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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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南城。2つのグスクと1つの島。

10日目 2013年12月12日  那覇  南城(奥武島)

 沖縄の食堂やカフェは朝が遅い。食堂は仕方がないが、9:00に開いているカフェが少ない。カフェを探しながら歩いていると那覇バスターミナルに着いてしまった。開いている可能性は低いが、2階のみつ食堂に行ってみる。やはり開いていない。ここは知る人ぞ知る食堂だ。
 
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 沖縄には4つのバス会社がある。琉球バス交通、沖縄バス、那覇バス、東陽バスだ。沖縄のバス旅は楽しい。なぜ楽しいのかよくわからないが、とにかく楽しい。鉄道がないので、バスターミナルが起点になるのだが、町のどこにあるのかよくわからない。探し当てるのが大変である。鉄道が発達している日本ではバスが鉄道とリンクする。その際、主は鉄道で、バスは従だが、沖縄だけはそうではない。バスを乗りこなすと、ちょっと沖縄通になった気分がする。沖縄に鉄道ができるのはもちろん反対ではないが、那覇から名護やコザに行くバスは全廃になる可能性がある。それは残念なことだ。

 バス旅は日本の毛細血管への旅である。どこに連れて行かれるのかわからない。3泊4日で屋久島に行こうとしたとき、鹿児島港でフェリーが3日間欠航になったことがあった。どうすることもできない。鹿児島に1泊し、薩摩半島の旅に切り替えた。廃線になった鹿児島交通の路線に沿ってバス旅をした。最後には枕崎に着いた。このとき以来、バス旅が好きになった。

 那覇バスターミナルの最大の欠点は、総合案内がないことだ。場合によっては4つのバス会社を回ることになる。とりあえず最初に目についたバス会社に入って行き先を伝えれば、しっかり案内をしてくれるのだけれど、少しやりにくい。最近、那覇バスが那覇の定期観光バスを運用し始めた。バスターミナルの1階に降りたとき、その案内所が目に付いたので、そこに入ってみる。南城市に行きたいと伝えると、琉球バスで行けると教えてくれた。琉球バス交通の事務所に入る。まず糸数城跡の近くにある南城市役所辺りで降りて、そのあと奥武島に向かいたいと伝える。
 
 51番か53番バスで行けると言われた。両方のバスが南城市役所には行くが、どちらかのバスは奥武島には行かないらしい。どちらのバスが行かないのかを教えてくれたのに忘れてしまった。先に南城市役所に行くのでどちらに乗ってもよい。9:09発のバスに乗る。バスは国場までは与那原行きと同じルートを通る。沖縄のバスは複雑でコザに行くのに、与那原経由というバスもある。国場までは沖縄県営鉄道与那原線とほぼ似たようなルートを辿る。

 国場までは那覇の郊外路線という感じで、ファミリーレストラン、コンビニ、スーパー、店が並んでいるが、それ以降は住宅を中心とした平凡な郊外の風景になる。

 40分くらい乗って、玉城中学校前で降りる。隣に南城市役所があるようだが、市街地ではない。平凡な田舎だ。市役所とは反対方向の坂を登っていく。途中の案内板に、糸数城跡と玉城城跡とが同じ方向で記載されていた。玉城城跡があるとは知らなかった。地図で確認する。少し離れたところに玉城城跡はあった。とりあえず糸数城跡に行って、そのあとどうするかを考える。

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 玉城小学校の近くにオウルガーデンというカフェがあるようなので行ってみる。朝、何も食べていないのでコーヒーを飲みたい。周辺はカフェなどあろうはずがないという場所なのだが、それはあった。しかし予想した通り、閉まっていた。

 坂を登り、山の上のほうをめざす。沖縄の城(グスク)は見晴らしのいい高台にあることが多い。途中、海の見えるところを通る。30分ほど歩いて、糸数城跡に着く。途中に井戸のようなところがあった。そこは御獄っぽかった。

 道路から300メートルほど入った山の頂上に糸数城跡はあった。太平洋と東シナ海が見えた。ここは玉城の出城だったらしい。糸数城跡は単純な石を置いただけの城だ。本土の城壁のように石を加工し、石組みの隙間を無くして積み上げるということをしていない。そうしている部分もあるようだが、城壁の強度はあまりなさそうだ。城内で中国の陶磁器の出土があったそうだが、沖縄では当然ありうることだ。1台の車が止まっていたが、誰にも出会わなかった。

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 糸数城跡に入っていくところに南部観光総合案内所があるので、寄ってみる。なぜこんな山の上の何もないところに観光案内所があるのか疑問だったが、大型バスが4台止まっていた。見学を終えたらしい高校生の集団が帰ってきた。彼らが何を見に行ったのかを案内所の人に尋ねてみると、近くに糸数アブチラガマがあるらしい。アブとは深い縦の洞窟、チラとは崖、ガマとは崖やくぼみのことである。 
 
 沖縄戦では自然の洞窟が避難の場所になった。場合によっては作戦陣地や野戦病院にもなった。そこは最初、糸数地区の避難指定壕だったらしいが、戦場の南下で南風原陸軍病院の分室となった。軍医や看護婦、ひめゆり部隊が配属され600人以上の負傷兵がいたそうだ。南部撤退命令後、負傷兵と住民の雑居状態となった。米軍の攻撃を受けながらも生き残り、最後には投降勧告に応じたらしい。8月22日、終戦から1週間が経っていた。

予約をしないと中に入れないらしい。つまり今日は入れないということだ。

 南部観光総合案内センターから30分ほど歩いて、玉城中学校前にもどる。15分ほど待つと、10:26発のバスが5分ほど遅れてきた。3分ほど乗ると海が見えてきた。海の近くまできていたのだ。海は道路の近くではない。山の中腹の国道331号をバスは走る。途中で奥武島が見えた。玉城バス停で降りる。

 沖縄を旅して迷うのは地名の読み方だ。玉城中学校前の玉城は「たましろ」と読む。しかし今降りた玉城バス停の玉城は「たまぐすく」だ。豊見城は「とみしろ」と読む場所と「とみぐすく」と読む場所がある。別に読み方を統一してほしいとは思わない。

 バス停の近くに誰もいない。地図で大体の方向を確かめ、玉城城跡のほうに向かおうとすると、山を登るようになる。どんどん登る。住宅はところどころにあるのだが、人はいない。その住宅も途切れがちになってくる。途中、山の上のほうから車が降りてきた。道を尋ねたいといったしぐさをしてみると、止まってくれた。玉城城跡はもっと山の上だという。登っていって右に曲がるとゴルフ場がある。その右側にあるらしい。

 言われた通りに登る。登りきったところに鉄塔があり、片側1車線の道路が走っていた。ここはグスクロードと呼ばれる道路で、糸数城跡から歩けば、途中には根石グスク、百十踏場の墓などの史跡を見ることができるが、糸数城跡から歩くのは遠すぎる。
  
 グスクロードを東のほうに歩くと、ゴルフ場が見え、道路をはさんだ反対側に玉城城跡はあった。ここも車が1台止まっていたが、誰もいなかった。

 玉城城跡も見晴らしのよい城だった。城に入るときに円状の入口をくぐるのだが、それは自然岩をくり抜いたものらしい。糸数城跡よりも少し小さい。アマミキヨが築いたとされるが、築城の年や歴代の城主もよくわかっていないらしい。玉城は3つの郭からなっているが、一の郭しか残っていない。二の郭、三の郭の城壁は米軍の基地の骨材用として持ち去られたらしい。帰り際に南部観光総合案内センターで見た高校生を乗せたバスがやってきた。

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 さっきの玉城バス停にもどりたいのだが、地図を見ると、ルートはもう1つあった。グスクロードを東に歩いて途中の細い道を降りるルートだ。少し近そうなので、そのルートで歩いてみる。しかしこれは失敗だった。おそらく下に降りるだろうと思われた細い道は封鎖されていた。そのまま歩き続けるが、下に降りる道はない。かなり歩いたところでようやく下に行く道を見つけた。

 その道を降りていく。少し降りただけのところで国道331号にぶつかった。本当はもっと下まで降りなければいけないはずだったのだが、国道が上まで登ってきているらしい。そこは百名だった。

 百名の町を歩く。バスターミナルはあった。百名行きのバスを見たことはあったので、どんなところなのだろうかとは思っていたが、何の変哲もない町だった。奥武島とは反対の方向に歩いたわけだ。バスターミナルから奥武島に行くバスに乗るとなると1時間以上待たなければならない。仮にそのバスに乗ったとしても、降りるのは奥武入口のバス停なので、奥武島まではさらに20分ほど歩かなければならない。結局、奥武島まで歩いて行くことにする。

 国道331号に沿って延々歩く。20分ほど歩いてさっきバスを降りた玉城のバス停を通過する。玉城城跡からここに降りて来たかったのだ。20分以上かけて登った坂を降りるだけなので10分ほどで着くと思われたが、40分近くかけて着いたことになる。ようやく奥武島が見える。ここからもただひたすら歩くだけである。国道331号はくねくね曲がっているので遠回りになる。奥武島までできる限り直線で行きたいので、途中、一気に下に向けて降りる場所を探す。それらしいところがあったので、そこを降りる。海側まで出ると、あとは海岸に沿って歩くだけだ。奥武島がだんだん近くなってくる。橋を渡って、奥武島に入る。玉城城跡を出てから1時間半かかった。12:50だった。

 橋の近くは、なかよし食堂、みなとストアーなどの鮮魚店が並ぶ。奥武島海産物食堂という名前も入口もレトロな店に入る。魚フライの定食を食べる。料理を運んでくれた人はベッキーに似た美人だった。

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 島を一周する。周遊道路は約2キロの、小さい島だ。見所は竜宮神と電線のない電柱ぐらいだ。竜宮神は島の南東部にある奇岩だ。ハーリー(海神祭)の際には漕ぎ手全員がここで安全祈願をするらしい。ハーリーは爬竜船を漕ぎ競う祭りのことで、安全祈願のために行われる。それは沖縄の各地で行われる。橋の近くにハーリーの際に使う爬竜船を置いてあるところがあった。電線のない電柱は、台風で壊されたと思われる。一周するのに1時間もかからなかった。橋までもどってきて、島のなかに入るが、おもしろそうなところはあまりない。奥武観音堂には遭難した中国人を助けたお礼として送られた観音像があるらしいが、入れなかった。

 橋を渡り20分ほど歩いて、奥武入口に着く。沖縄には海中道路で結ばれた島がある。いわゆる離島ではない島で、奥武島もその1つだ。離島でないので当然行きやすいのだが、この奥武島だけは行ったことがなかった。気にはかかっていたが、特に行きたいわけではなかったので、ずっと放っておいたままだった。しかしこれですべての離島でない島に行ったことになる。

 16:04のバスに乗り、那覇に向かう。那覇に入ったとき、まだ日は暮れていなかったので、与儀小学校前で降りる。昨日歩いた与儀市場通りの奥を歩いてみたかった。昨日歩いた通りに入り、その奥のほうまで行ってみるが、おもしろそうな場所ではなかった。

 一端、与儀公園にもどり、安里方面に歩き、マクドナルドに入った。ここで旅日記を書く。ここはWIFIは準備されていないが、持ってきたポケットWIFIのWiMAXは使える。コンセントを2つ専有しても特に問題はない。

 30分ほど歩き、ホテル近くまでもどる。ゆくい処アンマーで夜ご飯。オリオンビール、ミミガー、ジーマーミ豆腐。19:30頃に、グレイス那覇にもどる。
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