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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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出発前夜の東京漂流。「あしたのジョーのふるさと」を歩く。

1日目 2013年12月3日 東京

 いよいよ南・北大東島に行くことになった。JALのマイレージで行こうと思っていたこともあったが、昔の話だ。航空業界の競争は全ての航空会社から余裕を取り払ってしまった。那覇から大東島の区間が対象区間からはずされたことが、この島を遠ざけた。船しかないだろうと思うようになったことが、さらに島を遠ざけた。この島に船で行くのは容易ではない。船の就航予定を知れば知るほど、行く気が失せる。南北2つの大東島は頭のなかでしばらくの間、点いたり消えたりしていたが、何年か経つなかで、行っても行かなくてもいいようになっていった。

 好きな沖縄で2週間ほど過ごそうと決めたとき、大東島はいきなり点滅した。ニューヨーク湾に浮上したシーバットのように。点滅だけではない、ブザーが鳴り響いた。ブザーのうるさい音を消すためには、必要な予約をするしかない。

 海外に行く場合、仕事を切り詰めて日にちを確保するが、国内だと空いている日のなかで行こうとする。これは国内の旅を舐めている証拠で、こんなことをしているから、大東島だけではなくトカラ列島にも行けないことになる。大して遠くはないのに、冬の就航率が50%近くになる青ヶ島にだって行けない。

 2週間ぐらいあれば、那覇から大東島に向かう大東海運の不透明なスケジュールを吸収できる。なぜスケジュールが不透明なのか。それは大東海運株式会社の会社概要に表われていた。保有船籍は貨客船「だいとう」1隻である。つまり、融通の効かない唯一無二の船が、那覇から南・北大東島までの405キロを航行する。那覇を出航、翌日に南北どちらかの大東島に接岸、同日にもうひとつの島に接岸、3日目に前日の最初の島に接岸して那覇をめざす。4日目に那覇着。これを1航海として、年間70回繰り返す。翌月分のスケジュールが発表されるのは前月末だ。11月22日に発表されていなかった12月のスケジュールは11月24日には発表されていた。スケジュール発表を待っていたのでは、那覇までの航空券の手配が間に合わないこともある。

 ちなみに大東海運株式会社の株主は、南大東島、北大東島、JA沖縄、大東糖業株式会社、北大東製糖株式会社、その他である。半官半民の株式会社だ。JAが株主なのは島民の生活必需品を扱うからだろう。出資は営業先の確保のためなのだろう。2つの糖業の会社が出資をしているのは、サトウキビが島の主要産業だからであり、その積み出しに関わると思われる。

 私は適当に那覇行きの最初の日を決めた。それから1ヶ月くらい後の11月24日に、スケジュールを確認した。「だいとう」が出航する日は運良く那覇到着の日だった。
 
 あらためてスケジュールを確認してみるが、やはりわかりにくい。

 船の予約は電話でできる。それはインターネットでできないという意味だ。那覇から往復のチケットを購入する場合は、那覇のとまりんにある事務所に電話をすればよい。しかし南北の両方の島に行く場合、那覇との往復チケットを購入するよりも、那覇→南(北)大東島→北(南)大東島→那覇と3航路をそれぞれ片道で購入したほうが安い。この場合、船が出る島でしかチケットを購入できない。那覇の事務所ですべてのチケットの予約をすることはできないのだ。11月25日、那覇、南大東島、北大東島の3ヶ所の事務所に電話をして、3つの航路を予約した。それは平日だったが、北大東島の事務所はなかなか電話がつながらず、10回目ぐらいのかけ直しでようやくすべての航路が確定した。

 その数時間後、那覇の事務所から電話があり、スケジュールが変更されたことが伝えられた。帰りの日程が1日早まるらしかった。那覇の事務所では、ばらばらに予約をした南大東島発北大東島行き、北大東島発那覇行きを把握していないはずだった。しかし那覇の事務所から南・北大東島に電話をしたらしく、私のスケジュールは把握されていた。私はその連絡を電車のなかで受けた。あわてて電車を降り、駅のホームの椅子でスケジュールを思い浮かべながら、予定を変更し、先に北大東島、そのあとに南大東島に行けるようにスケジュール変更をしてもらった。今回は、那覇の事務所がすべての島の事務所にも連絡をしてくれるとのことだった。そして翌日、今度は、同内容の電話が南大東島の事務所から入った。私は昨日の変更内容を伝えた。このようにときどき変更はあるらしいのだが、応対はとても親切だった。

 やることをやってしまうと、ブザーは鳴りやんだ。それから出発の日までは平穏な日々が続いた。いつものようにインターネットをやり、テレビを見て、図書館にも行った。ビールは飲んだが、スパゲティは食べなかった。

 那覇行きのジェットスターGK303便は、8:20発だ。相鉄線の始発に乗り、横浜駅でエアポート成田に乗った場合、成田空港第2ターミナル7:38着。ジェットスターは、7:50にチェックインと荷物預かりを閉めると公式発表している。エアポート成田を途中で抜いていく成田エクスプレスでも事情はあまり変わらない。朝一番の電車で成田空港に行くことは、閉じられそうになる扉に向かって突入するようなものだ。ハリウッド映画の主人公でない私は間一髪で擦りぬけることはできず、扉に挟まれもがき苦しむだろう。
 
 東京駅を深夜に出るバスで行ってみることにする。12月4日の1:00発のバスは満席で、1:50発の予約できた。成田空港で夜更かしができるかどうかと調べてみると、どうやらできるらしい。泊まる予定の人は1ヶ所に集められ、その周辺のソファで寝るらしい。3:30にバスで着いた人はそのなかに入っていくものと思われる。

 12月3日夜をどう過ごすか検討しなければならない。21:00頃に自宅を出てどこかで食事をし、東京駅で深夜バスに乗ろう。23:00過ぎに自宅を出てもよいのだ。

 しかし当日、つまり今朝、いきなり予定が入った。13:00に横浜駅に行かなければならなくなった。実際私は横浜駅近くのカフェで友だちと会ったのだが、それが終わった15:30頃からバスの発車する翌1:50までの空いた時間の穴埋めをどうするかという問題が発生したのだ。横浜から自宅にもどるという手はあったが、それはあまりに面倒くさい。

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 南千住駅に行ってみることを思いついた。最後に行ったのが、昨年の7月頃だ。駅前がかなりの変貌を遂げていることは知っていた。そのときは三ノ輪橋のほうに歩いた。今日は、山谷のほうに歩いてみる。

 南千住駅に着いたのは16:30前だった。駅前のバーガーキングに入ったのがまちがいだった。コンセントを自由に使える店だった。パソコンだけでなくポケットWIFIの電源もコンセントから利用できた。結局、18:00過ぎまで長居してしまった。

 夕方の山谷を歩くつもりで出てきたのに、すでに夜である。冬至まで3週間弱だ。仕方ない。南千住駅から南西の方角に歩き、歩道橋を渡り、山谷に入っていく。
 
 山谷には何度も来ている。パソコンのなかにある写真を確認してみたが、2009年11月に来たのが最後だ。そのときは21:00頃に日暮里から山谷まで歩いた。夜の山谷を見てみたかったからだが、すべての店が閉じた22:00頃のいろは会商店街のアーケードの下で、30人くらいの浮浪者たちが毛布にくるまって寝ていた。その夜はカンガルーホテルに泊まった。このホテルは外国のガイドブックに掲載されているホテルだ。デザイナーズホテルで1泊3,300円。山谷にあっては一番高い料金である。

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 山谷が変わり始めたのは、7、8年ぐらい前だ。2005年9月に撮った写真のなかに東京バックパッカーズホテルがあった。この東京バックパッカーズホテルからカンガルーホテルができる間に、山谷のドヤ街はそれなりのモデルチェンジをした。いわゆるドヤ街からビジネス系のホテルへのモデルチェンジである。もちろん変わったのはごく一部の宿だ。しかしそれとともに旅行者が来るようになった。おそらく最初は海外からで、途中からは日本人も混ざるようになった。旅行者が入り込まなければ、山谷は福祉の街として終わっていたはずだ。

CIMG2663.jpg

 すでに山谷を取り囲むようにマンションが建ち始めていた。南千住駅の南東側には大規模マンションが少し前に建っていた。マンションのチラシの地図からは、日本堤など山谷を連想させる地名は削られていた。

 泪橋の交差点から住宅街をじぐざぐに歩いていたら、やや唐突にいろは会商店街の前に出た。そして驚いた。商店街の照明の下に「あしたのジョー」の旗が何枚も掲げられている。この商店街がこういうことをするのは、禁じ手といってもいい。

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 境港(鳥取県)は「鬼太郎」を町おこしに使い、成功した。江東区森下の高橋商店街は「のらくろ」を町おこしに使い、「のらくろード」を出現させた。何年か前に行ったが、ほぼ完全に失敗したといっていい。この商店街の近くには高橋ドヤ街があったが、そちらもほとんど残ってはいなかった。

 山谷は確かに「あしたのジョー」のふるさとだが、泪橋はとっくになくなっているし、いろは会商店街はドヤ街のイメージを消したかったはずなのだ。長い間、その方向でやってきたはずなのに、ここにきて「ジョー」を利用するのは、商店街活性化の万策尽きた末のことなのかもしれない。

 旗は1枚1枚ちがった図柄だった。旗には力石徹も白木葉子も丹下段平もホセメンドーサも描かれていた。少年院でジョーと打ち合った青山もいた。「あしたのために、その1(=ジャブ)」のときだ。

 山谷に活気はない。毒気はとっくに抜かれている。それでもいろは会商店街の前には人がたむろしている。仕事帰りの客が商店街にいるのではない。ただ男たちがビール片手にたむろしているのである。道で将棋もしている。山谷交番が近くにあるので焚き火はできないだろう。そこが釜ヶ崎と異なるところだ。

 いろは会商店街を奥まで行き、カンガルーホテルと東京バックパッカーズホテルを見て、泪橋バス停に行く。ここから東京駅八重洲口までのバス路線がある。

 バスに乗り、途中の東武鉄道浅草駅前で降りる。夜の浅草を見てみよう。スカイツリーのライトアップがうつくしい。

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 新仲見世商店街をどんどん奥に歩く。途中にある中央通り商店街は、店こそ開いていたが、人通りはなかった。仲見世通りはほとんどの店が閉じていた。時計を見ると、19:20。人がいないわけではないのだが、人の引くのが早すぎる気がする。伝法院通りはこうこうとネオンが点っているが、歩いている人は少ない。六区通りはかなり賑わっていた。浅草演芸ホールでは、桂歌丸とナイツが出演していていた。先のブロードウェイ商店街は人がわずかに通るだけだ。ここまで来ると、浅草も場末になる。日曜の夕方のビニールを張った屋台は客でいっぱいになるはずなのに、火曜日の20:00過ぎに客はいなかった。雷門では多くの人が写真を撮っていた。

CIMG2701.jpg

 またまたバーガーキングを発見する。入ってみると、やはりコンセントがあった。ここでも長居をする。今日は時間をつぶさなければならないのだ。山下達郎がかかっている。世界はクリスマスで満たされつつある。

 22:20頃、バーガーキングを出る。歩いている人の数は2時間前とあまり変わらない。

 銀座線に乗って行くこともできたが、22:28の東京駅八重洲口行きの最終バスに乗る。このバスは江戸通りから中央通りに抜ける。日本橋は道路工事が真っ最中で歩く人の姿はない。店は全部閉まっている。

 23:00前に、東京駅に到着。開いている店を探すが、ルノワールは23:00閉店。その他のカフェも23:00か23:30が閉店時間だ。駅員に尋ねると、駅が締まるのは1:30か2:00らしいが、改札の外で椅子のある待合室はないらしい。工事中のせいだと言っていたが、おそらくそうではないだろう。

 この時点から旅人ではなくなる。東京駅23:00の漂流者だ。

 高速バスの発着口に行ってみる。背もたれのない椅子があったので、そこでしばらく休憩する。入ったときは30席ぐらいの椅子がほとんど埋まっていたが、23:50時点で私1人になってしまった。すべてのバスの最終は0:30らしい。警備員がこちらを見ている。

 もう一度、外に出て店を探す。八重洲中央口の前から伸びる通りを歩いていくと、遠くにMのマーク。なんとここでもコンセントがあった。東京はすごい! 普段、ミスタードーナツ以外のファストフード系の店に入らないのでよくわからないのだが、東京のファストフードではこんなにコンセントが普及しているのだろうか。1:10にマクドナルドを出て、バス乗り場に向かう。
 
 10人以上の人がバスを待っていた。1:30発車のバスらしいが、私の予約したのは1:50だ。変更をしてもらえたので、20分早いバスで成田空港に向かう。予約した場合の料金は900円なのだが、当日にチケットを求めると1,500円になるらしい。

 以前、このバスに友人が乗ったときは、助手席を使うほどの満席だったらしいが、今日はガラガラで、1人で2席分を利用できた。
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