FC2ブログ

日本細見紀行 

日本各地の旅日記
2018年11月 ≪  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 ≫ 2019年01月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments(-) | Trackbacks(-)

2日目 2017年7月24日 伊東 海老名

あちこちが微妙に変わった伊東を歩いた

 蜻蛉荘は伊東駅の裏側にある。裏側とは、駅正面の東南側(海側)ではなく山側である。蜻蛉荘の部屋からは伊東の町を見下ろすことができた。

P7230215.jpg

 山の中腹には御嶽神社があり、シャシャシャシャという蝉の声は止むことがない。

 9:00頃、チェックアウトした。

 坂を下り伊豆急行線の線路を越え、伊東の町中に入った。

 駅の近くのベーカリーカフェ「山茶花」でモーニングセット。

P7240004.jpg

 伊東にはときどき来ている。東伊豆を南に向かうときの中継地点になるので立ち寄る機会は少なくない。

 足の疲労はまったく回復していないので歩き回るつもりはないが、せっかく来たので少し歩いてみた。

 湯の花通りを南西方向に歩いた。ほとんど変わっていない。

P7240005.jpg

P7240006.jpg

P7240007.jpg

P7240008.jpg

 温泉橋通りを過ぎたところでアーケードのあるキネマ通りに入った。以前にはあった映画の名残りはもうなかった。

P7240009.jpg

P7240011.jpg

P7240016.jpg

 松川遊歩道にある木造3階建ての建物は廃館になった東海館である。1928年(昭和3年)創業なので、築90年近くということになる。賑わっていたときの様子が伝わってくる建築物である。今は伊東市の観光施設になっている。

 この建物を利用してK′s Houseがゲストハウスを運営している。以前から一度泊まってみたいと思っており昨夜の宿泊も一応は検討してみたが、大きな畳の部屋に低く小さな衝立があるだけのスペースが用意されているだけでプライベート感はほとんどない。仕切りの改善は必要だろう。

P7240012.jpg

P7240013.jpg

P7240014.jpg

P7240015.jpg

 暑いねえ、と話している商店主の声が、キネマ通りを歩いているときに聞こえてきた。天気予報の気温は28度となっていたが、町中は35度近くあるはずだ。

 歩くのが嫌になって来た。暑いし足は痛いし。帰ることにした。駅に向かった。

 下の4枚は2011年10月9日の伊東。1枚目のひもの店は変わっていないが、4枚目のキネマ通りの映画の看板は2017年7月にはなくなっていた。

CIMG1128.jpg

CIMG1129.jpg

CIMG1148_20170805052116bc0.jpg

CIMG1158.jpg

 下の6枚は2008年1月13日の伊東。1枚目のひもの店は変わっていないが、3枚目のヤオハンはもうない。マックスバリュになっていた。

DSCF0004_201708050526133ca.jpg

DSCF0005_201708050526152b2.jpg

DSCF0006_20170805052615357.jpg

DSCF0010_201708050526177cf.jpg

DSCF0018_201708050526188ba.jpg

DSCF0020_20170805052620f09.jpg


 下の5枚は2005年3月20日の伊東。

DSCF0005_20170805054713220.jpg

DSCF0006_20170805054715d9a.jpg

DSCF0003_20170805054716985.jpg

DSCF0002_20170805054717f40.jpg

DSCF0001_201708050547190c6.jpg


 伊東駅で熱海行きの列車に乗った。

 JR伊東線 伊東 10:34発 → 熱海 11:58着

P7240020.jpg

 昨日同様、乗った普通列車には特急「リゾート21」の車両が使われていた。

P7240021.jpg
 
 JR東海道本線 熱海 12:08発 → 小田原 12:30着

 熱海で乗ったのは宇都宮行きなので横浜駅で下車すればよいのだが、小田原駅で下りた。小田急小田原線経由で帰ることにした。


海老名に寄ってみた

 海老名駅は小田急小田原線と相模鉄道本線の乗り換え駅である。

 小田急小田原線 小田原 12:45発 → 海老名 13:25着

 JR海老名駅の近くにららぽーと海老名ができたのは2015年10月である。工事をやっていることを知っていたが、ららぽーとができるとは思っていなかった。買い物がてらに寄ってみることにした。

P7240025.jpg

 月曜日のららぽーとは人が多くはなかったが、夏休みの子供たちがモール内を走り回っていた。

P7240026.jpg

P7240028.jpg

P7240031.jpg

P7240033.jpg

P7240035.jpg

 新しいホテルができていた。

P7240024.jpg

 海老名はそもそもショッピングタウンである。ららぽーとの出現によりそれはさらに強化されたといっていいだろう。周辺には高層マンションの建設が予定されているようだ。

〈終〉
スポンサーサイト

1日目-2 2017年7月23日 三筋山 稲取 伊東

風車の下、三筋山遊歩道を歩いた

 広場の手前で聞こえていた人工音は風力発電の風車の回る音だった。伊豆の山に停滞していた空気を風車がかき混ぜていた。

P7230161.jpg

P7230162.jpg

P7230164.jpg

P7230173.jpg

 山の尾根には風車が並んでいた。風力発電は大規模に行えば発電コストを火力並みに引き上げることができるが、風力適地の北海道、東北で十分な調整力があるとはいえない。蓄電池の活用がより必要になってくる。つまりベースロード電源とはならない。

 経済産業省自然エネルギー庁が再生可能エネルギーの旗振り役であるが、建設費や発電量比較というリアルな数字が示されていない。

 この日私が伊豆の山のなかで見たのは、開発のために投下された膨大な資金である。それは低成長時代にふさわしい、新しい投資のかたちだった。風車建設のためのアスファルトの道路が山を切り開いて走っていた。ダムを1基造るため山を切り開く過程のすさまじさを見たことがある。原発の周辺の道路の多くが、対向車のない滑走路のような道路であることを知っている。風力発電開発はそれと何ら変わらなかった。再生可能エネルギーという新ブランドの開発は旧態依然としたダム建設の現場と同じだった。両者ともに自然を破壊することによって成り立つものだ。

 風力発電のためにできたアスファルトの道路を歩いた。グーグルマップには存在しない道路である。それは三筋山遊歩道とほぼ同一のコースを辿っているようだ。

 そしてこの風力発電の道路の開通により、三筋山遊歩道の一部は消滅させられていた。アスファルトの道のところどころには赤色に塗られた歩道らしきものがあった。どうやらそれが消滅した林道の代替品である。

P7230163.jpg

P7230167.jpg

 アスファルトの道路を延々歩くのなら、広場にいた人の言葉に甘え、稲取まで車に乗せてもらったほうがよかった。

 三筋山までは思った以上に遠かった。蛇行した下り坂を歩いた。

 そして上り坂である。途中に三筋山の案内板があった。三筋山遊歩道の一部は残っているようだ。遊歩道に入ってみた。

P7230170.jpg

P7230171.jpg

 遊歩道の途中の山の上のほうにベンチが置かれた広場があった。鹿が10頭ほどいたが、写真を撮ろうとしたらあっという間に散ってしまった。

P7230174.jpg

P7230175.jpg

 鹿の糞がところどころにあった。糞を食べるためカナブンが集まっていた。

P7230176.jpg

P7230177.jpg

 すでに雨は止んでいた。レインウェアを脱いだ。薄黒色の空は随分明るくなっていた。青スズ台休憩所で見たときより、見晴らしはよくなっていた。眼下のゴルフ場のコースは森をえぐっていた、バンカーのように。

P7230182.jpg

 下り坂の三筋山遊歩道を抜け、風力発電のアスファルト道路に出た。

 そしてまた上り坂。アップダウンは本当に嫌である。足が重い。頑張って歩いてきたというのに、三筋山の頂上には行けなかった。風車と風力発電の道路により三筋山の山頂はふさがれていた。

 工事関係者の詰めているプレハブの事務所があった。この事務所を中心に風車のメンテナンスなどを行っているのだろう。風車のうちの1基にはクレーンが立て掛けられていた。

 風力発電のアスファルト道路は大きく迂回しているようだ。グーグルマップに点線で表示されている三筋山遊歩道は尾根を往く林道らしく、稲取まで直線で下りていくようなのだが、アスファルトの道路を歩いた場合はおそらく1.5~2倍程度の距離を歩くことになりそうである。

P7230179.jpg

 遠くに稲取の町が見えていた。

P7230186.jpg

 三筋山山頂の脇を過ぎたところに「大池2.4km」という表示があった。コピーしてきた簡易な地図にもグーグルマップにも「大池」という地名(あるいは池名)の表記はなかった。大池に向かう林道に入っていいのかどうかを迷った。稲取の方向に向かう林道である気がするが、異なるコースであるようにも思う。

P7230185.jpg

 冒険を避け、つまらないアスファルト道路を歩くことにした。

 アスファルト道路が山を下っていることは確かである。しかし方角は一定しない。東南の方角つまり海のほうに歩くのが近道なのだが、道路は北、東、西などと方角を変えた。迂回を重ねながらつまり長い距離を歩きながら稲取をめざすようなのだ。

P7230183.jpg

P7230184.jpg

 疲労が蓄積している。足が棒になっている。広場で遇った人に車に乗せてもらわなかったことを何度も後悔した。「大池2.4km」の方向に歩いたほうがよかったかもしれないとも思った。


「天城路はすべて山のなかである」を脱出!

 グーグルマップに表示されている道路の近くまで来たとき、1台の車が通過した。反対車線を走る車を2、3台見たが、私の歩く方向に走っていく初めての車である。乗せてほしいという合図を送ったが、車は走り去った。

 1分後に通った2台目の車が止まってくれた。工事関係者が4人乗っていた。後部座席に乗せてもらった。気のいいあんちゃんたちだった。

 少し走ったところで、さっき通過した1台目の車が道路を封鎖していたチェーンを外していた。先発した1台目は道路のチェーンを外すための車のようで、私を乗せてくれた2台目は、工事関係者たちが食事に行くための車だった。

 どこまで行きますか?
 この道路は通行禁止になっているんです
 この道路はナビでは表示されません
 ここを歩いている人はいません
 (私が)道に迷ったと思っていました(工事関係事務所のなかから私は目撃されていた)
 鹿を見ましたか? 熊もいるんですよ
 三筋山遊歩道はつぶされているかもしれません(遊歩道の一部はもうない)
 風車の建設自体はほとんど終わっています

 そんなことを聞きながら、6、7kmほど走ってくれた。東伊豆を海岸線に沿って走る国道135号に突き当たったところで下ろしてもらった。このサポートがなければどうなっていたのかわからない。旅で30km近くを歩いたことがあったが、今日の歩きがもっともきつかった。

P7230187.jpg

 車を下りるとき、工事関係者たちは「近くにあるコンビニでゆっくりしていってください」と声を掛けてくれた。国道135号を北に200mほど歩いたところのサークルKがあった。イートインスペースで一息ついた。

P7230188.jpg

 サークルKから伊豆稲取駅まで2.5kmほどであった。バス路線は1日数本の便しかなかった。歩くしかなかった。

 標高1,173mの八丁池付近は涼しかったが、地上は暑かった。歩いているだけで汗が噴き出てきた。

P7230189.jpg

P7230190.jpg

P7230192.jpg

P7230193.jpg

P7230194.jpg

P7230195.jpg

 国道135号はうねうねと方向を変えながら稲取に向かっている。伊豆稲取駅までの最短コースを歩きたい。ショートカットするため途中から住宅地に入った。

 山の上ほどではないけれど、歩いた住宅地には激しいアップダウンがあった。

P7230196.jpg

P7230197.jpg

 足を引きずりながらようやく伊豆稲取駅に着いた。サークルKから40分ほどかかった。

P7230198.jpg

P7230199.jpg

P7230200.jpg

P7230201.jpg

 出発前、時間があれば稲取を歩きたいと思っていたが、それはとてつもなく甘い考えだった。車に乗せてもらい6、7kmを短縮できたにもかかわらず、伊豆稲取駅にたどり着くだけで足が棒になっていた。しばらくの間、駅のベンチに座り込んでいた。

 稲取はひなびた感じのする町である。東伊豆で大きなホテルに泊まりたければ熱川、民宿に泊まりたければ稲取がいいだろう。東伊豆で私がもっとも好きな町でもある。

 「つげ義春の似合う町」と書いておこう。

 下の6枚は2011年5月30日の稲取。

CIMG8518.jpg

CIMG8519.jpg

CIMG8521.jpg

CIMG8525.jpg

CIMG8528.jpg

CIMG8532.jpg

 下の4枚は2005年3月20日の稲取。

DSCF0015_20170804031812783.jpg

DSCF0017_20170804031814d55.jpg

DSCF0019_20170804031815a5a.jpg

DSCF0021_20170804031816dc8.jpg


伊東へ

 伊豆稲取駅から伊東に向かうことにした。乗った電車は特急「リゾート21」だった。普通列車として運用されていた。伊豆急ではよくあることである。

 伊豆急電鉄伊豆急線 伊豆稲取 17:22発 → 伊東 18:12着

P7230202.jpg
    
 途中の伊豆高原駅構内に「THE ROYAL EXPRESS」が止まっていた。

P7230203.jpg

 2017年7月21日、横浜駅と伊豆急下田駅間で走り始めた観光列車である。マスコミ報道ではあたかも、JR西日本の「TWILIGHT EXPRESS瑞風」やJR東日本の「TRAIN SUITE四季島」と同列の豪華列車であるかのような扱いをしていたが、それは誤報といっていいかもしれない。少なくとも違和感が残る報道だった。

 車両は「リゾート21」の改造車である。加えてJR東日本と伊豆急行の運行ではなく、伊豆急行と東急電鉄による運行で、走行区間は東京駅・下田駅間ではなく、横浜駅・下田駅間である。東横線と乗り入れ3路線(東京メトロ南北線、西武鉄道池袋線、東武鉄道東上線)に、横浜駅での専用接続列車を走らせ、横浜駅での乗り換えを強調するのなら理解できるが、あらゆる面において中途半端な企画列車である。JR東日本にすれば、東京駅と下田駅を結ぶリゾート21の「筋」上の、しかも列車が過密でない通勤時間帯以外の、横浜駅以西に1本の列車を組み込んだに過ぎない。

 伊東駅で下車した。JR東日本と伊豆急行の駅である。駅舎も駅前の雰囲気も変わっていなかった。

 駅の近くの地魚料理「入船」で天ぷら定食を食べた。あいかわらず伊東の物価を高いと感じた。

P7230205.jpg

 蜻蛉荘は駅から7分くらいであるが、伊東の町のなかではなく山側にある。急峻な坂を上ってようやくたどり着いた部屋からの眺めはよかった。陽はまだ沈んでいなかったが、夜の伊東を歩く力は残っていなかった。坂の上り下りを足が拒絶していた。

P7230208.jpg

P7230209.jpg

1日目-1 2017年7月23日 修善寺 八丁池周辺 

中伊豆の山へ!
 
 何日も続いた九州豪雨の被害のメディア報道が少なくなってきていた7月22日、秋田県で豪雨があった。災害報道は一挙に秋田県にシフトした。この日たまたま雨雲レーダーをチェックしていた。報道はされていなかったが、静岡県北部の山のなか、富士山周辺でも線状降水帯は激しい雨を降らせていた。

 2007年1月の成人の日が絡んだ連休、爆弾低気圧の予報の出ているなかを旅したことがあった。爆弾低気圧の影響で鉄道がストップしては困る。移動手段がないと旅にならない。しかし旅の途中でストップするのは問題ない。

 爆弾低気圧が予想されるという天気予報が出た日にJRに電話を掛け、運行状況を確認した。爆弾低気圧を体験してみたくて豪雪地帯に出かけた。翌日小出駅から只見線に乗った。只見線の気動車は会津若松駅まで遅れることなく走った。爆弾低気圧が猛威を奮ったのはそのあとだった。会津若松駅で乗り継いだ磐越西線の電車は豪雪のなかで止まった。電車は一度動き始めたが、また止まった。停車中の車内の灯りが消えた。停電のなか救援はどうなるのだろうかと心配したが、車内の電力は復旧し電車は動き始めた。予約してあった郡山のビジネスホテルにチェックインすることはできた。その夜は一晩中、轟轟という空の音が郡山に響いていた。

 静岡県北部にあった雨雲が消える可能性があったが、明日は伊豆半島辺りに移動するかもしれない。しかしその時点での伊豆半島の各市町村の翌日の降水確率はどこも10%程度だった。リアルタイムの雨雲レーダーとは異なり、1日4回ほど書き換えられる天気予報はのん気なものである。

 半ば衝動的に翌日の伊東の宿を予約した。自宅を出たのは早朝である。

 相模鉄道本線    鶴ヶ峰 5:02発 → 横浜  5:18着

 JR東海道本線   横浜  5:28発 → 小田原 6:21着
 JR東海道本線   小田原 6:22発 → 熱海  6:45着
 JR東海道本線   熱海  6:49発 → 三島  7:01着

 横浜駅から三島駅までの98.9kmを3本の列車に乗り継ぐことになるとは思わなかった。三島駅で伊豆箱根鉄道駿豆線に乗った。

P7230001.jpg

 伊豆箱根鉄道駿豆線 三島  7:11発 → 修善寺 7:45着

 沿岸バス(オロロンライン/北海道)、仙台空港アクセス線などでは美少女系アニメキャラクターが使われているが、伊豆箱根鉄道でも採用されていた。ペイントされていたのはたまたま私が乗った一編成だけのようである。外装の一部ではなく窓を含めた側面全部がペイントされていた。アニメキャラクターの設定は何人かいるようなので、そのうちの1人を「踊子」風にしてもよいと思うが、東京駅発の特急「踊子」が1日2往復乗り入れている伊豆箱根鉄道がこれ以上「踊子」を使うことを、伊豆全体に路線網のある東海バス(東海自動車株式会社)は快く思わないかもしれない。東海バスこそ「踊子」をキャラクターにすべきであるが、頻繁に切符の種類を変えるこのバス会社が営業のアイテムとしてアニメを採用する方針は今のところないようである。

P7230003.jpg

P7230008.jpg

 8ヶ月ぶりの修善寺駅である。駅のなかにある観光案内所の始業時間は9:30になっていた。これでは何の準備もできない。駅前をぶらりと歩いたあと、駅構内にあるセブンイレブンでコーヒーを買って、バスを待つことにした。500mlの水のペットボトルを2本、昼ご飯用のおにぎりとパンを買った。

P7230012.jpg

P7230011.jpg

 八丁池口に行くバスは4月から10月の間の土休日だけにしか走っていない(GWと11月は毎日走っている)。今日はこのバスの発車時刻に合わせてやって来た。バスには数人が乗り込んだが、全員が終点まで行くとは限らない。

P7230010.jpg

 東海バス  修善寺駅バス停 8:40発

 修善寺駅を発車したバスは狩野川を渡ったところで下田街道(国道136号、国道414号)に入った。「日本の道100選」が忘れ去られた理由は、そもそも道を100本選定することが観光につながるのかという根本的な疑問とともに、つまらない道が選ばれすぎたからだと考えているが、下田街道(=天城路)はつまらなくない。

 バスが走る下田街道の両側つまり東西には山がある。前方も後方も山である。「天城路はすべて山のなかにある」といってもまちがいではない。天城路は、木曽路のような切り立った山のなかではないと考えがちだが、伊豆の山は急峻である。「房総半島には山も海もある」というのは千葉県民の共通認識で、伊豆半島もそれに近いと考えられがちであるが、伊豆半島の2倍の面積を誇る房総半島の最高峰である愛宕山の標高はわずか408mである。最高峰がもっとも低い都道府県は千葉である。一方、東西の幅の最長が40kmほどしかない伊豆半島の最高峰は天城山・万三郎岳の1,406mである。東・西・南の三方が海に面した狭い伊豆半島に1,000mを越える山は他にもある。その真ん中を走る下田街道は急峻な山あいを往く道路である。

 中伊豆を南に走るバス旅は60万年前のフィリピン海プレートの海底火山の隆起のあとを往く旅でもある。火山活動は終わっているが、半島は今なお本州中央部を押し込み続けている。「天城路はすべて山のなかにある」だけではなく「天城路は窮屈な山あい」である。

P7230023.jpg

 天城路つまり下田街道沿線に集落が広がっているところはほとんどない。国道に寄り添うように家々があり、観光客を目当てにした飲食店がある。そんななかをバスは徐々に高度を上げていった。

P7230016.jpg

 曇天のぱっとしない天気のなか、バスは月ヶ瀬、湯ヶ島を通過した。湯ヶ島は中伊豆の中心である。旅館がまとまってあり、そのうちの1つに川端康成が『伊豆の踊子』を執筆した福田屋がある。

P7230018.jpg

P7230020.jpg

 下の1枚は2006年9月10日に撮影した福田屋。川端康成が伊豆を旅したのは19歳のときである。

DSCF0027_201708040124592ad.jpg

 伊豆は川端康成のものである。

 バスは浄蓮の滝バス停を通過した。

P7230024.jpg

 下の2枚のうちの、上の1枚は1997年2月9日、下の1枚は2006年9月10日の浄蓮の滝。2枚の写真に変化はない。

IMG_0008_201708040145516d3.jpg

DSCF0020_20170804014659d8c.jpg

 道の駅「天城越え」で2人がバスを下り、3人が乗り込んできた。「天城越え」は『伊豆の踊子』と『天城越え』(松本清張)を象徴するものであったはずだが、いつしか石川さゆりのものになってしまった。

P7230027.jpg

 バスは新天城トンネルに入った。

P7230031.jpg

 旧天城トンネル(天城隧道)は新天城トンネルの(山の)上のほうにある。下の1枚は1997年2月9日の旧天城トンネル。長さは446mである。旧天城トンネルを車で通ることはできるが、2車線道路ではないので対向車が来ないことを祈りつつ走り抜けるしかない。今でもときどきドラマや映画のロケ地として使われている。

IMG_0012_20170804014903d5a.jpg

 暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。『伊豆の踊子』の、20歳の一高生と14歳の踊子を含む一行は(旧)天城トンネルを抜け下田まで歩いた。

 2017年のバスは不意に左折し国道136号を外れた。山のなかの専用道路に入っていった。少し走ったところでバスは停まった。ドライバーがバスを下り、道路を封鎖していたチェーンを外した。ここから先は専用バス・タクシー道路に入るので一般車両は入ることができない。

P7230032.jpg

 車の行き違いが困難な山道をバスは上った。途中に3頭の鹿がいた。

P7230035.jpg

P7230038.jpg


八丁池を歩く
 
 東海バス 八丁池口バス停 9:53着

 バスは八丁池口バス停に着いた。数人が下車した。ログハウス風の待合室があったが、そこはいつもの旅のような駅前ではなく田舎の田園地帯でもない。天城路はすべて山のなかである。

P7230039.jpg

P7230040.jpg

 灰緑色の山に囲まれた八丁池口バス停の上空は灰黒色だった。雨が降り出しそうだった。1時間半ほど前の修善寺の降水確率は10%だったが、ここは変わりやすい山の天気の支配下にある。

 八丁池に向かうルートはいくつかあるが、寒天林道を歩くことにした。整備された道はあちこちで傷んでいた。補装はところどころで途切れ、やがて土の道になった。

P7230042.jpg

P7230044.jpg

P7230045.jpg

P7230046.jpg

P7230047.jpg

 三筋山への分岐を示す案内板を右手にやり過ごした。

P7230043.jpg

 さらに10分ほど歩くと、コルリ歩道への案内板があった。このまま寒天林道を歩き続けた場合、6倍程度の距離を歩くことになる。ショートカットするためにコルリ林道に入った。

P7230050.jpg

 林道に入ったことを少し後悔した。道はなかった。ブナ、ヒメシャラの樹林帯の急斜面を上るしかないようだ。どの方向に上っても林道の出口に着くのならよいが、そうではなさそうだ。ところどころにある赤い杭に沿って上るのが正しいルートらしいが、杭が常に見えるとは限らない。これを林道と呼んではいけないだろう。

P7230051.jpg

P7230057.jpg

 落ち葉の堆積は斜面をすべりやすくしている。落ち葉もその下にある土も水をたっぷり含んでいる。

 コルリ林道を抜け大幅に迂回してきた寒天林道に出た。

 雨がぽつぽつ降ってきた。強い雨ではない。樹木を抜けてきた雨粒はその量をぐっと減らす。一方、肌にまとわりつく湿気の密度は高い。レインウェアを着ることにした。

P7230060.jpg

P7230062.jpg

P7230063.jpg

P7230064.jpg

P7230065.jpg

 すぐにオオルリ歩道への案内板があったが、寒天林道をそのまま歩くことにした。オオルリ歩道はコルリ林道と似たような、道のない上り斜面のようだ。下り斜面になる帰りのルートで歩くことにした。

 寒天林道を20分ほど歩くと、右手に青スズ台歩道への案内板があった。

P7230061.jpg

 この辺りは野鳥の森でもある。案内板によると16種類の鳥が生息している。夏場にしかいないのはホトトギス、ミソサザイ、コマドリ、コルリ、マミジロ、ウグイスであるが、そういう親切な解説も鳥の種類に関心のない私には無用である。歩き始めたときから鳥の声が聞こえていたが、何の鳥の鳴き声かさっぱりわからない。

P7230069.jpg

 少し歩いたところにトイレがあった。

P7230074.jpg
 
 トイレのあるところから寒天林道を逸れ2分ほど歩いたところに展望台があった。靄が覆っており、見えるはずの八丁池はまったく見えなかった。

 トイレのあった場所にもどった。ここから八丁池まではほとんど下り坂のようだ。それは、帰り道が上り坂であることを意味している。登山をしているのだから上り斜面を歩くのは仕方がない。嫌なのは、せっかく苦労して稼いだ高度を無にする下りである。

P7230073.jpg

 10分ほど歩いて八丁池に出た。八丁池口バス停からここまで約1時間である。

P7230078.jpg

P7230079.jpg

P7230081.jpg

P7230080.jpg

 八丁池の標高は1,173mである。池の周囲が八丁(約870m)あるので、八丁池と呼ばれるようになった。しかし八丁を歩くことはできない。池の周囲はモリアオガエルの生息地であり、保護のため池の周囲の半分は通行禁止になっている。

 池を覗き込み周辺の草むらを探ってみたが、モリアオガエルはいなかった。モリアオガエルを知らないので、正確にはカエルがいなかったと書くべきだろう。

P7230092.jpg

P7230096.jpg

 「天城の瞳」といわれる美しさはなかったが、靄は池を審美的にしていた。それは悪くない風景で、歩を止め休憩するにふさわしい場所だった。

 八丁池は天城山の火口湖であるとされていたが、活断層のズレによってできた窪地に水が溜まったというのが最近の説である。今でも火口湖であると記されていることは多い。

P7230089_20170804021708623.jpg

P7230091_20170804021710460.jpg

 八丁池口バス停からここまで誰にも会わなかったが、池の一角にある草場にハイカーが1人いた。

P7230087.jpg

 さっき通過したトイレのところにもどった。八丁池口バス停のほうに少し歩いたところに青スズ台歩道への入口があった。寒天林道を逸れ青スズ台歩道に入った。道ははっきりしていなかったが、迷ったわけではなかった。

P7230098.jpg

P7230101.jpg

P7230103.jpg

P7230104.jpg

P7230113.jpg

 樹木林のなかでセミが激しく鳴いていた。ところどころでセミは飛んでいるが、地面に下りてしまうセミもいる。カメラを近づけても、飛び立つ力は残っていない。まもなく寿命を迎えるのだろう。

P7230114.jpg

 薄褐色のカエルがいた。あとで調べてみた。モリアオガエルではない。赤ガエルのようであるが、確定できない。

P7230109.jpg

 標高1,236.7mの青スズ台休憩所に出た。草木が生い茂っている展望台から河津方面が見えるはずであるが、空との境界線がはっきりしない灰色の海があるだけだった。伊豆大島の輪郭はぼんやりとしていた。

P7230117.jpg

 ベンチに座って、買ってあったパンを食べたが、虫が寄ってくるので長居することはできなかった。

 ときどき雨粒が落ちてきたが、途切れ途切れである。

 オオルリ林道に入った。道がはっきりしない。赤い杭を探しながら下りるが、方向に確信が持てない。コルリ林道と同じように、湿った落ち葉が堆積し滑りやすくなっている。曇天の森の地表に光は届いていない。

P7230120.jpg

P7230121.jpg

 必要なのは斜面を下りる、慎重さと注意深さだった。薄黒色のブナ林の急斜面を下り寒天林道に出たときほっとした。

P7230123.jpg

 少し歩くと三筋山への案内板があった。

P7230126.jpg

 三筋山への歩道はわりと整備されていた。

P7230127.jpg

P7230128.jpg

P7230132.jpg

 ひたすら歩く工程に入ったようだ。

 ところどころでアップダウンがあったが、多くは下り坂である。

P7230133.jpg

P7230139.jpg

P7230140.jpg

 登山道を大量の雨水が流れたのだろう。侵食は激しかった。段差には木がはめ込まれ、土砂の流出を防ぐための補強がされていたが、階段状の上部の土がえぐられており、木のハードルだけが残った状態になっていた。

P7230138.jpg

 途中から急な坂になった。一方的な下り坂が続いた。

P7230145.jpg

P7230149.jpg

P7230151.jpg

P7230152.jpg

P7230153.jpg

P7230155.jpg

 奇妙な人工音が聞こえてきた。車の走行音ではないようだ。何の音なのかわからない。

 山を下りたところが広場になっていた。小さな広場には小さな東屋があり、さっき八丁池で見かけた人がベンチに座っていた。少しの時間、話をした。仕事がてらに土日には伊豆の別荘に来ているらしい。仕事ができる知的な感じの人だった。広場の近くにある駐車場に車を止め、八丁池まで往復したらしい。

 「稲取まで車で送りましょう」と言われた。心が動いたが、誘惑的な申し出をお断りした。三筋山まで歩いてみたい。

3日目 2017年6月28日 鯖江 武生 福井

鯖江を歩いた

 9:00前、福井パレスインをチェックアウトした。福井駅東口のアオッサ1階のユトリ珈琲店でモーニングセット。

P6290001.jpg

 JR北陸本線  福井 10:11発 → 鯖江(さばえ) 10:26着

 鯖江駅に観光案内所があった。いつものように地図をもらった。

P6290003.jpg

 「〇〇4丁目」「XX2丁目」といったような住所がもれなく載っている地図がほしいと思っているが、そういう地図がいつも用意されているわけではない。「鯖江市全域MAP」にはその住所表記があったが、町の中心部のみを表記した「鯖江駅前周辺MAP」に住所表記はなかった。交差点の信号の有無はわかるようになっていた。「2つ目の信号を右に曲がる」といった歩き方ができる。公共施設はもちろん、移転する可能性があまり高くない金融機関はすべて載っているようだ。ゼンリンの住宅地図をベースにしたような細部に凝った地図であった。

 観光案内所で「遊郭跡はどこですか?」と尋ねても答えが返ってくることはほとんどない。だからこちらもそういう質問をしない。観光案内所に期待するのはよい地図である。地図が使えない場合、スマートフォンのグーグルマップを使うことになるが、電池の消耗を気にしながらの使用となる。

 鯖江の中心はJR鯖江駅の西口である。西側を北陸本線に沿って南北に走っている通りを北に歩き、2つ目の通りを左(西)に折れさらに次の通りを左(南)に折れた。

 松阜神社の鳥居があった。

P6290004.jpg

 鳥居のそばにあったのは1921年(大正10年)に建てられた旧鯖江地方織物検査所である。国(文化庁)の登録有形文化財となっている。ドアの窓からなかを覗き込んだ。当時の事務所のカウンターが残っていた。11:00開館という表示がなかにあったので11:05まで待ったが、(洋風)下見板張りの建物のドアが開くことはなかった。水曜日は休館日ではないはずである。

P6290007.jpg

P6290008.jpg

 同じ旭町1丁目にあったのは上田家長屋門である。郵便局の配達員が教えてくれた方向が間違っていたらしく、すぐに追いかけてきて訂正してくれた。上田家は鯖江藩の家老だった。残っているのは1865年(慶応元年)のものである。

P6290011.jpg

 旭町1丁目から北に歩き、旭町2丁目を抜け国道417号に出た。東に歩き地下道を潜り、北陸本線の東側に出た。下の3枚はその途中と地下道に入るところにあった古い家屋。

P6290016.jpg

P6290017.jpg

P6290024.jpg

 国道417号の南側が柳町1丁目、北側が柳町2丁目である。『全国遊郭案内』に「鯖江駅東北三丁の清水に貸座敷12軒に娼妓45名」とある。「東北三丁の清水」を特定できない。

 あるサイトで「それは、柳町1丁目の不自然な広場かもしれない」と推察していたが、それを見つけることはできなかった。

P6290019.jpg

 柳町2丁目にあった家屋がそれに該当するのでないかと思ったが、私も断言するつもりはない。ここもちょっとした広場になっていた。

P6290020.jpg

P6290021.jpg

P6290022.jpg

P6290023.jpg

 地下の通路を抜け北陸本線の西側にもどった。国道417号を西に歩いた。

 途中にあった「ヨーロッパンキムラヤ」で「軍隊堅パン」が売られていた。陸軍鯖江歩兵第三十六連隊に収めていたものを、戦後復刻したものである。日本一堅いパンとしてメディアで取り上げられたらしい。

P6290027.jpg

P6290026.jpg

P6290028.jpg

 1896年(明治29年)に鯖江を駐屯地とした歩兵第三十六連隊は日露戦争、シベリア出兵、第一次上海事変、南京攻略戦、徐州会戦、沖縄戦など日本の歴史に残る戦争や軍事活動に参加していた。

 福井銀行のある交差点を南に行ったところにあったのは料亭天狗楼である。所在地は本町2丁目である。

P6290032.jpg

P6290031.jpg

 国道417号にもどった。歩道にコアロード・コマチが現れた。庇下式のアーケードである。

P6290029.jpg

 福井県道134号との交差点の一角にあったのが「ミート&デリカささき」である。カフェではなく肉屋だった。肉、コロッケ、トンカツなどに混じってサバエドッグが売られていた。注文から出来上がりまで4分かかるそうである。

P6290037.jpg

P6290035.jpg

P6290034.jpg

 サバエドッグは、サバ(魚)のホットドッグではない。イスタンブールのサバサンドとは関係がない。

 割り箸にご飯を巻き、スライスした豚肉を巻いて揚げたものがカップに入れられていた。形状はきりたんぽのようである。「歩くソースカツ丼」として売り出されている。

P6290036.jpg

 「ミート&デリカささき」のすぐ近くに恵美写真館洋館があるのを見過ごした。1905年(明治38年)に建てられた擬洋風建築らしい。気付いたのは鯖江駅にもどったときである。

 福井県道134号の西にあったのが本山誠照寺である。福井県屈指の名刹である。1753年(宝暦3年)建立の阿弥陀堂、1877年(明治10年)建立の御影堂があった。現在の本堂がどちらになっているのかわからなかった。

P6290039.jpg

P6290041.jpg

 毎月第2日曜日、この本山誠照寺の境内で誠市が行われ骨董品や古美術品などが売られるらしい。

 本山誠照寺の西南方向に公民館があった。新しい建物であるが、公民館の前にあった広場は不自然だった。普通の区画整理からは生まれない不自然な広場はかって何かがあった可能性がある。

P6290045.jpg

P6290042.jpg

 町をぶらぶら歩きながら鯖江駅にもどった。

P6290038.jpg

P6290046.jpg

P6290048.jpg

 勝山、越前大野は繊維の町だった。鯖江も繊維業が盛んだったようだ。さっき見た旧鯖江地方織物検査所の他に、町の中心から北4kmほどのところに繊維会館があるが、遠すぎて歩く気にはならない。もっとも繊維産業は日本の多くの地域で盛んだった。

 鯖江はメガネの産地でもある。鯖江駅の東1kmほどのところにめがねミュージアムがあるようだが、町中にメガネ店はほとんどなかった。

 下の3枚は2008年7月29日の鯖江である。場所を特定できない。

DSCF0137.jpg

DSCF0138.jpg

DSCF0139_2017070600592429c.jpg

 鯖江駅から武生(たけふ)に向かった。

 JR北陸本線  鯖江 13:26発 → 武生 13:31着


武生を歩いた

 武生駅舎を背にしてまっすぐ前に歩いた。方向は西である。駅前にホテルクラウンヒルズはあったが、田舎の小都市の何の変哲もない通りだ

P6290049.jpg

 越前市観光協会の掲げるキャッチコピーは「越前市。千五百年物語」である。

 東部の味真野(あじまの)は万葉集に出てくる地名らしい。今立は古代の天皇である継体天皇ゆかりの地である。武生駅周辺は「府中」という町名が示すとおり、奈良時代には国府、国分寺が置かれ中心地として栄えてきた。そういったことがホームページに書かれていた。

 しかし。そもそも私は「越前市」という名称が好きではない。

 2005年10月武生市は今立町と合併し越前市が新設された。平成の大合併以降、新設の市に「大げさな地名」が付けられるようになった。その最たるものが「奥州市」である。この市は、奥州市水沢区といった具合に旧市町村に「区」が用いられている。まるで政令指定都市のごとく、である。東北6県をカバーするような名称といい、やりたい放題である。「伊豆の国市」もまるで伊豆全体をカバーするような地名である。

 明治の初期、福井県は県域を何度か変えているが(勝山市の「はたや記念館ゆめおーれ勝山」にわかりやすい解説があった)、そもそもは旧若狭国と旧越前国を合わせた自治体である。そして「越前」を名乗ることは、福井市など福井県東部地域を含むことになる。自治体の最小単位である市町村の名称をそういったふうにすべきではないと考える。平成の大合併の際、総務省は新設の自治体の名称に何らかの制限を設けるべきだった。

 いずれにしても武生市は歴史のなかの自治体となってしまった。武士の「武」の文字を残すことができなかったのかと思うが、「武生」の由来は「竹やぶ」辺りからきているらしく、武士と関わり合いはない。

 古くは市街地の町名に「源氏物語の各巻名」が使われたらしい。その後の地名変更では「能の演目名」から命名された(蓬莱、堀川、住吉など)。

 越前市役所の前を通った。古そうな建物だった。

P6290050.jpg

 まちなかプラザの前にあった信号を右に曲がった。方向は北である。

P6290051.jpg

P6290052.jpg

 2つ目の角を左(西)に折れた。一力酒店が見えた。おかしい、道の真ん中に水路のある通りに出るはずであるが、あったのはアーケードのある通りだった。

P6290056.jpg

 アーケードのある通りの1本西側に水路のある通りがあった。尾花遊郭のあったところである。1930年(昭和5年)の『全国遊郭案内』には貸座敷数23軒、娼妓95名とある。1890年(明治23年)にこの地に移転してきた。

 松の木と水路の桂町を歩いた。往時の建物はなく一部で歯抜けのところもあったが、風情のある住宅街という感じである。

P6290057.jpg

P6290071.jpg

P6290072.jpg

P6290073.jpg

P6290075.jpg

 目立ったのは風情とは関係がない、フィリピン風、タイ風のスナックである。

P6290058.jpg

P6290060.jpg

 スナック「彩花」にはアーチ状の柱があった。

P6290062.jpg

P6290063.jpg

 「姫」の壁が雁行である。

P6290064.jpg

 「Kikay」はフィリピン英語で「ぶりっ子」の意味。

P6290069.jpg

 スナックやバーは多くなかった。それぞれは近接していたが、密集しておらず散っているわけでもなかった。10軒ほどが目立たない自己主張をしており、全体としてほどよい場末感を醸し出していた。

P6290066.jpg

P6290078.jpg

P6290079.jpg

 水路のある通りを出て、南に歩いた。

 どことなく京都四条の花見小路のよう。京都府は隣県であり、京までは100kmほど。金沢まで影響はあったのだから、途中の福井に京ふうの町があることは想像に難くない。

P6290080.jpg

P6290082.jpg

P6290085.jpg

 地名は京町だった。いいネーミングである。

P6290087.jpg

 「京町・橋本旅館」。

P6290083.jpg

 小京都と呼ばれる地域が集まった団体が「全国京都会議」である。京都市を含む町により結成されている。加盟基準は以下の3つである。

 1.京都に似た自然と景観
 2.京都との歴史的つながり
 3.伝統的な産業と芸能があること

 現在46の町が加入している。過去に加入していて、脱会した町は15ある。

 「小京都」と勝手に名乗ることは自由なので、加入していなくても独自の旅行案内に「小京都」と記載することに問題があるわけではない。加入していることのメリットがなければ、脱会するだろう。「全国小京都会議」は任意の団体である。

 3つの条件はあまりに抽象的でありすぎる。「京都との歴史的つながり」が脱会した松前町(北海道)にあったとは思えない。

 湯河原(神奈川県)、城端(富山県)、古河(茨城県)などが入っているのはどうかと思うが、加入していない武生はまちがいなく小京都だった。

 旧井上歯科医院は国の登録文化財。

P6290088.jpg

 京町周辺には寺がいくつもあった。地図で確認してみると、4km四方くらいに50ほどあった。神社を含めるとさらに増える。異常な多さである。

P6290090.jpg

P6290091.jpg

P6290092.jpg

P6290093.jpg

P6290094.jpg

P6290095.jpg

P6290098.jpg

P6290099.jpg

P6290100.jpg

 総社通り商店街に入った。庇下式のアーケードのある商店街である。店の数は多くなく、店の広告は前面には出ていない。派手なところがほとんどない商店街である。

P6290105.jpg

P6290106.jpg

P6290107.jpg

P6290108.jpg

 旧北陸道(国道365号)を東に歩いた。この通りにもアーケードがあったが、半分ほどの店にはシャッターが下りていた。アーケードの上の屋根を見てみたが、古い家屋はなさそうである。

P6290109.jpg

P6290110.jpg

 アーケードの撤去は町興しの1つの手段であるが、とくに老朽化していない限り、雪国では難しいかもしれない。住人は実用を重視する。

 「蔵の辻」には蔵が数軒あった、武生のシンボルらしきところであるが、誰もおらず大したことはなかった。

 JR武生駅のほうに歩いた。

P6290113.jpg

P6290114.jpg

 福井鉄道の終点である越前武生駅はJR武生駅から少し離れたところにあった。

P6290115.jpg

P6290116.jpg

 越前武生駅から福井よりの1つ目の駅が北府(きたご)駅(旧・西武生駅)である。古い駅舎があるらしいことを知っていた。2010年ソフトバンクのテレビコマーシャル、白戸家「親孝行」篇で駅舎が登場した。樋口可南子とお父さんが雪のなかで列車を待つシーンである。

 1時間ほど前から雨が降っている。傘を差して歩いていたが、雨は強くなっていた。北府駅に行くのを止めた。武生はいわさきちひろの生まれたところである。「ちひろの生まれた家」は「蔵の辻」の近くにあったが、そこに行くのも止めた。

 下の4枚は2008年7月29日の武生である。4枚目の「大つか」は変わっていなかった。

DSCF0125_20170706010223d8c.jpg

DSCF0128_201707060102257f8.jpg

DSCF0130_20170706010226490.jpg

DSCF0134_20170706010227a24.jpg


福井を歩いた

 JR北陸本線  武生 15:11発 → 福井 15:33着

 福井にもどってきた。雨はぱらぱらと降っているが、傘を差すほどではない。

 福井駅から中央大通り(福井県道5号)を西に歩き大名交差点を渡った。さらに西に歩き右に折れ、片町商店街のアーチを潜った。最初の交差点の一角にヨーロッパ軒総本店があった。支店は福井県内に20店ほどあるらしい。ヨーロッパ軒は元々早稲田(東京)にあったらしいが、関東大震災で被災し地元の福井にもどったらしい。

P6290117.jpg

 なかはきれいだった。福井のソースカツ丼を注文した。

 濃いめのソースが浸みた3枚のカツが乗せられた丼が出された。卵とじではなく玉ねぎも使っていないのでカツ丼というには違和感があった。カツは薄くご飯の上に乗せてあるだけである。意外に柔らかく食べやすかった。

P6290118.jpg

 福井浜町芸妓組合がグーグルマップに表記されているのを知っていた。エースイン福井というホテルの近くである。周辺を含め歩いてみた。料亭が数軒あった。

P6290119.jpg

P6290120.jpg

P6290122.jpg

P6290123.jpg

P6290127.jpg

P6290129.jpg

 下の2枚は福井浜町芸妓組合の表札である。芸妓さんは4人しかいないという意味なのだろう。福井市全体で4人しかいないと解釈していいのかどうかわからない。

P6290139.jpg

P6290138.jpg

 福井浜町芸妓組合の近くにあか抜けた洋館があった。グリフィス記念館である。1872年(明治4年)福井藩に雇用された米国人教師ウィリアム.E.グリフィスが住んでいたところ。建物は1874年に焼失しており、それが復元されたようである。グリフィスは帰国後、日本の歴史や文化を紹介する著作を残したらしい。代表作は『ザ・ミカドズ・エンパイア』。

P6290132.jpg

P6290130.jpg

P6290133.jpg

P6290134.jpg

 全国的に無名であるこの人は、札幌農学校のクラーク博士の影に隠れた存在である。


さよなら福井

 福井駅東口のアオッサ1階のユトリ珈琲店で時間をつぶした。バス乗り場はユトリ珈琲店から1分の場所にある。

P6290141.jpg

 夜行バスは好きではないが、料金が安いので乗っている。それでも夜行バスを待つためにあれこれ無駄な時間をつぶすことを悪くないと思っている。

 さくら観光のバスは早い時間帯の出発である。金沢、高岡、富山、新宿を経由するので横浜までは意外に時間がかかる。

 さくら観光バス  福井駅東口アオッサ前 20:30発 → 横浜シティエアターミナル 7:40頃着

 《終》

2日目 2017年6月28日 福井 勝山 越前大野

えちぜん鉄道で勝山へ

 えちぜん鉄道福井駅でHさんと合流。福井駅東口のアオッサの1階にあるのはユトリ珈琲店なのだが、3階にもカフェがあるようだ。モーニングセットがよいらしいとHさん。

 あるはずの「オシロイヤ」はなかった。「食べログ」に掲載されていたのだが、見つけることができなかった。閉店した可能性がある。

 福井駅の北側を走るお泉水通り沿いにある三の丸ビルの「YEN」に行ってみた。ここもHさん調べである。地元客が多そうなカフェで、厚めのトーストを食べながら行き先を確認した。JR九頭竜線(越美北線)で越前大野駅に向かった場合、もっとも早く発車する列車は11:00台発になっていた。えちぜん鉄道勝山永平寺線は30分に1本の電車が運行されている。

P6280004.jpg

 福井駅でえちぜん鉄道勝山永平寺線の電車に乗った。

 えちぜん鉄道勝山永平寺線  福井 10:09発 → 勝山 10:58着 

 福井駅を出た電車は郊外を走っていたが、そのうち車窓の家々は少なくなった。終点の三国港まで平坦な地形を走る三国芦原線とは異なり、勝山永平寺線の電車は徐々に高度を上げていった。山のなかに入っていくというより、山の裾野を上っていく路線のようで、山側ではない左手(北側)の視界は広がっていた。九頭竜川が流れているはずで、緑のなかのところどころに集落はあった。

 途中、永平寺口駅に停車した。Hさんも私も永平寺を気に入っているが、今日は行かない。

 下2枚の写真の1枚目は1999年3月30日の永平寺駅(2002年、東古市駅=現永平寺口駅と永平寺駅を結ぶ永平寺線が廃止され、それとともに廃駅になった)、2枚目は永平寺。

IMG_0111.jpg

IMG_0116.jpg

 昨日の三国芦原線と同様、勝山永平寺線の電車にもえちぜん鉄道は女性のアテンダントを乗せていた。無人駅が多いえちぜん鉄道の運賃収入はこのアテンダントたちに掛かっている。ふわっとした雰囲気のアテンダントが多いようだが、運賃の徴収率100%という使命を背負っているはずである。

 録音された音声で次の停車駅の案内が車内に流れていた。宍道湖(島根県)に沿って走る一畑電鉄のアテンダントは旅の案内にも力点が置かれていたが、えちぜん鉄道のアテンダントがマイクで案内をしたのは1ヶ所だけだった。勝山駅に近くなった小舟渡駅・比島駅間で「車窓絶景100選」の案内があった。

 「関東の駅100選」は有名であるが、「車窓絶景100選」を初めて知った。はっきり書いておこう。離れていた九頭竜川が線路に寄ってきたところで、それまでの沿線風景とは異なる場所を電車は走ったが、絶景ではなかった。「絶景」という言葉の意味が問われる車窓である。

P6280009.jpg

P6280010.jpg

P6280011.jpg

 後日「車窓絶景100選」をチェックしてみた。根室本線4ヶ所、函館本線3ヶ所など北海道の鉄道沿線が20ヶ所入っていたのはよいが、一方でまんべんなく全国に散らすため多くの鉄道会社を選ぼうとした意図も垣間見えた。えちぜん鉄道勝山永平寺線は後者に入るだろう。南海電鉄高野線の九度山駅・極楽橋駅間が入るのなら、山間路線の多くが選出されるだろう。信越本線の青海川駅周辺が入っていない、只見線が1ヶ所しかないなどあちこちで異議が上がる選考といわざるをえない。


勝山を歩いた

 勝山駅に着いた。駅舎は1914年(大正3年)開業以来のもので、2004年(平成16年)に登録有形文化財に登録されていたが、それほどいいとは思わなかった。駅員に観光案内所を確認したが、道順はイマイチわからなかった。

P6280014.jpg

 1988年に小型肉食恐竜の歯化石が発見され、2000年7月勝山市に福井県立恐竜博物館が開館した。この博物館はおもしろかったそうである。なかなか勉強になったとHさんは言った。

 福井駅西口広場に鳴き声が出る大きな恐竜像があり、JR福井駅構内、えちぜん鉄道福井駅構内のベンチには恐竜が座っていた。勝山駅前広場にも恐竜像があった。恐竜博物館の近くにはホワイトザウルスという白い恐竜像があるらしい。恐竜博物館からバスで恐竜発掘現場まで行くことができる。えちぜん鉄道は「えちぜん鉄道恐竜セット券」を発売している。

P6270043.jpg

 福井はあの手この手で「恐竜」を押し付けてくる県である。クイズ番組で出題してほしい「どの場所でも恐竜が目に留まる県はどこですか?」。しかし恐竜にあまり関心を持つことができない私は、福井県や勝山市の期待に副うことができない。

 九頭竜川に架かる勝山橋を渡り、勝山の中心部に入った。

P6280015.jpg

 郵便局から3つ目の通りを左に折れた。本町通り商店街のアーチがあった。キーワードは「ゆとりと創造」。言葉通りであるのなら、ゆっくり歩くことができる通りには創造的な店があるのだろう。

P6280016.jpg

 山岸まさひろ氏の選挙事務所に、勝山藩長柄道中図を描いた看板があった。絵のモデルがあるのだろうか。

P6280017.jpg

P6280018.jpg

 本町通りは伝統的な町屋が連なる通りである。

 料亭「板甚」は勝山の老舗料亭で、隣は「ふくや」。

P6280019.jpg

 北陸銀行の「行銀陸北」の看板はすばらしい。暖簾もなかなかよい。

P6280022.jpg

P6280023.jpg

 銘茶「みのや」の2階には窓の代わりに横板が張られていた。板と板の隙間から外が見えるのだろう。

P6280024.jpg

 本町通り沿いの駐車場の奥にハンバーガー店「NALU」。

P6280027.jpg

 「ムロヤ陶器店」は家庭陶器金物、ガラス食器、衛生陶器の店である。

P6280028.jpg

 醤油味噌醸造の「松屋」は本町通りのイチ押しである。おばあさんが店のなかを説明してくれた。

P6280030.jpg

P6280033.jpg

P6280032.jpg

P6280036.jpg

 呉服「沢田屋」は端正な佇まいである。呉服の店の多い通りである。

P6280038.jpg

 立派な店がいくつかあり、古い家屋はしっかりと管理されていた。

 福井県道131号に突き当たった。

 福井県道131号を少し東に歩き、2つ目の通りを右(南)に折れた。左手に勝山市公民館と勝山市役所があった。気温が上昇しており、少し休むために公民館に入った。夕張、根室、宜野湾など特殊な問題を抱える地域の役所を見学する価値はあるが、勝山市役所におもしろいものはないだろう。

P6280040.jpg

 勝山駅から延びている通りに出た。東に行ったところのファミリーマートで飲料を買いさらに東に歩いた。

 下の8枚は2008年7月29日に歩いたときのものである。中心部は今とほとんど変わっていない。「ムロヤ陶器店」「松屋」「沢田屋」「斎藤食品店」などは健在である。

DSCF0160.jpg

DSCF0161_20170703024454ec2.jpg

DSCF0162_201707030244556e4.jpg

DSCF0163_20170703024456798.jpg

DSCF0165.jpg

DSCF0168.jpg

DSCF0169_20170703024502cb6.jpg

DSCF0173.jpg

 下の2枚も2008年7月29日の勝山。遊郭だったところである。2008年7月は今日よりも広いエリアを歩いたようだ。そういうことをすっかり忘れていた。ブログを書くために過去の写真をチェックしなければ、思い出せなかった。

DSCF0177.jpg

DSCF0178_20170703025820070.jpg

 元町交差点を渡ったところの左手にある「はたや記念館ゆめおーれ勝山」に入った。織物の記念館である。繭から機織りまでの工程がわかりやすく展示されていた。機織り体験をすることもできる。2階には、明治から使われていた木製の糸紡ぎ機が動いており、当時の工場の様子の再現がされていた。掲示されていた写真は当時の勝山の産業と女子労働者の様子や生活がよくわかるものだった。明治初期から中期まで日本の産業の中心は繊維産業だった。勝山がその一翼を担っていたことを知った。

P6280041.jpg

P6280046.jpg

P6280047.jpg

 Hさんは機織りに関心があるようで、機織り機を友人に譲ってもらう機会があるらしい。一部屋を占拠されてしまうことになりそうだ。

 「はたや記念館ゆめおーれ勝山」は町歩きの休憩場所としても悪くない。
 
 勝山駅のほうに歩いた。Hさんが見つけた、本町通りの近くの「おいしい、ちよ鶴」に入った。福井名物のソースカツ丼を食べるつもりだったが、「おいしいものランチ」を注文した。地元で採れた野菜を中心にしたランチは、見た感じが明らかに女子向きだった。それはつまり明るく色とりどりで品数が多くヘルシー感があるということである。

P6280049.jpg


京福バスで勝山から越前大野へ

 勝山駅にもどらないで、「おいしい、ちよ鶴」の近くのバス停でバスを待った。勝山駅を発車するバスがここを通るはずである。勝山駅の発車時刻は確かめてあった。

 京福バス勝山大野線  尊敬光寺前バス停 14:46発 → 大野六間バス停 15:13着

P6280050.jpg

 バスの左手の奥のほうに越前大仏が出現するかどうかを気にしていたが、大仏は屋内にあることをバスのなかで知った。越前大仏は相互タクシーの創業者が建立した日本一大きい大仏である。

 五重塔が見えたが、すぐに家々の間に隠れた。それを2度ほど繰り返したが、写真を撮ることはできなかった。五重塔の隣に大伽藍が見え隠れしていた。越前大仏はそのなかにあると思われる。

 バスが勝山を離れようとしたとき、畑の向こうに勝山城(博物館)が見えた。周辺に建物はなく城全体がきれいに見えた。天守閣からはよい眺めなのだろう。

P6280051.jpg


越前大野を歩いてみた

 大野六間バス停で下車するのがよいとバスのドライバーは言った。下車したあと、バスの走ってきた方向に少し歩き、七間通りに入った。そこは七間通りの真ん中付近だった。16世紀の楽市楽座の時代から400年続く朝市が毎日開かれている通りである。とりあえず西に歩いてみた。

P6280054.jpg

 七間(朝市)通りが本町通りとぶつかるところに山本醤油味噌醸造元、朝日屋があった。

P6280055.jpg

P6280056.jpg

P6280057.jpg

 本町通りを少し南に歩き右(東)に折れた。

 越前大野城が見えた。「天空の城」として売り出しているが、雲海に包まれた越前大野城を見ようとすると、城の西1kmにある犬山城址(標高324m)の南出丸下に行かなければならない。そこに行くコースは3つあるが、今日は行かない。

P6280058.jpg
 
 大野公民館があった。越前大野の昔の写真が展示されていた。

P6280060.jpg

 大野公民館の少し北に武家屋敷旧内山家があった。

P6280059.jpg

 南に歩いた。迷いかけたが、御清水(おしょうず)に着いた。環境庁指定の「名水百選」に選ばれている湧き水である。湧き水が上がってくる丸井戸が「水飲み場」である。ペットボトルに水を入れた。味がない普通の水だった。「洗たく場」「野菜洗い場」に向けて水が流れている。洗ったあとの野菜くずが水に浮いていた。

P6280061.jpg

P6280062.jpg

P6280063.jpg

P6280064.jpg

 七軒(朝市)通りにもどった。和菓子、酒屋など様々な店が並んでいた。勝山の北陸銀行の看板は右から左に読ませる「行銀陸北」だったのに、越前大野の北陸銀行は左から右である。

P6280067.jpg

P6280068.jpg

P6280069.jpg

P6280070.jpg

 Hさんがパンを買うというので入ったパナデェリアでコーヒーを飲んだ。

P6280066.jpg

 七軒(朝市)通りにも湧き水があった。

 花垣(はながき)に入った。花垣は、蔵元である南部酒造の地酒の銘柄であり、販売店名である。メディアにも頻繁に取り上げられている。店は新しいが、奥のほうは古そうである。数種類の地酒の試飲ができた。あまり時間がないなかHさんは熱心に試飲していた。

P6280071.jpg

P6280074.jpg

 花垣の近くにあった大門屋は呉服店である。1階は「シルクduカフ」になっていた。Hさんがここに来てみたかったのかどうかはわからないが、呉服の展示場になっている2階で牛首紬(うしくびつむぎ)の説明を熱心に聞いていた。

P6280075.jpg

 下の5枚は2008年7月29日の越前大野の中心部である。つまり今日歩いたところ。

DSCF0145_20170703030146b21.jpg

DSCF0148_20170703030140925.jpg

DSCF0149_20170703030141989.jpg

DSCF0150_20170703030143491.jpg

DSCF0152_2017070303014425b.jpg

 下の4枚は2000年1月1日の越前大野。このときは真冬の越前大野城に登った。この頃の大野城はまだ「天空の城」とは呼ばれていなかった。
 
IMG_0084.jpg

IMG_0090.jpg

IMG_0089.jpg

IMG_0087.jpg

 少し急ぎながら越前大野駅へ。

P6280076.jpg

P6280077.jpg

 越前大野駅に着いた。17:10発の列車に乗れない場合、次は19:18発になる。JR九頭竜線の越前大野駅・福井駅間の列車本数は1日9往復である。反対方向の(終点)九頭竜湖駅に向かう場合の列車本数は1日5往復になる。

P6280079.jpg

P6280080.jpg

 下の1枚は2000年1月1日のJR九頭竜線。ゆるキャラがない時代である。ゆるキャラはシンプルにデフォルメされたものが多いのでデザインは子供っぽくなる。車両の外装に使った場合、遊園地の乗り物っぽくなってしまう。今日の九頭竜線の気動車の外装はまさにそれである。「JRじゃない、大野鉄道だ」と言ったのは「私じゃない、Hさんだ」。

IMG_0092.jpg

 下の1枚は2000年1月1日の九頭竜湖駅。山のなかの、九頭竜線の終着駅である。九頭竜線の正式名称は越美北線である。福井県側はJRであるが、岐阜県側は長良川鉄道の越美南線である。JR発足(国鉄分割民営化)時に第三セクターになり現在に至っている。越美南北両線がつながることは永遠になくなってしまった。ちなみに前述の「車窓絶景100選」に長良川鉄道は入っていないが、えちぜん鉄道永平寺勝山線よりはよい景色を見ることができるだろう。

IMG_0093.jpg

 JR九頭竜線 越前大野 17:10発 → 福井 18:03着


沖縄料理「南風(ぱいかじ)」で、福井2日目の夜
 
 福井に着いた。

 深夜食堂ふう飲み屋あるいはバルのようなお洒落系など検討したが、どういった店に入るのかを決めていたわけではなかった。

 ガレリア元町商店街を抜けたところにあった沖縄料理店が目に留まった。半ば衝動的に沖縄料理「南風(ぱいかじ)」に入った。

 カウンターの近くに沖縄民謡ライブの掲示があった。カウンターのなかにいたスタッフが、沖縄民謡ライブの写真に写っている人と同一人物らしいことをHさんが気が付いた。

 そのスタッフとスタッフの姉妹は南風ファミリーという沖縄民謡のグループを結成していた。毎月第4金曜日に店の奥でライブをやるらしい。私たちが話したのは飛武呂(ひむろ)さんである。

P6280083.jpg

P6280085.jpg

 ちょっと立ち寄っただけだった。このあとHさんも他の店に行くつもりだったと思う。そんな感じで飲み始めたのだが、結局、最後まで居ることになってしまった。

P6280081.jpg

P6280082.jpg

 店内に沖縄のムードが溢れかえっていたわけではなかった。派手であることが多い沖縄料理店にあっては少し地味な感じもしたが、居心地はよかった。私たちはこのあと、Hさんが乗るえちぜん鉄道の終電の時間までたわいのない話をすることになった。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。