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日本細見紀行 

日本各地の旅日記
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3日目 2017年2月6日 盛岡 大曲 十文字 増田 横手 北上

「途中下車前途有効」の旅がスタート!

 昨日の午前中に盛岡駅で切符を買った。ルートは以下の通りである。運賃は4,430円。

 盛岡-(田沢湖線)-大曲-(奥羽本線)-横手-(北上線)-北上-(東北本線)-一関-(大船渡線)-摺沢

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 ルートは200kmを越えている。だから切符は3日間有効である。岩手県→秋田県→岩手県内のいくつかの町に下車する予定である。

 JRの切符のルールを知っていても得をするわけではないが、知らないと損をする。

 100km未満 1日間有効 途中下車前途無効
 100km~  2日間有効 途中下車前途有効
 200km~  3日間有効 途中下車前途有効
 400km~  4日間有効 途中下車前途有効
 ・・・・・・・・・・・・

 片道切符(他のJRの路線と交差しないで一筆書きができるルート)が100kmを超えると、有効期間が延び、切符の終点までの途中の駅に下車をしても、そのあと乗り続けることができる。そのことを多くの人は知らない。知らないので次の目的地までの切符だけを買う。多くの人はJR各社の利益に多大な貢献をしている。

 東京に住んでいるあなたが大阪の友人に会いにいこうと考える。距離は400km以上になり600km未満になるので、(新幹線の特急券を別に考えると)購入した東京・大阪間の普通切符の有効期間は4日間である。そしてあなたが買った切符は「途中下車前途有効」である。

 時間があるのなら、初日に熱海をぶらっと歩き、静岡で宿泊し、2日目に名古屋でひつまぶしを食べ、ついでに名古屋の友人に会う・・・といったことができる、大阪までの途中下車前途有効切符の枠内で。3日目に着物を借りて京都を歩くこともできる。京都から乗った電車を桂川、向日町、長岡京、山崎、島本、高槻、摂津富田、茨木・・・のどの駅で下車してもよい。禁止されているのは引き返すこととルートを逸れることである。逸れる区間についてはその区間の往復切符を買って逸れた駅までもどればよい。そして4日目に大阪に着けばいいのだ。

 私は学生のときから旧日本国有鉄道とJRの切符のルールを熟知していたので、ほとんどの場合で切符の選択をまちがえてこなかった。春夏冬に青春18きっぷを購入し、割安な旅をしてきていると思い込んでいるあなた。あなたの旅は普通切符と比較したうえで有効な旅をしてきたのだろうか。旅の季節、期間、地域によっては青春18きっぷよりお得なフリー切符はあるし、それらを組み合わせることも可能である。

 自分の旅にどういう切符が適切なのかを吟味したうえで切符を買うべきだろう。あなたがJR各社の株主でなければ、JRの利益が還元されることはない。

 さて3日目の旅は盛岡からのスタートである。


盛岡から大曲へ

 今日の最大の課題は“早起き”である。寝過ごすようなことがあると、今日の予定は一貫の終わりとなる。なにしろローカル線の旅である。盛岡から大曲への普通列車は1日3本しかない。乗り遅れると次の列車は14:22発となる。特急券だけを買って秋田新幹線に乗ることはできるが、それは私のプランにはない。

 4:50にジン・ホテルをチェックアウトした。とてもきれいなホテルだった。数日前、盛岡駅から徒歩5分の1泊5,000円ほどのホテルを3,200円で予約できた。

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 JR田沢湖線 盛岡5:20発 → 大曲6:51着

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 4両編成には数人が乗った。暗い朝を列車は走っていた。沿線が雪景色であるのかどうかの区別さえつかなかった。途中の駅には灯りが点っていたが、人は乗ってこなかった。雫石や角館で下車するつもりはなかった。

 下の2枚は1999年11月28日の角館の武家屋敷。

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大曲を歩いてみた

 1時間30分乗って大曲で下車した。駅舎は変わっていなかった。盛岡の雪は大曲の雨に変わっていた。

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 下の1枚は1999年11月28日の大曲駅。

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 大曲駅は大仙市にある。2005年3月、大曲市、仙北郡の6町1村(神岡町、西仙北町、中仙町、協和町、仙北町、太田町、南外村)が合併して大仙市が誕生した。人口は81,538人(2016年10月推計)。秋田県以外の人は大仙という名称を知らないだろう。市の名称は、大曲でいいじゃないか。

 大曲駅の正面に花火通り商店街のアーチがあった。

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 アーチを潜り、日本の地方のどこにでもあるような通りを歩いた。ホテルルートインもどこにでもあるホテルである。

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 しかし「花火庵」という名称の店、つまり花火屋は大曲にしかないだろう。まだ開いている時間ではなかったけれど。

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 下の1枚は横手駅前にあった第16回国際花火シンポジウムの告知ボード。

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 150mほど歩いたところを右に曲がり、さらに200mほど歩き秋田県道36号に出た。

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 県道を南に歩いていくと丸子川を渡るが、そこまで行かないで、次の角を右に曲がった。


八幡町遊郭を探して

 八幡町遊廓跡を探していた。「明治14年に許可され、丸子川に近い八幡町が指定地。娼妓35人、高砂楼、達摩楼、栄楼、石川楼、福見楼、後藤楼、鶴川楼、万花楼の8軒…料亭と妓楼の区別があまりなく、一つの店に芸妓と娼妓が同居していたらしい」と『色街道中』探訪記というブログにあった。それ以外のことはわからなかった。

 「旅館民宿大曲おんせん」の看板には「お仕事・工事等の出張」と書かれていた。仕事の長期滞在者向けのビジネス宿は多くあるが、そのことをわかるようにしている宿泊先は多くない。

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 すぐ近くにあった「丸の内ホテル」。「旅館民宿大曲おんせん」と同じタイプの宿泊先である。「丸の内ホテル」の所在地は「大曲丸の内町」である。この辺りが旧八幡町だと思われる。数日前グーグルマップや郵便番号表で大曲の八幡町を探したが、発見できなかった。検索を重ね、丸の内町がどうやら八幡町であることがわかった。丸の内町6丁目に、スナックらしい店が入っている八幡町ビルを見つけただけである。

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 「丸の内ホテル」から西に1分ほど歩いたところに法久寺があった。

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 八幡神社があった。参道脇に石造五重塔(高さ3.2mの五層の笠からなる)があった。

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 八幡宮、稲荷神社、銭湯、旅館がまとまってあれば遊郭跡の可能性はある。

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 下の1枚は玄関屋根に特徴のある古い家屋であるが、積雪のためにイマイチ判別ができない。

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 丸の内町つまり旧八幡町は住宅地になっていた。遊郭の痕跡は残っていなかった。

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 小雨の降る大曲をぶらぶら歩きながら大曲駅にもどった。

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 空いているカフェはなかったが、ラーメン屋が1軒空いていた。入るかどうかを迷ったが、止めた。朝からラーメンは嫌だった。サンドウィッチを買って、大曲駅の狭い待合室で食べた。

 JR奥羽本線 大曲9:01発 → 十文字9:37着

 新庄行きの列車は雪国の風景のなかを走った。

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 横手駅で下車しないでそのまま乗り続けた。十文字まで行くつもりであるが、十文字も横手市である。2005年10月、横手市、増田町、平鹿町、雄物川町、大森町、十文字町、山内村、大雄村が合併した。市の名称は横手市が引き継いだ。


十文字駅から増田へ

 十文字駅で下車した。駅前の家屋で雪下ろしをやっていた。

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 バスへの乗り継ぎ時間が10分しかなかったが、駅から南東方向に速足で歩いてみた。

 すばらしい木造家屋があった。玄関前の屋根の斜面が急で張り出し気味になっているのは、雪への対策なのだろう。

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 十文字駅前バス停で稲庭行きのバスに乗った。この区間のバスは1日17往復ある。

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 羽後交通バス 十文字/十文字駅前9:48発 → 増田中町9:54着


内蔵の町増田を歩いてみた

 増田中町バス停で下車した。運賃は250円。通りの反対側に十文字駅方向のバス停がなかった。周辺を歩いたが、まったく見当たらない。どこかで帰りのバス停を確認しておく必要があった。

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 本町通りを少し歩き、中七日通りに入った。この通りが増田のメインストリートのようだ。愛称は「くらしっくロード」である。

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 北に向けて歩いた。いくつかの蔵らしき建物はあったが、やや拍子抜けである。わざわざやって来たことを少し後悔したが、町への入り方として、この失望感はむしろ必要であることをこのあと知ることになった。

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 中七日通りに十文字、横手方面行きの増田中町バス停があった。


観光物産センター蔵の駅/JR東日本「おとなの休日倶楽部」CMの撮影場所

 中七日通りのほぼ真ん中にある観光物産センター蔵の駅で、増田町の地図をもらった。大正時代まで金物などを商っていた「旧石平金物店」が観光案内所として活用されていた。

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 驚いたのは建物内部の奥が蔵になっていたことである。蔵の町は日本のあちこちにあるが、ほとんどは外から眺めるしかない。増田の蔵は主屋のなかにあった。

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 3mほどの蔵の入口に4重の扉があった。ここはJR東日本のテレビCM「大人の休日倶楽部」の「増田の内蔵」篇の撮影場所でもあった。

 大人の休日倶楽部「増田の内蔵」篇は「大人になったら、したいこと」で始まるが、私の旅は「大人になってもしていること」である。

 CMの解説は次のようになっていた「秋田屈指の豪雪地帯としても知られるこの町には、母屋で覆われた『内蔵(うちぐら)』と呼ばれる豪華な蔵を構えた商家が400mほどの通りに40以上も軒を連ねます。吉永さんが冬の秋田を訪れ、独特な文化に触れる大人の発見の旅を描いています」

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 増田に40ほどある蔵は有料(ほとんどは200円)で見られるものと無料開放しているものがある。冬場は開いていない蔵もあるらしい。観光物産センター蔵の駅で、有料公開で今日も開いているところを2ヶ所推薦してもらった。


増田町朝市通り

 増田町朝市通りがあった。朝市は毎月2、5、9の付く日に開かれる。朝市は周辺の町と交代で、日にちをずらして行われている。朝舞では毎月1、4、6、8の付く日、十文字では毎月3、7、10の付く日といった具合に競合しないように工夫されている。

 増田はこの朝市をきっかけに成長した。それは珍しいことではないが、増田の場合はそれが蔵につながっており、現存しているという点が大きく異なる。増田の蔵は明治から昭和初期にかけて商人たちが贅を競って建てたものである。増田は「県南に増田あり」といわれるくらいの繁栄を遂げた。

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佐藤又六家

 観光物産センター蔵の駅で薦められた「佐藤又六家」に入ってみた。元々は味噌醤油販売を営んでいたらしい。増田の蔵の中で最も古い蔵がある。明治前期の建造で国登録有形文化財になっている。

 奥さんとご主人になかを案内してもらった。

 一般に増田の内蔵は建物内の敷地の奥のほうにあるらしいのだが、「佐藤又六家」の場合は通り側つまり表側にある。玄関を入ったところが蔵である。2階正面は蔵の妻壁になっておりそこに廊下が敷かれている。建物の内側にある蔵を通りから見ることができるのだ。これは増田で唯一つらしい。

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 増田の蔵が元々火災対策のために建てられたのは他の町の蔵と同じである。増田も火災は経験した。豪雪地帯の増田は、蔵の壁が水分で痛むので蔵を板壁で覆っている。たとえ火災が発生しても内側の蔵は残るらしい。

 裏庭に向かって細長い土間の通路が続いている。通路の天井は高く蔵の横を通るようになっていた。敷地は通りから奥に向かって120mある。

 奥のほうにあるのが文庫蔵である。表通りのほうの蔵と合わせたふたつの蔵が、それを蔽う巨大な建物のなかでつながっているのである。それは圧巻である。手斧刻み(ちょうなめ/手斧で削ったあと。不規則な凹凸のある荒い削り目)の梁は迫力そのものである。

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 元々、蔵は物の保管場所であったはずだ。その蔵のなかに板や畳を敷くことによって、それが主屋と同等あるいはそれ以上に必要な生活空間になっていった。必然的に内装に工夫が凝らされるようになった。やがて主人が座る奥座敷が蔵のなかに誕生するまでになった。蔵はますますその意匠や内装に凝り、他の蔵と競うようになった。それに従って大工や左官は技術を修練し完成させていった。そういうものが増田に残っているのである。

 2階の蔵から外に出たところ。

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 「佐藤又六家」でも「おとなの休日倶楽部」CM撮影が行われていた。

 増田には佐藤姓が多いが、親戚ではないということだ。そもそも秋田県には佐藤姓が多いらしい。


山吉肥料店

 「佐藤又六家」の正面にある「山吉肥料店」に入った。ここも観光物産センター蔵の駅で薦められた。

 増田で最後に建てられた蔵である。「山吉肥料店」の蔵を際立たせていたのは黒漆喰の壁だった。メンテナンスも含め完成品だった。とくに扉の開閉部については大工や左官の技術を見ることができた。いや技術というより「巧み」といったほうがいいかもしれない。

 裏庭に向かって細長い土間の通路が続いているのは「佐藤又六家」と同じであるが、新しい蔵だけあってこちらのほうが洗練されていた。

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 各商家が無造作に勝手に、ただ蔵を建てていったのではない。おそらく他の蔵を意識しながら、贅を見せつけるように蔵を建てたのだろう。

 「佐藤又六家」でも感じたことが、それぞれの家主たちが自分たちの家と蔵に誇りを持っていた。


高橋茶舗

 「高橋茶舗」のなかの蔵は無料で公開されている。気のいいおばさんが控えめに案内してくれた。

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増田まんが美術館

 月曜日の今日、増田まんが美術館が休館であることを知っていたが、「くらしっくロード」から5分ほどのところにあったので行ってみた。有名な施設ではないが、注目されていい場所なので書いておく。年に3、4回、次のような特別展が行われている。

 「青山剛昌の世界展」(代表作『名探偵コナン』)
 「矢口高雄40周年特別企画展~40th apecial thanks展~」(代表作『釣りキチ三平』)
 「やなせたかしの世界展」(代表作『アンパンマン』)
 「江口寿史展 KING OF POP」(代表作『すすめ!!パイレーツ』『ストップ!!ひばりくん!』)

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増田からバスで横手へ

 増田から十文字駅経由で湯沢営業所に行くバスがあった。湯沢にも遊郭跡あるはずだが、どの程度残っているかはわからない。湯沢に行くことは最初からあきらめていた。

 再度書いておくが、2005年10月、横手市、増田町、平鹿町、雄物川町、大森町、十文字町、山内村、大雄村が合併した。増田も十文字も横手市の一部になった。横手市増田から横手の中心部に向かうことにした。バスは十文字駅を経由する。下車すれば奥羽本線に乗り換えることもできるが、横手バスターミナルまで乗ることにした。運賃は660円。

 羽後交通バス 増田中町12:03発 → 横手バスターミナル12:49着

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横手駅周辺

 バスターミナルの近くに「Y2(わいわい)ぷらざ」があった。1階は地域の情報コーナーになっているらしい。この日は高校美術展をやっていた。

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 「Y2(わいわい)ぷらざ」から横手駅に移動した。横手駅はがらっと変わっていた。新駅舎の竣工は2011年9月である。

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 下の1枚は1999年8月30日の横手駅。味も素っ気もない駅舎だった。

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 観光案内所で地図をもらった。増田で止んでいた雨は激しくなっていた。


横手やきそば

 横手の名物はやきそばらしい。観光案内所で「横手やきそばガイドマップ」をもらい、駅の近くにあった「食い道楽」に入った。

 豚挽肉を使った焼きそばの上に半熟の目玉焼きをのせ、福神漬を添えるのが横手やきそばである。麺は太かった。地域活性化のため無理やりご当地グルメをひねり出したのではなく、戦後まもない頃の屋台が横手焼きそばの発祥らしい。1953年頃には現在の横手やきそばが完成していたという。

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横手の飲み屋街を歩いてみた

 店を出ても雨は強いままだった。傘を差すしかない。「Y2(わいわい)ぷらざ」と横手バスターミナルの間の道を東北方向に歩いた。400mほどで秋田県道31号に出た。光明寺児童公園の前にかまくらがあった。2月15日と16日を中心に横手の雪まつりが行われる。その準備なのだろう。

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 かまくら館の前にあるかまくら館前交差点から北に向けて延びる通りの両側は飲み屋街だった。

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 通りの東には円浄寺、光専寺、法泉寺、西誓寺があり、通りの行き止まりの北側に横手川が流れていた。所在地は横手市中央町である。


横手の遊郭跡(鍛冶町と四日町)を歩いてみた

 かまくら館の隣に横手市役所があった。秋田県道272号を渡ったところにある四日市町に入った。

 「佐藤儀伊右衛門商店」は金物を中心とした雑貨屋で、商家と土蔵が繋がった造りとなっている。この店の前を3、4回通過した。そのたびに店主らしき人と目が合い軽く会釈をしたが、怪しい者と思われたかもしれない。

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 とろろ昆布の店。

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 「こうじ庵」は明治30年代に建てられた商家である。「佐々木麹店」として営業していたが、2001年に建物が横手市に寄贈され、顧客利便施設となった。なかは休憩所になっていた。

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 洋風の手すりのバルコニーがある「出羽印刷株式会社」の建物は明治時代に建てられたものである。第2次世界大戦中に石橋湛山が東洋経済新報社を横手に疎開させたときの社屋である。この建物の前も3、4回通ることになった。

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 街歩きは迷走していた。目的の建物は4つほどあったのだが、どうしても見つけられなかった。「佐藤儀伊右衛門商店」や「出羽印刷株式会社」の前を3回も4回も歩くことになったのはそういう理由からである。

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 横手川を渡った先は羽黒町である。そこではない。

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 人に尋ねながら歩いていたが、目当ての建物は現れず難航した。

 高橋内科医院はこの近くにありませんか? 
 高橋内科医院?

 その人が洋服店の店主に尋ねてくれた。

 高橋内科医院です
 そういう医院があったけれどまったく別のところに引っ越したよ、ここからかなり離れているよ

 こんな具合である。

 ようやく1926年に建てられた「旧平源旅館」を見つけた。多くの著名人や皇族などが宿泊した旅館である。横手で一番見たかった建物である。大きくないファザードはこじんまりとしていた。同時に威風堂々でもあった。そろりと玄関を開けて入ってみた。しばらくして出てきてくれた人に内部の写真を撮らせてもらった。2階に上がる階段辺りの佇まいがすばらしい。

 現在は「ゲストハウス平源」という結婚式場として利用されている。向かって右手にある蔵とともに国の登録有形文化財に指定されている。

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 「旧平源旅館」を見つけたことによって歩く方向が定まった。秋田県道272号(羽州街道)を北に歩けばいい。

 横手郵便局の手前にあった神社。濃く深い赤の屋根が怪しさと重厚さを醸し出していた。

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 さらに秋田県道272号を北に歩いた。家々は連なっていない。住宅、駐車場、住宅、空き地といった歯抜け状態の住宅地を歩いた。

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 「橋本金太郎商店」のファザードの2階の格子がはめ込まれているようだ。

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 秋田県道272号はその北側でほぼ90度に近い曲がりを見せていた。並行している横手川が同じように方向を変えているからである。その角に、道路の曲線に合わせて面を切ってある家があった。背後を除く道路側を四面で切っていた。

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 横手側沿いにあった神社は積雪対策が施されていた。

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 横手側の対岸にあった中国風の展望台。

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 蛇の埼橋から南に延びる秋田県道272号を歩いた。

 「高橋大後援会連絡所」があった。高橋大さんはどうやら横手市長である。興味があるのは市長の後援会ではなく「伊藤歯科」のあった建物である。 

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 下の神社も雪対策をしていた。

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 「斎藤薬局」は見たかった建物である。洋館付きの住居ではなく、洋館付きの店舗である。洋館のほうは昭和初期に建てられたもので1999年国の登録有形文化財に指定された。「斎藤薬局」の新店舗らしきものが「佐藤儀伊右衛門商店」の近くにもあった。

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 「合資会社加賀長商店」。

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 かまくら館の所在地は中央町、歩いたのは主に鍛冶町と四日町である。下の写真にある馬口労町(ばくろうちょう)は横手市内の(今の)地名にはない。秋田市にも馬口労町はある。秋田銀行の馬口労町支店があり、馬口労町通り商工振興会や馬口労町竿燈会などがあるが、地名は残っていない。

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横手駅へ

 かまくら館から秋田県道31号を西に歩き、光明寺児童公園前交差点を左に折れた。横手駅の方角である。

 横手駅近くの「Y2(わいわい)ぷらざ」のなかの空いていた机で休憩したが、人が多くせわしなかった。横手駅まで移動し、観光案内所前にあった休憩スペースで列車を待つことにした。コンセントを使えるかどうかを観光案内所で尋ねてみると、名前を登録することで1時間利用できるシステムになっていた。

 観光案内所の長いテーブルでパソコンを開き、1時間ほど旅日記を書いた。


北上で宿泊

 JR北上線 横手17:17発 → 北上18:36着

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 北上駅で下車し、駅舎を背にして岩手県道112号を歩いた。北上駅から西北に延びるメインの通りである。途中にレストランが1軒あったが、それ以外はすべて居酒屋だった。北上市内にホテルの数は多いようだ。左手に草のホテルが見えた。その手前の交差点を右に折れ、北北東に歩いた。

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 北上カプセルホテルは飲み屋街のど真ん中にあるようだ。チェックインをしないで飲み屋街をあちこち歩いてみた。夜の飲み屋街は怪しげである。

 中華料理店に入った。チャーシューめし、中華そば、餃子のセットを注文した。

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