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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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5日目 2016年11月6日 米沢 峠 滑川温泉

上杉の町を歩いた 謙信より鷹山!

 8:40にホテルモントビュー米沢をチェックアウトした。リュックをホテルに預けるかどうかを迷ったが、持っていくことにした。

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 米沢でやりたいことはひとつもない、どこかで朝ご飯を食べること以外は。そう思いながら歩いていたが、時間が早すぎた。それに今日は日曜日である。多くないカフェやレストランはことごとく閉まっていた。

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 松岬公園の方向に歩いていたので、堀に囲まれた公園に着いてしまった。公園のなかには上杉神社とその宝物殿である上杉神社稽照殿がある。上杉神社でお参りをした。

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 米沢といえば上杉謙信である。乱世であればそういうことになる。

 しかし治世であれば、上杉鷹山であろう。

 ケネディ元大統領が尊敬した日本人であり、「なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも」の名言を残した。その政治的手腕で、米沢藩の窮地を立て直したことは現在にスライドして解釈しやすい偉人であるといっていい。

 米沢市民はこの人を愛している。紀州で「徳川吉宗」と呼び捨てにしても問題ないが、米沢で「上杉鷹山」と言ってはいけないらしい。「上杉鷹山『公』」と言わないといけないというのは本当だろうか。

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 米沢市上杉博物館が開いていたので入ってみたが、入り口が開いていたというだけだった。展示物を見るためには待たなければならなかった。

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 上杉の町である米沢には米沢織物歴史資料館や酒造資料館東光の酒造などもあるのだが、イオンに行くことにした。イオンのショッピングセンターならカフェがあるだろう。

 米沢市上杉博物館から山形県道13号を北に向けて歩いた。途中にあった白根澤合資會社には米沢市景観賞のプレートがあった。

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 下の1枚は2007年7月31日の白根澤合資會社。上の写真と建物は変わっていないようだが、外灯が新しくなっていた。

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 途中にあった古い家。

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 下の1枚は2007年7月31日に撮った同じ家。写したい場所は変わらないということなのだろう。家の前にあった自動販売機は取り払われている。

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サティとイオンと『スイングガールズ』と

 北に歩いていた道を途中でじぐざぐに歩き、山形県道152号沿いにあるイオンに着いた。

 イオン米沢店はかってサティがあったところである。サティの前はジャスコだった。ジャスコ→サティ→イオンと建物の主は変遷を遂げた。戦国の世は謙信の時代だけではない。流通戦争は戦後から今日まで続いており、ダイエー倒産以後も止むことがない。

 イオンがまだサティだった頃、そこは映画『スイングガールズ』(主演/上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ)のロケ地の1つだった。ビッグバンドジャズを始めた女子高校生を撮った映画は、その後の女子高校生ブームの先駆けになった。

 下の写真は2016年11月6日つまり今日のイオン。

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 下の写真は2007年7月31日のサティ。

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 映画『スイングガールズ』のなかでは、サティ前の広場でガールズが演奏していた。2007年7月にサティを見に来たあと、山形鉄道フラワー長井線に乗った。この沿線もロケ地である。

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 イオンのショッピングセンターにカフェはなかったが、古いタイプのミスタードーナツはあった。今年の5月に、自宅の最寄り駅にあるミスタードーナツが全国の店の先陣を切りカフェ型の店舗としてリニューアルされた。ついこの前、ドーナツ業界での生き残りを賭け、ミスタードーナツは値下げを行うと発表した。ドーナツ業界は戦国時代に入った。この流れを作ってしまったのはコンビニエンスストアにドーナツを置いたからなのだが、ドーナツ市場はコーヒーマーケットほど巨大ではなかったということが証明されてしまった。どこもかしこも戦国の世である。

 下の1枚はカフェ型のミスタードーナツ鶴ヶ峰店(横浜市旭区)。2016年10月1日撮影。

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 朝ご飯をドーナツにした。コンセントを使うことができたのをよいことに、ドーナツを3個食べ、コーヒーを3杯おかわりした。2時間ほどいることになったが、旅日記がそれほど進んだわけではなかった。

 さて、朝ご飯が終われば、次は昼ご飯である。米沢を歩く気はなくなっていたが、米沢駅までを歩くことにした。イオンからは30分ほどかかる。

 途中、ラグパティというインド料理の店があった。昨日赤湯温泉から高畠まで歩いたとき、途中にあった店である。チェーン店のようだ。

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 下の1枚は2016年11月5日赤湯温泉付近で見かけたラグパティ。

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米沢牛の店で昼ご飯

 米沢駅周辺には米沢牛の店が10軒以上あった。「まるぶん」で牛鍋定食を注文した。固形燃料付きの丸鍋に入った霜降り肉が配膳された。生卵に浸して食べた。牛肉はほどよい柔らかさでうまかった。ステーキでなければ米沢牛はそれほど高くはない。

 入店したのは12:00前だったが、すぐに満席になった。待っている客が出始めたのでゆっくりはできなかった。

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 米沢駅から福島行きの奥羽本線の列車に乗った。

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 米沢13:08発 → 峠13:25着


滑川温泉福島屋の予約/4月バージョン

 峠駅の南4kmのところにある滑川温泉はすべて山のなかである。そこには福島屋という一軒宿がある。

 福島屋を知ったのは今年の3月である。偶然テレビで観た『秘湯ロマン』でやっていた。特に温泉に興味があるわけではないが、旅の途中でときどきは温泉に入っていた。猛吹雪にあった1月の奥尻島(北海道)で、路線バスのドライバーが勧めてくれたのは神威脇温泉だった。「島の秘湯ランキング」で全国7位にランキングされた温泉は荒れ狂い雪をまき散らす日本海に面していた。低気圧で青ヶ島行きの船が運航停止になった八丈島では暇つぶしにバスで行った、末吉地区の「みはらしの湯」に浸かっていた。

 旅の途中で立ち寄った湯とは別に、湯治宿には興味があった。大川温泉(岩手県)のような湯治の宿で1週間ほど本を読んで過ごしたいと思っていた。

 2016年の4月初旬。3泊4日で宿泊したい旨のメールを福島屋に送った。回答はすぐにあった。

 ・冬場の営業を停止している。
 ・その期間、自炊棟に宿泊することはできる。宿泊棟には宿泊できない。
 ・その期間、食事はなく売店は開いていない。
 ・その期間、送迎はない。
 ・今年の営業開始は4月28日である。

 4月27日までの営業休止期間中の福島屋の自炊棟に宿泊できるが、問題は積雪と食事だった。奥羽本線の峠駅から福島屋まで4kmの山道である。営業休止中は送迎がないので歩くしかない。再度の問い合わせで、道路は積雪状態であることがわかり、4月初旬に行くのは断念した。米沢市の除雪が入るのは4月半ば過ぎである。


再チャレンジ。滑川温泉福島屋の予約/11月バージョン

 滑川温泉への関心はしばらく遠ざかっていたが、11月2日に仙台に行くことを決めたとき急浮上してきた。『沈黙の艦隊』のヤマトのように。

 さっそく11月6日から2泊の予定で予約を入れようと10月28日にメールを送った。翌日下のような回答があった。

 ・前日の11月5日で今年の営業を終える。
 ・それ以降の送迎はできない。
 ・それ以降の売店は閉まる。
 ・11月6日以降も自炊棟で宿泊できる。宿泊棟では宿泊できない。

 まだ紅葉のシーズンである。こんなに早く今年の営業が終わるとは思わなかった。11月5日に営業を停止する旨は3日後の11月1日にホームページに掲載された。

 11月6日に1泊することにした。2泊の予定を1泊にしたのは食事が気になったからである。自炊棟にはガスコンロ、フライパン、鍋、包丁、まな板が用意されているらしい。電子レンジはない。1泊分の食事を持ち込むことはできるが、2泊目以降をどうするかは問題だろう。

 正式な営業期間中であれば(今年の場合は4月28日から11月5日まで)、自炊棟に宿泊して食事だけをお願いすることもできるが、それができなくなるのである。

 1泊分の食事を持ち込むことにして11月6日に1泊することで予約を完了した。峠駅に13:25に着くので、そこから歩いていく旨を予約の際に伝えていた。


奥羽本線の峠駅

 11月6日、米沢駅で乗った福島行きの奥羽本線の列車は定刻に峠駅に着いた。

 青森から秋田、山形を経由して福島に至る路線が奥羽本線である。新庄・福島間には山形新幹線が走っているが、米沢・福島の間の駅で新幹線の停まる駅はない。峠駅は奥羽本線のなかでもっとも標高の高い駅である。1日の列車本数は6本である。

 駅は、吾妻連峰の険しい斜面が切り立つなかにある。豪雪地帯であるが、11月初旬に雪はなかった。蒸気機関車の全盛時代は難所であった。福島を出た列車は、峠駅を含む前後の4駅をスイッチバックで切り返しながら米沢に着いた。山形新幹線が開通した際にスイッチバックは廃止されたが、遺構はそれぞれの駅構内や近辺に残されている。

 峠駅の駅舎は木造のスノーシェッドで覆われていた。スイッチバックの設備を積雪から守るための施設である。線路のすべてを覆う巨大な山小屋である。豪雪地帯であることを感じてしまう。

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 2両編成の列車の一番前のドアから降りようとしたとき、他のドアからも降りようとした人たちがいた。こんなさびしい駅で随分多くの人が降りるものなのだと思ったのは間違いだった。ホームで待っていた(2人の)売り子から峠駅名物「力餅」を買う人たちだった。列車の窓が開かなくなってから駅弁は駅で購入するものとなったが、JRがまだ日本国有鉄道だった時代、旅人は窓を開けて駅弁や茶を買っていた。

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 信越本線の横川駅ほどではないが、奥羽本線の峠駅も売り子がホームに立っている駅として有名だったらしい。今日初めてそのことを知った。

 大きな駅ではない峠駅で停車時間は短い。売り子さん(男子)たちはてきぱきと売りさばいていた。峠駅名物「峠の力餅」は10個入り1,000円である。販売元は峠駅から徒歩1分のところにある「峠の茶屋」である。駅周辺の店はここだけである。

 今日の昼ご飯を、米沢で米沢牛を食べるか、峠駅の「峠の茶屋」で山菜入り雑煮そばを食べるかで昼前まで悩んでいた。


送迎車で滑川温泉の福島屋に向かった

 驚いたことにスノーシェッドのなかに駐車場があり、車が3台止まっていた。ホームに近いところに止まっていた車には「福島屋」の文字がはいっていた。

 送迎車のドライバーが予約のいきさつを知っているとは思えなかったが、尋ねてみた。

 今日は営業をやっていないのではないですか? 送迎はないと伺っていたのですが?

 やっていますという回答だった。13:25に着く列車でやって来て、峠駅から歩いてくる人がいるので、迎えにいってくれとレセプションに言われたということである。

 名前を伝えた。送迎の対象者は私だった。

 車のなかでメールのやり取りをもう一度細かく伝えてみた。本当は昨日までの営業だったとドライバーは言った。

 福島屋は営業日を1日延長したらしい。それが私の宿泊に直接関係しているのかどうかはわからなかった(チェックイン後に確認したホームページには、今日から営業を停止していると告知されていた)。

 送迎用バンは駅を出るといきなり急な坂を上り続けた。道は狭い1本道でほとんどの場所ですれ違いはできない。道のり4kmの半分ほどは急な上り坂だった。それ以降は平たんなところとやや下るところがあったが、道のりの最後はまた急な坂になった。

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 この山道4kmをリュックを背負って上るのは重労働である。送迎はありがたかった。

 (今年の)夏の大雨で脱衣所が流された、とドライバーが話してくれた。そういった苦労話を聞くことができた。


山間の一軒宿で

 200余年の間14代に渡り守ってきた山間の一軒宿にチェックインした。

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 売店は開いており自動販売機は動いていた。それにはやや拍子抜けした。何のサポートもない宿に泊まる覚悟をしていたので、米沢のセブンイレブンでおにぎり、パン、水の1リットルボトル、缶コーヒー、どん兵衛(これは持って帰ることになった)を買い込んでいた。
 
 自炊棟に案内された。宿泊棟と自炊棟は別になっていた。自炊棟は江戸時代の建物をそのまま使っていた。部屋と廊下の仕切りは障子だった。部屋の鍵はなかった。テレビがないのは好都合だった。

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 古い火鉢が置かれていたが、使われていないようだ。使っていいのかどうかわからなかったというより、どう使っていいのかがわからなかった。

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 かって日本の温泉宿に多くあった「自炊部」は、現在の宿泊形態でいうところの「素泊まり」である。「自炊棟」という言葉を残しているということ自体が古い温泉宿であることを示している。

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 福島屋の周辺を散歩した。

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 少し下ったところに姥湯温泉への道案内があった。姥湯温泉は滑川温泉よりさらに山のなかにある。福島屋からの距離は4kmであるが、アップダウンがあり1時間ではとうてい行けない。4月に福島屋に3泊で予約をしようとしたのは、途中の1日でこの姥湯温泉まで歩いてみようと思ったからである。姥湯温泉の一軒宿である枡形屋は、福島屋より1日早い11月4日が今年最後の営業日になっていた。

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 風呂に入ってみた。岩の露店風呂には誰もいなかった。前川の渓流沿いにあり水の流れが響いていたが、あまりに寒すぎた。

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 館内にはまだ何人かいたが、みな日帰り客だった。彼らは車でやって来て車で帰る。16:00前に客は誰もいなくなった。

 少し経ってから、檜風呂に入った。もちろん誰もいなかった。乳白色の濁り湯が浴槽に注がれていた。加水、加温、循環消毒は行っていないようで、湯は使い捨てである。

 風呂は混浴となっているが、女性客は女性専用タイムに入ると思われる。私しか宿泊していない今日はそういうことは関係ない。湯から硫黄臭がしていた。湯温はやや熱めであるが、丁度よい。

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 16:00頃から宿はばたばたし始めた。あちこちで従業員総出の清掃や片付けをやっていた。廊下から聞こえてくる声には活気があった。今日で仕事が終わるという、楽し気な大掃除の気配が伝わってきた。

 多くの人が働いていたことに驚いた。翌朝の送迎の際に確認したところ、交代で常時15名ほどが働いているとわかった。おじさんおばさん、あるいはおじいさんおばあさんが中心であるが、若い人が2人いた。

 夕方になって山間を吹き抜ける風の音がすさまじくなった。気温が急激に下がることによって空気の流れができているのだろう。それが轟音となり峡谷を震わせていた。

 ストーブを借りることにした。部屋はほんのりと暖かくなったが、十分とはいえなかった。

 やがて従業員たちの声もしなくなった。宿泊客が私だけの静かな宿になった。

 ネットを使いたい人はその旨を記載してください、と予約の際の注意書きにあった。「ネット希望」とコメント欄に付け加え予約をしていた。部屋の障子を開けたところにルーターがあった。部屋のネット環境は申し分なかった。

 パソコンを開いて旅日記を書いていたが、止めた。

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 持ってきた本をこの旅で初めて開いてみた。この宿ではそうすることがふさわしい気がした。どこから読み始めても美しい文章で書かれている『華麗なるギャッピー』(フィッツジェラルド)は私の定番の、旅の本である。米国人がこの作家を読むのがわかる気がする。彼らは孤独なのだ。もっともこの一軒宿とはまったく結びつかない。

 みしみしとする廊下をときどき歩いた。玄関まで行って部屋にもどった。それを何度か繰り返した。要するにうろうろした。

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 また檜風呂に入ってみた。

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 部屋にもどったときまだ18:00過ぎだった。一軒宿の夜は始まったばかりだった。
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4日目 2016年11月5日 山形 天童 かみのやま温泉 赤湯温泉 高畠 米沢 

早朝の山形を歩いてみた

 山形(市)には2、3度来たことがあるが、ほとんどは乗り換えのためにホテルに泊まっただけだ。山形城跡の霞城公園に行ったことはあった。

 夜遅くに山形駅に着き、駅から10分ほどの、中心街ではないホテルに泊まったとき。その日の山形で花笠祭りが行われていたことをテレビのニュースで知った。それぐらいの記憶しかない。

 昨夜少し歩いた山形駅東口の飲み屋街はおもしろそうだった。急きょ山形について調べてみた。遊郭跡があることを知った。もともと今日のスケジュールはこの旅で一番の強行軍となっていたのだが、山形を歩いてみたい気分になった。厳しいスケジュールに山形歩きをねじ込んでみた。

 山形県を旅することが難しいとは思っていなかった。ところがある程度のスケジュールを立てたうえでないと、思ったとおりに旅を続けることができない。山形の平野地域を南北に走る奥羽本線(通称、山形線)の在来線の運転本数は1時間に1本程度である。便利であるとはいえないが、この程度の列車本数があれば旅に大きな支障はない。ところが町が沿線にきれいに配置されていない。肘折温泉や銀山温泉が山のなかにあるのは仕方がないが、尾花沢、赤湯、高畠などの町が鉄道駅から離れたところにありバスを必要とする。米沢の中心部も駅から離れている。鉄道を敷設する際に反対運動が各所で起きていたのではないかと思われる。周辺に行くバス便は大体の場合1日4~6本程度で、土休日には完全運休になることがほとんどである。旅を始める前にある程度のスケジュールを立てておく必要がある。

 山形(市)の下調べの最後の項目は、日の出の時刻についてだった。6:08時点で、山形市内で見たいもののうちの、駅からもっとも遠くにあるところに着いておく。それが昨夜立てたベストの計画だった。

 6:30にホテルをチェックアウトした時点で山形歩きの完全実行は難しくなっていた。

 ホテルイーストワンを出てから7、8回ほど角を曲がった。途中のおもしろそうな建物を撮るのは帰り道にまわすことにした。20分間で赤信号を4、5回横断した。歩行者とはいえ、こういう悪質な道路交通法違反者を山形県警は見逃してはいけない。

 最初に着いたのは駅の東1.2kmほどのところにある東前稲荷神社である。注目すべき点は神社の前にあった説明文である。

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 城主秋元涼朝(すけとも)の文政4年(1821年)城下の宿屋に遊女を置きたき申出あり 発展のため許可す
 ・・・・
 小姓町遊郭となり、明治、大正、昭和と、六十年間にわたって歓楽街として繁栄せり

 簡略化された説明である。よい文章だと思うが、「歓楽街として繁栄せり」というのが事実であったとしても、わざわざ記載してしまえば余計な自己肯定と取られても仕方がない。別の表現があったと思う。

 鳥居の奥の朱色の稲荷神社は背の低い紅葉の影に隠れていた。

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 すぐそばに「旅館菊清」があった。営業をしていないようだ。「旅館菊清」は小姓町遊郭の残滓である。周囲に遊郭らしき建物はなかった。

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 建物を壊すことは個人でできるが、道路の形状を変えるのは行政の計画が必要になってくる。すべての遊郭が消し去られていても、鉤型の道路状況は隠せなかった。鉤型は城下町でよくある道路の形態で、遊郭にもある。鉤型の道路に残っていたのは山形県生活衛生会館である。娼妓たちの検梅所だった建物である。

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 東前稲荷神社、「旅館菊清」、山形県生活衛生会館の所在地は「山形市小姓町」である。ここが遊郭のど真ん中だったと思われる。

 花街であった七日町のほうに行きたいが、時間はなかった。30分早くホテルをチェックアウトすべきだった。

 山形駅のほうに歩いた。石だたみロマンロード21という通りがあった。ネーミングが失敗しているだけではない。この通りを観光的にする意味がわからない。少しでも公共事業費を抑制するべきだろう。

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 羽州街道(山形県道112号)沿いに山形まるごと館紅の蔵があった。もちろん開いていない。

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 山形駅に続く山形県道16号に出た。駅のほうに歩いた。

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 昨夜歩いた駅前の飲み屋街に入ってみた。早朝の飲み屋街が疲れた表情を見せているのはどの街も同じである。

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 予定していた列車に乗ることができた。

 山形8:09発 → 天童8:28着


天童を歩いてみた

 天童駅に併設された天童市将棋資料館は閉まっていたが、迎えてくれたのは将棋関連のアイテムである。

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 天童駅東口から東にまっすぐ延びる山形県道280号を歩いた。天童温泉の方向である。途中の街並みはおもしろくなかった。

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 目的は天童温泉ではない。天童温泉の手前から北の方角にある飲食店街あるいは風俗街である。それは簡単に見つかった。

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 ぎおん小路。

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 『新世紀エヴァンゲリオン』のチルドレンたちの肖像は無断使用されていた。

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 天童駅にもどるとき左手に小山が見えた。どうやら天童公園らしい。

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 次の列車までの待ち時間の間に駅のなかの食堂で朝ご飯を食べた。

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天童からかみのやま温泉へ

 天童10:21発 → 山形10:42着

 山形駅で列車を乗り継いだ。3駅先のかみのやま温泉駅で下車することにした。

 山形11:07発 → かみのやま温泉11:20着


かみのやま温泉を歩いてみた

 「上ノ山駅」が「かみのやま温泉駅」になったのは1992年である。近年の山形県において名称変更があった場合、そのほとんどは山形新幹線の開通に関わると思っていい。山形開業は1992年、新庄延伸は1999年である。この2つの年だけを覚えておけば、大概はどちらかということになる。古いものを変えたければ、こういった大掛かりな変化が必要なのかもしれない。それがよいかどうかは別にして。

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 500年以上の歴史を持つといわれるかみのやま温泉郷は湯町、新潟、十日町、高松、葉山、河崎などによって構成された温泉街である。これらの個別の温泉の名称が、多くの人が知っている日本のどこかの地名であるのはおもしろい。

 かみのやま温泉駅からかみのやま温泉まで遠くない。山形では珍しいことである。

 かみのやま温泉駅の西口から山形県道104号を西に歩いた。須川の支流を渡り山形県道13号に入ったところにあったのは、映画『おくりびと』のロケ地になった建物である。映画のロケ地のメインは坂田なのだが、この町にもロケ地の案内板があった。映画を観ていないので感慨はなかった。

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 ショッピングセンター「カミン」が見えてきた。

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 廃業したのは2016年4月26日である。負債総額は8億9,000万円。地元企業の出資により1993年12月に上山二日町ショッピングセンター協同組合が設立された。組合は国の高度化資金制度を活用して約9億5,600万円を借り入れ、カミンの1、2階商業スペースを購入した。加盟企業の負担金と、テナントからの賃料収入で運営されていたが、立ち行かなくなったということである。カミン内で特産品を販売していた上山二日町ショッピングセンターの負債額は約3,300万円。首都圏では木更津そごうの撤退が話題になったことがあったが、市や市民にたいしてのインパクトはかみのやま市のほうが大きいだろう。

 建物内に入ることができた。ベーカリーともう1軒が営業を継続していた。

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 山形県道13号から山形県道169号に入った。

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 かみのやま温泉新湯通りのアーチをくぐった。

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 下の1枚はおそらくトキワ館という映画館跡だと思うが、確証が持てない。看板がないのでわからない。黄緑豆タイルの円柱は赤線建築だと思うが、あまり古い感じはしなかった。やはり確証が持てない。

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 左手に入る脇道に入ってみた。

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 よね本旅館はレトロモダンといっていいのだろう。このエリア屈指の見どころになるのだろうが、塀が邪魔をして入口表面には立てなかった。

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 よね本旅館の奥は裏山といっていいような場所だった。神社があり、野球チームの事務所らしきものがあった。

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 山形県道169号にもどり奥のほうに歩いた。新湯にある大きな旅館が現れ始めた。

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 森本家、三輪家、山田家、旧曽我部家の4軒の武家屋敷が並んでいた。

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 上山城と月岡公園を通った。

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 奥羽本線の車窓から見るしかないだろうと思っていたスカイタワー41が駐車場の広場から見えた。首都圏ではなく、仙台市でもなく、県都山形市でもなく、かみのやま温泉駅前でもない、上山市の新興住宅地の金生地区に竣工したのは1999年である。総戸数389戸のマンションを開発したのは、千葉県民の多くが知っているユーカリが丘ニュータウン(千葉県佐倉市)の開発で知られる不動産デベロッパー山万の関連会社、山万アーバンフロントである。

 133.95mは東北地方屈指の高さである。2,000~4,000万円の販売価格が1,000万円~2,000万円程度に値下げされたことによってマンションは完売となっている。

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 上山城の南東方向にある十日町を歩いてみたが、おもしろそうな町並みではなかった。中湯共同浴場があった。

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 須川の支流を渡りかみのやま温泉駅にもどった。


赤湯駅から赤湯温泉まで
 
 かみのやま温泉 12:29発 → 赤湯12:47着 
 
 中川地区バス時刻表によると、赤湯駅から赤湯温泉口を通過し元中山公民館に行くバスは平日には4本走っている。しかし今日は土曜日である。赤湯駅にある南陽市観光協会で確認してみたが、やはりバス便はなかった。他の経路のバスもなかった。赤湯温泉まで2kmあることを確認し、地図をもらった。

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 駅に併設されているNEWDAYSで買った2個のおにぎりで腹ごしらえをした。

 さあ出発である。山形県道156号を東に歩いた。都市ではない田舎でもない、ところどころに店がありたまに飲食店がある道路を歩いた。ラーメン二番、焼肉味楽、どうでもいい店を黙殺した。  

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 吉野川を渡ったところに池があった。銀杏を映すはずの水面は蓮で覆われていた。光の反射が水面を黒く見せた風景は油絵的な美しさだった。

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赤湯温泉を歩いてみた

 ある交差点を越えたところから道路幅が広くなり電柱がなくなった。赤湯温泉の中心部に入ったようだ。

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 モダンな場所はあったが、風情のある温泉街ではなかった。

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 山形県道156号をどんどん歩いていたら、南のほうに怪しげな看板がある一画があった。右に折れ歩いてみた。飲み屋街が出現した。それは広くない通りに一直線にあったわけではい。一定の面のなかに散っていた。看板に引き寄せられて引っ張り込まれていくが、それはやや唐突に終わる。しかし途中で枝分かれしている道が別の飲み屋の通りを用意している。そんな具合である。

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 山形県道156号の北のほうには中規模の旅館らしき看板が見えた。県道の北側に行ってみた。

 中規模な旅館が集まっていた。周辺に飲み屋は散っていた。

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 県道沿いに赤湯温泉観光センターゆうなびからころ館があった。足湯がありレンタサイクルを借りることができるようだ。休憩できるスペースは充実していた。

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 もう一度県道の南にもどって飲み屋街を歩いてみた。

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8km先の高畠まで歩いた

 さて。このあとどうするかにについては昨日から迷っていた。

 赤湯温泉の南南東に高畠の中心部がある。そこまでどうやっていくのかがこの旅の最大の問題であった。

 高畠温泉は最寄りの高畠駅(赤湯駅から奥羽本線で南に1つ目の駅)から5km東にある。平日でもさえもバスの便はない。山交バスが走っていない地域には自治体が自前のバスを運営していいと思うのだが、財政的に苦しいのだろう。赤湯温泉から2km歩いて赤湯駅にもどり、列車で1駅先の高畠駅に着いたとしても、そこからの交通手段がないのである。

 唯一の方法は南南西20kmほどのところにある米沢駅からの山交バスに乗ることだ。そのバスの運転本数は平日のみの4本だけで、土曜日の今日は1本も動いていない。こういう状況を作り出していて温泉街が発達するはずはないと思うのだが、旅のマーケテイングは、旅行会社や宿泊施設による旅行者の囲い込みが基本になってしまっている。大型旅館を中心とした自社バスによるアクセスはあるはずで、個人客には冷たい仕打ちになっている。

 赤湯駅を出たときからどうするのかを迷っていた。早朝から山形(市)で4km、天童で3.5km、かみのやま温泉で4km、赤湯駅から赤湯温泉までで2km、赤湯温泉で2.5kmほど歩いてきている。合計16kmは歩いただろう。赤湯温泉から高畠まで歩けば、そこに8kmが加わる。高畠での3~4kmも頭に入れておかなくてはならない。

 タクシーに乗るということも頭のなかにチラついていた。

 時刻は14:00である、太陽はまだある。高畠までの8kmを歩くことにした。四国お遍路の歩行距離は男子で30kmといわれている。

 赤湯温泉から道をじぐざぐに歩き東西に走る山形県道113号に出た。途中にインド料理店があった。インド料理を食べたくなったが、赤湯駅でおにぎりを2個食べたのは中途半端な腹ごしらえであった。

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 東に歩き羽州街道の次の通りを南に折れた。殺風景な七ヶ宿街道を南に歩いている。七つの宿とはどこなのだろうと好奇心を持つべきところであるが、地図で確認する気になれない。歩き続けるという行為は思考を奪ってしまう。それでも一応は書いておいたほうがいいだろう。あとで調べたところによると、仙台領内にある七つの宿場(上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原)を指すようだ。

 徒歩で全国を行く旅人は町をゆっくり歩くことをしていないのではないか。彼らは歩くこと自体が目的だ。見えているのは今の私のように、目標地点だけである。

 高畠町に入ったすぐのところに水門があった。

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 途中で七ヶ宿街道の、歩道がなくなった。スピードを出した車が真横を通るのは危険だし不快である。脇道に入り家々のなかを歩いた。

 リンゴや柿が熟していた。紅葉や銀杏の盛りの下を歩いた。道は何度も美しい曲線を繰り返した。この道が七ヶ宿街道の旧街道かもしれない。街道の曲線は参勤交代を美しく見せるためだという説がある。説は正しいと思う。

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 通りすがりの子供たちはみんな挨拶をして過ぎていった。


高畠の中心地にあった旧高畠駅そして昭和ミニ資料館

 グーグルマップで設定しておいた目的地に着いた。そこは廃線を歴史に留めるための場所である。山形交通高畠線は1922年に開業した。養蚕が盛んだった頃のことである。高畠線は、奥羽本線の現高畠駅から町の中心を経由して二井宿まで敷設された。廃線は1974年で、廃線後の一時期、旧高畠駅はバス停として使用されていた。駅周辺は高畠広場として整備され当時の電車が残されていた。公園には木々が植えられ、美しい紅葉が駅舎を飾っていた。

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 観光客はいなかった。ベンチで休憩をした。遠くを走る車の走行音のなかに子供たちが遊び声が響いてきた。

 旧高畠駅の近くの建物に「花の散歩道中央通り・昭和ミニ資料館案内図」があった。案内図の写真を撮り、それを参考にしながら歩いてみた。

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 旧高畠駅から東に歩いた。歩いているのは花の散歩道中央通りである。

 「金計堂本店」は昭和1号館である。当時の時計、カメラなどが展示されていた。

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 昭和2号館の「伊澤商店」には東京オリンピックの品が展示されていた。「泣いた赤おに」の像があったのはこの「伊澤商店」前である。日本のアンデルセンと言われている浜田広介の童話集の中から、作品10編をモチーフにした彫刻が昭和縁結び通りの南側の歩道にあった。

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 観光・道路案内所と書かれていた建物に入ってみた。昭和3号館の高砂屋珈琲店である。映画のポスターを壁や天井に貼りまくっていた。

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 昭和X号館のすべてがおもしろいわけではない。

 昭和17号館は「おばこやで」ある。ブリキ製のおもちゃなどが展示されていた。

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 昭和5号館の「ちょうさん」は昭和の茶の間を再現していた。

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 他には昭和6号館のふるかわ酒店(漫画を展示)、昭和8号館の大野屋(外国たばこ、お菓子の型の展示)、昭和11号館の相田時計店(時計などの展示)、昭和12号館の大浦豆腐店(台所用品などの展示)などがあった。

 昭和21号館まであるようなのだが、実在するのは18館である。欠番があるのは、廃業した店があるからなのだろう。

 映画館から昭和のポスターが見つかったことが昭和ミニ資料館を作ったきっかけらしいが、根底には衰退への危機感があったのだろう。ハードではない“昭和”というソフトを導入し、公共の博物館ではなく商店を活用しソフトを活かそうとした姿勢と演出力には敬意を表するべきだろう。

 もっともソフトとしての“昭和”は日本の至るところあり、際立った特殊性として屹立しているわけではない。似たような町として青梅(東京都)を挙げることができる。


タクシーで高畠駅へ

 昭和X号館巡りは飽きてきた。11月の陽は暮れつつあった。花の散歩道中央通りの遠いところから高畠駅までは6kmほどの距離がある。高畠駅の方向に歩きながらタクシーを拾うことにした。後方からやってくる車を注意しながら歩いていたが、タクシーはまったく走っていなかった。高畠駅まで4kmに迫った辺りでタクシー会社が出現した。

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 「流しをやってもお客さんがいないんですよ」ドライバーは言った。夕暮れを走るタクシーのなかで一息付いた。

 現在の高畠駅の駅舎が完成したのは1992年である。山形新幹線の開業年である。以前の高畠駅東口は畑のなかだったらしい。

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 駅舎にホテルフォルクローロが併設されていた。JR東日本ホテルズグループのホテルである。大湊(青森県)で泊まったことがあった。

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 米沢で夜ご飯を食べようと思っていたが、空腹に負けた。駅舎のなかにあった「高畠駅食堂たかはた天使のレストラン」でメンチカツ定食を食べて列車に乗り込んだ。

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米沢のホテルに宿泊した

 高畠17:07発 → 米沢17:17着 

 17:00を過ぎた米沢駅の観光案内所は開いていた。ホテルモントビューという名称のホテルは米沢にはない、と言われた。最近になって名称を変更したことを観光案内所のスタッフは知らなかった。旧サンルートホテルであることを伝え、近くのバス停を教えてもらった。米沢の地図とバス時刻表をもらい観光案内所を出た。

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 次の循環右回りのバスは18:10発だった。50分ほど待たなければならなかったので歩くことにした。米沢の中心は米沢駅から離れたところにあり、ホテルモントビューは米沢の中心地にあった。今日は30kmほど歩くことになるだろう。

 米沢駅前に米沢牛の店が何軒もあった。米沢駅の駅舎を背にして西に延びる通りは2本ある。どちらを歩いても中心地に着くことができる。北側の山形県道6号を歩くことにした。まだ18:00になっていないというのに真っ暗である。

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 20分ほど歩いてホテルモントビューに着いた。サンルートホテルだったときに泊まったことがあった。外観の様子が変わっていた。ごちゃごちゃしていた感じになっていたが、4階のレセプション前の余裕のあるスペースには見覚えがあった。チェックインは18:00過ぎになった。

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3日目 2016年11月4日 肘折温泉 新庄 大石田 尾花沢 銀山温泉 山形

肘折温泉の朝市と旧肘折郵便局

 昨夜20:00前くらいに寝てしまった。起きたら0:30で、その後また寝た。一般に旅館の夜は早いが、それに従った恰好になった。

 目が覚めたのは5:30頃である。冬の早朝の古い旅館は寒々としていたが、2日間の睡眠不足はすっかり解消した。

 「西本屋旅館」の部屋の窓の下の通りに荷台のある車が何台か止まっていた。朝市の野菜をのせて来た車なのだろう。朝市は毎日やっていることを載せていたサイトがあったが、実際はどうかはわからないと思っていた。昨日の夜ご飯のあと、朝市について宿の主人に尋ねようと思っていたのだが、面倒くさくなって止めてしまった。

 旅館のサンダルを履き、傘を借りそろりと戸を開けた。雨滴がわずかに跳ねる通りを灯が照らしていた。

 狭い温泉街の中心部のほうに歩いてみた。野菜でレジ袋を一杯にした人たちと行き交った。

 とても厳しい仕事なのだ。防寒具を身にまとった農家のおばさん、おばあさんが冷たい雨のなかで野菜などを売っていた。観光朝市ではないが、湯治客もこれを目当てにしているようだ。今日の自炊の食材をここで買っている。旅館の玄関には灯は灯っておりいくつかの商店、土産物店は開いていた。 

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 昨日の16:00頃に閉まっていた旧肘折郵便局が早朝から開いていた。入ってみた。

 なかにいた女性と30分ほど話をした。コーヒーが飲める場所のようだが、正式なカフェではない。

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 外観はカフェとして申し分ない。肘折温泉内における立地は最高である。企業をすることについて話をした(私にはその経験がある)。

 旧肘折郵便局には飲食店の必要な設備がなく、たとえば本格的なカフェを開業しようとするのならトイレを含む水回りを整備しなければならないらしい。業者が出してきた見積もり金額を教えてもらったが、思った以上に高い金額だった。もう少し安くできそうだが。

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 昨日の夕方、コーヒーを飲みたいと思っていたので、カフェを探しながら散歩をしていたという話を私はした。ところが肘折温泉にはカフェがない。おそらく私のように思う人はいるはずで、肘折温泉の客数が安定しているのなら一定の需要はあるはずだ。今はカフェブームである。閑散期はともかくピーク時に需要はあるだろう。

 現在はコーヒーを提供して、募金をしていただくという形態にしているらしい。料金としての価格を提示する(正式なカフェとして開業する)のなら保健所の許可がいるらしい。カフェにするのなら他のメニューも考えなくてはならないと相手は言った。

 しかし料金の提示のない店に入るのは誰でも躊躇する。ついさっき、私は、旧肘掛郵便局に入っていいのかどうかを迷った。そういう話もした。

 問題はどうやらそういうビジネス的なことだけではないようだ。地元や周囲との関係もあるらしい。そこは踏み込みにくいところである。しかしもったいない。そういうことを話して旧肘掛郵便局を出てきた。

 開業について話すことは楽しいことである。

 現在の郵便局はここから400mほど離れた川向こうにある。


「西本屋旅館」のご主人と女将さん

 8:00の朝ご飯を30分早くしてもらうように昨夜お願いしていた。7:30、部屋での朝ご飯となった。

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 9:50の山交バスで肘折温泉を発つ予定でいたが、始発で発つことにした。昨日新庄に寄らずに肘折温泉に来てしまったので、新庄を歩く時間を少しでも確保したい。

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 肘折待合所バス停8:35発 → 新庄駅バス停9:30着(実際の下車バス停は1つ手前の南本町十字路バス停)

 バスには地元の人が1人と私が乗っただけだった。ドライバーの左後ろの前面展望の席はいつも私が座る場所である。

 定刻に発車したバスが通りに出て狭い温泉街をゆるゆると走り始めたとき、「西本屋旅館」の前に立っている2人が見えた。「西本屋旅館」のご主人と女将さんだった。昨日のチェックインのときにはご主人に館内の案内をしてもらった。朝ご飯を部屋に持ってきてくれたのは女将さんだった。チェックアウトをする際に、「今、バスが停留所に入りましたよ」と知らせてくれたのも女将さんである。じゃらんで予約した翌日には旅館から予約の確認の連絡が入っていた。

 バスが「西本屋旅館」の前を通過するとき、2人が挨拶をし手を振ってくれた。山交バスはもちろん公共バスである。「それはあり得ない」この日の午後、ホテルや旅館で働いた経験を持ちホテル所有のバスの団体客の送迎をしたことのあるHさんは言った。

 あまりに急なことだったので写真に撮ることはできなかった。撮ったのはそのあとの、バスのなかから見た温泉街である。

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 *2018年1月3日、ニュース番組で「肘折 226cmの積雪」と報道されていた。

 バスはループ橋を上って温泉街を出た。そのあとバスはちょっとした高原地帯を走った。紅葉は素晴らしいのだが、強めの雨が風景を穿っている。やがてバスは高度を下げていった。

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 山を下り平野部に入ったとき雨はほぼ止んでいたが、新庄の市街地を走り始めた頃、また激しくなっていた。


新庄駅前の飲み屋街そして「急行食堂」

 肘折待合所バス停でバスに乗り込んだときドライバーに下りるべき場所を確認しておいた。新庄駅の1つ手前の南本町十字路バス停で降ろしてもらった。新庄駅まで行ってしまった場合、行きたい場所と駅の間を往復することになる。バスが街のまんなかを通るのであれば、1つ手前のバス停から一筆書きで新庄駅に行くことができる。時間のないときに有効な手である。

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 時間がないので、雨のなかを傘を差さないで歩いていた。対象物のいくつかはグーグルマップの地図に保存していた。その辺りをめざして歩いた。あまりの雨の強さに途中で傘を差さざるを得なくなった。

 めざした場所は飲み屋街である。

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 御殿場(静岡県)の新天地あるいは三沢(青森県)の飲み屋街と似ていなくもない。時間の許す限り歩いたが、許された時間はフットボールの試合の前半よりやや短い。

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 一番見たかったアーチはその骨組みだけが残っていた。ネットの写真で見たときアーチにはまだ看板が残っていた。

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 新庄駅の北西の方角にある万場町に万場町遊郭跡がある。今日そこに行くことはできない。こういう場合は自分に言い訳を作り納得させる。どうせ何も残っていないだろうから、行っても行かなくてもいいだろう。半年ぐらいはこの気分のままいられるだろう。しかし近くまで来ていながら行くことができなかったという事実は心のどこかに残っていて何かの拍子に浮上してくる。だから山形方面に行くことがあったらまた新庄に行くだろう。2016年11月4日に置き忘れたものを拾うために。

 グーグルマップをチェックしていたとき偶然見つけていた。店は新庄駅ビルを背にして、駅から西に延びる山形県道32号の最初の信号のある交差点の一角にあった。「急行食堂」。この名称を、ランキング1位としておきたい。山形県内でない、日本全国の1位である。今まで多くの珍しい名称の店を見てきたが、「急行食堂」はネーミングの最高傑作である。

 メニューも侮れない。天国ラーメンと地獄ラーメンを食べることができる。

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 新庄駅に着いた頃、天候は急に回復した、まるで南の島のように。空の一部の雲が途切れ青が見えた。鳴子温泉でもそうだった。

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 新庄駅には2つの軌間の線路が乗り入れている。新幹線の駅ではどこでもあることなのだが、1番線と2番線が新庄から南に向かう奥羽本線と山形新幹線のホームであ。軌間は1,435mm。山形新幹線つばさはともかく福島までの普通列車が標準軌の区間を走っていることを、新庄駅を利用する若い旅行者は知らないだろう。知らなくて乗っている可能性は十分にある。

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 3番線と4番線の軌間は1,067mm。JR在来線の奥羽本線の横手方面と陸羽東線、陸羽西線の発着ホームである。

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 新庄10:09発 → 大石田10:29着


大石田駅でバスを待つ

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 下の1枚は2007年7月30日の大石田駅。9年振りに大石田駅の駅前に立った。

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 大石田駅の改札を抜け駅舎を出たところにバス乗り場はなかった。駅舎を出たところに銀山温泉行きのバスの時刻表があったが、尾花沢に行くバスの時刻表はなかった。銀山温泉行きのバスが尾花沢を通ることを知っていたが、探していたのは尾花沢が終点のバスである。

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 改札にもどり尾花沢行きのバス乗り場を尋ねた。「銀山温泉行きのバスが尾花沢を通過するが、尾花沢が終点のバスはない」と言い切られた。昨日肘折温泉に向かうバスの車内で、尾花沢行きのバスがあることを再確認していた。

 駅のなかの売店の一角に小さな観光案内所があった。改札で尋ねたことと同じことを尋ねてみた。同じ質問には同じ回答が用意されていた。グルではないか。

 私の乗ろうとしているバスの発着が駅前ではないのかもしれないということが思い浮かんだが、11:14発のバスがあるはずだと伝えると、壁に貼られた小さい時刻表を見ながら「ありました」と是正された。百歩譲ってJR職員(JRが駅の管理を委託している可能性はあるけれど)が知らないのは仕方ないとしても(地元のバス情報は彼らの仕事のテリトリーではない)、観光案内所の若いスタッフが知らないのは明らかにまずいだろう。銀山温泉へのバスが5往復、尾花沢行きのバスが5往復(公立病院と尾花沢を結んでおり大石田駅はその中間に位置している)の計10往復の、半分を知らなかったことになる。

 バス乗り場は駅舎を背にして左側(北側)にあった。バスの待合所のなかに大石田の町並みの案内があった。小雨が降っているうえ、そこに行くには距離があるようだった。おとなしく尾花沢行きのバスを待つことにした。

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あのとき通り過ぎた尾花沢を歩いてみた

 山交バスの公立病院・尾花沢線に乗った。

 大石田駅バス停11:14発 → 尾花沢待合所バス停11:22着
 
 2007年7月に銀山温泉に行ったときに乗ったバスが尾花沢を経由した。おもしろそうな街並みだと思った。下車したかったが、一瞬の判断を誤った。途中下車はなかなかできるものではない。迷っているうちにバスは走り去り、軽い喪失感が残ってしまった。プレー中に誰にもわからないエラーをした感じである。試合に勝っても何かを取りこぼした気分でざらざらしている。そういう記憶は20年、30年と残る。

 フィーゲラスからバルセロナに行く列車が、ある街に入る直前に川を渡った。夕方だった。その川の周辺の街並みを今でも忘れない。あとで調べたその街の名前はジローナ。クリスマスイブの日、私は目的地のバルセロナまで列車に乗り続けた、さっきの町で下車すればよかったと思いながら。時代は平成になりニューヨークで911のテロが起こり東日本大震災が起こり一昨日トランプがアメリカ大統領になっても、私はまだジローナに行くことができていない。

 上のような書き方がやや大げさ過ぎるとは自覚している。実際はつまらない町並みだということは十分にあり得るからだ。

 尾花沢待合所バス停はパレットスクエアの一角にあった。尾花沢市観光物産協会、業務スーパー、スポーツクラブ、子育て支援センターなどが入店している。仙台・新庄間の高速バスはここに停車するので銀山温泉、大石田駅を結ぶバスとの待ち合わせもできる。

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 バス停から歩き始めた。グーグルマップで町の中心がよくわからなかった。鉄道駅がない場合によくあることである。パレットスクエアから200mほど東に行ったところで幹線道路に入った。

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 「この通りがメインストリート」近くにいた中年男性は答えた。「そうね、この辺りが中心」2人目に尋ねた女性も同じように答えてくれた。見るべき場所は決められた、力強い2人の意見によって。

 メインストリートの羽州街道(山形県道120号)を北に歩いた。いきなり遊郭っぽい建物が現れた。やるじゃないか尾花沢。

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 そのまま北に歩いた。羽州街道は変わり映えのしない通りだったが、菓子店、蕎麦処などがないわけではない。尾花沢に蕎麦店は多い。蕎麦は尾花沢牛と並ぶ、尾花沢のグルメだといっていいだろう。

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 500mほど歩くと山形県道301号と交差した。さらに少し北に行った羽州街道沿いに芭蕉・清風歴史資料館があった。入館するには時間が足りなかった。

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 山形県道301号を東に歩いてみた。

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 交叉点より西側の山形県道301号沿いに碑があった。『奥の細道』によって鈴木清風の名は全国区になったようである。わざわざ著作に登場させたくらいだから、芭蕉はよほど清風に世話になったのだろう。おそらく、いつまでも泊まっていって下され、などと言われたのだろう。清風はお金持ちだったのだ。随行員曽良は補佐官として一定の役目を果たしたが、よくよく考えるに鈴木清風が偉業を成したわけではない。単なる有名人(=芭蕉)の(おそらく数ある)世話人の1人であったというだけである。もっともこのあと銀山温泉でHさんは「芭蕉は清風のことをめちゃくちゃにいいやつなんだと思っていた」とかなり熱を入れて話していた。

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 尾花沢にて清風と云う者を尋ぬ。かれは富める者なれども志いやしからず。・・・・『奥の細道』

 「ビジネスホテルおもたか」。

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 来た道と異なる道を通ってパレットスクエアにある尾花沢待合所バス停にもどった。せっかくやってきた尾花沢はさほどおもしろい町ではなかった。

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銀山温泉で

 はながさバスに乗った。 

 尾花沢待合所バス停12:35発 → 銀山温泉バス停13:11着

 ほぼ定刻に出発したバスは、途中で星野リゾートの観光バスに追い抜かれ、少し遅れてひなびた銀山温泉バス停に着いた。大勢の観光客のなかにHさんの姿があった。2日前に会ったばかりである。

 坂を下り白銀橋を渡り銀山温泉のなかに入っていった。

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 途中、この旅館は何々・・・と解説をしてもらった。ほとんど変わっていないように思えたが、おそらくそうではないのだろう。銀山温泉のイメージを変える新しい建物は建っていないはずだが、細かいところでリニューアルはなされているはずである。

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 奥のほうにある江戸屋(土産物屋)の2階にある酒茶房クリエに入った。山小屋風のお洒落なカフェである。メニューにはちょっと変わったものが並んでいた。モコモコ焼ココアと店長お勧めのケーキを注文した。

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 酒茶房クリエのほぼ目の前に能登屋旅館がある。『千と千尋の神隠し』の舞台となったといわれている旅館である。能登屋旅館に向かって左手が旅籠いとうや、右手が旅館永澤平八である。

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 『千と千尋の神隠し』の舞台を調べてみると、鎌崎温泉(宮城県)、四万温泉(群馬県)、渋温泉(長野県)、羽合温泉(鳥取県)、道後温泉(愛媛県)といった候補がずらっと登場する。九份(台湾)も舞台ということになっている。せっかくだから新説を出しておこう。私だけが思っている舞台は、釜石観音の前のひなびた商店街である。旅館としてではないが、両親が豚になったところで出てくる街並みにそっくりである。

 酒茶房クリエの時間はあっという間に過ぎた。14:30頃、Hさんは仕事にもどっていった。今日は「中抜け」をしてくれたようなのだ。

 外に出てみると観光客は少なくなっていた。賑わうときは賑わうが、客の引きが早い観光地のようだ。

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 南側の山のほうに行ってみた。Hさんは銀抗洞、茂吉歌碑辺りは散策コースであると言っていた。紅葉のなかを銀抗洞まで歩いた。初めて歩く場所だった。

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 銀山ダムがよいとHさんの同僚が言っていたらしい。銀山温泉でもっとも大きなホテルである銀山荘の前の道路を通りダムのほうに向かった。ダムの管理事務所に下りていく道にチェーンがしてあり侵入禁止になっていた。管理事務所には誰もいないようだったのでチェーンをまたいで入ってみたが、事務所に誰かがいる気配がしないでもなかった。すごすごと引き上げてきた。

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 もう一度温泉街にもどりぶらぶら歩いてみた。温泉街はあまりに短くその気になれば十往復ぐらいするはめになる。コーヒーを飲んで休める休憩所のようなところがあったので一服した。

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 下の3枚は2007年7月30日の銀山温泉。

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 銀山温泉の建物は大正ロマンだと言われている。古風であるが華やかでもある。一方、バス停とはながさバスは2007年のままだった。

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 銀山温泉バス停16:35発 → 大石田駅バス停17:11着


山形の夜

 今夜は山形駅近くのホテルを予約している。奥羽本線の普通列車に乗った。

 大石田17:42発 → 山形18:35着

 山形駅ビルのホテルメトロポリタンに入っている平田牧場で夜ご飯を食べた。とんかつ豚肉料理の専門店らしい。平牧三元豚というのが平田牧場を代表する銘柄の豚のようである。平牧三元豚メンチかつ膳を注文した。あっさり系でやや弾力があるふうな食感だった。

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 夜の山形駅東口はおもしろそうである。少し歩いてみたが、途中で止めた。山形を素通りするつもりだったが、明日の早朝に歩いてみることにした。

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 駅東口から北3分ほどのところにあるホテルイーストワンにチェックインした。

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2日目 2016年11月3日 仙台 鳴子温泉 新庄 肘折(ひじおり)温泉

仙台から小牛田経由で鳴子温泉へ

 少し早めの7:10過ぎ、ナインアワーズ仙台をチェックアウトした。仙台駅まで1kmほどである。

 早くチェックアウトしてよかった。仙台駅のみどりの窓口には行列ができていた。新庄までの切符を買った場合の、鳴子温泉での途中下車について尋ねてみた。仙台から小牛田経由の新庄行きは100kmを越えるらしい。ネットで確かめることもできたのだが、それが面倒くさかったので早く来てみたのだ。

 新庄行きの普通切符は途中下車前途有効となる。鳴子温泉駅で途中下車できる新庄までの普通切符を買うことにした。

 仙台8:01発 → 小牛田8:47着

 東北本線は陸前浜田駅の手前で仙石線とほとんど合流するようになる。もっとも陸前浜田駅は仙石線の駅で、東北本線の列車が停まるわけではない。そのあと仙石線には松島海岸駅があり、東北本線には松島駅がある。一度両駅間の2.5kmを歩いたことがあった。

 乗り換えのために小牛田駅で3、4回下車したことがあったが、東北本線、石巻線、陸羽東線が乗り入れる小牛田駅前を歩いたことはなかった。今日はその時間がなかったのだが、あったとしても歩かないだろう。

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 小牛田9:06発 → 鳴子温泉10:02着

 陸羽東線に乗るのは2度目である。山のなかの景色がよい路線である。気動車は平野を抜け山に分け入った。山々は赤や黄の彩りを濃くしていった。

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鳴子温泉を歩いてみた

 気動車の終点の鳴子温泉駅。外国人を含む大勢の人が下りた。駅舎のなかにあった観光案内所で地図をもらった。駅舎は改装工事中だった。駅舎を背にして左側に古川・鬼首行きのバスの発着場があった。

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 下の1枚は1999年8月30日の鳴子温泉駅の駅舎。駅前広場のカラータイルは17年前と同じである。

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 駅前の坂を少し上がるとJR陸羽東線に沿う駅前通りがあった。

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 下の1枚は1999年8月30日に撮影したもの。上の写真とほとんど同じ位置からの撮影である。何も変わっていないように思える。何度か塗り直したはずの横断歩道さえ17年前と同じである。

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 駅の付近の駅前通りには「まるぜん食堂」、「ふじや」、「ゑがほ食堂」などの食堂があった。
 
 どこで通り名が変わったのかはわからないが、仲町通りを歩いている。

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 鳴子温泉の名物はこけしと鳴子漆器である。昔、仲町通りは旅館とこけしの販売店だらけだったはずだ。

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 「大正館」は旅館ではなくカフェのようである。

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 高橋豆腐店を過ぎたところに大崎市鳴子総合支所があった。鳴子が大崎市だったことを初めて知った。鳴子温泉のところどころにあるこけしスポットの1つが支所の前にあった。NTTはこの電話ボックスを容易に取り外すことはできないだろう。

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 坂を下り陸羽東線の線路をくぐった。町並みはまだ続いていた。店もところどころにあった。

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 廃業した「ホテル湯泉樓」。

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 土産物屋の「廣島」も廃業している。

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 仙台行き高速バスの発着場があった。

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 町並みは一度途切れたように思えたが、まだ続いていた。大きなホテルが現れ始めた。

 「旅館すがわら」。

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 「鳴子湯乃里幸雲閣」。別館は使われていないようだった。

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 「鳴子パークホテル」と「ホテル亀屋」。

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 鳴子温泉駅までもどることにした。途中から雨が降ってきた。傘を差さなければならないほどの強い雨である。

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 食堂兼土産物屋の「まるぜん」までもどり南西方向に歩いた。左手に巨大な「鳴子ホテル」があった。その右側の通りはこけし通りというらしい。周辺にはこけしの店が4、5軒ほどあった。こけしの「桜井」は内閣総理大臣賞、文部大臣賞など4つの賞を受賞している巧である。

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 鳴子温泉には共同湯がいくつかあるらしいが、観光局で教えてもらったのは2つである。1つは「早稲田桟敷湯」(1948年に早稲田大学の学生が掘り当てた)であり、もう1つが「滝の湯」である。「鳴子ホテル」の北側にある、これも大きな「鳴子観光ホテル」の横を歩き「滝の湯」に着いた。

 150円を払い「滝の湯」に入った。外観は改装されていたが、内側は古いままだった。古ぼけているといっていい。地元の人に加え旅行者が続々と入ってきた。湯船も脱衣所も狭くゆっくり湯につかるというわけにはいかなかった。
 
 無色透明/酸味/硫化水素臭

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 「滝の湯」を出たとき空の一角が開いた。空はまだ雨滴を垂らすことを止めていなかったが、冬の青が鳴子温泉の空に広がりそうな気配があった。温泉街をもう少し歩いてみた。「滝の湯」の裏側の高台には鳴子温泉神社があった。

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 湯めぐり広場内には湯めぐり回廊施設(手湯休憩所)、足湯施設、イベント広場などがあった。

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 店頭表示にあった山菜きのことろろそばを、鳴子温泉駅近くの「ふじや」で食べた。なめこ、たけのこ、わらび、しめじ、舞たけ、鶏肉の入った鳴子温泉の名物である。一番人気は“とろろぬき”であることを食べている最中に知った。隣りのテーブルの人たちがそう話していた。“冷やし”のほうにはラジウム卵が入っていることを知ったのは食後である。ラジウム卵については残念な気がした。

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 下の写真は1997年5月4日、国道108号(羽後街道)側から撮った鳴子温泉駅方面。ちなみに鳴子駅が鳴子温泉駅に改称されたのは1997年3月22日である(下の写真の43日前ということになる)。鳴子温泉には1度行っただけだと思っていたが、2度行っていたことを写真を整理していて知った。

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 このときは鳴子温泉から北に車で20分ほどのところにある間欠泉のある鬼首温泉に立ち寄った。下の写真は1997年5月4日の鬼首温泉。

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 鳴子温泉駅にもどった。

 鳴子温泉13:05発 →  新庄14:09着

 鳴子温泉駅を出て少し走ったところで気動車は停まった。観光客のための鳴子峡での停止である。

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 下の写真は1997年5月4日の鳴子峡。深い渓谷は紅葉のときでなくても美しい。

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 列車は遅れていなかった。それどころか1分ほど早く新庄駅に到着する気配だった。


新庄経由で肘折温泉へ

 降車ホームから駅舎まで少し距離があったが、路線橋を渡る必要はなかった。大急ぎで改札を抜けた。新庄駅前のロータリーにバスが1台停まっていた。バスに駆け寄ってみた。肘折温泉に行く山交バスだった。予定していたのは新庄駅バス停15:50発、肘折待合所バス停16:45着のバスであるが、列車の到着時刻の1分後に発車する14:10発の肘折待合所行きのバスに間に合ってしまった。乗るかどうかを一瞬迷ったが、つい乗ってしまった。

 新庄14:10発 → 肘折待合所15:05着

 乗車後、間髪を入れずにバスは発車した。乗ったことをすぐに後悔した。新庄での1時間半ほどの滞在がなくなってしまった。明日の朝、肘折温泉から再び新庄に向かうのだが、新庄で1時間半の時間を割くことは難しそうだ。車内で、明日の予定の再考を迫られた。30分ほどで修正できたけれど、新庄で行きたいところをカットせざるを得ないことがわかった。

 曇り空の下、バスはしばらく都市と田舎が混じった郊外の風景のなかを走っていた。10人ほどの乗客はいつの間にか3人になった。

 バスが山を登り始めた辺りから雲が黒くなりすぐに雨になった。強い雨がバスを叩き始めた。鳴子温泉で雲の一角を押しのけた青はとうになかった。

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肘折温泉を歩いてみた

 灰色がかった紅葉のなかをバスは走った。かなり高度を上げたあとバスは山の上からループ状の橋を下った。肘折温泉に入ったようだ。山のなかにある隠れ里である。

 バスが速度を緩め温泉街に入ったところで10分ほどの渋滞をした。消防訓練があったらしい。

 「西本屋旅館」はすぐに見つかった。終点である肘折待合所バス停から「西本屋旅館」までは30mほどの距離だった。伝えてあった到着時刻より1時間ほど早くチェックインすることができた。館内の風呂の説明を受け共同湯の場所を教えてもらった。

 雨は止みそうになかった。傘を差して寒い温泉街を歩くことにした。温泉街の中心の通りには木造3階建ての旅館が連なっていた。土産物屋は地元の人たち向けの商品も売っていた。

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 旧肘折郵便局はレトロなよい感じの建物だった。残念なことに閉まっていた。

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 温泉街の北東方向に河原湯があった。川沿いの湯であるので「河原湯」である、おそらく。

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 温泉街の中心までもどり南西方向にも歩いた。

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 初恋足湯。凝ったわりにはイマイチのネーミングである、キッチュであるけれど。

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 人口の滝の近くに足湯があったが、この時期には使われていないようだ。

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 肘折温泉には共同湯が3つある。川のそばにあった河原湯、若松屋村井六助の裏にある疝氣湯、そして上の湯である。

 広くない温泉街を一通り歩いたあと「西本屋旅館」にもどった。旅館のサンダルを履きタオルだけを持って共同湯「上の湯」に向かった。「西本屋旅館」の隣の「丸屋旅館」の目の前に共同湯「上の湯」がある。西本屋旅館からの距離は30mほどである。

 「上の湯」は湯治の温泉街にふさわしかった。ひなびた感がたっぷりだったという意味である。

 泉質/ナトリウム・塩化物-炭酸水素塩泉

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 肘折温泉は山形県きっての“ひなびた系温泉”である。湯治の温泉はいつまでも残ってほしいと思う。

 その手段として肘折温泉が行っているのは4つのイベントである。どれも見たことはないが、「なめこ・こけし祭り」は晩秋の一大イベントらしい。

 東北芸術工科大学との灯籠絵展示会「ひじおりの灯」は肘折温泉のイメージを強化するものになっているのだろう。今年は、肘折の情景、民話、地蔵信仰などを描いた44の灯籠絵が揃ったそうである。レトロモダン風の催しを一度見てみたい。

 「ほたる灯コンサート」は肘折温泉から10kmほど西にある四ヶ村の棚田で行われる。肘折温泉のイベントとはやや趣が異なる。

 「仮装コスプレ盆踊り大会」も開催されている。活性化の一助として必要なのだろう。他の地域の者に反対する資格はない。どこの地方でもやっている。コスプレと「別の何か」の合わせ技を考えたほうがよいと思うけれど。


肘折温泉と「西本屋旅館」とつげ義春と

 18:00、部屋に食事が運ばれた。部屋で食事ができる「西本屋旅館」は1泊2食付きで5,900円という安さである。食事のグレードをアップすることもできる。

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 「西本屋旅館」は古いが清掃と手入れは十分行き届いていた。宿泊客のほとんどは湯治を目的としており、私のような1泊だけの宿泊は例外である。十分なもてなしができないかもしれないがご容赦を、とご主人に恐縮された。

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 もっともよい部屋が私に当てがわれていたと思う。「西本屋旅館」のほとんどの部屋はふすまで仕切られているようだったが(確認ができたわけではない)、私の部屋は個室の和室だった。窓のすぐ下は通りだった。私の部屋を除く2階は、廊下の窓の下が外の通りとなっていた。つまり部屋の窓から通りが眺められるのは私の部屋だけだった(と思う)。

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 つげ義春にでもなった気分だ。

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 帰ってきたあと、つげ義春の本をめくってみた。『貧困旅行記』(新潮文庫)のなかの「つげ義春・旅マップ」には肘折温泉が記載されていたが、他の著作も含め、肘折温泉について書かれた文章がなかったのは残念である。
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