

 宇部新川駅で宇部線に乗った。

 JR宇部線  宇部新川 11:26発  → 宇部 11:38着

 宇部駅で乗り換えた。山陽本線の電車は2両編成だった。山陽新幹線に特急を奪われ、「あさかぜ」「富士」「さくら」などのブルートレイン群も全廃になった。大動脈は地方ローカル線になってしまった。長いホームにだけはかっての栄光が残されている。

 JR山陽本線  宇部 11:51発 → 小野田 11:55着

 宇部の中心部を歩いたのだから、小野田に寄るのは礼儀というものである。中学1年生の地理の授業で、セメントの町として宇部と小野田をいっしょに覚えた。2つの市はセットだった。

 小さな小野田駅構内に「味一」という駅そばがあった。地元の人が次々やって来て賑わっていた。腹がへっていたのでかき揚げそばを食べた。

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 駅前からタイル舗装のある通りを南に歩いた。商店街なのだが、古い店も奇抜な店もおもしろい看板もなかった。適当なところで西に折れ山口県道222号に出た。小野田駅前交差点から南に歩いたが、変わり映えのしない風景に飽きて駅に引き返した。

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 途中、西のほうにひなびた一画があったので寄ってみたが、見えていたところだけが少しだけひなびていた。

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 あまり歩くこともなく小野田駅にもどってきた。

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 宇部は観光的に魅力のある町ではなかったが、次々と商店街が出現した。そのたびに引き込まれるように歩いた。商店街のほとんどは形骸化していたが、かって賑わっていたことはよくわかる町だった。一方小野田は最初から最後までぱっとしない町だった。こういう町ではおもしろいところを見つけようと注意しながら歩くのだが、井戸に落とした小石がこつんと反響するようなものはなかった。

 強いて挙げるなら、駅そばと駅前にあった「まるよし食堂」の佇まいである。

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 JR山陽本線  小野田 13:11発 → 厚狭 13:17着


美祢線に乗って

 厚狭駅は山陽新幹線、美祢線との乗り換え駅である。乗るのは美祢線のほうである。

 1日の運転本数は10往復である。美祢線は宗谷本線のような幹線ではない。運転本数が6本程度になった場合、存続問題が浮上するだろう。

 待っていたのは1両編成の気動車だった。1両の気動車に「編成」という言葉を付けていいのかどうかをいつも迷い、迷いながら「1両編成」と書いている。

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 15年ほど前は、やってきたローカル線の1両編成を見たとき、座れないかもしれない、と危惧したものである。しかし今日、津々浦々の1両編成は座れる。それどころか席数にたいする乗車率は高くない(着席を前提としている特急列車でない、普通列車の場合、乗車率の分母は席数ではない。あらかじめ定められた定員数が分母となる)。

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 JR美祢線  厚狭 13:24発 → 長門湯本 14:22着

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 宇部線草江駅で9:52発の電車に乗れたこともあり、今日のスケジュールには余裕がある。美祢線の列車のなかで、美祢駅で下車するかどうかを検討してみた。美祢フィルムコミッションが推奨するロケ地を特定できたが、それほどおもしろいわけではなさそうだ。下車するのを止めた。

 下の1枚は1998年5月4日の美祢駅。このときは神奈川県大和市から車でやって来た。美祢はほとんど通過しただけだ。

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湯本温泉街を歩いた

 長門湯本駅で下車した。

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 駅から南に延びる一本道を500mほど歩いた。どうやら湯本温泉街に入ったようだ。

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 右に折れてみた。方向は西である。俵山温泉、下関方面に行くサンデン交通のバス停があった。バス停に座っていたおばあさんと5分ほど世間話をした。横浜に行く機会があると言っていた。

 小さな川の両側にそれぞれ、玉仙閣とホテル西京という大きなホテルがあった。ホテル西京のほうにはボーリング場などの遊興施設があるようだ。ホテルの従業員用だろうと思われるアパートがあった。

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 川沿いの小路には地蔵がいつくかあった。

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 歩いて来た道をもどり十字路を南に歩いた。美祢線の踏切を渡ったところに古い飲み屋があり、湯本まちかど資料館があった。大正後期から昭和初期の温泉街の写真が展示されていた。

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 湯本まちかど資料館を過ぎると川沿いに出た。さっきの川とは別の川である。2本の川は湯本温泉で合流し北に流れ、日本海に注ぐ。

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 もう1本の川沿いに多くの旅館が並んでいた。原田屋旅館、旅館六角堂、一福旅館、湯本ハイランドホテルふじなど。この辺りが湯本温泉の中心のようだ。

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 川沿いに足湯があり、「恋人の聖地」があった。どうやら音信川の「恋伝説」にちなんで「恋人の聖地」としたらしい。「聖地」の前に恋人たちはいなかった。それ以前に、温泉街を歩いている観光客はひとりもいなかった。

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 湯本温泉入口バス停にもどりサンデン交通バスに乗った。


俵山温泉に泊まった

 バスは山道を走った。途中に集落はなかった。

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 サンデン交通バス 湯本温泉入口バス停 15:34発 → 俵山温泉バス停 15:53着  

 バスは山のなかの大きな集落に入った。その一画が俵山温泉街だった。

 俵山温泉バス停から少し歩くと、三猿まんじゅう、三猿もなかの看板がある重村日進堂と福田泉月堂のある広場に出た。

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 温泉街のなかの1本道に入った。

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 予約していた保養旅館・京家にチェックインした。この旅館のチェックインは15:00~17:00と決められている。1泊4,320円。

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 女将さんに公共湯を2つ教えてもらった。「町の湯」と「白猿の湯」である。1100年前に発見されたという俵山温泉の旅館に内湯はない。

 荷物を部屋に置き、温泉街に出た。狭い道の両側にずらりと旅館が並んでいた。小さい旅館ばかりである。古い和風建築の旅館があれば、民家と思えるような旅館もあった。多くは何らかの手直しがされているようだったが、廃屋寸前の建物もあった。

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 温泉街は狭かった。温泉街を貫く通りは楕円形になっており、1周して元にもどってくることができた。ところどころで脇道が延びていた。

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 小川が流れている周辺では蛍が生息しているようだ。「ほたるばし」があった。

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 すぐに2周ほどしてしまった。温泉津温泉(島根県)はひなびた感が満載だった。肘折温泉(山形県)は完成度の高いレトロ感があった。俵山温泉にもひなびた感じはあったが、やや雑な感じがした。

 全国平成温泉番付(温泉教授松田忠徳)によると、東の横綱は肘折温泉、西の横綱は俵山温泉である。鳴子温泉郷は関脇、温泉津温泉は小結、さっき歩いた長門湯本温泉は前頭に入っていた。

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 公共湯の「町の湯」に浸かった。アルカリ性単純温泉で、適応症は神経痛、筋肉痛、関節痛、リウマチなどである。41.3度となっていたが、もう少しぬるい気がした。予約が必要な家族湯があり、小さなカフェがあった。

 温泉街での食事はかなり制限される。3軒ほどの食堂(喫茶店)があるが、開いているかどうかはわからない。頼りになるのは「白猿の湯」に併設されているレストラン「涼風亭」だ。ここはきっちり営業している。和風おろしかつ定食。和風のつゆと大根おろしのたれがうまかったのだが、ご飯がイマイチだった。

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 「白猿の湯」の1階には、野菜やみそなどの特産品を並べた俵山農産物直売所「湯久里倶楽部」と足湯があった。「涼風亭」を出たとき「湯久里倶楽部」は閉まっていた。

 狭い温泉街をぶらぶら歩き湯に浸かり早すぎる夜ご飯を終えたというのに陽はまだ暮れていない。観光客はいない。ときどき見かける地元の人たちが行き交うだけである。

 買ってきたビールを部屋で飲み始め、旅日記を書こうとパソコンを広げた。

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 今朝は早起きしていたので睡眠不足だった。あとでホタルでも見に行こうと思いながら、チェックインしたときに敷かれていた布団に横になった。

 そのまま寝てしまった。目が覚めたときは1:00を過ぎていた。テーブルに置いてあったビールは飲みかけだった。
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Comment

編集
防長州の旅、楽しみにしております

昔、草江駅から宇部空港に行った事があります
おっしゃる通り、専用アクセス通路を作った上、時刻表を改正してもっと活用した方が良いと思いました

2017年06月24日(Sat) 09:06
No title
編集
Maxさん、こんばんは。

空港から山口駅、新山口駅、下関、宇部新川駅行きのバスが走っているので、客がわざわざ宇部線に乗る必要性がないのでしょうね。
JR西日本が飛行機の離発着に合わせてアクセス電車でも走らせれば別なのでしょうけれど。

離発着の時間帯でバス1本で処理できる程度の客数であれば、わざわざ電車を増やす必要がないというのがJR西の主張かもしれません。
2017年06月24日(Sat) 23:30












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