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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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旅の最終日。持田屋旅館、持田醤油店、木綿街道、バタ電(一畑電鉄)、須佐之男命。

7日目  2015年4月28日  平田  出雲  

 楽天トラベルで宿泊予約をする際、朝ご飯のリクエストを忘れてしまっていた。昨日、チェックインしたときに朝ご飯をお願いしておいた。朝ご飯は持田屋旅館から歩いて4分のところにある持田醤油店で食べることになる。

 散歩がてらに持田醤油店まで歩いた。持田醤油店は木綿街道のなかにある。平田には古い町並みが残っており木綿街道と呼ばれている。あとで歩いてみよう。

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 店先ではなく奥の座敷に通された。部屋からは湯谷川が見えた。焼きおにぎり、しじみ汁、お漬物といった朝ご飯。

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 応対してくれたおばあさんが話し相手になってくれた。朝ご飯を食べに来る客と話すが楽しみなのかもしれない。映画「RAILWAY」の撮影秘話を聞かせてもらった。一畑電鉄は昨年、鉄道、不動産、ホテルなどすべての事業部門で黒字になったらしい。映画「縁(えにし)~THE BRIDE OF IZUMO」の佐々木希の話も。

 持田屋旅館にもどった。朝ご飯がおいしかった旨を女将さんに伝えると、我が意を得たりという感じだった。朝ご飯を宿泊先以外で食べるのが流行っているのかどうかを知らないが、雨や雪の日もあるだろうに、380円の朝ご飯のために出かけることを推薦するのは自信があるからだ。平田には町全体として客をもてなす雰囲気を感じた。

 9:30頃、チェックアウトした。廊下は歩くと軋んだ。建物は大正末期の建築で町屋風である。部屋はもちろん廊下、共用スペース、風呂場、トイレまで清掃は行き届いていた。日本家屋のたたずまいは見事に守られていた。宿泊者は持田屋旅館と女将さんの人柄を平田の町のイメージとして持って帰るだろう。私ももう一度来てみたい。

 平田を歩いてみた。持田屋旅館の前の細い道を北に進むと、少し大きな通りに出る。左に進むと信号のある三つ角があり、そこから北に向けて歩いていく。2つ目の信号を進行方向に渡ると、右手に平田一式飾ほんまち展示館があった。10:00前だったので、まだ開いていなかった。平田一式飾とは、仏具、陶器、金物などの一式を自在に使い分けて何かを作っていく民俗芸術だ。作るものは何でもいいらしい。「アナと雪の女王」でも「それゆけ!アンパンマン」でも。そういう作品が平田天満宮奉納一式飾競技大会に出展されている。

 平田大橋を渡ると木綿街道の入り口である。東側に歩いていくと、左側に来間屋生姜糖本舗があり、少し先の右手にさっきの持田醤油店がある。左手は持田醤油店の蔵になっている。手作り醤油の持田醤油店は朝ご飯もさることながら、しょうゆアイスクリームの有名店である。左手にあったのが酒持田本店だ。

 持田屋旅館、持田醤油店、酒持田本店・・・もしかすると持田グループの町なのかもしれないと思い、しばらく表札を見ながら歩いていたが、その後、持田の名前は現れなかった(自宅にもどってから持田屋旅館と持田醤油店が親戚ではないことを知った)。200mも歩かないうちに角に突き当たったが、三つ角を左に曲がると木綿街道はもう少し続いていた。左に曲がったところから先が新町エリアで、そこまでが片原町エリアと呼ばれているようだ。

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 新町エリアも200mほどの短い通りだった。ナマコ壁があり、加藤醤油店があり、旧石橋酒造があり、本石橋邸があった。旧石橋酒造は250年前の建物で、国登録有形文化財である本石橋邸の向かい側には妻入り商家があった。建物へ出入りする場合、平入りと妻入りの2通りある。平入りは建物の平側(棟に対して直角方向)に出入口があり、妻入りは建物の妻側に出入口がある。京都には妻入りの出口が多い。出雲崎(新潟県)もそうだった。全国の街道筋に妻入り入り口は多いと思う。私の実家は鰻の寝床のようで、妻入りである。

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 旧石橋酒造と本石橋邸。石橋小路という細い道もある。片原町エリアが持田グループなら、新町エリアは石橋グループの町なのかもしれない。

 火曜日の今日、木綿街道交流館は休館だった。

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 石橋小路の手前に油屋小路があった。入っていくと川に突き当たった。平田大橋の下を流れていた平田船川は、途中で方向を90度変えたらしい。平田舟遊覧船のりばがあったが、舟は土曜日と日曜日の決められた時間にしか動かないようだ。その予約ができるのは木綿街道交流館だ。

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 地図によると、平田には3本の川が流れている。最も大きなのは八岐大蛇(やまたのおろち)の伝説になった斐伊(ひい)川で、雲南市から旧出雲市を経て平田の南を流れ宍道湖に注いでいる(平田市は合併により現在は出雲市平田町となっている)。周辺には住宅もあるにはあるが、町の中心ではない。

 平田の町並みは雲州平田駅の西北に広がっている。その中心を流れているのが、湯谷川と平田船川だ。2本の川はそれぞれ支流を作っている。平田舟遊覧船にはカバーがかぶせてあった。舟がどの川ルートを通るのか、木綿街道交流館が休館だったので尋ねることはできなかった。宍道湖に出るのかもしれない。

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 片原町を通り抜け、宮の町エリアに行ってみた。100mほどの町並みである。旧今市銀行跡、小村邸、長谷川摂子(児童文学者・・その名前を知らなかった)生家、道路に斜めに接した家屋もあった。神社、天満宮、稲荷があることから宮の町エリアというネーミングになったのだろう。

 片原町エリアにもどり、木綿屋の前にあったCafeことんに入ってみた。木綿街道振興会が運営しているらしい。お洒落なカフェである。1時間半近くそこにいた。

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 一畑電鉄に乗ってどこかに行こうと決めていたが、どこに行くかを決めていなかった。雲州平田駅にもどってきた。

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 ↑上の1枚は1998年5月撮影した雲州平田駅構内 その上の写真とほとんど同じアングル 


 2001年、一畑電鉄は古江駅をルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅に改名し、松江フォーゲルパーク駅を開業している。2002年に松江温泉駅を松江しんじ湖温泉駅に、大和紡前駅を出雲科学館パークタウン前駅に改名している。観光客を呼び込むためのイメージアップ戦略といっていいだろう。

 ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅は、南阿蘇鉄道の南阿蘇水の生まれる里白水高原駅を抜いて日本一長い駅名になったが、肝心の美術館は2007年に閉館になってしまった。イングリッシュガーデンは残ったので、現在の駅名は松江イングリッシュガーデン前駅である。

 一度決められた駅名は変わらない。そう思っている人は多いと思うが、数十年の単位で見れば、日本のいたるところで駅名変更は行われている。出雲市にある駅名変更についてもう1つ書いておこう。

 1990年にJR大社線が廃止された。それによって出雲大社の最寄り駅である「大社駅」も廃止になった(昨日訪ねた保存駅舎である)。当時の出雲市長岩國哲人(いわくにてつんど)は、出雲大社の名を冠するJRの駅が無くなったことを懸念し、「神西(じんざい)駅」(出雲市駅の南西6.8kmのところにある駅)をJR「出雲大社口駅」に改名した。実行者はJR西日本である。そうすること自体はおかしくはない。

 一畑電鉄には「出雲大社前駅」がある(昨日降りた駅である)。廃止されたJR「大社駅」より出雲大社に近い位置にあるのだが、それはまったく議論にならなかったようだ。推測であるが、観光地としての隠岐は遠いし石見銀山が世界遺産になっていなかった当時、島根県もJR西日本も賛成したのではないか。

 出雲大社に近い駅であると勘違いした観光客がJR「出雲大社口駅」で下車することが続出した。しかし出雲大社までは遠い。改名された「出雲大社口駅」から出雲大社までのバス路線はなかった。タクシーも待機していなかったらしい。当然、多くのクレームが発生した。ところが、出雲市もJR西日本も有効な対応をしなかった。ただ改名しただけだったのだ。総務庁(現在の総務省)はJR西日本と出雲市にたいし改善を求める要望を出した。

 結局、駅の所在地が出雲市だった関係で、1999年に「出雲神西(いずもじんざい)駅」と再改名をした。この駅は10年の間に「神西駅」→「出雲大社口駅」→「出雲神西駅」と変遷を遂げることになった。
 
 この日記を書くために調べてみると、メリルリンチから政界入りし出雲市長になった岩國哲人氏は、その後衆議院議員に4回当選した。出雲市長時代、ショッピングセンター内の行政サービスを土日に行うなど新しい施策を次々と実践した人で、企業の手法を行政に導入した人でもある。本来はそういう業績のみで評価すべきなのだが、私は出雲市長当時のコメントをはっきりと覚えている。TBS「噂の東京マガジン」だったと思うが、確信は持てない。

 「出雲大社口駅」が出雲大社に近いと(勝手に)判断してやってくるほうが悪い。調べてから来るべきだ。

 そうその通り。私も調べてから行くべきだと思う。しかし出雲大社から9km離れたところにある交通手段のない駅を、あとからわざわざ「出雲大社口駅」とするのは明らかに恣意的である。岩國哲人氏は低い声で抑揚のない話し方をする人だった。テレビ朝日「朝まで生テレビ」に何度か出演していたが、好きにはなれなかった。

 改名の費用負担はJR西日本が行った。駅舎の看板だけではない。両隣の駅を含めたホームの駅名案内板、各駅にある路線図、列車内の路線図、券売機の駅名、パンフレット類、内部資料などを含めるとかなりの費用負担になっただろう。1999年当時、1日平均乗車人員33人の駅が稼げる金額ではない。これ以降、JR西日本は駅の改名には慎重になったらしい。この出雲市長は国政への転身を図ったこともあり、駅名変更への責任はあやふやになった。

 JR西日本の話をしていたのではなかった。今、私がいるのは一畑電鉄の雲州平田駅だ。

 一畑電鉄は大手私鉄の中古電車を買い取り車両の更新をしている。地方の私鉄にとっては当たり前のことだ。第3セクターを除いて、すべての電車(・気動車)を自社発注している地方鉄道は静岡鉄道と遠州鉄道くらいではないだろうか(この記載にそれほど自信があるわけではない)。

 一畑電鉄で走っている車両は、京王電鉄と南海電鉄の中古車両である。京王電鉄の車両が多かった。南海電鉄の車両は21000系である。小学生のときから私はこの電車によく乗っていた。南海高野線の河内長野(大阪府)・橋本(和歌山県)間が複線化される前は、難波駅発の急行電車のほとんどは終点の極楽橋(和歌山県高野町)駅まで乗り入れていた。極楽橋駅まで走る電車は平坦な河内平野を高速走行し、高野下(和歌山県)駅から極楽橋駅まで最高50‰の山岳区間に対応できる電車でズームカーと呼ばれていた。車両の長さが17mだったのは山のなかをうねるように走行しなければならないからで、20m車が標準になりかけていた当時の大手私鉄のなかでは極めて車長の短い車両だった。

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 南海電鉄の21000系は大井川鉄道にも譲渡されていた。

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 ↑上の1枚は大井川鉄道(1997年9月撮影)

 松江イングリッシュガーデン前駅、松江フォーゲルパーク駅に行くつもりはない。雲州平田駅の駅員に尋ねてみた。

 宍道湖に最も近い駅はどこですか?
 秋鹿町(あきかまち)駅です
 鳥居のなかを走る場所がありますよね
 高浜駅と遥堪(ようかん)駅の間です。高浜駅のほうが近いと思います

 雲州平田駅12:45発の松江しんじ湖温泉駅行きの電車に乗った。園(その)駅辺りから宍道湖が見えてきたが、乗った電車が展望式の椅子の配置になっていたにもかかわらず、座席が宍道湖を見る方向に向いていなかった。昨日この区間を乗っていたにもかかわらず、忘れていた。一畑口駅は平坦地にもかかわらずスイッチバックのある駅だった。ここで電車は進行方向を変えた。展望式の席は宍道湖に向くようになった。

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 電車は園駅から宍道湖の北岸を走った。宍道湖をはさんだJR山陰本線と一畑電鉄の位置関係は、浜名湖をはさんだJR東海道本線と天竜浜名湖鉄道と似ていなくもない。

 13:09に秋鹿町駅に着いた。駅前にコミュニティバスの乗り場があった。路線は北の日本海側に伸びており、松江市内、出雲市内への路線はなかった。駅の裏側が高台になっていた。集落の東に回り込んで高台に上がってみた。そこには寺があった。墓地の横から秋鹿駅と宍道湖が見渡せた。

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 旅を始めた4月22日から昨日まで快晴が続いていた。今朝も薄い陽があったが、正午前から曇ってきた。曇り空の下、宍道湖はぼんやりしていた。

 電車に乗っているときと秋鹿駅の待ち時間でインターネットにつないでいた。映画「RAILWAYS」には雲州平田駅、川跡駅、一畑口駅、出雲大社前駅、伊野灘(いのなだ)駅が登場していた。伊野灘駅も宍道湖が見えるようだ。いや、そんなことはどうでもいい。このとき、ある重要なことを初めて知った。うかつだったというより、知って唖然とした。

 「RAILWAYS」は「バタ電(一畑電車)」であると数年間思っていた。しかし映画「RAILWAYS」は2本存在した。

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 私が観たのはロケ地が一畑電鉄の「RAILWAYS 49歳で電車の運転手になった男の話」(2010年公開)だった。もう1本は「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」(2011年公開)である。そういえば、そんなサブタイトルが付いていた1本があった気がしないでもない。もう1本の「RAILWAYS」のロケ地は富山地方鉄道だった。

 富山地鉄に乗ったことはあった。もちろん「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」を観ていないので、富山地鉄がどういうふうに扱われているのかはわからない。しかし映画とは何の関係もなく、富山地鉄の駅舎はその“ひなびた感”において、あるいはひなびた駅舎の数の多さにおいて、右に出る地方鉄道はないと思っていた。JR北海道の駅舎のように簡易に建てられた駅舎ではなく、建てられた当時のモダンな木造駅舎が多い。それがそのまま古くなっているからよいのだ。

 しかし山と田舎を走る富山地鉄より、宍道湖に沿って走る一畑電鉄のほうがさらっとしたすがすがしさがあるだろう。・・・と書いてみたが、富山地鉄の場合、背景に立山連邦があると思い直した。それは圧倒的な風景だ。岳南鉄道や富士急行の背景に富士山があるよりいいかもしれない。

 3本目の「RAILWAYS」があるとしたら、弘前鉄道がよいだろう。リンゴ畑と岩木山は絵になるだろう。路線は短いが、雪のなかを行く津軽鉄道のストーブ列車でもいい。

 13:49の電鉄出雲市行きの電車に乗った。鳥居のなかを走る一畑電車を見るために高浜駅に行く時間はなくなっていた。終点の電鉄出雲市駅に着いたのは14:36だった。一畑電鉄はレール&サイクルをやっているのだが、昨日と今日で自転車を車内に持ち込んだ人を見なかった。

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 出雲市駅ビルに入ったところに観光案内所があった。まち歩きMAPをもらった。駅の北側の飲み屋街は4月22日に少し歩いた。地図によるとその北側にアーケードがあり、さらに北に八雲神社があった。時間の許す限りそこまで行ってみよう。

 駅から北への道路を歩く。右手に鳥取銀行、和食の華満、山陽合同銀行を過ぎると右手にアーケードが見えた。中央の通りを左(西側)に渡ったところにもアーケードはあった。そちらのほうは短く、反対側まで見通すことができた。右側の商店街はダメな商店街だった。アーケードのなかを車が往来している。アーケード自体は古くはないにもかかわらず、シャッター商店街となっていた。アーケードができて日が浅いにもかかわらず商店街が衰退したので車を走らせるようにしたというのが私の推測である。

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 さらに北に向けて歩いた。狭い道を右に曲がった少し奥に、八雲神社があった。須佐之男命(すさのおのみこと)を祭ってあった。八雲神社の由緒(ゆいしょ)が記されていた。

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 須佐之男命は斐伊川(平田を流れていた)上流で奇稲田姫を助けるために八岐の大蛇を退治し、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得られた。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を

 夜久毛多都伊豆毛夜幣賀岐都麻碁微爾夜幣賀岐都久流曾能夜幣賀岐袁(古事記)
 やくもたついずもやえがきつまごみにやえがきつくるそのやえがきを(読み:ふりがな)
 夜句茂多菟伊弩毛夜覇餓岐菟磨語昧爾夜覇餓枳都倶盧贈廼夜覇餓岐廻(日本書紀)

 これは日本初の和歌とされている。八雲は出雲を象徴する言葉となった。

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 出雲市駅にもどったとき、空港行きのバスはすでにバスターミナルに入っていた。15:10にバスは発車し、15:35に出雲縁結び空港に着いた。

 昼ご飯を食べていなかった。出発の16:35まで少し時間があったので、空港内のレストランで食べることにした。ここまでに出雲蕎麦を食べていない。出雲蕎麦がメニューにあるレストランの隣のレストランにスサノオラーメンがあった。少し迷った。ラーメンのほうにした。さっきの町歩きでみた八雲神社の須佐之男命が頭のなかに残っていたからである。深くこってりした味のラーメンだった。

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 2015年4月22日に始めた旅をここで終えよう。

 温泉津はよかったが、石見銀山はぱっとしなかった。
 境港は楽しい町だった。漫画「ゲゲゲの鬼太郎」を再読したい。
 隠岐4島はあまりに時間がなく島旅を楽しんだとはいえない。矢那の舟小屋と摩天崖はよかったけれど。
 松江には目新しさを感じる刺激的なことは何もなかったが、穏やかな感じのよい街だと思っている。
 出雲大社は可もなく不可もなく、であるが、出雲歴史博物館に入ったのは正解だった。
 平田は予想以上によかった。宿選びが功を奏した。
 出雲の人はやさしく、おっとりとしている。全都道府県のなかでも際立っているように思う。

 2015年初めての国内旅はよい旅となった。
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6日目  2015年4月27日  松江  出雲大社  平田

 9:00前にサウナ25をチェックアウトした。松江駅ビルにあるスターバックスコーヒーでラテ。スターバックスコーヒーは鳥取県で初めての出店をするそうだが、島根県には2店舗ある。松江と出雲大社である。

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 旅の途中でやることがないときがある。スケジュールがぎゅうぎゅう詰めのときがある一方でぽっかり空いてしまうとき。3度目ということもあり松江でやりたいことはなく行きたい場所もない。行ってもいいかなと思うのは小泉八雲旧居ぐらいだ。武家屋敷前辺りでバスを降りればいいはずだが、松江城のなかを抜けていくことにした。

 松江駅から出る松江城行きのバスは何系統かあるが、レイクライン・バスに乗った。これは観光用の小型のバスで、外観もそれ風になっている。市内の見どころを結んでいるので使いやすい。車内で縁結びパーフェクトチケットを見せると1日乗車券に交換してくれた。3日間有効なので初日に提示すれば、3日分の1日乗車券に引き換えてくれる。私の場合は、(昨日分は終了しているので)今日と明日用の2枚の1日乗車券をもらった。普通に1日乗車券を買うと500円である。明日レイクライン・バスの1日乗車券を使うつもりはないので、保存しておけば2017年末まで使えるようだ。

 松江城バス停の少し手前に「かえれ島と海 竹島資料室 島根県庁」という看板が見えた。バスを降りて行ってみた。それは島根県庁のなかにあった。女性スタッフが1人いただけで他の見学者はいなかった。

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 部屋にはパネル(李承晩ライン問題、日韓漁業協定、「竹島の日」など)の展示があり、竹島の関連本が集められていた。広くない部屋の展示物をざっと見て下の5つをもらってきた。

・パンフレット「竹島/なぜ日本の領土なのかがハッキリわかる!竹島問題10のポイント」(外務省)
   竹島の領有権に関する日本の一貫した立場を説明している。同時に韓国の主張について論破している。
・パンフレット「竹島の日/条約制定10周年記念誌」(島根県/竹島・北方領土返還要求運動島根県連絡会議)
   不法占拠される竹島について、「竹島の日」条例制定、竹島の現状などを解説している。
・バッジ(アンケートに答えるともらえる)
・ポスター(誰でももらえる)
・ファイル(誰でももらえる)

 スタンプもあった。

 この種の告知の方法は根室市や別海町の北方領土関連施設でもやっている。竹島資料室のスタッフは北方四島交流センター(北方領土と言わないで、四島という言葉を使っているのには意味がある)に行ったことはないと言っていた。

 バスのなかから竹島資料室の看板を見えたので来てみました
 そういう人は多いです
 ここを訪れる人は増えていますか?
 増えています
 首相が安倍さんになった頃から?
 2012年韓国大統領李明博の竹島訪問からです
 「竹島の日」が2月22日なのはなぜですか?
 島根県の定例県議会で決議された日です
 後鳥羽上皇が崩御されたのが2月22日なのですが、関係はありますか?
 初めて知りました。
 
 夏には子供たちを対象にしたプログラムを用意しているらしい。

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 松江城を囲う堀川(松江城を囲む堀)に沿って歩きながら小泉八雲旧居に行くこともできるが、松江城のなかを横断することにした。北惣門橋から入っていく。城山公園で松江城を見てみたが、なかには入らなかった。

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 ↑松江城(上の1枚は1998年5月撮影)


 天守閣の周りには松江神社と松江護国神社がある。松江護国神社に寄ってみた。ここは太平洋戦争を戦って亡くなった人を祀っていた。英霊への理解を深め感謝の気持ちを忘れないよう伝えていくという目的の神社である。英霊とは戦争の英雄の霊を意味する。島根の靖国神社といった感じである。

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 稲荷橋と新橋を続けて渡り、堀川に沿って少し歩いた。小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、武家屋敷が並ぶ通りに出た。

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 いつも思うのだが、例え名もなき武士であっても、その屋敷が残っていれば、観光名所の武家屋敷となってしまう。他に残っていなければそうするしかないのだろう。古い町に1つか2つぐらいの武家屋敷が残っている。それが下級武士であっても10軒くらい残っているとそれだけで、角館(秋田県)クラスの観光地になる。

 小泉八雲記念館と小泉八雲旧館は一度入ったことがあった。旧居のほうは明治の庶民と家という感じがしている。庭のたたずまいは異なるが、家屋のなかの雰囲気は詩仙堂(京都)と似ていなくもない。

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 2006年に書いた一文がある。

 ハーンはギリシャのリュカディア島で、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。その後アイルランドで育ち、アメリカで職を転々とし、来日後は松江中学の教師となった。自分はよけい者であるという意識があったというが、それはコスモポリタン的な気質につながるのかもしれない。小泉節子と結婚後、日本に帰化し、東京に出、東京帝国大学で教鞭を取ることになる。
 そのハーンが大学を去ることになったのは、倫敦から帰国した英文学者がその地位に取って替わったからだ。夏目金之助、小説「坊っちゃん」を執筆する直前の漱石である。高い給料で雇った外国人により外国語で行われていた日本の大学のあらゆる分野の授業が、日本人の手により日本語で行われ始めたのである。



 ハーンが大学を去ることに反対した学生たちがいた。小山内薫はその一人である。

 小泉八雲記念館は戦後の開館ではない。全国から集められた寄付金を元に建造され1933年(昭和8年)にすでに開館されている。

 カラコロ広場から堀川の遊覧船に乗ろうと思っていたが、レイクライン・バスは左回りしか運行されていない。カラコロ広場に行くためには一周の3/4くらいを乗らなければならない。他のバスに乗ってもいいのだが、今日は道路工事をやっていて小泉八雲旧居辺りのバスの動きがわからない。

 レイクライン・バスに乗って一畑電鉄の始発駅である松江しんじ湖温泉駅に行ってみる。

 松江しんじ湖温泉駅は劇的に変わっているように思ったが、よく覚えていないだけだ。一畑電鉄は地方鉄道の例にもれず一時廃線の憂き目にあった。しかし鉄道は地方経済と生活の根幹である。多くの地方鉄道は、鉄道事業本体が不振でも、不動産業、ホテル業、バス事業などを合わせて収益を確保している。さまざまなイベントやお得な切符の発売などあの手この手を尽くしても、鉄道事業の黒字化は難しい。一方、施設や車両などの更新にかかる費用は莫大である。鉄道側に廃線の届け出を出されてからでは手の打ちようがない地方自治体は先手を打って駅の改修などに投資をしている。JR西日本の小浜線が電化されたときに最新車両が導入されたのは、京都、舞鶴の自治体だけでなく、関西電力、北陸電力、日本原子力発電などが金を出したからだ。沿線に3つの原子力発電所があるがゆえの費用の供出である。かなり以前のことになるが、廃線はやむを得ないと思っていた上田交通(長野県)の、上田駅が高架化になったのを見たときには驚いた。こんなことをしてもらったら、鉄道会社はうかうか廃線にはできない。松江しんじ湖温泉駅からもそういう感じがした。

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 駅の外装に映画「RAILWAYS」(中井貴一、高島礼子、本仮屋ユイカ出演)の大きなロゴがあった。地方を舞台にした映画は昔からあった。費用を地元が持ち、ドラマのロケ地を誘致するのは2時間ドラマでもやっている。しかし近年の流れを作ったのは2006年公開の映画「佐賀のがばいばあちゅん」(原作/島田洋七)ではないだろうか。多くの地方は「佐賀のがばいばあちゃん」を成功のモデルとした。「RAILWAYS」はその流れのなかにあるといっても間違いではないだろう。

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 昼ご飯にしたかったが、松江しんじ湖温泉駅周辺にカフェやレストランはほとんどなかった。駅ビルに小さいカフェが1軒、駅前にラーメン屋が1軒あっただけだ。ラーメン屋でラーメンを食べた。

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 宍道湖に出てみた。宍道湖は最深6mの浅い湖だが、風が強いせいかかなり波はあった。湖に沿った細長い公園があったが、草刈りの作業をしている人以外には誰もいなかった。耳なし芳一の像があった。小泉八雲の街ならではあるが、松江の地図には載っていなかった。公園の間の道路を挟んで大きなホテルが2つあった。1つは一畑グループ系のホテル一畑だった。その西側にもホテルや旅館があるようだ。

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 松江しんじ湖温泉駅にもどった。玉造温泉に行こうと思いバスの時刻を確認した。16:00台のバスしかなかったので止めた。予約してある平田の宿にチェックインしようと思い14:31の一畑電車に乗った。

 乗車してから気が変わった。時間はまだ早い。明日行こうと思っていた出雲大社に今日行ってみよう。明日をフリーにすることができる。

 宿のある雲州平田駅を過ぎ15:19に川跡(かわと)駅に着いた。出雲大社駅行きへの乗り替えはスムーズだった。案内も丁寧でかわりやすかった。一畑電鉄の昼間の列車には女性の電車アテンダントが乗っていて、駅や周辺の案内をしてくれる。

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 15:21発の電車で川跡駅を発車した電車が出雲大社前駅に着いたのは15:32だった。一畑電車に乗るのは2回目だが、電車のスピードが上がっていると思う。車内で30分ほどパソコンを使っていたが、電車が揺れるので入力がうまくできなかった。もっとも揺れの原因として、電車の性能と保線の問題はあるけれど。

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 出雲大社の前から南に伸びている神門通りは新しくなっているような気がした。明らかに新しい店が増えている。

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 神門通りを出雲大社のほうに向けて歩いた。7、8分ぐらいで勢溜の大鳥居を潜った。そのあと松の参道鳥居を潜り、松の参道をまっすぐ歩いた。銅鳥居を潜れば出雲大社本殿である。銅鳥居の下に立つと拝殿が左にずれているのだが、それは本殿の屋根を拝することができるように、である。

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 参拝の心得は4つの鳥居を潜ることだ。私は3つしか潜っていない。1つ目の一の鳥居は出雲大社前駅の南にある。おそらく少しあとに潜ることになると思うけれど。二礼四拍手一礼はしっかりとしておいた。

 勢溜の大鳥居の下から神門通りは下り坂になっているので一の鳥居までの眺めはよい。

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 島根県立歴史博物館に向かう。東のほうに3分歩いたところにある。博物館前に誰もいなかったので、掃除をしている人に博物館が開いているかどうかの確認をした。縁結びパーフェクトチケットを掲示すると入場料は490円になった。

 博物館に入ったところにあるのは「出雲大社と神々のまつり」という展示室だ。

 伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度の定期的な引っ越しだが、出雲大社の遷宮は定期的ではない。風雨による損傷が進んだときに行うので、一般的に期間は長くなる。60年目に当たる2013年5月10日の遷宮を出雲大社では平成の大遷宮と呼んでいるが、伊勢神宮の式年遷宮と重なったのは偶然である。奇跡のシンクロと書いてあるものがあったけれど。
伊勢神宮は完全引っ越しだが、出雲大社の場合は損傷度合によって異なる。新築であったり改修や修繕であったりするわけだ。博物館のスタッフと少し話した。

 そこは修繕したところです
 修繕のほうが難しそうですよね
 ですよね。前に作られた方に沿わなくてはなりませんものね

 修繕のほうが難しそうだと半ば冗談で言ったことにたいして、そうですよねと返答されるとは思わなかった。

 出雲大社の本殿は大社作りといわれる日本最古の神社建築様式である。2000年、境内から直径1m超の丸太を3本束ねた巨柱が見つかった。これが、文献上の伝承だった高さ48mの巨大神殿が実在した可能性を裏づけるものとなった。古代出雲歴史博物館には、いくつかの説に基づく模型が展示されていた。

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 古代出雲歴史博物館には、出雲風土記の世界=青銅器と金色の大刀、島根の人々の生活と交流などの展示もある。島根に限らないが、明治時代の建物などの展示にはノスタルジーを感じる。

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 神門通りにもどり南に歩いた。一畑電鉄出雲大社前駅を過ぎ一の鳥居を潜り、さらに10分以上歩いた。ようやく国鉄大社線の旧大社駅に着いた。保存されている駅舎である。大社風の立派な駅舎だ。いかつい感じ、過剰な感じで、すっきりはしていない。つまりシャープではない。しかし保存するにふさわしい駅舎である。駅舎に入場できるのは17:00までらしい。1998年に来たときは昼過ぎだったが、それでも入れなかった。今は入れるようになった分だけよくなったということだろう。

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 ↑旧大社駅(上の1枚は1998年5月撮影)


 出雲大社前駅から17:25発の電車に乗った。

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 ⇈引退したデハ二50系。映画「RAILWAYS」では動いていた。



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 ↑現役で走っていた頃(1998年5月撮影)。

 川跡駅で乗り替え17:38発の松江しんじ湖温泉駅行きに乗った。雲州平田駅に着いたのは17:49だった。

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 楽天トラベルで予約した持田屋旅館に向かった。雲州平田駅からは徒歩5分くらいのところにあった。

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 持田屋旅館は木造建築のよい宿だ。2年ぐらい前からこの旅館の存在を知っていた。

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 部屋に案内をされた。予約したのは8畳の部屋の素泊まりである。1泊3,800円。6畳の部屋は500円ほど安かったが、予約時に空いていなかった。空いていなくてよかった。部屋に案内してくれた女将さんは言った。

 この(8畳の)部屋で佐々木希さん(女優)が映画の撮影をされたんです

 こんなふうに窓の外を眺めていた、と窓のところに女将さんが立った。女将さんは話し好きのようで、けっこう茶目っ気がある人かもしれない。

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 女優さんは大変よね。なんかかわいそうになってきてしまいました。スタッフや多くの人が見守るなか、監督にいろいろ言われながら演技をしなければいけないなんて。

 「縁(えにし)~THE BRIDE OF IZUMO」という映画だった。去年ワイドショーで佐々木希が出雲大社で花嫁衣裳を着ていた映像が流されていた。監督の堀内博志は島根が出身らしい。2016年春に公開予定だそうである。女将さんは島根では今年中に観ることができると言っていた。写真撮影は禁止されていたらしい。

 「縁(えにし)~THE BRIDE OF IZUMO」のHPを検索してみた。内容はほとんど公開されていない。表紙の画像があり、俳優陣の名前があるくらいだ。映画の公開前なのでロケ地情報は出雲大社以外にはわかっていない。私のブログが最初のロケ地情報になるだろう。

 映画公開時には観に行かなければならない。佐々木希のファンになろうと思った。

 19:00頃、持田屋旅館を出た。外はもう暗くなっていた。狭い町をあちこち歩き、ようやく見つけた幸寿し(こうずし)で夕食。ビールを飲み、おでん、串カツ、茶漬けを食べ部屋にもどった。

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ダイハツCMの「ベタ踏み坂」を渡る。

5日目  2015年4月26日  知夫村  境港  松江

 朝ご飯のとき女将さんと、昆布やめかぶの話になった。この辺りの海ではどこでも採れるらしい。今日横浜に帰るのなら昆布を持っていきますかと言われた。もう少し島根を周ると伝え断ることになった。1泊2食付きで7,800円を払い、9:50頃になかはま荘をチェックアウトした。

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 河井の地蔵さんの水に立ち寄った。いろはすのペットボトルに河井の湧き水を入れた。

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 来居港に向かう道路の片隅に小さな小屋があった。昨日私はその小屋をバス停だと思ってしまった。ドアには1日1便のバスの時刻表が貼ってあったし、なにより見た感じがバス停だった。そのあとたぶんあれは図書館だったのだろうと思い直した。

 来居港に行く前にもう一度なかを覗いてみた。蔵書は2、300冊だった。これだけ少ない蔵書のなかで、少し古いとはいえ、例えば「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹)、「下町ロケット」(池井戸潤)、「桐島、部活やめるってよ」(浅井リョウ)を偶然に揃えることはできない。内部を見回すとやはり図書館のようだった。図書館の看板はなかったけれど。

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 思い出すのは加計呂麻島(鹿児島県)の瀬相港のバスの待合所だ。なかに図書館らしきものがあったのだが、おそらくバスを待つ人のためにバス会社が本のコーナーを設置したのだろう。



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 ↑上の写真は加計呂麻島瀬相港/バス待合所のなか 2007年1月撮影


 こういうものは全国的には珍しくないのかもしれない。JR西日本の和歌山線と南海電鉄高野線の共同管理である橋本駅(和歌山県)は待合室を図書コーナーにした。地元の有志による寄贈などで成り立っていて蔵書数はおそらく1,000冊を越えている。しかし寄付による蔵書なので知夫村のようにベストセラーまたはそれに近いものを揃えているわけではない。

 隠岐汽船のフェリーしらしまは10:50前に来居港に入港してきた。出航が10:55である。20人ほどが乗船すると慌ただしく出航した。境港までの運賃は3,240円。

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 2時間25分で日本海を渡った。境水道大橋の下を潜ったフェリーしらしまが境港に着いたのは予定より2分早い、13:18だった。



 境港でやることがあった。

 4月23日の日記の最後の1行に「まさかの出来事が待っていた」と書いた。境港でやることはこの出来事への対処である。4月23日にチェックインした民宿喜兵衛の部屋で気がついた。携帯がなくなっていた。

 《4月23日19:00過ぎ》

 ポケットにもリュックのなかにも携帯はなかった。落としてしまったことを納得するのに数分かかった。民宿喜兵衛(きへえ)の女将さんに事情を話し電話を使わせてもらった。まず自分の携帯に電話を掛けたが、つながらない。電源が切られているか、電波が通じないところにいるといった音声が流れた。私はその日の朝、ホテルを出るときに携帯の電源を切っていた。2ヶ月ほど前から迷惑メールが多くなり、携帯を見ることに嫌気がさしていた。この3週間ぐらいで携帯の電源を切る回数が増えていた。最後に携帯を確認したのは、今朝ホテルをチェックアウトしたときだ。一応ホテルビジネスインよなごに電話をしてみた。部屋に忘れ物はなかったらしい。再度、部屋のなかを探してもらいたかったが、その部屋には新たな宿泊者が入っているということだった。清掃の人から忘れ物情報はなかったというので、あきらめた。ホテルビジネスインよなごの部屋に置き忘れたとは思っていなかった。どこか別のところで失くしたのだろう。民宿喜兵衛ではネットがつながらなかったので、ドコモの紛失の届け先を検索することができなかった。

《4月24日18:00頃》

 浦郷方面行きのバスを待っているフェリーターミナルでwifiに接続できた。31時間ぶりである。ドコモのサイトを開くことはできた。サイト上で通話の使用停止の手続きを行った。携帯がどこにあるのかを探すサービスを利用したが、電源が切られているか通話のできない地域にいる通知を受けた。携帯がどこにあるのかわからなかった。1時間後にチェックインした民宿福来朗で電話を借り、ドコモに連絡を入れてみた。回答は同じだった。

《4月25日13:30~》

 携帯を失くしたのは、4月23日9:00~19:00である。携帯はリュックのなかに入れてあったので、リュックからなにかを出したときにいっしょに出した可能性がある。リュックにはポケットwifiを入れてあった。形状は携帯と似ているので、パソコンをネットにつなごうとしたとき、ポケットwifiといっしょに出した可能性があった。

 境港でやるべきことをやる。

〚JR境港駅〛4月23日、後藤駅構内と後藤駅10:43発の列車内に携帯の落し物がなかったかの確認をしてもらった。

〚隠岐汽船のオフィス〛4月23日境港港14:25発のフェリーしらしま船内で携帯の忘れ物がなかったかを確認してもらった。

〚観光案内所〛境港市内循環バス「はまるーぷバス」の運営先と警察の連絡先を尋ねた。「はまるーぷバス」の運営先には観光案内所のスタッフが連絡を入れてくれた。

〚みなとさかい交流館〛インターネット上にある「鳥取県警察本部の落し物・忘れ物検索」サイトにアクセスをして遺失物のチェックをした。該当するようなものはなかった。

〚境港交番〛携帯の遺失物の届け出がなかったかを確認してもらった。境港交番に携帯の遺失物はなく、境港警察署に電話をしてくれと言われた。境港警察署への電話で遺失物紛失届を受け付けてもらった。

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 観光案内所のスタッフはとても気をつかってくれた。電話ボックスから境港警察署に電話をしているときにも声を掛けてくれた。

 境港でやるべきことを全部やった。失くした携帯が私の手元にもどってくることはないだろう。



 観光案内所で、縁結びパーフェクトチケットを買った。3日間有効で3,000円。一畑電車、一畑バス、松江市営バス、レイクライン(松江市内の観光専用ミニバス)、空港連絡バスに乗ることができる。

 松江には今日中に着けばいい。みなとさかい交流館の2階に鳥取県まんが王国官房が主催する「まんが王国とっとり」の部屋があった。3人の漫画家の展示があった。水木しげる(境港出身)、青山剛昌(北栄出身)、谷口ジロー(鳥取出身)の3人だ。「名探偵コナン」の作者である青山剛昌に興味はないが、谷口ジローが鳥取市出身だったとは知らなかった。谷口ジローの名前を知っている人はあまりいないだろう。「遥かなる町へ」は倉吉の町並みが描かれている、アングレーム国際漫画際のベストシナリオ賞を受賞した作品だ。アングレーム(フランス)に立ち寄ったことがあった。しかしなにより谷口ジローの傑作は「坊っちゃんの時代」(原作/関川夏央)である。今までに3,000冊の書籍をブック・オフに売ったが、「坊っちゃんの時代」を売ることはできなかった。

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 少し時間はあるので、また水木しげるロードを歩いてみた。

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 駅前にもどりバスの発車時刻を確認した。うかつだった。まさか松江駅行きの最終バスが16:00発だったとは。駅前のバスターミナルに着いたのは16:03だった。もっと遅くまで松江行きのバスがあるだろうと思っていたが、甘かった。JR境港駅で確認すると、米子経由の松江までの列車の運賃は1,000円だった。せっかく縁結びパーフェクトチケットを買ったばかりだというのに。

 そのあと松江行きのバス乗り場の近くに八束町行きのバスを見つけた。最終バスは16:20発だった。境港から八束町行きのバスは、縁結びパーフェクトチケットのフリー区間ではないが、八束町と松江駅を結ぶバスは対象区間内であるとチケットには記載されていた。八束町は中海にある大根島と江島から成る町で、2005年に他の町村とともに松江市と合併した。日本一の牡丹の里として売り出している町だ。

 観光案内所にもどった。境港から八束町へバスで行った場合の、八束町のバス停と八束町から松江行きのバスが発車するバス停が同じかどうかを尋ねてみた。スタッフはすぐに調べてくれた。境港からのバスの着く八束中央バス停から松江駅行きのバスが発車するらしい。16:20に八束町行きのバスは発車した。八束町の牡丹祭りのために運行されていた臨時バスだった。八束町まで200円。

 いわゆるバスではなく、小さなバンだった。16:20発は1日5本運行されているバスの最終便だった。バスのなかで尋ねてみた。

 《ベタ踏み坂》を通りますか?
 通ります。今まで通ったことは?
 ありません。今日が初めてです。
 今日はお客さんが1人(私だけ)なのでベタ踏み坂で停まりましょう。たぶんどこかで時間調節をしないといけないので

 結局松江駅行きのバスに乗れなかったことはラッキーだった。境港から松江駅行きのバスもこのベタ踏み坂を通るはずだが、おそらく大きな普通のバスである。《ベタ踏み坂》で停まってくれるはずがない。《ベタ踏み坂》は境港と江島の間に掛かる江島大橋のことである。豊川悦司と綾野剛が出演していたダイハツCMである。2014年2月頃によくテレビで流されていた。

 橋の手前からバス(バン)は加速した。どんどん坂を登っていった。橋の中央部で少し平らなところがあり、そこが頂上でもあった。橋の機能美と中海が調和されて見えたが、それはほんの1、2秒のうつくしくエキサイティングな風景だった。

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 2014年2月16日に〚ダイハツCM。《ベタ踏み坂》と♪美しい人よ♪〛というタイトルで書いた文章がある。http://asiancafe9999.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
 
 江南大橋を渡ったところでバスを止めてくれた。八束町側のほうが急こう配なのでそうしてくれたのだ。30秒ほど時間をもらって写真を撮影した。反対側の歩道のほうが撮影するにはいい場所だと思ったが、車が次々と猛スピードで橋を降りてくるので道路を渡ることはできなかった。バスに停まってもらっているので、あまり時間を割くわけにはいかなかった。橋を正面から見ることができず、いい写真を撮ることはできなかった。

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 バスにもどってドライバーに礼を言った。

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↑上の写真はポスターである。こういう写真を撮りたかった。

 境港駅から25分ほどのところに八束中央バス停はあった。周りは住宅街だった。近くに由志園という日本庭園があった。入園料が必要な日本庭園だった。なかには牡丹の館と日本庭園があるらしい。「牡丹と雲州人参の里」というのが由志園のキャッチフレーズのようだ。周辺には牡丹の販売店がいくつもあった。牡丹祭りの今日、夕方であっても牡丹を買いにきている人たちはいた。

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 中海の向こうにうっすらと大山が見えた。

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 17:40の松江駅行きのバスに乗った。

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 50分近く乗って松江駅に着いた。松江駅の1日の乗車人数は4,500人ぐらいで、県庁所在地としては山口駅に次いで利用が少ない。駅前にホテルはあったが、繁華街らしいものはなかった。駅裏には小さなホテルがいくつかあっただけだ。駅ビルのなかのレストランで、牛肉ぶっかけとろろうどんを食べた。

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 今日の宿泊はカプセルホテルである。サウナ25は松江駅の裏側にあった。1泊の宿泊料3,210円をネットで支払ってあった。カプセルのなかにコンセントはなかったが、宿泊客は少なく廊下の多くないコンセントを自由に使うことができた。wifiは問題なくつながった。

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驚嘆の摩天崖! 圧巻の雄大さ!

4日目  2015年4月25日  西ノ島町  知夫村

 8:30頃チェックアウト。民宿福来朗は浦郷の東の端にある。海に沿って西のほうに歩いていくと浦郷の中心部に入った。港のある別府、民宿福来朗のある浦郷、運河のある船越といったところに西ノ島の主な集落がある。

 浦郷の集落をぶらぶらした。港に平行して走る道路は湾沿いの1本とその奥にもう1本あるだけだ。場所によってはさらにもう1本の道がある。浦郷は集落としての厚みに欠ける。港に沿って家々があるだけだ。浦郷湾に突き出た埠頭に観光交流センターがあった。なかには隠岐観光(観光船・観光バス)やJA直売所やくにがレンタカーなどのオフィスがあった。くにがレンタカーの他にどうまえレンタカーもあった。タクシー会社もあった。

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 まだ迷っている。目的地ははっきりしている。摩天崖と国賀浜(通天橋)である。迷っているのは歩いていくか、バスで行くか、タクシーで行くか、レンタカーで行くか、である。

 隠岐汽船バス停を10:14に出たバスが10:36に浦郷を通る。これが一番早いバスである。4月18日から10月25日までしか運行していないので、これでも私はラッキーなのだ。昨夜、民宿福来朗の女将さんにいろいろ尋ねた。

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 摩天崖まで歩くとどれくらいかかりますか?
 1時間くらい。もっとかかるかも
 国賀までは?
 1時間ぐらい
 国賀まで歩いた人がいます。前に女の人が歩いていきました。帰りが遅いので心配したけれど・・

 情報をまとめてみる。

・国賀のほうが摩天崖より近い。
・国賀から摩天崖までの遊歩道が登り坂になっていてきつい。
・摩天崖までのバスはない。
・国賀に行くバスは1日2本。1本目の発車時刻は前述の通り。

 歩きながら集落のなかで尋ねてみた。摩天崖まで30分で行けるよ、いや1時間くらいかなという回答を同一人から得た。地元の住民はみんな車で行くのだろう。本来車で行くところを歩いた場合の時間がわかっていないようだ。

 歩くことを選択した。浦郷湾を離れて島の奥に入っていく。坂を登ったあと少し降りた。また海に出た。

 イカ寄せの浜という場所だった。いかよせ浜番小屋という建物があった。この浜にはイカ伝説があるらしい。由良比女命(ゆらひめみこと)が芋桶に乗って海を渡っているとき、海に浸した手をイカが引っ張った。そのお詫びに毎年イカの群が由良の浜にイカの群が押し寄せるようになったそうな。今でもイカが取れることを少しあとで知ることになった。

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 4月22日に始めたこの旅でかなり歩き回っている。すでに足が棒のようである。車は1台も通らない。サポートは期待できない。いかよせ浜から上まで登ったあとはまた下り坂になった。アップダウンが一番嫌である。人間の労を無にする自然である。

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 下り坂に入ったところに牛舎があった。働いていた女性に摩天崖までの時間を尋ねた。

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 摩天崖まで1時間はかかる
 途中で摩天崖のほうに行かないで国賀から遊歩道で登ったほうがいいかもしれない、そこもかなりきついけれど

 国賀から摩天崖に行く遊歩道がきついという言葉を聞いたのは2回目だ。しばらく歩いたところで通過した車が少し前で止まった。さっきの女性だった。仕事でそこまで来たらしいのだが、わざわざ摩天崖まで乗せてくれることになった。本当にありがたかった。

 車は何度もカーブを重ね長い坂を登っていった。以前、困った旅行者を乗せてあげたことがあるそうだ。摩天崖はとても歩いていける距離ではなかった。乗せてもらわなければ、どうなっていたか。

 車の駐車場所から摩天崖が見えた。景色は雄大だった。

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 牛の放牧されているなかを歩き、摩天崖展望台に行ってみた。そこが正真正銘の摩天崖の展望台だった。圧巻、あるいは圧倒的と言っていい。まちがいなく山陰一の、あるいは日本有数の風景だ。

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 この場所に立った人の驚嘆の気持ちが伝わる名前である。摩天崖。

 深く青い海と薄く黒い崖。2つの色のコントラストはなかった。青と黒は混じって1枚の画を作り出していた。

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 送ってもらった女性に、遊歩道を降りていけばいいと教えてもらったが、遊歩道がどこかわからなかった。展望台まで上がってきた人に尋ねた。展望台近くには遊歩道らしいものはないと言われた。ひたすら下に向かって降りるだけである。かなり急こう配で怖いが、どんどん降りてゆく。

 ところどころに牛が放牧されていた。糞はいたるところにあった。

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 展望台は少し降りたところにもあった。視点は下がるが、風景の価値は下がらない。

 国賀海岸に近づくと遊歩道が現れた。通天橋は海にせり出した岩の橋だ。下のほうが浸食されたので、そのようになっている。観音岩(40.46m)の上に夕陽が沈むらしい。そのとき岩は蝋燭のようになる。時期は4月中旬~7月中旬、8月下旬~9月中に限定される。国賀海岸のよいところは、このような景色が横からの風景としてだけではなく上から立体的に見ることができることだ。

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 下の海岸付近から高台にある国賀バス停まで地元の人といっしょに歩いた。昆布などを取りに来ていた人だ。ジオパークのガイドをやっている人で議員もやっているそうだ。百何十年か前に朝鮮人が流れついて助けた話、観光船の入らない洞窟の話などを聞かせてもらった。

 浦郷を10:36に出たバスは、11:29に国賀バス停で折り返す。そのバスに乗るつもりであったが、浦郷まで車で送ってもらった。小学校や中学校の生徒数を正確に把握していたのは、議員を努めているからなのだろうか。昔、国賀海岸では段々畑があり芋などを植えていたという。今、その畑は崩れてしまっている。岩場のようにも見える急な角度の場所に草木は生えているが、そこに段々畑があったことを想像することは難しい。この方は、それを浦郷で再現しようとしているらしい。おもしろそうな話だ。

 浦郷の観光センターノアの前で降ろしてもらった。すぐにバスがやってきた。バスではなくバンだったので、それがバスだとはわからなかった。4月末から土曜日にだけ動いているという。別府港まで200円。

 車2台に乗せてもらうことができ、臨時バスに乗ることができ、考えられないほど早く港にもどってくることができた。


 摩天崖と国賀への行き方についてまとめておこう。

・浦郷から摩天崖まで歩くのは無謀である。必ず途中でへたばる。所要時間について、地元の人たちの回答は当てにならない。みんな歩いたことはない。

・浦郷から国賀に行くバスはある。4月下旬以降は1日2本。夏期は4本。冬期は0本である。国賀から摩天崖に歩くことができるが、急な登り坂である。下るところは1ヶ所もない。晴れていれば景色は最高であるが、雨の日に行ってはいけない。遊歩道に雨除けはもちろん1本の木もない。遊歩道は国賀海岸近くにあるだけで、途中からは草の上をひたすら登るしかない。草は短いので歩行の邪魔をしない。かろうじて誰かの轍があるかもしれない。帰りのバスに合わせて降りてくることになるが、摩天崖から車道を通って降りることはできる。車道より遊歩道のほうが直線的に国賀の駐車場に行ける。

・理想は、摩天崖まで車で行き、そこから坂を下りることだ。私のように。最高の景色を見ながら、下り坂を歩けばいい。

・国賀めぐり定期観光バスは1日2本あるが、いずれも午後便である。国賀めぐり定期観光船も出ている。波が荒くなければ、洞窟に入ることもできるそうである。シーズンにこの定期観光船の予約は難しいらしい。3度西ノ島に来て、3度定期観光船に乗ることのできなかった人がいると民宿福来朗の女将さんが言っていた。


 想定していないスピードで別府港に着くことができたのに、浦郷を少し歩いたせいで11:52のいそかぜを逃してしまった。乗ったのは12:40のいそかぜである。なぜ次の便もいそかぜなのかというと、いそかぜは11:52に西ノ島町の別府港を出て、来居港(知夫村)、菱浦港(海士町)に入り、別府港(西ノ島町)にもどってくるからだ。それが12:40発のいそかぜとなる。

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 昨日、利用した菱沼港(海士町)ではこの島前内航船のチケットを販売していたが、別府港では船内で直接料金を払うしくみになっていた。12:40発のいそかぜに乗って、12:57に知夫(ちぶ)村の来居(くるい)港に着いた。

 来居港には何もなかった。西郷港(隠岐の島町)、菱浦港(海士町)、別府港(西ノ島町)には整備されたフェリーターミナルがあった。フェリーへの乗り降りはブリッジを使って行われていた。来居港にブリッジはなく、岸壁からフェリー側面に横長の通路が渡された。

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 直観的な危機感が走った。島の港でぐずぐずしていると誰もいなくなるという危機感である。西郷港、菱浦港、別府港ではまったく感じなかったが、ときどきそういうことを感じる島がある。たとえ港に少し立派な建物があっても船の出港がない時間帯では船会社のチケット販売の窓口は閉まってしまうことが多い。そしてオフィスには誰もいなくなる。今はどうかわからないが、伊豆大島の岡田港や神津島ではそうだった。南大東島や北大東島には港湾の建物すらないので、フェリーの発着がない埠頭はただの広場と化す。荷物の積み下ろしのクレーンもどこかに移動してしまう。フェリーを降りぐずぐずしていると1人になってしまう。私はぐずぐずしていなかったが、今まさにバイクにまたがったばかりの最後の2人のうちの1人に、奥に見える建物が観光案内所であることを聞き出すのに精一杯だった。絶望的な試合展開になったプロ野球チームのファンが球場をあとにするくらい早く、船を降りた人たちは島のどこかに散っていった。観光案内所に入る前に振り返ったら、もちろん誰もいなかった。

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 観光案内所は開いていた。えらい! 今日は土曜日なのに。そこで多くの準備不足を知ることになった。4番目に行く島のことを誰が詳しく知らべよう。

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 バス停の位置は確かめてあったのに、バスの本数が1日1本だということを初めて知った。当然1系統しかなく、それは朝の7:00台で、土曜日は運休していた。地図をもらい民宿なかはま荘の場所を教えてもらった。

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 来居港を出て、トンネルを潜った。海が右手に見えた。変だと思いながらさらに歩いたが、道をまちがえたようなので引き返した。駐在所の手前を右に曲がると言っていた観光案内所のスタッフの案内は正しかった。トンネルを潜ったところに駐在所はなく、トンネルを潜らないところに駐在所があった。

 駐在所のところにもどったにもかかわらずまた迷った。まさかこの道を右に入るわけではあるまいと通り過ごした道こそが、民宿おおはま荘に行く道だった。その道だ、と郵便局員が教えてくれた。

 郵便局員はアパートの裏だと言っていたが、そこでも迷った。たまたま近くを通った人が連れて行ってくれた。民宿おおはま荘はかなり迷いやすい場所にあった。

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 知夫村の民宿の数は少ない。私は4軒の予約の電話を入れていた。満室、廃業、電話に出ないが繰り返され、まったく予約ができなかった。仕方なく観光案内所に電話をして、残り2軒の民宿と2軒の民泊と唯一あるホテルの情報をもらった。そのうちの1軒が民宿おおはま莊である。

 しばらく部屋で休んで外に出た。

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 知夫村を観光しようというつもりはなかった。島中央にある赤ハゲ山は見晴らしがよいらしいが、摩天崖ほどではあるまい。赤壁には興味があったが、陸側から写された赤壁の写真は難しい角度からカメラを向け、無理に赤い崖を写したように思えた。崖側から崖をうまく見ることができない。崖をきれいに撮るためには50mくらいの自撮り棒が必要だろう。赤壁を見るには観光船に乗ったほうがよさそうである。ところが観光船は前日12:00までに予約の必要があり、しかも6名12,000円からとなっていた。おひとり様は歓迎されていなかった。小さい島のほうが周りにくくなっている。

 赤壁までの往復は徒歩8時間だと観光案内所のスタッフは言っていた。アップダウンがありますからと申し訳なさそうに言った。よく知っています。今日レンタカーは空いているそうだ。

 郡(集落)のほうに歩いてみた。河井のお地蔵さんがあった。さっき民宿おおはま莊を探していたときに見つけていたところだ。河井(地区)は湧き水が豊富であるらしい。

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 知夫村には地蔵が多い。来居港から歩いてきたときにもあった。

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 知夫漁港が見えたところに知夫小中学校があった。30mほどの距離があったテニスコートにいる生徒からあいさつをされた。港には漁船が30痩ほど停泊していた。迫力はないが、感じのいい港だった。港周辺をぶらぶらしたが、集落におもしろみはなかった。

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 はっきり書いておこう。隠岐4島の集落におもしろみはない。どこの家も普通にきれいで整っている。その分、漁村の雰囲気は薄れる。篠島(愛知県)、飛島(新潟県)、波照間島(沖縄)などのほうが島の雰囲気はあった。郡(集落)に商店は3軒くらいあった。郵便局はあったし、知夫村の役場もあった。ここが島の中心らしい。

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 郡の東のほうに天佐志比古命(一宮)神社があった。その脇に後醍醐天皇の腰掛け石があった。民宿おおはま莊から郡のほうに歩いてきたとき、山の上に通じる細い道のところに「後醍醐天皇ゆかりの地」という案内があった。山の上のほうには松養寺という寺があるようだったが、ゆかりの地だけではよくわからないし、階段になっている道は草が茂っているようで登らなかった。

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 知夫漁港の周辺をなぞるように南のほうに歩いて行った。海岸線を歩くものだと思っていたが、ウッドハウスのあるところで丘陵を登り始めた。上のほうにホテル知夫の里があった。そこからまた下に降りて行く。またアップダウンだ。

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 入江の弧の奥にアパートがあり、その背後に集落があった。アパートの近くに後醍醐天皇上陸の地という案内があった。

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 海士町は後鳥羽上皇一色だったのに対し、知夫村は後醍醐天皇一色だ。

 [海士町:後鳥羽上皇] 対 [知夫村:後醍醐天皇] の関係は成り立つ。
 [後鳥羽上皇:鳥羽一郎] 対 [後醍醐天皇:ゴダイゴ(あるいはDAIGO)]はどうか。

 仁夫の集落は奥のほうまで続いていた。集落の奥のほうにタブの巨木の案内があったので行ってみた。タブノキはそもそも大きくない。10mほどに育ったタブノキは珍しいということだ。

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 仁夫(集落)ではガーナイベントがあるそうだ。ガーナ人Jさんがガーナ文化などを伝える交流会みたいなものである。その仁夫で、どこの国の人かわからない外国人を3人見かけた。1人はロシア人だった気がした。残り2人はガーナ人ではなさそうだった。つまり最低4人の外国人はいる。知夫村の人口は585人。統計で男女比はほぼ同じだった。65歳以上の人口は281人で高齢化率は48%とあった。世帯数は329なので、1世帯当たり1.78人となる。あと10年経てば島はどうなるのだろう。

 さらに奥のほうに歩いていく。そこから西に歩けば赤壁であるが、道はうねりとアップダウンを繰り返すだろう。足はすでに棒である。引き返すことにした。動かない右足を前に出し左足を前に出し時計仕掛けのように歩いた。仁夫の中心を抜け郡までもどった。南東のほうに多沢の集落がある。そこは小さい湾があり、湾と外海との境辺りに橋が架かっている。最後の気力を振り絞って、そこまで歩いてみた。橋から見た集落はこじんまりしていた。橋から写真を撮るのが精一杯で、集落まで足を伸ばす力はなかった。

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 知夫小中学校の前を通ったとき、校庭には誰もいなくなっていた。

 ♪夕焼け小焼けで日が暮れて・・・からすといっしょに帰りましょ♪

 17:30頃、民宿おおはま莊にもどった。島の陽が暮れていった。

隠岐の島めぐり

3日目  2015年4月24日  隠岐の島町  海士町、 西ノ島町

 8:20頃、民宿喜兵衛をチェックアウトした。

 小さな橋を渡ったところに福カッパ大明神があった。八尾川には唐人屋九兵衛がきゅうりを盗むカッパをこらしめ今後悪さをしないと約束させた話があるらしい。川に入るときは唐人屋の子孫であることを名乗ると足を引かれないと言われているそうだ。札にはそう解説されていた。

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 海抜1.6mの表示のある通りを歩いて、隠岐一畑バスの営業所に向かう。昨日と同じコースを歩けばいい。近くに八尾川カッパ公園があった。隠岐島後民話・伝説案内板に以下の記載があった。日本昔話の世界である。

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 この川のほとりには今年もキュウリがいっぱい実っています。今夜こそ捕まえてやるぞ、待ち構えていると、川岸に手が出ました。にょきっと顔が出ました。あたりを見回した河童は岸に上がりました。キュウリを1本頬張りました。両手に一本ずつ持ちました。
 こりゃーっ、河童は腕を切り取られました。詫びを入れて腕を返してもらった河童は、それからいろいろと恩返しをしました。
 西郷の子供たちは、西町・港町地区の川祭(水の神様のお祭り)が終わらないと水泳をしません。河童のいたずらが怖いからです。

 トンネルを潜り、隠岐一畑交通バスの営業所に着いた。10台くらいのバスがあった。

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 バス営業所の近くに(有)中川農工があった。創業が1984年なのだろう。いや、あちら側の同じ年1Q84に創業したのかもしれない。

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 都万線8:48のバスは定刻通りに出発した。運賃は500円。

 バスは西郷の集落を巡回するように丁寧に回っていく。5分ぐらいで隠岐病院に着いた。島の中心地は西郷港なのだが、内陸側にある隠岐病院も島の中心地である。循環線を含めて8系統あるバスのすべてが発着するのが、営業所と隠岐病院だ。

 南中学校バス停、玉若酢命神社バス停を通過したバスは西郷の集落を出た。そこから山に入っていくが、高い山はない。山に入ったかと思うとバスは海沿いに出た。それを繰り返しながらバスは走った。西田、加茂、蛸木(たくぎ)、津戸、アイランドパークなどを過ぎていく。バスに乗っているのは私を含めて3人だけだ。

 バスは定刻通りに走っていた。今日のバスにはそうしてもらわないと困る。9:32に釜屋というバス停で降りた。バスはもう少し走って、終点の向山バス停で折り返す。向山バス停を発車する時刻は9:45である。そのバスが釜屋バス停にもどってくるのが9:47分頃となる。私が釜屋で与えられた時間は15分である。向山発9:45のバスに乗れなければ、次のバスの向山発は13:27である。都万線は1日4往復しかバスの運行はない。

 今日の昼過ぎに私は隠岐の島を立つ予定になっている。13:27分のバスまで待つことはできない。

 目的地は釜屋バス停から徒歩1分の距離にある矢那の船小屋である。降りるべきバス停が釜屋であるらしいことは「バス停まっぷ」(HP)でかろうじてわかったが、矢那の松原との距離がわからなかった。旅の前に調べた情報では、矢那の松原と舟小屋は、矢那の松原・舟小屋として、いっしょに記載されているだけだった。矢那の松原に興味はない。見たいのは舟小屋だけである。

 矢那の舟小屋まで徒歩1分だということを知ったのは昨日観光案内所でもらった集落地図を見たからだ。それは完ぺきな地図だった。

 グーグルマップでは釜屋のバス停の表記はなかった。「バス停まっぷ」(HP)に出ていた釜屋バス停の位置を、グーグルマップのストリートビューで探ってみた。道路脇に映っている家々やバス停表示らしきものを写真上で何度もチェックしていったが、釜屋のバス停は写真に映り込んでいなかった。釜屋バス停付近には「便所」という看板があり、道路の反対側に橋本商店が確認できた。

 バスに乗るとき、ドライバーに降ろしてもらいたい場所を伝えていた。

 橋本商店はあったし、便所という表示のある場所がバス停だった。海に面したところに闘牛の像があった。隠岐の牛突きは、配流となった後鳥羽上皇を慰めるために伝わったらしい。800年の伝統を持つ日本最古の闘牛である。

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 さっき興味がないと書いた矢那の松原は若狭の国から来た八百比丘尼という人が一晩で植えたと伝えられている。矢那の舟小屋から2分の距離にあったが、そこまでの往復をする時間はなかった。降りるときに、バスのドライバーに9:47にもどって来るよう言われていた。

 さて矢那の舟小屋である。舟小屋とは舟のアパートである。舟小屋を見るのは2度目だ。筒石(新潟県)の船小屋は2006年にかろうじて残っていた(筒石は木造3階建が残っている日本海に面した漁村である)。JR三厩駅(青森県)から竜飛岬に向かう道路沿いに舟小屋がありそうな気配がした。2度バスで行き、1度レンタカーで走ったが、見つけることはできなかった。下北半島の大間にもありそうな気配はしたが、見つけることはできなかった。

 矢那の舟小屋は同じ規格で20棟ほどが残されていた。建物は簡素な建築だったが、柱などはしっかりしていて朽ち果てている感じはない。舟を置いている小屋は半分くらいである。浮き、網、モーター、機械類などの物置きとなっている小屋もあった。しかし、別に物を置いていけないことはないし、見栄えをきれいに保つ必要はない。それは所有者の勝手である。漁に必要なものの置き場所として機能させればいいだけだ。

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↑上の写真は筒石(新潟県) 2006年7月撮影



 予定通りやってきたバスに9:47に乗車した。

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 バスは営業所まで行かなかった。隠岐病院で止まった。発行された乗り替え券をもらってすぐ後にやってきたバスに乗った。営業所まで行ってもよかったが、出航時間まで少し時間があったので今朝チェックアウトした民宿喜兵衛の近くで降りた。西郷大橋(赤い橋)が見えた。

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 そこから昨日歩いてきたのと異なる道を歩き、西郷港の周辺をうろうろした。食堂やカフェはかなりあった。そのうち1軒の食堂に入った。メニューにあった「やきめし」を注文してみた。今、「やきめし」という名称のメニューを見つけることは難しい。うまいとは思わなかった。

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 12:05のフェリーくにがに乗った。

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 隠岐汽船は本土と4つの島を結ぶ3本のフェリーを航行してさせている。フェリーくにがのルートは、七類(松江市)→西郷(隠岐の島町)→菱浦(海士町)→別府(西ノ島町)→七類のルートで動く。昨日乗ったフェリーしらしまの運行ルートは、西郷→菱浦→別府→来居(知夫村)→境港→別府→西郷である。もう1本のフェリーおきは、七類→西郷→菱浦→別府→七類である。それ以外にこの時期の高速船レインボージェットは別府→菱浦→西郷→境港→西郷→別府→七類→西郷→菱浦→別府というハードスケジュールで運航されている。隠岐のフェリーはわかりにくい。島の名前と港の名前が異なるので、運行ルートをたどるだけでも地図が欠かせない。

 さらに島前には、3島(西ノ島町、海士町、知夫村)間を渡るフェリーどうぜんといそかぜがある。この2船はどうやら島前3島の自治体が所有しているものと思われる(よく知らない)。いそかぜの一般的な航路は、来居→菱浦→別府→菱浦→別府→菱浦→来居、フェリーとうぜんは菱浦→別府→菱浦→来居→別府→菱浦である。したがって島前3島を巡る本数はそれなりにあるのだが、島に住んでいない者にとって航路は複雑である。ちょっとやそっとでは理解できない。スケジュールを組む際には、あっちのサイトを見て、また別のサイトを見ることを繰り返さないと、4島を巡って松江か境港にはもどってくるスケジュールは作れない。フェリーの運行があまりに複雑すぎるので、旅自体を止めようかと思ったくらいだ。それに比べれば伊豆諸島を巡る東海汽船はわかりやすい。

 フェリーくにがの客は十数人ほどしかいなかった。船の形態はフェリーしらしまと同じ型だった。

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 13:15、海士(あま)町の菱浦港に着いた。キン二ャニャセンター(フェリーターミナル)のなかの観光案内所で島の全体図と菱浦周辺の地図をもらった。バスの時刻表が貼ってあったが、すぐに出発するバスはなかった。

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 港には海中展望船あまんぼうが停泊していた。港を出て歩き始めた。家の軒先で、数人がウニの殻をはがしていた(遠目からでよくわからなかったので、ウニだったのかどうかはわからない)。近づきながら、写真を撮らせてほしいと言ったが、ある1人のおばさんによって拒否された。他の人たちは撮ってもいいよという雰囲気だったのだけれど。

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 隠岐神社まで3.4kmらしい。港のある菱浦湾を集落が取り囲んでいる。湾沿いの道に沿って、田口歯科医院、脇屋商店の前を通って歩いていく。菱浦の中央だと思える場所でも家が少し集まっているだけだ。その奥のほうに、「出雲大社菱浦教会」という矛盾をはらむ名前のものが地図にはあった。そこは普通に鳥居のある神社だった。教会に関するものはその片鱗もなかった。周辺には誰もいなかった。この名称の意味を知ることはできなかった。

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 菱浦湾に沿ってさらに歩く。山のなかに入っていくのだろうと思ったら、低い丘陵を越えるだけですぐに海が広がった。諏訪湾だ。福井小学校とガソリンスタンドと食堂亀乃の前を過ぎた。中里の集落に入っていく。NTTと石塚タクシーのある四つ角がこの集落の中心らしい。左に折れても家々は続いている。

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 右手に村上資料館が見えた。時間があれば帰りに寄ることはできる。もう少し歩くと右手に隠岐神社があった。後鳥羽上皇の崩御700年にあわせて創建された神社である。

 第82代後鳥羽天皇は、承久3年(1221年)隠岐国海士に御遷幸、御在島19年の後、延応元年(1239年)旧暦2月22日都への御遷幸の望みも空しく、崩御遊ばされた。・・・・・・・・・・・・・ と掲示されていた。

 余計なものはなにもないシンプルで洗練された神社だ。隠岐で今まで見てきた神社に雑な感じがしたり、やや放置されていたりしたのとは異なる。

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 すぐ近くに後鳥羽上皇資料館があった。隠岐神社の宝物が展示されていた。つまり隠岐神社別館である。ここはおもしろかった。「隠岐院」という曲舞(くせまい)があった。「おきいん」ではなく「おさのいん」と読むようだ。曲舞というのは、中世に流行した舞の一種の台本だ。承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が、鎌倉幕府の命により隠岐の島に配流されるまでの過程が書かれていた。現代語訳があったので理解できたのだが、後鳥羽上皇を悲劇のヒーローにしている書き方だった。あまりにもおかわいそうな後鳥羽上皇、という感じ。

 後鳥羽院御手印御置文も展示されていた。いわゆる遺言書である。誰に向けて書かれたものかわからなかったが、死に際して思うことは現在人とは変わらないと感じだ。

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 その近くにあった御火葬塚と行在所跡に寄ることはできたが、村上家資料館に行く時間はなかった。隠岐神社バス停15:16発のバスに乗った。バスの本数は1日6本である。ここまで歩いてきた道とは異なるルートをバスは通った。少し山側にある海士中学校の横を抜けてから福井小学校の前に出た。キンニャモニャセンターに着いたのは15:30頃だった。

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 15:40発のいそかぜに乗った。西ノ島の別府島に着いたのは15:47だった。

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 フェリーターミナルは2つあった。第1ターミナルは隠岐汽船のもので、第2ターミナルは内航船用らしい。第2ターミナルのほうが新しかった。観光案内所は第2ターミナルにあった。西ノ島町の案内図とバスの時刻表(裏にバス・マップがあった)をもらった。

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 浦郷のほうに向かうバスは1日9本(夏期は増便)あったが、次のバスは1時間30分後だった。ターミナルのなかで待つことにした。wifiに接続できたが、スピードは十分ではなかった。

 17:20発のバスに乗った。西ノ島は2つの島をくっつけたようになっている。その接合点に当たるところに短い運河がある。バスのなかから少し見ることができた。

 20分ほど乗って、バスは国賀莊前のバス停で止まった。目の前が民宿福来朗(ふくろう)だった。

 チェックインして、すぐに外に出た。バスのなかから見た運河を見ておきたかった。20分以上歩いたが、夕食の時間までに民宿福来朗にもどることはできそうになかった。仕方なく途中で引き返した。

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 民宿福来朗は依然からあったらしいが、内装を新しくしたようだ。1泊2食付き7,520円。女将さんは話し好きで、明日の予定について親切に相談に乗ってくれた。

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久しぶりの山陰へ。石見銀山を歩いてみた。

1日目  2015年4月22日  羽田  出雲  大田  石見銀山  仁摩(にま)  温泉津(ゆのつ)

 4月末からJALマイルの有効期限切れが始まる。消滅していく前にマイルを使わないといけない。行き先を鳥取、島根方面に決めた。久しぶりの山陰である。額面10,000円の宿泊券を5,000円で購入できる「プレミアム宿泊券 とっとりで待っとるけん」の存在を販売日の1週間前に知ったが、ぐずぐずしていた私は購入の機会を逃した。販売開始後、5秒ぐらいでソールドアウトになったらしいので、どのみち手に入れることはできなかっただろう。

 羽田空港を7:25に出発したJL277便は8:40頃に出雲縁結び空港に着いた。

 あるものの呼び名として、通称を使ったほうがわかりやすいことがある。

 JR東日本管轄の路線に宇都宮線という線は存在しない。しかし東北本線の上野・宇都宮間を走る電車を宇都宮線と呼ぶのはわかりやすい。2015年3月に(最長区間として)熱海から黒磯まで行く列車が誕生したことは画期的だったが、東北本線のほとんどの列車は宇都宮止まりである。正式な線名は東北本線であって宇都宮線ではないけれど、東北の福島や仙台まで走る列車はないのだから、宇都宮線という呼び名は適切である。

 「北陸・長野新幹線」という名称を主張したのは長野県である。長野までしか開通していなかったとき使われていた「長野新幹線」という通称は使いやすかった。終点が長野である新幹線に「北陸新幹線」という名称はわかりにくい。「長野新幹線」は、「北陸新幹線」が部分開業したことによる仮の通称に過ぎないのだが、「長野新幹線」という名称にしてほしいという長野側の要望がなくても定着したのではないだろうか。しかし2015年3月の「北陸新幹線」の金沢延伸にあたっては、「北陸・長野新幹線」にしてくれという要望は延伸1日目にして黙殺されたと言っていい。マスコミは「北陸新幹線」という言葉で統一されていた。通称は使いやすくなくてはいけない。

 出雲空港の愛称が出雲縁結び空港に決定したのは、2013年4月14日である。こちらは通称ではなく、愛称らしい。調べてみると、通称は、「正式ではないが世間一般で呼ばれている名称」で、愛称は「親しみを込めて呼ぶ名」とあった。つまり通称のほうはパブリック的であるのはもちろんであるが、やや事務的なニュアンスがある。愛称のほうはパブリック性を保ちつつ、そこにラブリーさを加えた感じと言っていいだろう。しかし名前が長くなりすぎている。長い名前を呼ぶのは面倒くさい。だから愛称としての資格がない。愛称のファクターの1つとして、呼びやすさを加えるべきだろう。成田国際空港を成田、羽田国際空港を羽田というように、できるだけ短く呼びたいのが利用者の常である。米子鬼太郎空港でも話は同じである。2009年にテレビ放映が終了したゲゲゲの鬼太郎(第5シリーズ)から6年経っている。今後第6シリーズが放映でもされない限り、愛称として定着するのはさらに難しくなるだろう。

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 出雲縁結び空港を9:00に発車するはずの空港連絡バスは8分遅れて発車した。行き先はJR出雲市駅である。バスはさして変わりばえのしない景色のなかを走った。車窓に古い街並みを見つけることはできなかった。JR出雲市駅の手前に一畑電鉄の電鉄出雲市駅があった。バスを降りる直前、右手に飲み屋らしい一角が見えた。5分でその辺りを抜けるつもりで路地に入っていった。飲み屋街が続いていた。かなり奥が深そうだ。少しずつ奥に引き込まれていく。列車の発車時刻ぎりぎりまで駅前周辺を歩いてみた。残り時間が少なくなっていく。あと5分というところで引き返したが、大体を見ることはできた。あわただしい。

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 切符を買い(580円)、あわててホームに駆け上がった。列車はすでにホームに入っていた。乗ったのは気動車だった。つまり電気の架線を必要としない列車である。JR出雲市駅は電化されていて架線が張り巡らされているにもかかわらず。これから向かう大田側ではなく、反対方向の米子、鳥取側は電車が走っているということだろうか。あるいは特急列車だけが電車であるということなのだろうか。

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 列車はアクアライナーという快足列車で途中の駅をしばしば黙殺した。大田市が近づくと右手に日本海が見えた。かって山陰の旅の魅力は日本海の旅の魅力だった。山陰には3度来ている。1度目は学生のときだ。京都から普通列車で下関まで行った。2度目(1998年5月)は横浜から京都経由で山陰の海岸線を車で走り、門司まで行った。3度目(1999年5月)は鳥取から中国山地のなかに入り、山地の中央部を列車で広島まで抜けた。このときは2,200kmの長距離片道切符を使った。山陰には若狭方面から入った。駅で長距離片道切符を作ってもらうだけで1時間を要した。

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 昔、山陰の起点は京都だった。今は岡山や広島から日本海に抜けるルートが主流になっていて、京都、兵庫を経由して長くつながっている日本海の線路を旅する人はいなくなった。だから山陰の旅が日本海の旅だと言ったところで同意を得るのは難しくなっている。

 もっとも車窓の日本海は見えたり隠れたりを繰り返す。

 羽根駅辺りの海に奇岩があった。背の高い岩が屹立していた。写真に撮ることはできなかったが、あとで調べてみた。掛戸松島というらしい。

 太田駅で降りたのは10:14。ここまで予定通りである。大田市の観光案内所が駅舎内にあった。石見銀山のパンフレットをもらい、バスの時刻と降りる場所を教えてもらった。

 10:22のバスがあったが、10:00台だけは2本の発車本数となっていたので、次の10:52に乗ることにした。空いた時間で駅周辺を歩いてみた。

 駅前に商店はほとんどない。だから繁華街もない。市という雰囲気ではない。

 駅前の小さな広場から駅と直角に走っている通りを突き当りまで歩いてみた。商店はまばらにあったが、みな地味な感じだった。古い町並みはなかったが、全体としてゆるやかな崩れ感はあった。いやむしろ地味に持ちこたえているといったほうがいいかもしれない。

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 1kmほど歩くと、通りに突き当たった。そこから新しい町並みが広がるかもしれないとも思ったが、どうやらそういう風ではないらしい。別の道を通りながら駅にもどろうとしたが、迷いそうになったので、元の道にもどった。

 駅にもどるとすぐに石見銀山・世界遺産センター行きのバスがやってきた。乗ったのは3人だった。バスはさっき歩いたところを通った。駅までもどる必要はなく、石見銀山行きのバスの通るバス停で待っていればよかったわけだ。

 市内を抜けたバスはだんだん山のなかに入っていった。しかし高い山はなく深い谷もなかった。車窓は中伊豆と似ていた。

 30分ほどで大森代官所跡バス停に着いた。そこで降りずに2つ先の大森バス停で降りることにした。ここから大森代官所跡までの間が大森町の町並み地区で、その反対側が銀山地区だ。真ん中にあるのが石見銀山公園である。石見銀山には600を超える間歩(坑道)があるらしい。そこを歩いてみる。道路は車道と遊歩道に分かれており、どちらを歩いてもよい。車道は車がときどき通るぐらいで、歩いていてもとくに問題はない。どちらの道路にも併走している小川のせせらぎが聞こえた。

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 最初に見えたのが大森小学校だった。うつくしい木造の校舎で、隣に保育園を併設していた。水曜日のお昼では先生も生徒も学校にいるはずだ。校内の見学が許可されるかどうかはわからなかったが、校舎の玄関先に立って人を呼んでみた。誰も出てこなかった。

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 道から少し入ったところに豊栄神社があったが、隣の極楽寺はかなり奥のほうにありそうだった。途中、土産物屋、工房、カフェがあった。

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 さらに奥のほうに進み川を渡り清水谷精錬所跡に向かった。精錬所跡というより、石垣で組まれた段々畑あるいは棚田といったほうが、実物を表しているかもしれない。

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 歩き始めてから道はゆるやかな上り坂になっていて、その奥のほう、つまり上のほうに龍源寺間歩がある。ここまで1時間ほどかかった。

 入場券を買って間歩に入った。入り口の高さは1.8m、横幅1.5mで、坑道のなかはそれより広いところもあれば、狭いところもある。注意して歩かないと頭を打ちそうである。はっきり書くと、龍源寺間歩はただの狭い隧道である。佐渡の金山のような見世物としての仕掛け、あるいは夕張炭鉱のような大掛かりな設備があればおもしろいのだが、龍源寺間歩はところどころにひおい坑や堅坑などの小さな穴があるだけである。出口の新坑道にあった「石見銀山絵第二巻」の説明を読めば、湧水の汲み出し方法や通風のことなどなるほどと思えることはあったが、おもしろさはなかった。

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 帰りは歩くだけだ。40分ほどで石見銀山公園に着いた。休憩所で少し休んだ。

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 ここから大森町を歩いてみた。いわゆる古い町並みである。中山道の、木曽エリアの宿の雰囲気がある。金森家、三宅家、阿部家、柳原家、旧川島家、青山家、熊谷家などの立派な家が残っているが、なかに入れるのは2軒程度であるようだ。観世音寺はちょっとした高台になっているので大森町を少しだけ高い位置から見渡すことができた。

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 ゆるい曲線を描いている通りが2,3か所ある。街道が曲線である場合、大名行列をうつくしく見せるためだという説がある。江戸は100万人の都市であったが、そのとき石見の人口は20万人だといわれている。この街道の曲線もそういう意図があったのかもしれない。

 お食事どころおおもりで、代官そばを食べた。腰が強いそばは歯ごたえがありうまかったが、量が足りなかった。そのあと近くのカフェでエスプレッソ。

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 代官所前広場でバスを待っているとき、観光案内所の人と話をした。

 今日の観光客の数は多からず少なからずといったところだった。5月の連休は人の出がすさまじいらしい。仁万駅からはシャトルバスが出る。駐車場は満車となり、畑や一般の駐車場にも車を止める不届き者がいるようだ。地元の人も連休の混雑については対処できないらしい。ただゴミで汚くなることはないと言う。昭和の終わりぐらいから、大森町の町並みの見学者は多かったが、世界遺産に登録されてからは、間歩のほうを見に来る人が増えたということだ。

 はっきり言うと、間歩はつまらない。大森町の町並みのほうが見ごたえがあった。

 バスで山陰本線の仁万駅に向かった。このルートは大田市駅内にあった観光案内所であらかじめ確認してあった。もっとも観光案内所の人は、石見銀山から温泉津駅行きのバスはなく仁万駅行きのバスも1日5本しかないので、温泉津に行きたければ、大田市駅にもどってからJRに乗ったほうがいいと言っていた。しかしそれではかなり遠回りになってしまう。1日5本のバスの4本目の16:10発のバスに乗った。

 仁摩(にま)というのが街の名称であるが、JRの駅名は仁万(にま)である。どうしてこのようになったのだろう(疲れていて調べる気力がしない)。

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 石見銀山から温泉津までは温泉津沖泊道といって産出した銀が日本各地に運ばれていった道でもある。龍源寺間歩から石見銀山公園や大森町のほうにもどらないで、さらに奥に進んでいくと、日本海に出る。その日本海側に面した町が温泉津なのだ。途中400m~600mの山のふもとを抜けて行くが、道自体の標高はほとんど200m以下だった。この歴史的街道に今バス路線はない。

 20分ほど乗って仁万駅に着いた。次の列車まで30分ほどの待ち時間があったので、駅周辺を歩いてみた。駅前に小さい広場があるが、商店街はない田舎の駅だった。駅から8分ほどのところにサンド・ミュージアムがあった。斬新な建築物だった。入館時刻は過ぎていたし、もともと入館する時間もなかったが、こんな場所にこんな巨大な博物館を建てても誰も来ないのではないかと思わせる建物だった。

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 16:56発の浜田方面行きの列車に乗った。200円の運賃で行ける3つ目の駅が温泉津駅だ。

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 石見銀山が世界遺産に登録される前から温泉津を知っていた、古い町並みとして。もっとも温泉津もまた世界遺産に登録されている。

 温泉津駅を降りた。まだ陽はあるので周ることができた。駅前の通りを西に300mほど歩いた。道の両側に家が立ち並んでいるが、とくに古い町並みというわけではない。家々のなかには商店も交じっているが商店街は形成されていない。そのなかに才一の湯という温泉場があった。

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 突き当たったところを右に折れたとき、若林酒造というレトロな造り酒屋の建物があった。少し行ったところで海に出た。なぜか野口雨情の碑があり、その近くにゆうゆう館という建物があった。大田市の観光協会の支部が入っているらしいが、今日はもう閉館になっていた。目の前には小舟だけしかない漁港があった。

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 そこから東に進む一本道が温泉津温泉の町並みだ。最初にあったのは数軒のなまこ壁。さらに奥に進んでいく。生活雑貨などの店もあるが、煎餅や饅頭の店が意外に多い。旅館も数多くある。奥のほうに泉薬湯温泉津温泉元湯、薬師湯が隣接していた。温泉堂薬局前田という薬局もあった。完全な温泉街だ。かなりレトロである。

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 そこを突き抜けると道は山のなかに入ってゆく。元の道をもどった場合、17:44の列車には間に合わないだろう。地図を信じて、さらに山の上のほうに向かい、トンネルを降りることにした。歩道がないトンネルだったが、車は通らなかった。間に合わなければ仕方がないと思いながらも速足で歩き、発車2分前、温泉津駅近くの郵便局の前に出た。電車がホームにすべりこんだすぐあとに無人の改札を抜けてホームに上がった。

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 乗った列車は出雲市駅止まりだった。出雲市駅のホームに東京行きのサンライズ出雲が入線していた。

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 乗り替えた列車のなかで寝てしまった。

 20:23、米子駅着。駅前のホテルビジネスインよなごにチェックインした。トイレとシャワーは別で1泊2日2,700円。すぐに近くに、以前泊まったホテル・フロンティアがあった。

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 外出し、鳥取カレーのポスターが貼ってあったカレー専門店に入ってみた。タンドリーチキン、白ねぎ・・・どこが鳥取カレーなのかと尋ねてみた。鳥取のなしを使用するらしいのだが、そのシーズンは終わっているので、今日はその代わりにブロッコリーを使ったと回答された。鳥取カレーである理由がわからなかった。 

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