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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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あおがしま丸は欠航! 想定内ではあるけれど

5日目  2015年6月19日  八丈島

 昨日の夕方から続いた風雨は一晩中、ハッチー・ジョーズ・ホステルを打ちすえていた。朝、雨は止んでいなかった。

 7:00頃、船の就航状況をネットで確認していたが、そのあと電話を入れてみた。聞いておきたいことがあった。伊豆諸島開発のあおがしま丸への問い合わせの受け付けは東海汽船になっていた。

 あおがしま丸は欠航になっていた。青ヶ島には行けなくなった。聞きたかったのは、明日の出航についてである。明日の7:00に判断するらしい。明日は明日の風が吹く。いいじゃないか、それでこそ旅というものだ。

 青ヶ島に行けないから東京にもどろうとは思っていなかった。八丈島で出航を待つ。

 8:00頃、青ヶ島の民宿マツミ莊にキャンセルの電話を入れた。仮にキャンセルの電話を入れなくても民宿マツミ莊は承知している。

 一応は(東海汽船の)さるびあ丸についても確認してみた。昨夜竹芝桟橋を出たさるびあ丸は、今朝八丈島には入港しなかったらしい。三宅島に入港したまま、一晩そこで停泊したようだ。さるびあ丸は三宅島、御蔵島、八丈島に寄港したあと、復路で御蔵島、三宅島に寄港し東京に向かう。東京に向かう便が三宅島を出航する時刻は13:40である。それが今朝の6:00にすでに出航したらしい。どうして6:00に変更されたのかわからない。

 八丈島の底土港に入港しなかった船が出港できるわけはない。ない袖は振れない。航路に関する限り、今日の八丈島は孤島となった。

 竹芝桟橋を今夜の22:30に出航し八丈島に向かうさるびあ丸は天候調査中となっていた。出航するかどうかは17:00に発表があるようだ。この船が竹芝桟橋を無事出港し八丈島に着かないと、明日の東京行きもないということになる。ない袖は振れない。

 底土港に関わる人たちは、今日1日ひまになってしまった。

 空路も確認してみた。10:00の時点で、羽田空港7:30発のANA1891便、八丈島空港9:05発のANA1892便は無事発着を終えていた。午後の2本のフライトは東京側が「視界不良のため天候調査中です」、八丈島側が「出発地悪天候のため天候調査中です」となっていた。同じ航路でも出発地によって微妙な差がある説明となっていた。

 宿泊施設にとっては(飛行機を除けば)船で新しい宿泊客はやってこないが、船で宿泊客は逃げないという差し引きゼロの状況である。

 私はやることがなくなってしまった。ハッチー・ジョーズ・ホステルには本が100冊以上あった。おもしろそうな本をベッドに持ってきてぱらぱらめくっていたら寝てしまった。起きたのは13:00前だった。

 午後も雨は降っていた。

 折り畳み傘は壊れていた。六角形の2辺がいびつにたるんでいた。その傘を差して、食堂が10店ほどある護神交差点まで歩いた。港町食堂に入ろうと決めていたが、ランチタイムは13:00で終了したらしく閉まっていた。梁山泊の入り口には昨日から「臨時休業」を知らせる紙が貼ってあった。休業の理由を私は知っている。

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 護神交差点から南のほうに少し歩いたところに、そば処合月という店があった。明日葉(あしたば)うどんという看板が掛かっていたが、暖簾は仕舞われていた(島の食堂にはそもそも暖簾のない店がある)。営業中という表示はあったので入ってみた。やはり閉めたあとだったようだが、明日葉うどんの注文を受けてもらえた。

 明日葉うどんセットを食べた。明日葉を練り込んだ緑色のうどんだが、麺は蕎麦のように細い。麺はかためでコシは強めだ。明日葉の風味があるすっきりとした味。明日葉の天ぷらもうまかった。

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 女将さんと少し話しをした。

 旅行者ですか?
 そうです
 今日、島に来られたんですか?
 いえ、2日前に
 こんなお天気じゃあね せっかくいらしたのに どちらから
 横浜です さるびあ丸で

 観光客は飛行機でやってくると島人は思っているので、船でやって来たことを早めに知らせたほうが、会話は円滑になる。

 おが丸(おがさわら丸)は来なかったそうですね
 そうなのよ みんな待ち焦がれていたのに
 2日前に会った島の人は嬉しそうに小笠原に行くって話していたのに
 かわいそうにね 昨日(東京への)飛行機は飛んだのにね
 今朝も飛んだみたいですね
 そこにある新聞は今朝の1便(の飛行機)で届いたんです 昨日の夕刊と今朝の朝刊は1便で届くんですよ

 開けてもらった礼を言って店を出た。隣のスーパーマーケットで夜ご飯用の弁当を買った。

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 雨はまだ残っていた。風は弱まったように感じるが、思い出したようにときどき吹いていた、びゅっと。舐めるな、まだ容赦しない。そんな感じだった。

 徒歩15分の護神交差点周辺が行動の限界であるというつもりはないが、遠出をする気力がない。

 壊れた傘のせいもあり、かなり濡れた。港湾ターミナルに行ってみた。昨日のチケットの払い戻しに来ている人が1人いるだけだった。明日の運航について尋ねてみた。

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 新しい情報を1つ得た。明日、あおがしま丸が動かなければ、明後日の朝に臨時便を出すかもしれないらしい。この情報はまだ非公式らしい。

 環住丸は週5便の就航だったが、2014年1月4日に就航したあおがしま丸は減便され、週4便となった。あおがしま丸の全長は62mで定員は50人。環住丸(120トン)より4倍の499トンになった。

 〈あおがしま丸の就航予定〉

 6月18日(木) 
 6月19日(金) 就航 → 本日、欠航になった
 6月20日(土) 就航 → 欠航の場合、翌日(21日)に就航する可能性がある
 6月21日(月) 
 6月22日(火) 就航
 6月23日(水) 就航
 
 御蔵島と青ヶ島を同時に旅する人は多くない。さるびあ丸の御蔵島寄港は「条件付き出航」であることが多い。八丈島から青ヶ島へのあおがしま丸の就航率は50~60%である(2015年の公式発表)。新造船のあおがしま丸により就航率は上がったのだが、それはほんの少しである。

 2つの島を巡る旅は次の4つの関門をクリアしないとならない。

 1.御蔵島に入島できるか(さるびあ丸は条件付き出航が多発)
 2.御蔵島を出島できるか(さるびあ丸は条件付き出航が多発)
 3.青ヶ島に入島できるか(あおがしま丸の就航率50~60%/週4便)
 4.青ヶ島を出島できるか(あおがしま丸の就航率50~60%/週4便)

 1と2はクリアしたが、3で引っかかったわけだ。

 梅雨の時期の島旅である。欠航によって日程が間延びしてしまうことは最初から予想していた。だから日程はわざと最短で考えていた。欠航は大きな問題ではない。想定内である。

 両島には1日1便のヘリコプターが就航しているが、定員が少ないので予約はいっぱいになることが多い。こちらのほうも、多発する霧やガスにより欠航率は高い。

 最初からヘリコプターに乗るつもりはない。島への上陸はもちろん船がいい。そのほうが旅の感じが出るからである。

 底土港周辺で写真を撮ってみた。波はまだ荒かった。

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 徒歩2分のハッチー・ジョーズ・ホステルにもどった。

 何もすることがない。テーブルにパソコンを置き、テレビを見ながら、旅日記を進めた。15:00から観たテレビ番組『隠蔽捜査』(TBS)はおもしろかった。

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 早々とシャワーを浴び、ときどき空模様を眺めながら、ぐだぐだしていた。19:00頃、弁当を食べ、旅日記を書きながらまたテレビを観た。列島各地の天気は大荒れだった。しかしテレビの気象情報を独占していたのは鹿児島だった。東京都島嶼部の天候についてはほんの少し伝えられただけだった。

 今夜も宿泊者は私1人である。
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おがさわら丸、入港せず。八丈の思いは届かず! 

4日目  2015年6月18日  八丈島

 朝から嫌な感じの雨が降っていた。昨日八丈富士に登っておいてよかった。

 雨のなかを護神バス停まで歩いた。バスはいつも遅れるよ、といっしょにバスを待っていた人は言った。

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 遅れてやってきたバスのドライバーは、昨日乗ったコミュニティバスを運転していた人だった。購入してあったBU・S・PAを見せて、ドライバーの左斜め後ろの、前面展望の席に座った。護神バス停9:37発のバスで八丈島の南東にある末吉に向かった。

 バスはJAの前を通り、藤巻商店の前を通り、警察署の前を通り、NTTの前を通り、町立病院に立ち寄った。誰も乗ってこないのですべてのバス停を素通りしたが、町立病院バス停にだけは立ち寄った。旧町役場バス停の近くに八丈島観光協会があった。バスは八丈島郵便局の前を通り、歴史博物館の前を通り、町を出ていった。

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 雨が止む気配はなさそうだ。1日中降りそうである。

 樫立地区を通ったとき、車窓に「ふれあいの湯、本日休館」という表示が目に入った。八丈島ガイドマップで確認すると、樫立温泉というのがふれあいの湯を指すらしい。

 バスは中之郷地区に入っていった。バスが走っている周遊道路は中之郷地区の真ん中を突き抜けている。この地区には中之郷温泉がある。中之郷温泉はやすらぎの湯(とザ・BOON)を指すらしい。やすらぎの湯に行くためには、この地区のどこかでバスを降りて15分ほど歩かなければならないようだ。

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 バスは末吉地区に入った。終点の末吉バス停で降りるつもりだった。八丈島ガイドマップによると、末吉地区では末吉小学校、八丈島灯台、名古の展望台が確認できた。しかし山間のなかにある地区らしく、家がぽつんぽつんとあるだけのようだ。集落の気配はなかった。

 八丈島のバスは、車内前方に次のバス停の案内が表示されない。表示されるのは主なバス停と停まることが決まっているバス停ぐらいのようだ。どのバス停が表示されどのバス停が表示されないのかわからない。それはアナウンスも同じで、アナウンスされるバス停とされないバス停がある。乗車時には、どこで降りるかをあらかじめドライバーに伝えなければならない。降りる場所を変更する場合も同じである。乗車中に降りるバス停を変更した場合、変更先のバス停でバスが停まるかどうかわからないからだ。表示もアナウンスもされないバス停があるのだから、うかうかしていると通過されてしまう。バスに乗っているのは護神バス停から乗ったもう1人と私だけである。乗降客は極端に少ないので、信号待ちでもない限り、バスはそう簡単には停車しないのだ。

 いっしょに乗った人は少し前のバス停で降り、代わりにお婆さんが乗ってきた。私を含めこのバスを利用したのは3人だけだった。

 バスのタイムテーブルには末吉温泉前バス停があった。そこにみはらしの湯があるようだ。終点の末吉バス停まで行かないことにした。途中の信号待ちのとき、みはらしの湯で降りたい旨をドライバーに伝えた。

 みはらしの湯の看板が見えたところでバスは停まったので、そこで降りると伝えた。上まで行かないのですが、と聞かれたが、ここがみはらしの湯なんですよねという私の質問に、そうですという返答がなされた。

 バスを降りた。バスは発車し坂を上っていった。近くを歩いていた人に尋ねると、みはらしの湯は坂の上だった。仕方がない、傘を差して坂を登った。バスは上のほうにあるらしいみはらしの湯で折り返してきた。坂を下ってきたバスは坂を登る私とすれ違った。バスのドライバーは一言足りない。坂の下でバスが停まったとき、ここがみはらしの湯ですかと尋ねる私に、そうですとドライバーが答えれば、私はそこで降りるしかない。みはらしの湯に行きたいのだから。そのすぐあとに、上まで行かないのですねとドライバーに言われたとき、私は、ここ(坂の下)がみはらしの湯なんですよねと再度同じことを確認した。ドライバーは、そうですと答えたのだから、そこで降りるに決まっている。バスのドライバーは何をどういうふうに考え、ずれたような答えをしたのか見当がつかない。考えられることは、末吉温泉前というバス停が正式名であり、わたしがその正式名を言わなかったからなのか。つまり、末吉温泉バス停で降りたいといえば、坂の上ですという答えが返ってきたのだろうか。末吉温泉イコールみはらしの湯なのだけれど。

 昨日、コミュニティバス内で、このドライバーから2日間の乗車券BU・S・PAを買ったときにも会話はすれ違っていた。融通が利かなさそうな人だという印象を持った。

 BU・S・PAを見せ、みはらしの湯に入館した。開館の10分ほど前だったが、和室に入って待つことができた。途中からバスに乗ってきたお婆さんは坂の上の、ホンモノのみはらしの湯で降り、早々と和室でくつろいでいた。「なんで下のほうで降りちゃったの? どっか寄るところがあるのかと思った」と話しかけてきた。苦笑するしかない。「ドライバーが、みはらしの湯だと言った場所で降りたのです」と答えた。

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 飲み物の自動販売機はあったが、食べ物は販売していなかった。

 みはらしの湯では、2日ごとに男女の湯船を入れ替えるようだ。普通、温泉施設のなかの写真撮影は禁止であるが、誰もいないのだから文句はないだろう。写真を2枚撮ってみた。

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 湯船は屋内と屋外にそれぞれある。湯船から海は見えたが、晴れていれば絶景だと思える風景は灰黒色に煙っていた。近くにあるはずの八丈島灯台は見えなかった。

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 ♪窓の外は雨、雨が降ってる♪ 「雨の物語」という歌があった。
 
 薄茶色っぽい、濁り湯のなかでくつろいだ。横になった和室でうつらうつらした。

 和室には「東京七島新聞」が置かれていた。伊豆七島は、伊豆の有人島が伊豆大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島の7島であったことに由来している。しかし明治以降に人が住み始めた式根島、八丈島の南にある青ヶ島を加えると9島ある。今、島の数を入れた呼称を使うのであれば、伊豆九島とすべきだ。東京都の外郭団体「伊豆七島観光連盟」は「東京諸島観光連盟」に改名されているが、東海汽船は未だに、伊豆七島という呼称を使用している。これもおかしな話で、東海汽船による青ヶ島への出航はない(あおがしま丸は伊豆諸島開発により運航されている)が、式根島へは就航しているので、実態に即した東海汽船のパンフレットは伊豆八島という名称を使うべきである。10年ほど前からそう思っていたが、それはどうでもいい。私が気になったのは「東京七島新聞」がどの島に配布されているかである。わざわざ東京という地名を入れているのに、七島という名称を残している。不思議な名称なのだ。

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 東京都の小笠原諸島の父島、母島は有人島である(兄島や弟島は無人島)。東京都の硫黄島(鹿児島県にも硫黄島がある)に民間人はいない。民間人の住む有人島だけをカウントし、東京という文字と島の数を合わせたネーミングをするのなら、東京十一島となる。

 つまりこの地域のネーミングは、伊豆九島と東京十一島の2択しかない(私はどうでもいいことを書いている)。

 こういうことは、東京都が東海汽船や新聞社にさりげない要請をすればそれで解決するのだろう。もっとも「東京七島新聞」の一面には、伊豆七島建設業協同組合という文字があった。各自勝手な命名をしているので、ややこしい。式根島と青ヶ島はいつも日陰者なのだ。

 もっとも青ヶ島は独立して扱いたい気分もある、絶海の孤島として。

 12:49のバスに乗ることにした。さっきのお婆さんがみはらしの湯の玄関先で立ったままバスを待っていた。バスは遅れるのかね、とお婆さんはつぶやくように言った。ドライバーによって、わりと遅れる人とほんの少しだけ遅れる人とがいるんですよ、とみはらしの湯のスタッフが返していた。

 末吉温泉前(みはらしの湯)バス停は、始発の末吉バス停から数えて2つか3つ目である。タイムテーブルに寄ると、終点で15分ほどの休憩ののち折り返すダイヤになっているので、遅れる理由はあまり考えられない。

 バスはわりと遅れてやってきた。さっきのドライバーは1本前のバスで折り返したはずで、今度は別のドライバーだった。

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 今朝乗ったバスは歴史博物館前を通過していた。時間があるので、行ってみることにした。その前に昼ご飯を食べたいので、どこかで食堂を探す必要がある。乗車時に護神バス停までとドライバーに伝えていたが、大脇前バス停で降ろしてもらうことにした。周辺に食事のできる店は3軒あるはずだった。13:30過ぎの時間帯に開いているかどうかはわからないけれど。

 見つけた1軒の食堂は廃業していたが、すぐ近くにあった、えすあーるというカフェに入った。少ないメニューのなかからピラフを選んだ。あまりに普通のピラフだった。

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 カフェを出たとき、雨と風は強くなっていた。折り畳み傘が風に煽られ、何度か反り返った。風の吹く方向に傘を向けながら、5分ほど歩いて歴史博物館に入った。風雨を避けることができてほっとした。

 木造の博物館は古いたたずまいの学校のようだった。1975年までは東京都八丈支庁舎だったらしい。歴史博物館は、八丈島の自然と文化財、考古資料、民俗資料、流人コーナーⅠ、流人コーナーⅡ、自然、生活用具、産業といった8つのコーナーに分かれていた。八丈島の最大の魅力は自然なのだろうが、どれだけ島を周っても見えないものを歴史博物館は見せてくれた。それは2つに分かれている流人コーナーだ。

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 テレビの時代劇に出てくる地名は限られている。何度も登場してくるのは江戸とその町々。小伝馬町とか小石川とか吉原とか浅草とか。地方の京都、伊勢、水戸、尾張、紀州、薩摩などはメジャーな地名で、加賀、越後、備中などという藩名もよく登場してきたように思う。今の関東地方に相当する関八州(相模、武蔵、上総など)といったややあいまいな地域も出てくる。上州新田郡(じょうしゅうにったごおり)三日月村という特殊な地名(おそらく創作だろう)もあった。そういったなかでしっかりと役目を与えられて登場していた地名は、佐渡(金山)、石見(銀山)、韮山(銀山)であり、それとともに罪人の島流しの先としての八丈島だろう。江戸時代の刑にどれだけの種類があったのかを知らないが、江戸十里四方処払いと(市中引き回しの上)打首獄門の間のどこかに島流しの刑があった。

 江戸時代、八丈島は流人の島だった。流人の島として日本史に組み入れられたといっていい。1606年(慶長11年)宇喜多秀家という人が流人の第1号である。最初は政治犯、思想犯が中心だったらしいが、途中からは賭博犯などが送られたらしい。島で、流人は普通の人として生活したようだ。流人は島で結婚をしている。流人の妻は水汲み女と呼ばれた。島人は水汲み女を差別したりしなかった。島の産業や文化は流人によって発展したともいえる。流人の墓は島人と同じように扱われ、墓標に流人○○○と刻まれることはなかった。

 1606年から1871年までの間に八丈島への流人は約1,800人である。1,800人を統計のある266年間で割ってみた。流人は1年当たり6.77人。江戸は18世紀初頭には100万人都市となっていることを考えると驚くべき少なさである(もっとも、江戸の面積、幕末の写真辺りから推測すると、江戸の人口は数十万人がやっとではないかと私は思っている。もちろんなんとなくそう思っているだけである。ターリス・チャンドラーの60万人台説は江戸を過少評価しているという説が今の日本では一般的であるが、私はなんとなく、そんなところだろうと思っている)。

 日本は多くの記録を残している国として韓国などで評価されている。八丈島の流人の名簿が残っているのは驚くべきことだ。江戸という時代が進むにつれて武士道は衰退していったと思うが(戦がなかったのだから当たり前だ)、幕府や藩に仕官した武士による官僚制度はそれなりに機能していたと考えられる。彼らは地道にいたるところで多くの記録を残していた。今となっては貴重な記録である。公務員の給与の源泉となった、農民から搾り取った年貢は後世から見て役に立ったというべきか。

 八丈島には漂着船が多かったらしい。漂着船の積み荷は貴重な物資だったようで、島民は漂着船を待ちわびていた。ただ漂着船の積み荷をどうするかについては規定があったようで、横領は禁止されていた。積み荷の10%は島のものになり、残りは再出航の際に船に積み込んだそうだが、沈没した船の積み荷を引き上げた場合は、すべて島のものになった。岸に漂着した荷物は5%が島のものになった。

 八丈島は伊豆諸島のもっとも奥にある島だ。だから沖の島(沖島)と呼ばれることもあった(女護島など6通りぐらいの呼び名がある)。普通に渡航することのできない島で前述のような漂着船に際しての規定があり秩序が機能していたことは驚嘆に値する。明治維新は、封建制から中央集権による近代国家への制度の組み換えだったわけで、それによる混乱はあったとしても、根底にある秩序、治安は江戸時代に完成されていて、うまいかたちで新時代に継続されたと見ていいのではないか。そういうふうなことを考えた。

 館内をひととおり回った。30分ほど椅子に座ってバスの発車時刻までの時間つぶしをした。

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 歴史博物館前バス停は近くにあったが、そこに着くまでに傘の骨が折れた。16:29にやってきたバスに乗って、護神バス停で降りた。夜ご飯にはまだ早い。おそらく開いている食堂はない。風雨が和らぐ気配はない。一度ハッチ―・ジョーズ・ホステルにもどってしまえば、この風雨のなか、外に出ることはないだろう。護神交差点周辺で夜ご飯を買って帰ることにした。

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 スーパーマーケットで弁当を買った。ハッチ―・ジョーンズ・ホステルまでの15分間、何度も傘をあおられた。昨日の八丈富士で靴とパンツの膝下が泥だらけになったが、今日は全部がびしょびしょになった。

 底土港周辺はとくに風が強かった。

 東海汽船のHPにアクセスしてみた。おがさわら丸は欠航になっていなかった。竹芝桟橋を出航していた。しかし八丈島には寄港しないことがわかった。あまりに残念だ。
  
 運航されたのかどうなのかをチェックする気にはならなかったが、飛行機の最終便(第3便)の到着は16:40で終わっている。18:00を過ぎれば、今日、新しい宿泊者がやってくることはないだろう。

 夜ご飯用の弁当を食べ、パソコンで日記を書き、テレビを観た。

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 ハッチ―・ジョーズ・ホステルを揺らす風の音と穿つ雨の音を聞きながら眠った。

リゾートバイトたちの八丈島。

3日目  2015年6月17日  御蔵島  八丈島

 5:30に食堂にいてくださいと言われていた。別棟に住んでいるらしい女将さんがどこかから現れ、車で港まで送ってもらった。集落から港までは下り坂だ。歩いていけるけれど、好意に甘えた。

 昨日の朝、御蔵島で下船する前、女子高校生たちを集めた引率者が言っていた「みなさん眠いかもしれませんが、これから迎えてくれる民宿の人にはきちんとあいさつしてください。民宿の人たちのほうがもっと眠いのです」。具体的で実践しやすい1つのことを、その直前に要求するのはよい教育方法である。その背景も説明されていた。眠いはずの女子高校生たちに引率者のコメントは届いていた。私といっしょに車に乗った4人は女将さんに丁寧にあいさつをしていた。眠かった私もしっかりあいさつをした。御蔵島の朝はみんな眠い。

 女将さんと別れ、埠頭手前にある港湾事務所の2階の受付で、竹芝桟橋で購入してあったチケットに印を押してもらった。

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 遠くに見えていたさるびあ丸が近づいてきた。船上から見た島はなかなか近づいてこないが、港から見た船はぐんぐん近づいてくるように思う。陸から甲板に渡したブリッジを渡って30人ぐらいが降りた。地元の人と旅行者は半々ぐらいだと思われたが、出迎えの車はあまり来ていなかった。島民は港から坂を登り徒歩5分から10分ぐらいの間にある自宅に向かう。つまり坂はあるものの集落は近いので、大きな荷物を抱えた人でない限りわざわざ車で出迎えることはないだろう。そうだとしたら下船者の多くは旅行者ではなかったということだ。

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 乗船したのは私1人だった。

 さるびあ丸の2等和室は八丈島をめざす乗客たちの眠りのなかにあった。早朝からざわざわしていた昨日の船内とは大ちがいだった。

 8:50頃、八丈島の底土港に着いた。下船して驚いた。埠頭にあおがしま丸が停泊していた。底土港のターミナルには東海汽船のチケット売り場と観光案内所があった。あおがしま丸が底土港に停泊している理由を観光案内所で尋ねてみた。

 かって八丈島と青ヶ島を結んでいるのは環住丸だった。船があおがしま丸に変わったのは2014年の初めらしい。それを機に出航する港は底土港に変更されたようだ。以前は、東海汽船の着く底土港から5km西にある大賀郷の八重根港まで移動しなければならなかった。2つの港の間を歩くことはできなくはないが、両港間を走るバスはなく、移動手段はタクシーしかなかった。船が底土港から出航することによって青ヶ島へのアクセスは少し改善されたことになる。

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 底土港から2分のところにあったハッチー・ジョーズ・ホステルにチェックインした。レセプションは隣のダイビングショップのなかにあった。スタッフは親切だった。2泊で5,000円、八丈島で最安値のホテルである。八丈島だから“ハッチー・ジョーズ”とはファンキーなネーミングだ。別棟の入り口がダイビング用具の置き場になっており、その奥にキッチン、シャワー、トイレ、テーブルのある部屋があった。さらにその奥に2段ベッドが4つあった。ドミトリーだ。リュックが1つ置いてあった。宿泊客は1人らしい。

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 八丈島には2つの山がある。三原山と八丈富士だ。島のかたちは2つの山をつなげたひょうたんのようだ。宿泊先を探していたとき、素泊まりの宿ひょうたんというネーミングの宿もあった。

 八丈富士に登ってみたい。底土港ターミナルの観光案内所で、八丈富士までの行き方を確認していた。多くの人はタクシーで登山口まで行くらしい。そこは山頂に近い場所である。地図に載っていた、八丈富士の麓のほうの富士登山道入口というバス停に行くバスについて尋ねた。

 底土港周辺にバス停はなかった(夏の観光シーズンだけ底土港バス停が設けられる)。底土港から15分ほど歩いたところにある護神というバス停からコミュニティバスが出ているらしい。そこから富士登山口に行くバスが1日6本ある。バスのタイムテーブルをもらった。

 護神バス停をめざして歩き始めた。途中の商店で買ったパンをその店の前に置かれている長椅子で食べながら、時間調節をした。

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 護神バス停は2ヶ所あるのでまちがえないように、というアドバイスを受けていた。小雨が降ってきた。八丈富士に登るのを止めようかなと思い始めた頃、バスがやってきた。

 バスのなかでBU・S・PA(2日間バス・温泉共通券)を買った。1,000円。2日間バスが乗り放題で、無料で3つの温泉に入ることができる。バスに乗ったのは3区間だけだ。

 富士登山道入口バス停で降りた。登山口までは徒歩で1時間25分かかると案内板に表示されていた。八丈富士をめざして歩き始めたときは、途中上がってくる車に乗せてくれるかもしれないという甘い期待があった。歩き始めて5、6分ぐらい車は1台も通らなかった。上に行けば、もっと通らないだろう。このまま小雨に濡れながら歩くのは嫌だ。バス停のある広い道路に引き返した。5分ほどでタクシーを拾うことができた。

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 昨日八丈富士のお鉢巡りで怪我をした学校の先生を病院まで送迎してきたところだ、とドライバーは言った。

 前の町長が山の木を切っちゃったからね~
 八丈島は雨が多いんですよ。屋久島ほどじゃないけれど。伊豆諸島で水には苦労しないのはこの島だけだね。

 ドライバーは話好きな人だった。私の身に着けているものが登山に適さないらしく思われたようだ。

 水は持っていますか? 
 合羽は用意していますか?

 水と傘を持ってきているが、用意していた合羽を自宅に忘れた。島人あまりは傘を差さないらしい。

 登山を舐めているわけではない。よく街歩きをするが、山にほとんど登ったことがない。記憶にあるのは、車山(長野県/頂上近くまで車で行ける)、大山(神奈川県)、高尾山(東京都)、金剛山(大阪府)、マッターホルン(スイス/途中のマッターホルンヒュートまで)くらいしかない。だから登山用の服装がよくわからない。

 タクシーは急こう配の自動車道をくねくねと走った。道路幅の広いところと狭くなっているところがあった。登山道への入り口でタクシーを降りた。1,480円。

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 その奥に山羊除けのゲートがあった。カンヌキ状の鍵をはずしゲートを抜けたあと、鍵を掛けた。1,280段の階段を登っていく。階段は草がぼうぼうで歩きにくい。階段の横には狭い幅の舗装された坂が併設されているが、階段のすべてに併設されているわけではない。

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 途中、半分まで登ったことを示す標識があり、少し先に2番目のゲートがあった。鍵を開けゲートを潜り、また鍵を閉めた。途中から霧が濃くなった。麓はよく見えなかった。

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 途中の階段で何度か休憩しながら、ようやくお鉢巡りの道にたどり着いた。登山道への入り口から1時間ほどかかった。霧はさらに濃くなり風が吹き気温は下がった。かなり寒い。雨は降ったり止んだりしていた。

 お鉢巡りは火口の周辺を周る歩道で、「時計回り」に歩いた。歩道は人1人がかろうじて通れる幅しかないので、「時計回り」の一方通行になっているのだろう。とんでもない悪路だった。えっここを歩けというのかと誰かに言いたくなるほどの道だ。草が道を塞いでいるなかを歩き続けなればならない。草の背丈は高いところで2m、短いところでも50cmぐらいある。草と草とが絡み合って道を塞いでいた。雨が降っているので、草は濡れていた。草が生い茂っているため道は見えない。見えない歩道はぬかるんで滑り安くなっている。大室山(伊豆)山頂をイメージしていたが、とんでもない(そうだ、大室山には登ったのだと思い出した)。

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 途中で、歩き続けるのは無理だと判断した。元のところまでもどり、ルールに反して、反時計回りに歩いてみた。どうせ私1人しかいないのだ。反時計回りに歩きだしたところの草の高さは7、80cmくらいだったが、やはりほとんどのところで歩道が見えず足が草に捕られてうまく歩けない。こちら側に進むのも諦めた。

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 火口方面への道の先に浅間神社があるらしい。かろうじて足元は見えたが、ぬかるんでいた。斜面の道は滑りやすくあまりに危なかった。昨日学校の先生がお鉢巡りで怪我をしたのは十分あり得る。

 結局1時間のお鉢巡りの3分の1ほどを歩いただけだった。風が強く霧のため視界は悪かった。ベンチもないので休むこともできず、早々に降りてきた。

 1,280段を下り鉢巻き道路に出た。八丈富士を一周する自動車道である。西に1.5kmほど歩いた。霧は東から西に早いスピードで流れていた。ふれあい牧場の近くまで来たとき、一瞬霧が晴れ八丈島空港が見えた。そのときANAの飛行機が着陸した。

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 ふれあい牧場は鉢巻き道路の南側にあり、下に飛行場を中心とした三根地区と大賀郷地区が見渡せた。この2つの地区が八丈島の中心である。八丈島空港の北東にある三根地区には底土港や宿泊先のハッチー・ジョーズ・ホステルがある。護神バス停もこの地区にある。大賀郷地区は八丈島空港の南西にあり、歴史民俗資料館、宇喜多秀家の墓、八丈植物公園ビジターセンター、八重根港などがある。
 
 2つの地区の南には三原山があるが、霧のため山頂は見えなかった。晴れていれば、ふれあい牧場からの風景は絶景といっていいだろう、北西の底土港の奥にある海はよく見えるのだが、おそらく海からの空気が陸に達したとき霧が発生し、三根地区や八丈島空港を蔽い、南西の八重根港まで霧が流れたときに晴れる。町は白くぼんやりとしか見えなかった。

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 私のあとに3人の若い男女がやってきたが、すぐに車で行ってしまった。

 ふれあい牧場から、富士登山道入口バス停までは歩くと50分かかるらしい。そういう表示が出ていた。ほとんどが下り坂なので歩けるだろう。

 15分ほど歩いたところで、麓から1台の車が上がってきて私の前で止まった。車は私が歩いているのと反対方向をめざしていたはずなのだが、折り返して下まで乗せてくれると言う。
 
 ドライバーは、リゾートバイトで八丈島に来ている若い女性だった。リゾートバイトの話になった。リゾートでバイトをやっている人たちを私は知っていた。

 リゾートバイトの幅は思ったより広いらしい。一般的にはホテル、旅館、レストラン、ショップでのアルバイトを指すのだろうが、この八丈島で彼女の働いているのはガールズバーだった。前はホールで働いていたらしい。初めてのリゾートバイトだと言う。八丈島にガールズバーがあることに軽く驚いたが、ガールズバーは風営法に規定された接待の要件をクリアしたことにより全国に普及した。島にあっても不思議ではない。

 どこかの島(島名を思い出せない)のスナックで働く女性のドキュメンタリー番組を観た。リゾートバイトで島のスナックにやってきた女性が、現地の素朴な男性を見つけて・・・という番組だったと思う。よくある話なんだろうけれど。

 私の泊まっているホテルの話を聞いた千葉から来た女性は言った。

 ハッチー・ジョーズ・ホステル! 名前がおもしろい
 ドミトリーって楽しそう

 彼女はこれからも八丈島とリゾートバイトを楽しめそうだ。

 八丈島空港の東のほうで降ろしてもらった。10分ほど歩いて護神バス停に着いた。途中、スーパーマーケットがあったので入ってみた。

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 護神交差点の周辺に食堂は10軒ぐらいあった。3軒ほど回ってみたが、開いている店はなかった。八丈島の食堂はランチ向けに11:00から13:00(あるいは14:00)に店を開け、一端閉店する。そのあと夜の部として17:00あるいは18:00にもう一度店を開けるというのがパターンのようだ。

 護神交差点付近に休む場所はなかった。ハッチー・ジョーズ・ホステルにもどることにした。

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 ドミトリーには誰もいなかった。チェックインしたときに置いてあったリュックはもうなかった。所有者はチェックアウトしたらしい。私のあとにチェックインした人はいなかった。このまま誰もチェックインしなければ、ドミトリーを独占できる。少しベッドで休んだ。

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 18:00過ぎ、15分ほど歩いて護神バス停周辺までやってきた。

 梁山泊という店に入った。郷土料理の店で、料理の一部は創作料理風だった。入店したあとでわかったことだが、予約が取れないこともある八丈島を代表する名店だった。

 島寿司を食べるには予約が必要らしかった。ビールを飲み、地魚刺身盛り合わせ、里芋コロッケ、岩のりおにぎりを食べた。里芋も岩のりも八丈島産である。

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 ホールスタッフとして3人の女性が働いていた。1人は結婚していた。みんなリゾートバイトで八丈島に来たらしい。自分の住む場所を探すためにやって来たと言った女性がいた。その人は八丈島に住んで5年目だった。八丈島は気に入っているらしいが、まだ迷っているようだった。

 日本の地方から若い女性が流失していることは社会問題となっている。リゾートバイトで地方に入っている人数は、地方からの若い女性の流失数を大幅に下回るものかもしれない。しかしリゾートバイトの増加は一考に値するはずだ。

 地方自治体の最大の課題は人口減少への対策だろう。彼らは住宅支援、教育支援、就業支援などを行い、他地域(都市部)から人を移住させ、定住させようと努力している。リゾートバイトはしかし、そういうこととは関係のないところで起きている人の流れだ。純粋な経済活動のなかで、就業が発生し労働が行われ給与が払われ住居が発生している。行政がやろうとしてできていないことを、民間の経済活動だけで実現させてしまっていることには注目すべきだ。あいかわらず地方自治体は何もリサーチしていないように思える。地方から若年層が流入し20代30代の人口が増えている東京都新宿区は逆の立場から、行政として異例の、未婚女性の聞き取り調査を2013年から始めた。「適当な相手にめぐり会わない」、「今は仕事に打ち込みたい」、「収入面に不安がある」などがそこから得られた結果であるが、その調査の低すぎるレベルには嘆かざるを得ない。この程度の浅い結果しか得られないのでは、調査の継続は無意味だと思えるが、リゾートバイトがやってくる地方こそ、彼女たちの動機や将来の考え方などを徹底的に調査し分析する必要がある。あるいは職と住居の両方を供給している雇う側の企業の研究をすべきである。たとえ彼女たちの第一希望がリゾートバイトでなかったとしても、地方にやってくることを選択した現実には重いものがある。それは就職や人材紹介の際の問題点であるミスマッチをとりあえずは乗り越えた結果であり、その場所が一時的な勤め先であったとしても、そのなかに封じ込められたものの解明と分析を行うべきだろう。そのあとにこそ、地方に人を向かわせる施策が出てくるかもしれない。

 旅行は八丈島だけですか
 昨日御蔵島にいました よかったですよ 行ったことはありますか
 ないんです
 明後日には青ヶ島に行きます
 ずっと島巡りをやっているのですか
 わりとときどき・・・
 私たちは、明日3人で小笠原に行くんです
 へえ~
 おがさわら丸が年に1回だけ八丈島に寄港するんです それに乗ります
 それはすごい
 港では八丈太鼓で出迎えるようです
 行ってみたい おがさわら丸が来るのは何時頃?
 18:00ぐらいかな
 
 明日は雨っぽいですね
 八丈の人は、天気予報をNHKで観るんです NHKは八丈島の天気を流してくれます 

 料理はうまかった。20:00過ぎに梁山泊を出た。明日、おがさわら丸を迎えることになっている底土港を少し歩いてみた。ハッチー・ジョーズ・ホステルにもどった。

 スタッフがやってきた。4人が泊まることになったと伝えられた。この時間になって不思議な感じがしないでもない。1日1便の船の到着は8:50、飛行機の最終便の到着は16:40で終わっている。つまりほとんどのホテルや民宿は18:00前に客の出入りが終了しているはずなのだ。夜になってのチェックインは宿泊先の変更をする場合に考えられるが、その数が多いとは思えない。

 ハッチー・ジョーズ・ホステルのベッドにはカーテンが付いている。各ベッドにはコンセントが付いており、ベッドの照明がもう少し明るければ、カプセルホテルといってもいいくらいだ。ベッドに入りカーテンを引いて眠ろうとした頃、2人が入ってきて、20分後にさらに2人が入ってきた。彼らはそれぞれ小声で話していたが、会話はすべて丁寧語で行われていた。断片的に聞こえてくる会話の内容から、友人同士ではなく八丈島で知り合ったらしいことが推測できた。どこから来たのだろう。不思議な感じの4人は無駄な話をせずにさっさとベッドに入った。

「条件付き出航」をクリア。イルカ・ウォッチングの御蔵島に無事上陸。

2日目  2015年6月16日  御蔵島

 4:30頃、まもなく三宅島に入港するという船内放送があった。放送の終わりには、三宅島の次の御蔵島にも入港するということが付け加えられた。

 一安心である。旅の第1関門をクリアした。御蔵島までのチケットは数日前に電話で予約してあった。竹芝桟橋の東海汽船の窓口でチケットを受け取るときに「条件付き出航」だと言われていた。つまり御蔵島港には寄らない可能性があるということだ。東海汽船にとっては御蔵島港に寄港できない際の保険ということになる。

 2010年に三宅島に行ったときも、御蔵島だけは「条件付き出航」だった。そのときは三宅島入港の直前に、御蔵島に寄らないことが船内で案内された。

 同時刻に、御蔵島には寄港かそうでないかの連絡が入る。船が寄港しないことがわかると、御蔵島の港湾関係者、役場、警察、民宿、業者の人たちはもう一眠りすることになるのだろう。その日の島の最大のイベントは中止となったのだから。

 船が御蔵島に寄らない場合、乗客は御蔵島の手前にある三宅島で降りてもいいし、次の八丈島で降りてもいい。船は八丈島で折り返す。八丈島で降りない場合は、帰りに寄港する御蔵島で下船する。ただ御蔵島は条件付き出航となっているため、復路でも御蔵島に入港するという保証はない。その場合、竹芝桟橋にもどることになり、竹芝桟橋から御蔵島までの運賃は全額払い戻される。22時間40分の乗船料金が無料となる。そういうことを楽しいと思える人にとっては、条件付きで出航した船が往路、復路ともに通過の可能性がある御蔵島への旅はおもしろい旅になるかもしれない。

 三宅島で降りた人は80人ぐらいだった。うるさいほうのグループは降りていった。

 1時間後の5:50。さるびあ丸は御蔵島に着いた。乗客30人とともに私も下船した。

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 巨大な森を持つ小さな島の一角に港があった。港であるというより、無造作で殺風景なコンクリートの造形物がある風景だった。コンクリートの途切れたところから森が始まっていた。

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 ゲストハウスMITOMIの若い女将さんが車で迎えに来てくれていた。

 小雨のなか、車に乗った。車には近くの民宿に泊まる人も4人乗り込んできた。わりと静かなほうのグループにいた女子高校生たちのようだった。民宿同士で送迎を補完しているらしい。4人はゲストハウスMITOMIの少し手前にある宿まるいで降りた。ゲストハウスMITOMIはすぐ近くにあった。

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 宿名にゲストハウスという文字はあるが、ドミトリー形式の部屋ではない。3室はすべて個室である。内装はきれいで清潔だった。昨日からの宿泊者はいないようで6:00過ぎにチェックインさせてもらった。この日の宿泊者は私だけのようだ。6:00に下船した人たちだけが、飛行機の飛んでいない御蔵島をその日に訪問したすべての旅行者である。宿はガラガラ状態だ、と書けば、おそらく誤解を与えるだろう。実際、御蔵島の宿の予約は大変なのだ、たとえばこんな具合に。

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 7月分の予約申し込みの受付期間は4月15日から25日までである。申し込みは抽選により決められ、4月30日までに知らされる。8月分の予約も同様で受付期間は5月15日から25日まで、5月31日までに結果が連絡される。これはゲストハウスMITOMIに限らない。他の宿も似たような設定で、宿泊希望日は抽選によって決められる。もちろん直前でも、空いていれば泊まることはできる。私は1週間ぐらい前に電話をして、たまたま空いていたので予約ができた。

 予約の難しい島がある。隠岐諸島の知夫里島(島根県)では、廃業、休業により民宿の数が減っていた。予約はかなり難しく隣の西ノ島に泊まる人は多い。知夫里島の民宿で、よく予約が取れたと言われた。そのとき私は5軒ほどの民宿に満室で断られるか電話が通じないかの状態で埒が明かず、途中で観光案内所に助けを求めた。

 トカラ列島(鹿児島県)には7つの島があるが、そのうちの1つである子宝島には民宿が3軒しかなく、1つの民宿が満室のときは他の2つも満室になる。トカラ列島の7つの島に行く計画を立て、民宿の予約を試みたが、子宝島の民宿予約で行き詰まった。4つの島の民宿の予約を終え、5つ目に子宝島の民宿の予約に入ったが、目的の日の近辺に日程をずらしてみてもすべて満室だった。すでに予約した4つの島の民宿をキャンセルせざるを得なかった。数日後、子宝島の民宿予約を最優先に再度予約を試みたが、すべて満室で跳ね返された。さらにその1週間後ぐらいに日程を大幅に変え3度目のチャレンジを試みたが、同じ結果に終わった。今年の4月から5月にかけて私はこの予約でほとほと疲れていた。だからまだトカラ列島には足を踏み入れておらず、そこが秘境である印象が強くなっただけだった。

 少しあと、屋久島(鹿児島県)から帰ってきたnさんと東京で会い、おもしろそうな話に触発され、種子島、屋久島、口之永良部島(鹿児島県)の航路を考え始めたとき、口之永良部島が噴火をした。2003年には鹿児島港まで行きながら、船が3日間欠航になり屋久島には行けなかった。

 秘境度ではトカラ列島とほとんど同レベルの三島(鹿児島県)も考えたが、なんとなく止めてしまった。

 島旅は思いのほか難しい。

 御蔵島に宿泊施設は9軒ある。村営の御蔵莊を除く8軒は民宿だ。ゲストハウスMITOMIはそのうちの1つで、おそらく最も新しい。御蔵島は宿泊予約がないと上陸できないという不文律がある。
 
 さるびあ丸のなかでほとんど眠ることができなかった。早朝のゲストハウスMITOMIで寝た。10:00頃には起きたかったが、部屋を出たのは12:00前になった。

 朝から降っていた雨は止んでいたが、また降り出しそうな感じだった。傘を持って出た。出発前に合羽を用意していたのにリュックに入れてくるのを忘れた。

 御蔵島の食堂は5軒しかない。いやむしろ、島の人口300人で食堂が5軒あるのは、さすが東京都の島といっていいかもしれない。食堂やまやは休業中、美々庵は火曜日、Camburi(カンブリ)は火曜日と水曜日は定休日になっていた。酒好妖怪「ケフィア」は18:00~22:00の営業である。火曜日の今日、昼間はふくまる商店しか開いていない。

 ふくまる商店のなかはお洒落な感じだったが、メニューはカレー、ミートソース、スパゲティ、ナポリタン、ハヤシライスしかなかった。アイスクリームは6、7種類あったと思う。Tシャツ、絵葉書などの土産物も販売していた。カレーを食べた。

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 12:30、歩き始めた。まずは集落を周った。集落は港の近くにあるが、急な坂の途中にあるので、下まで降りてしまうと上のほうに行くのが大変である。島の人はすべてこの集落内に住んでいる。集落のなかを車は走っているが、自転車は禁止になっているらしい。坂はあまりに急で自転車は役に立たない。

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 集落を出て島の奥に入っていく。集落を出る道は北東方面に1本、南西方面に1本しかない。舗装された道路だが、島の反対側で2本の道路が合流することはない。車で島を一周することはできない。途中で途切れている両道路を結ぶのは登山道である。

 南西方向の道を行く。集落の端に幼稚園があり、その敷地脇の奥に稲根神社があった。少し覗いただけで先を急いだ。

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 南西方向への1本道をどんどん歩いたが、道は急峻ですぐに足が重くなった。それでもなんとか坂を登っていく。途中に工事関係用らしい建物があった。御蔵建設(株)のショベルカーがあった。この会社が島の最大手の建設会社なのだろう。そこから少し行ったところに砂防用らしいダムがあった。

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 ところどころで海が見えた。高い場所まで登ってきた。20分ほど歩いたところでようやく坂が少しゆるくなった。足に疲労がたまっているのがわかった。

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 遠くから道の真ん中に白いものが落ちているのが見えてきた。A4の1枚の白い紙だった。おもしろそうな内容だったので写真に撮っておいた。

 「海域 ひやり・ハット報告書(インシデントレポート)」というもので御蔵島観光協会の名前が入っていた。一応はマル秘扱いなのだろう。書くかどうかを迷ったが、御蔵島を旅する者が知っておいてもいいことなので、書いても問題はないだろう。

 それは3日前(6月13日)の、遭難につながるかもしれない出来事だった。船長、ガイド、客7人を乗せたボートが、桟橋西側に進路をとっていくと、前から別の船が来たので、沖に転進したらしい。そのとたん濃霧に巻き込まれた。船にGPSがなく、客のダイビングコンパスで南南東に向かったが何も見えなかった。そのとき偶然に発見した船に先導をたのみ、帰港した。GPSの装備不足で、反省は濃霧を甘くみていたということらしい。

 途中に登山道入り口があった。地図にない道だった。少し登ってみたが、20mほど登ったところで進むのをあきらめた。草が生い茂り、道がどこに続いているのか判別がつかない。車道にもどってまた歩き始めた。

 どこかで道が分岐しているはずだが、それを見過ごして10分ほど歩いてしまった。おかしいと思い引き返した。赤い橋のところまでもどったところで分かれ道を発見した。集落のほうから歩いてくる者にとってはわかりにくい道だった。

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 そこからまた坂がきつくなった。登山に興味はないが、興味のない登山にますます興味がなくなっていく。山登りは金輪際止めようと決意する。そこはまだ普通に車が走れる舗装された道路なのだけれど。一度も下ることのない急な坂を登り切ったところにトイレと東屋があった。さっきの地図にない登山道の出口はその近くにあった。

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 地図に載っている登山道があった。集落を出たときから雨は降ったり止んだりしていたが、少し強くなっていた。東屋で少し休んで木の階段を登っていく。木は階段の角の部分にあてがわれているだけなので、実際に足を付ける部分は土のままだ。そこは雨のせいで水が溜まっていた。泥溜まりといっていい。登山道は人の行き違いができる幅はあるが、この状態では人ひとりが通るのがやっとである。

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 登山道の先には御山(851m)があるが、そこまで行くつもりはなかった。その手前にある鈴原湿原を見たかった。道はあまりに悪かった。水溜まり、泥溜まりを避けながら階段を登っていく。両脇にある草木の枝や茎につかまらないと滑ってしまいそうだ。

 両側に木々が生えている木の階段を抜けると草のある場所に出た。こう配はやや緩くなったが、坂であることに変わりはない。そこが鈴原湿原であるのかどうかよくわからない。まだ先のような気もする。サロベツ原野(北海道)とか美ヶ原高原(長野県)といったような低い草がある場所ではない。ほとんどの場所で草が道をふさぎ、歩行の邪魔をしている。草の背は1、2mほどあり、草原、湿原を見渡せる場所はない。おそらくそこはまだ鈴原湿原ではないのだろう。

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 風が強い。雨も強くなってきた。途中で進むことをあきらめた。結局、歩いている場所が、鈴原湿原に入っているのかどうかわからないままもどることになった。

 水溜まり、泥溜まりに足をすくわれそうになり、帰路のほうが歩きにくかった。

 登山道の出口が見えてきたとき、木々の奥に黄色の何かが見えた。人が来たのかもしれないと思ったが、黄色に塗られた看板だった。登山道を登るときに見過ごしたようだ。看板には、ガイドなしでの登山道への侵入を禁止するとあった。今朝ゲストハウスMITOMIの女将さんに、山のガイドを雇っているのかと聞かれ、私は、いいえと答えていた。どうしてこういう質問がされるのだろうと不審な感じがしていたが、その話はそこで終わってしまっていた。御蔵島はイルカ・ウォッチングの島である。山の自然が残されているがとくに際立った見どころがあるわけではない。まさかガイドが必要だったとは。

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 地図に載っている登山道入り口から集落までの5.3kmをひたすら歩いた。往路で2度、復路で1度車が通過しただけで、歩いている人はもちろんいなかった。

 集落にもどったのは17:00前だった。疲労は溜まりに溜まっていたが、集落から北東方面に向かう道を少し歩いた。ここも登り坂である。奥山交竹院の墓、古入金七人塚があったが、何のことかわからない。立派な校舎を持つ御蔵小学校を通りかかったとき、夕焼け小焼けのメロディが流れてきた。学校の近くには役場があり、ヘリポートがあった。標高は100m以上である。津波発生の際にはこの辺りが避難場所になるのだろう。

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 ゲストハウスMITOMIにもどって30分ほど休んだ。

 夜ご飯のために外に出た。ゲストハウスMITOMIは素泊まりの宿で、そもそも食事付きの宿泊プランを設けていない。食堂が5軒あるという情報があったので、素泊まりでも大丈夫だろうと判断したのが裏目に出た。今日火曜日は休業の食堂が多く、昼ご飯を食べたふくまる商店は閉まっていた。他の商店も閉まっていたので何も買えなかった。夜ご飯を逃してしまった。自動販売機でコーラを買ってゲストハウスMITOMIにもどった。水よりも腹は膨らむだろう。

 御蔵島は坂本龍一が滞在したことで一時期有名になった。竹富島(沖縄)に多くの著名人、芸能人が滞在しても、そのことで竹富島の名が喧伝されたことがほとんどないというのとは異なる。御蔵島の見どころはイルカである。そのことも加わって、島には環境保護のイメージができ上がった。環境を保護しなければならないことは承知しているが、環境保護のイメージが付いた島には少し鼻白む。屋久島しかり、小笠原諸島(東京都)しかり。西表島(沖縄県)にもその匂いがないわけではない。

 ついでに書くと、アートで売り出した直島(香川県)をまったく好きになれなかった。日間賀島(愛知県)が直島をめざしているとnさんが言っていた。止めたほうがよいのにというのは私の感想である。

 曇天では星は見えない。空腹の御蔵島の夜が更けていった。

旅の初めの夜のさるびあ丸。2等和室を黙らせたのは?

1日目  2015年6月15日  竹芝桟橋  

 22:30に竹芝桟橋を出航した。ビルの谷間に東京タワーが赤く輝いていた。この航路の見どころはレインボーブリッジの下を潜るときだ。2011年三宅島に行ったときもさるびあ丸に乗りレインボーブリッジの下を潜った。少しは感動したが、すごいというほどではなかった。もう一度見てみようと思いデッキに出てみた。やはり大したことはなかった。

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 緑と白に電飾された橋の下を潜ってしまえば、あとは寝るだけだ。

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 2等和室には、2組の高校生らしい団体がいた。男子が中心の団体と女子のグループがいるようだ。案の定うるさい。23:30、船内の照明を落とす案内が流れた際に、他の客の迷惑にならないようにしてほしいということが付け加えられた。それでもうるさい。とくに男子が中心の、うるさいほうのグループの大人の引率者に統率力がない。彼は団体から離れ、階段の踊り場で何かを飲んでくつろいでいた。仕事を終えほっとしていたのだろう。自分の目の届かないところで教育途上にある者たちがどういうふうに行動しているかを想像する力がない。

 東海汽船のスタッフが船底(=Eデッキ)にある2等和室に降りてきた。怪獣と戦う術を知らぬかよわき地球人(=私のような個人客)を助けにきたウルトラマンのようであった。彼はグループ全体に向かって尖がった声で注意した。

 話したい人は上の踊り場で話してください

 注意の内容は事務的なものだったが、言葉にはやや怒気が含まれていた。怒気はつまりスペシウム光線は、怪獣のうるさい声を眠りの海に沈めるのに十分だった。彼は10秒くらいで任務を完了しM78星雲に飛び立った。ジュワッチ!!! 

 頼りになるなあ東海マリナーは。シアトル・マリナーズは強いとはいえないけれど。

 静かになった2等和室が私に眠りを保証したわけではなかった。あまり眠れなかった。眠りは人類の永遠の謎である。
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